「聴く」星の話、

全ての星のvol1の配信が完了しました。(してました!)

 

 

 

 

配信は以下の10種の星についてです。

 

 

 

 

久しぶりにそれぞれの星の話を、

たっぷり話しました。

 

 

初めて語る話もたくさんあって、

私自身も聴きながら「なるほど〜」と唸る内容となっています😆

 

 

星ごとの配信です。
vol1はその星の個性についてたっぷりとvol2はペアの星と比べながらさらに深めます🌟購入はこちらから

 

 

 

 

今年は、

「毎月1冊の本とじっくり向き合う」ことに決めたので、

読む時間や、言葉と向き合う時間を楽しんで過ごしています。

 

 

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7月は自然な流れでルール変更があり、

番外編も”あり”になりました。

 

 

 

なので、今月は、

メインの本+2冊の番外編の本を読んでいて、

しかも今読んでる番外編は、

メインよりもボリュームがあって濃い😂

 

(そんな流れも含めて楽しんでいるので、この話はまた別でじっくり語りたい)

 

 

 

 

で、今読んでいる番外編は、

人生初のキリスト本。

 

 

 
 
神であるコトバ、
コトバである神。
 
 
その”コトバ”とは何か。
その”コトバ”はどこに存在しているのか。
その”コトバ”にはどうすれば触れられるのか。
 
普段私たちが日常的に使う、
言葉との違いは何か。
 
 
そういったことを、
この本ではイエスやその周りにいた使徒たちを元に、
思いめぐらせていきます。
 
 
 
イエスもマリアも、
ヨハネも大天使ガブリエルも登場するけれど、
 
この本の中の登場人物は、
今を生きている私たちと、
何も変わらないように感じる。
 
 
キリスト教という宗教の本というよりも、
彼らが実在していたとするならば…
 
という前提で、
 
この言葉、この行動、
この現象の背景にある”コトバ”は、
私たちが生きるこの世界に対して、
何を語っているのか。
 
 
あぁ、しまった。
番外編だなんて、気軽な気持ちで足を突っ込む本じゃなかった。


でも、気軽な気持ちだったからこそ、
突っ込めた道でもあるので、

面白くなりながら、
内容は私の中で哲学として深まっていく。
 

 
どうせ読んだところで、
分かるはずがない。
 
と最初から諦めていた聖書の入り口が、
こんなワクワクした気持ちから始まるなんて、最高じゃないか。
 
 
 
がっつり聖書の内容ではないので、
「ハリーポッターを真面目に深ぼってみた」
みたいな気持ちで読んでるのだけど、
 
 
つまりは、
 
何を信じているか。
そして、どう行動するか。
 
人の道はそれなのだと思う。
 
 
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イエスは、
触れただけで病を治し、
「起きなさい」と言えば死者をも蘇らせた。
 
 
それを見た人は、
「奇跡だ」と驚いたけど、
イエスにとってそれは奇跡ではない。
 
 
 
”知っていた”だけ、
なんじゃないかと思う。
 
 
 
100年前の人が、
スマホを見たらきっと驚くように、
その時代の全ての人が知らなかったことを、
イエスが知っていただけなのでは。
 
 
 
イエスに見えていたものは、
そもそも健康な肉体であって、
毒された方の身体ではない。
 
魂は永遠であることを知っているなら、
器であるその肉体の復活は不可能ではない。
 
 
 
「治る」ことを完全に知っていたなら、
「信じる」という意志は必要ではない。
 
イエスは一切疑う余地もないほど、
「知っている」ことがあったのだと思う。
 
 
それはもしかしたら、
本当は私たちも初めは知っていて、
だけどどこかで忘れてしまったことなのかもしれない。
 
イエスは、
それを知っているまま、
生まれてきたのかもしれない。
 
 
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その一方で、
イエスにも悪魔の囁きがあった話がある。
 
 
 
その時イエスは、断食をしていた。
 
ちょうど40日目で、
耐え難い空腹を感じたらしい。
 
 
その飢えと乾きのピークこそが、
悪魔が現れるポイントだった。
 
 
 
「お前が神の子なら、
この石のすべてをパンに変えたらいいじゃないか」
 
そう悪魔が提案する。
 
 
魔法使いのように、
「パンになれ!」と石に命じてみろ、と。
 
 
 
飢えと乾きの絶頂で、
喉から手が出るほど食べ物を欲している時、
 
「あぁ、そうか💡」
「自分にはそうする力があったのだ💡」と、
 
まるでナイスアイディアかのように、
その提案を受け入れそうになるじゃないか。
 
 
 
ところが、
さすがイエスは違った。
 
 
 
「人はパンだけで生きるのではない。
神の口から出るすべての言葉によって生かされる」
 
 
その言葉によって、
「悪魔の言葉」は根源的に無意味となった
という。
 
 
 
おぉ!
どこかで聞いたことのあるこの台詞は、
悪魔との対峙で出てきた言葉だったのか。
 
 
ていうか、
 
「人はパンだけで生きるのではない。
神の口から出るすべての言葉によって生かされる」
 
という言葉で、
どうして悪魔の言葉が無意味になるのか。
 
しかも根源的にとは??
 
 
 
それは、
石はパンにはならない、
ということなのか。
 
見た目はパンに見えたとしても、
石は石であるというのか。
 
 
 
この一つのエピソードからも、
深い真理が含まれていて、
 
想像し、思い巡らせれば、
自分だけの考えに辿り着く。
 
 
 
 
私が感じたことは、
石をパンにしてしまったら、
秩序が乱れることを意味しているのでは。
 
 

オニオングラタンスープを作った時の

 

 

パンがパンになるまでには、
 
大地に蒔かれた小麦の種から、
ミルクやバターとなる牛たちが食べる牧草まで、
起源を辿ることになる。
 
 
太陽や雨、風があり、
種は成長し、牛たちも成長する。
 
 
自然の力と生命力、
そこに発酵の力と人の手が加わって、
パン一つにしたって壮大な共同創造。
 
 
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これは皮から手作りした豚まん
 
 
個々の異なるもの同士が、
合わさってひとつになる。
 
 
それを可能にしているものが、
「神の言葉」というプログラムなのでは。
 
 
 
見えるものと見えないもの。
 
物質化されたものと、
非物質的なエネルギー。
 
 
神の息吹によって、
両方の世界は繋がり合っているのに、
 
もしもイエスという神の子自身が、
石をパンに変えてしまったら、
神聖なプログラムは突然変異を起こして変わってしまう。
 
 
 
悪魔が囁いた、
 
「お腹が空いたなら、
石をパンに変えればいい」
 
とは、
 
「鳥を蜜蜂に変えればいい」
「男を女に変えればいい」
 
みたいな話で。
 
 
もしそれをしてしまったら、
 
ミツバチがミツバチであり、
女が女である、
生命の設計図を根源から無視する話
なんじゃないかと思う。
 
(現代ではすでに、あらゆるところでそれが行われている)
 
 
 
それは果たして、
奇跡なのだろうか。
魔法なのだろうか。
 
 
聖書ではそれを、
悪魔の囁きとして表して、
イエスは行わなかった出来事として描いている。
 
 
 
う〜〜〜ん、深い話だ。
 
 
 
 
イエスが、
人々のあらゆる病を治し、
死者をも蘇らせたのは、
あくまで自然治癒力や転生の循環の中での話。
 
 
 
私たちが”知っている”、
治る or 治らない、
治るにはこれくらいの時間がかかるだろう、
寿命はこれくらいだろうという肉体の前提と、
 
イエスが”知っていた”肉体の前提は、
違うものであったという話でもある。
 
 

 

 

神はコトバである。

コトバは神である。

 

 

その言葉の真意を、

今、黙々と深めているところです✨

 

 

 

 

で、どうやら神のコトバは、

様々な語り方があって、

様々な形で顕現しているらしい。

 

 

内側に響く言葉の時もあれば、

白紙と向き合って出てきた文章の中にも現れる。

 

神のコトバは、

沈黙という語り方もあれば、

現象、音、ビジョン、

行為や行動の中に現れることもある。

 

 

 

 

 

 

先月不思議なことがあった。

 

 

その日の夕方、私は、

何となくスマホのデータフォルダを見返そうと思った。

 

 

何があったわけじゃない。

何となくそう思っただけ。

 

 

そうして開いてみたら、

一番最新の写真に、見覚えがない

 

 

その日のお昼に保存されていた写真は、

私に身に覚えのない神社の写真だった。

 

 

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この写真が保存されていた時間、

私は、自分が何をしていたのかをはっきり覚えていた。

 

 

なぜなら、

その時間に何となく時計を確認したからだ。

 

だから”あの時間”、

私は一人で家にいたことを覚えている。

 

 

神社は調べていない。

エアドロされてもいない。

 

なのに、

保存してない写真が、

保存されていた。

 

 

 

これは一体・・・・・ゲロー

 

 

 

ということで、

先日行ってきたのが、

秩父の三峯神社です。

 

 

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保存されていた写真は、

鬱蒼としていたので、

どんな場所かと思いきや、

 

とても気持ちの良い場所だった!!

 

 

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三峯神社の狛犬は、筋肉ムキムキな狼。

足も大きいので、

実在してたらかなり大きいんだろうなぁ。

 

 

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あちこちに龍がいて、

華やかだった〜!

 

 

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ここにも龍がいる!

と思って見上げて撮った写真。

 

後から見返したら、

彩雲が映っていた😆🌈

 

 

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この日私は、

三峯神社王道ルートを

事前にYouTubeで調べていた。

 

 

なので、参拝後は絶対に、

ざる蕎麦とわらじカツ丼を食べる気満々だった。

 

いも田楽というB級グルメも、

食べ歩きで楽しむ気満々だった。

 

 

 

だけど、

山道のお店は軒並み定休日!!!

全部シャッターが降りている笑い泣きガーン

 

 

 

仕方なく、

山を降りたところでお昼を食べよう…

と思っていたら、

 

向こうの方にポツンと一軒だけ、

明かりがついている。

 

 

 

メニューは、グリーンカレー…

ここにきて、グリーンカレー…?

 

 

 

ざる蕎麦とわらじカツ丼、

いも田楽の口からは全くの方向転換で、

正直気分ではないのけど、

 

お腹がペコペコだったので、

まぁいいか、と入ってみることに。

 

 

 

 

「絶対私たち、どこかに共通の知り合いがいるんじゃないか?」

というような、似たものを感じるスピリチュアルな店内。

 

 

後ろに座っている男性二人は、

マニアックな神様の話を深々と話し込んでいる(笑)

 

 

 

面白いお店だな…

 

と思いながら、

奥にあるどでかいイチモツを発見して、

二度見する🤣

 

 

 

 

まじまじと見ていると、男性が、

「それ、僕たちが彫って作ったんです」とドンッ

 

えぇ!?なんて言っていいものか、

若干気まずさを感じたりもしながら(笑)

 

少しだけ話したあと、

彼らは山を登りに行った。

 

 

甘めのグリーンカレー、美味しかった。
生姜が効いてて、この日はずっと汗が吹き出していた🤣
 

 

そのカフェを出る時に、

真菰茶が外に売っていた。

 

 

買って帰ろうかな〜と思ったけど、やめた。

 

 

なぜなら、最近SNSで、

「千年祭の神聖な火でスモークした真菰茶を作っている」

という投稿を見て、

 

その真菰茶を買いたいな〜

と思ったことを思い出したから。

 

 

 

あれはどこだったかなぁ。

探せばまた出てくるかなぁ。

 

 

 

ぽつりぽつりと、

何気なく些細な出来事があったその日。

 

 

帰宅してから調べてみたら、

 

まさかカフェで話したあの男性が、

千年祭の真菰茶作ってる人だった🤣

 

 

 

突然スマホに現れた写真から始まったこの日。

「気味悪い」と行かなかったら…

 

行った日が別の曜日だったら、

私は蕎麦を啜っていただろう。

 

 

「グリーンカレーの気分じゃない」って、

山を降りていたら…

 

山を降りてだいぶ先まで、

全然お店がなかったから、

お昼ご飯を食べ損ねていた魂が抜ける

 

 

ざる蕎麦とわらじカツ丼と、いも田楽のために、

朝はかなり軽めにしていたので、

あのカフェで食べていなかったら私は飢えていたw

(イエスを見習えw)

 

 

 

イチモツをまじまじと見ていなかったら🤣

会話は始まらなかったし、

 

真菰茶をあの場で買っていたら、

その後調べなかったと思うから、

点と点は繋がらなかった。

 

 

 

オンラインストアを見たら、

真菰茶は完売していたのだけど、

このシンクロを共有したくて、

DMから連絡をしてみた。

 

 

その方も、

目当てだったお店が連続してお休みで、

急遽あの時間、あのカフェになったのだそう。

 

で、完売していたお茶が再販したことも、すぐに教えてもらった😆

 

 

 

 

こういう偶然のシンクロと出会いが、

私の中にある人脈の星っぽいな〜と感じた出来事だった。

 



 

「自分らしく生きる」と決めてから、

私にはこういうシンクロや出会い方が多いのだけど、こういう展開って、と〜っても私好みなのだ。




神はコトバである。

コトバは神である。

 

 

神のコトバは、

私たちが思う「喋りかけ」ではなく、

様々な語り方があって、

様々な形で顕現しているらしい。

 

 

 

そうだとすると、

私たちはそれぞれ異なる方法で、

神のコトバを受け取り、

異なる形でこの世に顕現させる存在なのでは?

 

 

 

私が自然にした行動も、

神のコトバなのかもしれない。

 

私が気づいた現象も、

神のコトバなのかもしれない。

 

 

 

悪魔の言葉との違いが、

 

神聖な秩序(プログラム)に沿っているか、

もしくは突然変異であるか…だとすれば、

 

自然なシンクロ、

心から出た言葉や行いは、

神のコトバで、

 

不自然な行動や、

思考して出てきた答えは、

悪魔の囁きなのかもなぁ。

 

 

 

とすると、

そこにはやっぱり、

 

持って生まれた星と思考の声が、

並んで浮かんでくる。

 

 

 

🌞神のコトバを、

私たちは持っている星で受け取り、表現する↓

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😈悪魔の囁きは、

持っている思考の声から流れてくる↓

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内なる神が、

どのようにして私に語りかけるのか。

 

私はどのようにして受け取っているのか。

神のコトバは、私を通してどのように顕現するのか。

 

 

 

わたしを愛するための「聴く」星の話。

 

 

これから配信するvol2では、

そんな視点から話してみるのも面白そうだなぁ✨

 

なんて思っています。

 

 

 

今回、ラジオ配信にしたのには理由があります。

 

 

移動中や、ちょっとした隙間時間に、

なんとなくSNSを眺めたり、

外側の情報を流し見する癖ってあると思うんです。

 

 

私自身もその癖がきっかけで、

「毎月1冊の本と向き合う」ことにして、

動き出した今年の流れがあります。

 

 

日常の中にある無意識の時間を、
“自分を愛するための時間”へ変えていくラジオ配信です。

 

 

SNSを流し見してしまう

”なんとなく”の行動や、

”なんとなく”過ぎていく時間を、

 

「内なる声を聴く時間」

「自分と向き合う時間」

に決めることができるようにしました。

 


日常の中にある小さな隙間には、

思考の声が入りやすい。

 


だからこそ、自分自身の意思で、

“わたしを愛する時間”として選べるように、
今回はラジオ配信という形でお届けすることにしました。

 

 

 

 

 

 

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