国旗損壊罪の制定プロセスにおいて、赤松健さんの場合、最近何かと交流の多い、フランスの文化団体が、2010年のフランス版の国旗損壊罪/国旗侮辱罪強化のときに、どんな抵抗をしたか(そして敗北してしまったか)の経験を意識していた痕跡が、あちこちに見える。
フランス法の講学は、純粋言論と象徴言論をアメリカのように分けて論じるところから入る議論のお作法が、あまり一般的でないこともあってか、そこの防衛ラインがあまり意識されないまま、いったんは完全に押し切られてしまってから、慌てて関係者たちが純粋言論の論点にまで防衛ラインを下げて芸術表現を守るための理論展開をして、デクレをめぐってその後に泥縄的にパッチを当てて何とかしようとしたとのの、それでも、かなり強力な純粋言論規制としても残ってしまう形となった。
赤松さんは、ここの防衛ラインの絶対維持を、早い段階から意識していたように見える。まぁ、そこに戦線を引いた判断の是非の評価はかなり分かれるだろう。
私としては、外国国章損壊罪の通説的解釈(現に公に掲揚されている国旗に対象物を限定する案)に合わせた要件での立法というアイデアに、もっと早い段階で多くの人が足並みを揃えて乗れていたらなとは思う。(維新の音喜多さんや、岩屋元外相、参考人の木下教授なんかも、これに近い案を出していた。)