日活ロマンポルノ俳優Mが“右翼の大物”邸宅に小型機で特攻 ロッキード事件のさなかに起きた“衝撃事件”から50年
前野霜一郎の思想と三島由紀夫の影響
その児玉邸になぜ俳優が突入したのか。そこを理解するためには、前野霜一郎という人物を知る必要がある。1970年代半ばは、東アジア反日武装戦線や日本赤軍など過激化した極左系セクトによるテロ事件が相次いでいた。だが、前野はその文脈にはいない。むしろ逆の側にいた。 前野霜一郎は芸名で、本名は前野光保(みつやす)といった。1946年、渋谷区の布団店の一人息子として生まれ、13歳で児童劇団に入り、16歳で映画デビューした。以後、日活作品に継続的に出演し、1964年の『潮騒』では吉永小百合と共演している。 1967年には同じ劇団出身の女性と結婚し、その後は2人でアメリカに留学して演劇を学んだ。また、前後してA級ライセンスを得て自動車レースにも参加し、さまざまな言語を学ぶなど、奔放に暮らしていた。その費用は我が子を溺愛する父親が負担していたとされる。 帰国後の1970年は、前野にとって仕事、私生活、思想面で転機が重なった年だった。まず、5月公開の杉良太郎主演『花の特攻隊 あゝ戦友よ』に出演した。ゼロ戦に乗る特攻隊員を描いた映画に出演したことは、前野を変える一つのきっかけとなった。 その後も、同年8月公開の『野良猫ロック ワイルド・ジャンボ』、10月公開の渡哲也主演『新宿アウトロー ぶっ飛ばせ』など、脇役ながら“日活ニューアクション”と呼ばれる作品群に連続出演した。このように、俳優として脂が乗っていた一方で、私生活では妻との結婚生活が破綻した。 なお、前野と結婚していた女性は、同じ年に人気ドラマ『アテンションプリーズ』(TBS系)で、日本航空でボーイング社のジャンボ機に乗るキャビンアテンダントの研修生役をレギュラーで演じ、茶の間に顔を知られる存在になっていた。過去の日本の象徴であるゼロ戦と、新時代の象徴であるジャンボ機というのは、なんとも対照的だった。 そして、その時の前野はまだ、ロッキード社の大型旅客機をめぐる疑獄事件のなかで、自分が後に取る行動を想像もしていなかった。 さらに同年11月25日には、前野に強い衝撃を与えた三島事件が起きた。作家・三島由紀夫が、自衛隊の市ヶ谷駐屯地で隊員たちに決起を促したあと、割腹自殺した。戦後日本を否定し、天皇中心の国家のために命を捨てるという思想を、自らの死で示した事件だった。『花の特攻隊 あゝ戦友よ』に出演したその年の前野にとって、この事件は思想面でも無視できないものとなった。