日活ロマンポルノ俳優Mが“右翼の大物”邸宅に小型機で特攻 ロッキード事件のさなかに起きた“衝撃事件”から50年
戦後最大の疑獄事件「ロッキード事件」の渦中にあった右翼の大物・児玉誉士夫(よしお)の邸宅(東京都世田谷区)に、映画俳優が小型飛行機を操縦して突入した。 【ストーリトビュー】現在、児玉邸跡地はマンションに 1976年3月23日、まるで映画のような事件が現実に起きた。それは“特攻”を模した、事実上の自殺攻撃だった。操縦していたのは、映画『野良猫ロック ワイルド・ジャンボ』、『団地妻 昼下りの情事』などに出演していた前野霜一郎(そういちろう)という当時29歳の俳優である。(ライター:ミゾロギ・ダイスケ)
背景にあったロッキード事件
では、この突入事件はなぜ起きたのか。背景にあったのが、当時の日本社会を揺るがせていたロッキード事件である。 1976年2月4日、米上院外交委員会の公聴会で、米航空機大手・ロッキード社が日本で自社製旅客機「L-1011トライスター」を売り込むため、政界や航空業界に影響力を持つ人物らに工作資金を流していた疑惑が表面化した。 その時点で、ロッキード事件に関係した人物として疑惑の目が向けられていたのが、児玉誉士夫と小佐野賢治だった。小佐野は田中角栄元首相とも近い関係にある実業家で、ロッキード社側と政界・航空業界のあいだの口利きや仲介で利益を得ていたという疑惑があった。 これに対し、児玉はロッキード社の秘密代理人と目され、トライスター売り込み工作の重要人物とみられていた。2月16日に始まった衆院予算委員会の証人喚問では、小佐野が「記憶にございません」を連発し、この言葉はその年を象徴する流行語になった。一方の児玉は病気を理由に国会に姿を見せず、世論の反発は急速に強まっていった。 児玉誉士夫は、右翼運動家として知られる一方、戦時中は海軍航空本部の嘱託として上海で「児玉機関」を率い、戦略物資の調達に関わって巨額の資金と人脈を築いた。その調達をめぐっては、強引な手法もあったというのが通説になっている。 敗戦後はいったんA級戦犯容疑で収容されたが、東西冷戦が深まるにつれ、アメリカの占領政策は日本の軍国主義を解体する方向から、共産主義に対抗するため保守勢力を重視する方向へと転じていく。GHQの占領政策がこのいわゆる「逆コース」に転換するなかで、児玉は1948年に釈放された。 その後の児玉は、保守政治家や財界人と結びつき、資金と人脈を背景に戦後の保守政治の裏側で存在感を強めていった。冷戦下では反共ネットワークの一角として米国側との関係も指摘される。さらに「反共」を旗印に右翼や暴力団を束ねようと動き、戦後日本のフィクサーとして地位を確固たるものとするのである。