“大本教法第五章に「大本は、綾部梅松苑及び亀岡天恩郷を神業の根本聖地とし、梅松苑を祭祀の中心地、天恩郷を宣教の中心地とする」とある。
児島一統さんはその亀岡に住む。十八歳で入信した。それ以来、いつの日か亀岡に、と念じ続けてきた。それがとうとう実現した。五十二年秋であった。
自宅から天恩郷まで二千四百メートル。折にふれて天恩郷へ通う。そこにはみずからの人生のすべてが刻みこまれている。「私は大本に惚れてきた。大本を抜きにして私たち夫婦はない」というその人生が、天恩郷の一木一草に秘められているのだ。
そして、一切の体験が聖師に直結する。たとえば道栄夫人との結婚が聖師の指示であった。結婚を契機に夫人の姓を名乗ることになった。それも聖師の指示。その折、一統(かずもと)の名もいただいた。「聖師さまは獄中におられたからご指示はすべてお手紙によりました」。教団にとって、自身にとって、弾圧下の苦境にありながら、信者の結婚問題にまで考えをめぐらす聖師とは……児島さんは今更のように息をのむ。
「聖師様は俗な言葉でいえば超人であられた。でも、この世にある時は凡夫に徹しておられたようでした。私のごときものにはガミガミ言う、うるさいおやじでありました。ご奉仕させていただいたころ、何度どなりつけられましたことか」
天恩郷の植木に水やりをする――ある日、それをさぼって格好だけつけておいた――その夜、聖師から「桜がのどが渇いたとわしに訴えとる。だれが手を抜いたんじゃ」と大目玉をくった。またある時は綾部の山から石を掘り出す作業中、おはらいを受けずにいたため、頭に大怪我をした――その日の夕拝で仲間たちが自分のケガの平癒を祈ってくれている――自分も寮の神前で正座していたところ、にわかにおのれの全身、純金の光でおおわれた。
児島さん夫婦のこのような体験談は尽きない。中でも戦中体験は鮮烈である。
「召集令が来たので聖師様にご挨拶に行った。そんな時、聖師様が『早よ帰ってこいよ』とおっしゃればたいてい即日帰郷できるが、私の場合、三代様からいただいた腹帯に聖師様みずから三十六の拇印を押され、それに力をこめて念を入れられた。私は戦場で大変な目に遭うと覚悟した。果たして硫黄島へ行きましたよ」
いわゆる玉砕部隊であった。優勢な米軍により児島二等兵らは地下壕に追いつめられた。壕内はウジにまみれた死体。食物も水もなく、のどを潤すものは、盃一杯ほどの自分たちの血尿だけであった。その壕内にガス弾が撃ち込まれた。戦友たちは、咳込みつつ倒れていく。
「この極限状態にあって、なお大本のみ教えが私の内にありましたよ。み教えがダイヤモンドのごとくピッピッときらめくのです。『わしが責任をもって守ってやるぞ。一切をわしに任せ』というお言葉です。そして、大地の精気を忘れるな、とのみ教えをにわかに思い出しました」
死体をかきわけて穴を掘った。その穴に顔を伏せ、かすかに立ちのぼる酸素を呼吸した。
「それで救出されました。米軍の捕虜になり、硫黄島からサイパン、ハワイ、そしてシアトル、サンフランシスコへ。引き揚げてきたのは二十一年一月でした」
両眼失明の状態。それもおかげをこうむって何とか回復した。”
(「おほもと」昭和55年3月号 高橋徹『生きて信じて 聖師、神様、おやじさん』より)
*出口王仁三郎聖師の肉体は、もはやこの世には存在しませんが、「霊界物語」の中には出口聖師の霊がすべて入っておりますので、とりあえず物語を音読して潜在意識にインプットしておけば、マサカの時には神界からの内流によって、何をすればよいのかを教えて頂けるといわれています。
“「霊界物語は私の血であり命である。私の霊が全部この中に入っているのだ」
と聖師さまはおっしゃった。”
(「おほもと」昭和48年6月号「天界に通じる法」大国以都雄)
“(聖師さまは)
「『霊界物語』を読まない人は、なんぼ肉体はわしの側にいても魂は遠い所に離れているのと同じだ。また、その反対に、物語を読む人は、肉体は遠くに離れていても、魂はわしの側にいるのと同じだ」
と、お示し下さいました。”
“聖師さまはしばらくしてから真面目なお顔をなさり、
「もうわしの言うことは全部「霊界物語」と「神霊界」に言い尽くしてある。神典として残してある。だから、わしが恋しくなったら物語を読め。」
とおっしゃいました。そこで私は、
「読んでも、片っぱしから忘れてしまいますので……」と申し上げました。すると、
「忘れてもかまへん。読んでさえおけば、それが血となり肉となって、まさかの時にご内流となってでてくるのだから、読んでさえおけばそれでよいのだ」
と申され、……”
(三浦玖仁子「花いろいろ 出口王仁三郎聖師側近七年の記録」より)
・「霊界物語」第六十五巻第二四章『危母玉(きもたま)』より
“玉国別、真純彦の二人はスーラヤの湖の西岸に着いた時、初稚姫の厳粛なる訓戒によりて、伴ひ来りし三千彦、伊太彦、治道居士その他と別れて、逸早く聖地に進まむと夜を日に継いで旅の疲れも苦にせず、足を早めて漸くエルサレムに程近き、サンカオの里に着いた。此処にはシオン山より流れ来る、ヨルダン河が轟々と水音を立てて流れてゐる。その北岸の細道をスタスタとやつて来ると、俄に一天墨を流した如く黒雲塞がり、えも云はれぬ陰欝の空気が漂うて来た。そしてあたりは森閑として微風一つ吹かず、何ともなしに蒸し暑く身体の各部からねばつた汗が滲んで来る。
毒ガスにでもあてられたやうに息苦しくなり、川べりの木蔭に二人は倒れるやうにして腰を卸し、草の根に顔を当てて地中から湧き出づる生気を吸ひ、健康の回復を計つてゐる。
これは数十里を隔てた東方の虎熊山が爆発し、折柄の東風に煽られて、毒を含んだ灰煙が谷間の低地へ向つて集まつて来たからである。
二人は息も絶え絶えになり、小声になつて天の数歌を奏上してゐる。
真純 『モシ先生、モウ一息で聖地エルサレムへ到着するといふ間際になつて、俄に天地が暗くなり、斯様に息が苦しく最早堪へ切れないやうになつたのは、何か神様のお気障りがあるのではございますまいか。茲まで来て不幸にして斃れるやうな事があれば、千載の恨でございます。どうあなたはお考へですか』
玉国 『ウーン、どうも変だなア、私にも合点がゆかぬ。しかし今日の昼頃に遥東の空に当つて、不思議な響がしたと思へば、それから天が暗くなり、地の上までがこんな空気に包まれてしまつたのだ。大方どこかの火山が爆発したのではあるまいか……とも思はれる。何分この空気は、微細な灰のやうな物が交つてゐる。少時ここでお土に親しみ神様を祈つて体の回復を待つより仕方がない。私も何だか苦しくて、四肢五体がガタガタになつたやうだ。あゝ惟神霊幸倍坐世(かむながらたまちはへませ)』と合掌してゐる。”
・毒ガスの予言
“聖師さまが書いておられるでしょう。夢を見たといって。『あっちの道にも、こっちの道にも白骨の死体がごろごろしている』と。あれが夢であればいいんです。夢なら結構。しかし光化学スモッグがもっと強く進みますと、道であろうがどこであろうが、そのまま倒れてしまいます。大阪千日前の火事では、化学製品の煙がたちこめて窒息して死んだ。焼けて死んだという人は少ないでしょう。ああいう死に方になる。それが大変だと聖師さまはおっしゃっていた。「その時はどうしたらいいんですか」とたずねると、
『それは、お土を掘って、そこへ顔をつっ込んで、土からあがる精気を吸っておれ』とおっしゃっていた。大正時代に『毒ガスが襲ってきて人間が滅亡してしまう、それが立替え立て直しの最も激しいときだ。その時は、毒ガスをどうして払えばよいかというと、みんな土の精気を吸え』
といわれ、その当時の信者さんはみんな、そのように心得ていました。またお土米(お米のような粒の土)というものを持っていて、それを袋に入れて、腰に下げて歩いていました。大正十年事件が起きるまでは、みんなそのようにしていたのです。
このごろは、『お土を尊ぶ』ということを口ではいっているけど、あまり尊重しなくなった。しかし、これから本当に尊重される時代が来ると思います。”
(「おほもと」昭和48年6月号 大国以都雄『天界に通じる法』より)
“―― 綾部の佐藤参議の話ですが、太平洋戦争の末期、大阪に焼夷弾が投下されていく様子を見て帰り、聖師さまに「お筆先通りの火の雨を見てきました」と申したところ
『それは人間が降らしたのではないか、お筆先に示された火の雨とは、空気のはたらきが狂って電気がおこり、火花が散って火の雨が降る』
とおっしゃって驚かれたそうですが、聖師さまのご教示についてもお伺いしたいと思います。
大国 大正八、九年頃に、「地上にガスが充満して呼吸困難になる時代がくる。だから聖師さまは、
土を掘って顔をつっこんで、土の生気を吸わなければ助からない』
と、おっしゃられているんだ」と、みんな話していました。私は「火の雨というのは、火山が噴火して、溶岩が飛んでくることですか」とお伺いすると、
『いや、そんなものではない』
とおっしゃったことを覚えています。第二次大本事件前に
『戦争などもあるが、それよりどこもここもガスだらけになる。これは大変だよ。その時になってどうするか、という問題もあるんだけど、そんなことを今言ってもみんなにはわからんし、書かずにいるんだけど、結局、この問題で人類が悩むことになり、たくさんの人類が亡くなるようなこともおきるだろう。いずれ時期が来たら書いておきたい』
とおっしゃったことがあります。事件後に、
『日本は世界の神床だから、これの大掃除が始まる。その大掃除のきっかけが、学と智恵との戦いの正念場だ』
とおっしゃったが、ひょっとしたら、立替えの正念場がまわってくるのは、こういう関係からくるのではないか、とこの頃よく考えるようになってきました。
伊藤 二代さまが、開祖さまからお聞きになった話をよくされていましたね。それは大変恐ろしいことで、開祖さまは、毛穴から血が吹き出す、という場面を見ておられたようです。二代さまはよくこのことを話しておられました。原爆などで、そんなことがあったのかどうかはわかりませんが、将来の事のようにおっしゃっておられた。”
(「おほもと」昭和45年11号 『地球に火の雨が降る 神示と公害問題座談会』より)
*出口王仁三郎聖師が信徒たちにお守りとして渡された「スの拇印」には、真ん中に主神を象徴するポチがあり、聖師の霊力が込められています。「気」に敏感な人は写真からでも霊力を感じることができると思います。