日活ロマンポルノ俳優Mが“右翼の大物”邸宅に小型機で特攻 ロッキード事件のさなかに起きた“衝撃事件”から50年
日活ロマンポルノ出演と思想の先鋭化
翌1971年、前野にさらに大きな転機が訪れる。日活は経営不振から一般映画の路線を維持できなくなり、11月から成人映画路線「日活ロマンポルノ」へ舵を切った。多くの専属俳優が去るなか、前野は残り、第1弾の『団地妻 昼下りの情事』に出演する。 以後、前野の主戦場はロマンポルノへ移った。私生活では1972年にアメリカ人女性と再婚している。このころの前野は、三島由紀夫や、禅思想家・鈴木大拙(だいせつ)の著作、マルクスの『資本論』のほか、『論語』、『老子』など、思想や傾向の異なる書物を読みふけっていた。 鈴木大拙は、禅の思想を通じて「生死一如」、すなわち生と死は本来一体のものだと説いている。そうした読書を重ねて思索を深めるなかで、前野の右傾化は次第に輪郭を明確にし、自分なりの死生観も形づくられていった。 なお、前野が再婚した1972年、元妻は三島由紀夫の同名小説を原作とした映画『音楽』の主演に起用されている。三島に傾倒していた前野が、これに対しいかなる感情を抱いたかは今となってはわからない。 さらに小型飛行機の操縦に関心を持った前野は、1973年には岡山の航空訓練所に入り、全寮制の規律の厳しい集団生活を送った。前野はそこに軍隊的な秩序を重ね合わせていたともいわれる。また、そこで右翼団体関係者の子息とも親しくなっていた。 こうした時期の前野については、「俺は武士だ」と周囲に語り、NHKで一日のテレビ放送が終わる際に君が代が流れると、起立して直角に頭を下げていたとの証言もある。飛行機の操縦免許を取得し、調布飛行場を拠点とする飛行クラブに出入りするようになった前野は、小型飛行機で荷物を運ぶ仕事にも関わったという。 1975年11月公開の『東京エマニエル夫人 個人教授』は前野にとって最後の映画となった。この年には2度目の結婚生活も終わっている。ロッキード事件が発覚したのは、翌1976年2月のことだ。