動点Q悶悶 鬼りんご
(行を明示するため 空白行及び最終行以外の全ての行末にスラッシュを施します)
動点Q悶悶
さあ始めたから今ここがQの始まり と思つたが だが/
始まつてもゐないQがトートツに始まる てどゆこと?/
始まつてもゐないものがイキナリ始まる?ないだろそんなこと/
始まるからには Qはすでに始動中だつた(はずだ) しかし/
いまが始まりでないとしたら では いつが始まりか/
そこを問ひに問ひつめてゆくといやでも/
はじまりなどそもそもなかつたQの虚無が照らしだされたのだ/
はじまり なるものは じつは存在しないことが露はになつた/
だがはじまりはなくともQはゐる/
ではQはもともとつねにすでに途中だつた ならばいまは/
Qの始まりの途中なのか 途中のQの始まりなのか/
始まりのQの途中なのか Qの途中の始まりなのか/
そのいづれでもあるQか はたいづれでもないQか あるひは/
それらが実は 同一のQの異なる局面ないし側面にすぎぬか/
すぎぬとすれば これらが異なつて見えることにどんな意味が/
ある または ない のか/
即答せよ/
Q/
以上が悶悶動点Qの煩悶のあらましとされてゐます/
自らQと知らぬうちにすでに始まつてゐたQであり だから/
「すでに自分に遅刻してゐた」(本人談話)
と Qは気づいたと言ひます さらに/
「自分のゴールには間に合はないが 間に合ふと(反実)仮想しても/
そのゴールは竟に来ない」(同)/
とも/
すなはちQの途中にはをはりが来ない なぜならQは途中だから/
Qであれ何であれ なべてをはりなるものは途中ゆゑの幻想にすぎぬ/
さうQは看破したとのことです/
「もろもろは途中の途上にある」(同)/
と/
もちろんこれは独りQに限つたテーゼではあり得ないでせう/
Qの周囲のあれこれ いえ/
存在するもろもろ全て にとどまらず どうやら/
存在しないすべても含め 一切ははじめもなくをはりもなく/
となればがんらいQなど存在しないと道はなくてはなりますまい/
さうなのでした いかなる存在も非在であり/
いかなる非在もまた存在しません このとき竟に/
Qは ただただ途中であるといふことに何の意味が と いや/
さう はじめもをはりも存在しないQに意味などあるはずがない と/
動点Qは/
n次元空間を世にもくつきりと進みつつ時刻t1において光りました/
この発光を音声変換装置にかけてみませう 変換文は以下の如しです/
サスラヘバ ヲハリハジメモナカリケリ マヨヒノシヤバコソハナハチルラメ/
(文字変換例:彷徨へば終はり始めもなかりけり迷ひの娑婆こそ花は散るらめ)/
サスラヘバ タダセツセツトスグルヨノ ウレヒタエヨトナキツツヲユク/
(同:流離へばただせつせつと過ぐる世の憂ひ絶えよと哭きつつを行く)
(「子どもだま詩宣言」対応 原文縦書き・行末スラッシュ無し)


ふぶき兄上、こんばんは。 すごいお作品ですね!「Q」を「空間」に置き換えて拝読しました。 ビッグバン! それよか、 The Universe after the Big Bang! すごい!
chy farmさま けったいなものをお読み頂き恐縮です。作者自身はこれをすごいと言われてもまるで分かりません。鬼りんごと銘打ってはおりますが、これは詩じゃない、という批判には真っ先に賛成したいくらいです。そして、だからこそこれを「#詩」として公表する必要がある、と考えるわけなのです。猛…
昔、仏教の方が仰ってたことを思い出しました 人間は終わりの時に人生が完成するんだと Qはある点での始まりでもあり、中途の過程であるかもしれない でも、それが終わりであるのなら、Qもまた完成形なのかなー? なんて思いました〜( ・∇・)
やみぃさん こんなやぼったいものにコメント恐縮です。 終わりの時に完成する。 それがまっとうな人生理解なのでしょうね。 qは終わりも初めもない、となっています。なので、これは、たぶん人間じゃないでしょうね。いい気なもんですね。こまりますね。