偉大な男がこの世を去った。04年「アテネ五輪」自転車トラック競技チームスプリントの銀メダリストで、競輪選手としても2度の「KEIRINグランプリ」制覇、GI4Vの伏見俊昭さん(享年50)がレース中の事故により、救急搬送されていた病院で19日午前10時15分、息を引き取った。
2004年のアテネ五輪・チームスプリント銀メダリスト、同年のダービー王で「KEIRINグランプリ」2Vの伏見が、この世を去った。前日の18日に行われたF1松阪競輪第12R「S級決勝」でアクシデントに見舞われた。最後方から追い上げていった際、最終4コーナーで前団のあおりを受けて金網越しに膨らんで落車。頸椎(けいつい)と頭蓋骨を骨折し、自発呼吸がないなか、松阪市内の病院へ救急搬送されていたが、19日、息を引き取った。
伏見は1995年4月のデビュー。01年7月の函館「ふるさとダービー」(3・2・1・1着、渡辺晴智と同着V)でビッグレース初制覇を果たすと、同年9月の岐阜「オールスター」(4・2・2・1着)で初G1タイトルを獲得し、初出場だった年末の平塚「KEIRINグランプリ」(GP)を優勝。その後も04年の静岡「日本選手権」(9・3・3・1着)など通算4度のG1、07年の立川で2度目のGPを制するなど長らくトップ選手として走り続けてきた。
デビュー当所から頭角を現した伏見は、ナショナルチームの一員として世界とも渡り合った。二足のわらじで数々の世界大会に出場し、04年のアテネ五輪では長塚智広、井上昌己とともに挑んだチームスプリントで銀メダルを獲得。長年にわたって活躍した。
50歳を迎えた今年も、4年ぶりに出場した5月の平塚G1「日本選手権」(4・1・9・3着)で1勝を挙げるなど健在ぶりをアピール。さらなる活躍が期待されていたなか、東日本大震災を機に拠点を移していた「第二のふるさと」ともいうべき松阪での開催が最後の雄姿となった。
競走中での死亡は、2012年7月、小田原競輪場で坂本照雄さん(享年40)が直線で落車を避けゴール脇の写真判定用の装置に激突。全身を強打して亡くなった事例がある。
◆伏見 俊昭(ふしみ・としあき)1976年2月4日、福島県生まれ。94年3月白河実業高卒。日本競輪学校(現日本競輪選手養成所)75期卒業後、1995年4月伊東競輪でデビュー(2・5・2着)。KEIRINグランプリを2001年(平塚)、07年(立川)の2度制覇。G1も04年日本選手権(静岡)、01年オールスター(岐阜)、08年オールスター(一宮)、11年読売新聞社杯全日本選抜競輪(岸和田)の4度優勝。競技では00年アジア選手権(上海)、01年アジア選手権(台中)ケイリン1位、03年ワールドカップ(シドニー)チームスプリント1位、04年アテネ五輪チームスプリント2位。競輪通算2423走、1着619回。通算取得賞金17億6548万6143円。身長181センチ、体重88キロ、太もも63センチ。血液型O。