8月13日公開の映画『モロッコ、彼女たちの朝』は、モロッコの旧市街・カサブランカを舞台に、臨月で街をさまようサミア(ニスリン・エラディ)と、彼女を家に引き入れ助ける未亡人のアブラ(ルブナ・アザバル)の2人の孤独な女性が織りなす、“生と再生”の物語だ。
静謐な絵画のような映像が美しい本作だが、婚外子や未婚の母に対する差別が未だに根強いモロッコの性差別的な“伝統”に対しての問題提起も込められている。
脚本と監督を務めたのは、モロッコ・タンジェ出身のマリヤム・トゥザニ氏。ロンドンの大学でジャーナリズムを専攻し俳優としても活動する彼女は、この長編監督デビュー作が、モロッコの女性監督として初めてアカデミー賞モロッコ代表作品に選ばれた。
婚外セックスや中絶が違法で、逮捕されることもあるというモロッコ。その地で暮らす女性たちが抱える問題と本作に込めた思いについて、トゥザニ監督に聞いた。
「罪の息子」と呼ばれるモロッコの婚外子
――原題は『Adam(アダム)』ですが、作中にアダムという名の男性は登場しません。原題にはどんな意味があるのでしょうか。
トゥザニ監督:2つあります。1つは、キリスト教やイスラム教を含むたくさんの宗教でアダムは「人類最初の人間」という意味があることから、「文化や宗教をこえて人間として、私たちはともに生きていく」というヒューマニティへの思い。
もう1つは、「婚外子も婚内子も同じ人間だ」という思いです。モロッコでは、婚外子は「罪の息子」と呼ばれる一方、婚内子は「アダムの息子」と呼ばれます(監督によると、アラビア語の“息子”は“人”という意味)。父親が誰であろうと、どこから来ようと、子どもたちには平等な権利、愛と機会が社会から与えられるべきです。
つまり、この世に生を受けたすべての子どもたちが等しく扱われる世界になってほしいという願いを込めて、「アダム」というタイトルにしました。
――2004年前までは、モロッコの婚外子は出生証明書をもつことができなかったとか。2004年の家族法の改正により、婚外子も婚内子と同様に出生証明書をもつことができるようになった、と聞いています。
トゥザニ監督 : それが、法改正後も差別に関してはほとんど何も変わっていないんです。確かに法改正前は婚外子は法律上、アイデンティティをもつことさえもできず、“存在しない子どもたち”とされていました。2004年の法改正後はやっと出生届けが出せるようになりましたが、現在でも出生証明書には「婚外子」とはっきり分かるような記載がされています。そして、婚外子や未婚の母は、家族やコミュニティから排除されてしまい、あらゆる場面で差別を受けてしまう……。
差別を免れるためには、妊娠した未婚女性は、産後すぐに赤ちゃんを通りに捨てたり、孤児院へ連れていったりするのが主流です。そうすれば、赤ちゃんがどこから来たのか分からないので、出生証明書には「婚外子」と記載されず、引き取ってくれた両親の法律上の子ども、つまり、「婚内子」になるわけです。もっと悪いことには、赤ちゃんが売買されるケースもあります。
中絶して逮捕された女性も
――2019年には、モロッコのジャーナリストのハジャー・レイソーニさんが中絶手術を受けたとして、婚約者、手術をした医師や看護師らとともに逮捕され、実刑判決を受けたというニュースがありました。
トゥザニ監督 : はい。婚外セックスと中絶はモロッコでは違法ですが、多くの場合、逮捕されることはありません。レイソーニさんは非常に稀なケースで、彼女がジャーナリストだからターゲットにされたのかもしれませんね。
現代のモロッコ人にとって結婚前にセックスをすることは珍しくはありませんし、中絶しない限り、婚前セックスを証明することはそもそも難しい。ただ、レイソーニさんに起きた出来事は、「伝統的なジェンダー規範に外れた女性たちをいつでも逮捕できる」と世間に知らしめるために警察がしたことかもしれません。
婚外子や未婚の母に“顔”を与えた映画
――なるほど。レイソーニさんはスケープゴートにされたのかもしれませんね。この映画が公開されたとき、モロッコではどんな反応があったのでしょう?
トゥザニ監督 : 映画が公開された後、たくさんの人々が私のところへ来て、「これまで社会では見えなかった婚外子や未婚の母に“顔”を与えてくれてありがとう」と言ってくれました。確かに、メディアが婚外子や未婚の母を報じることはありますが、すべて数字で語られ、彼らには“顔”も“声”もありません。ニュースでは伝わらない彼らの感情や心理を、映画を通して私は伝えたかったのです。
モロッコでの一番最初の上映会は、未婚の母たちのために開きました。未婚の母たちのなかには、幼い子どもたちがいることを隠して生きていたり、妊娠中の人もいたりして、年齢も様々。上映後、彼女たちから「この映画で自分の尊厳を取り戻せた」と聞いて、とてもうれしかった。そして、ある上映会のトークイベントでは、赤ちゃんのときにゴミ箱に捨てられていたという男性が手を挙げて、「この映画を観て、産んでくれた母に『愛している、あなたの選択を理解します』と伝えたい」と話してくれて、心から感動しました。
実は、保守派からの批判も相当覚悟していたのですが、観客の皆さんからは非常にポジティブなフィードバックをいただきました。婚外セックスや中絶は社会のタブーになっているけれども、実は多くの人々が語りたい、ということを改めて認識しました。
――この映画は世界中で上映されましたが、保守的な国のリアクションはどうでしたか?
トゥザニ監督 :それが驚くことに、非常に保守的な国でさえ、観客の反応はポジティブだったんです。この物語には2つの「生」があり、文化をこえた普遍的なヒューマニティを表現しているからかもしれません。子供を産むサミアは「生」、サミアとの交流によって自分や母性を取り戻していくアブラは「再生」を象徴しています。
サミアには実在のモデルがいる
――未婚の母・サミアには実在のモデルがいるそうですね。
トゥザニ監督 : はい。私がロンドンの大学に在学中、モロッコの両親の家に帰っているときに、大きなお腹をした若い女性が玄関のドアを叩いて助けを求めてきたんです。彼女はサミアと同じように、実家から遠く離れてひとりで子供を産もうとしていましたが、仕事も家も見つけることができずに街をさまよっていました。
今はそこまで厳しくはないですが、当時は未婚の女性が病院で出産すると、警察に通報されて逮捕されていました。私の両親はその女性をかくまい、家で出産させてあげました。その女性は赤ちゃんが産まれた後、すぐに孤児院へ赤ちゃんを連れていきましたが、湧き上がってくる母性と葛藤している彼女の苦しみが忘れられられませんでした。
この映画を制作する2年前に私も出産したのですが、妊娠中に彼女のことが頭から離れなくなって……。彼女の物語を絶対に映画にしなければと思いました。
「伝統」の名のもと社会が奪うもの
――サミアとアブラはパン作りを通して心を通わせていきますが、サミアと出会う前のアブラがパンをこねる様は非常に機械的でしたが、サミアと出会ってからは感情が込められているように見えます。本作の「パン」は女性のアイデンティティやセクシュアリティのメタファーのように感じました。
トゥザニ監督:アブラの店は伝統的なパン屋で、モロッコでは伝統的なパンは女性が焼くんです。サミアがアブラの娘に、祖母から教えてもらったという“ルジザ”のこね方を教えるシーンがあります。ルジザという伝統的なパンは私が子どもの頃は家庭で作られていましたが、いまでは工場で作られたものしかお店で売られていません。そもそも、ルジザを売っているお店もあまりないくらい。
パンをこねるシーンでは、伝統が女性から女性へと受け繋がれること、そして、伝統の美しさを映したかったのです。しかし一方で、伝統を疑問視する必要もあることも伝えたかった。
アブラが夫の埋葬に立ち会えず、夫の死から立ち直っていない未亡人という設定にしたのも、女性が埋葬や葬儀に参列できないというモロッコの伝統に対して問題提起したかったからです。これはイスラム教の教えではなく、伝統という理由だけで何百年もの間受け継がれてきた単なる慣習なんです。愛する人が亡くなったときに「さよなら」を言えないことは、死をきちんと悼み、悲しみに終止符を打つことができないということなんです。
実際に、私の父が亡くなったときには母も私も埋葬や葬儀に参列できず、とても苦しみました。伝統は美しいけれども、伝統という名のもとに社会が人間から奪っているものもあります。そんな伝統は変えていかなくてはいけない。ひとりで伝統を覆すのはどんなに勇気があっても非常に難しいから、映画を通して伝統を盲目的に踏襲することの問題性を訴えたかったんです。
心の傷に向き合うことが、再生への道
――サミアがアブラに音楽を聴かせるシーンもまた印象的でした。
トゥザニ監督:アブラは悲しみを感じないために、すべての感情から自分を切り離し、幽霊のように生きていて、幼い娘に対しても心を閉ざしています。そんなアブラの心の傷を知ったサミアは、アブラと夫の思い出の曲を無理やり聴かせて、感情を取り戻させようとするんです。
自分の傷に向き合うのはとてもつらいことですが、同時に、人が再生するために必要。あの音楽のシーンでかかる曲は、アラブ世界の偉大な歌手ワルダによる名曲『Batwanes Beek』で、「私はいなくてもあなたといつも一緒にいる」という意味が込められています。歌詞も非常に美しいのですが、歌声から伝わる感情を感じてもらうために私はあえて歌詞の字幕をつけませんでした。
存在している人々を“いないもの”とする恐ろしさ
――モロッコでは家父長制による厳しいジェンダー規範がある一方、売春も存在するそうですね。日本もそうですが、モロッコにも性のダブルスタンダードがあるのでしょうか?
トゥザニ監督:ありますね。婚外セックスや中絶のほかに、同性愛も違法です。モロッコの性産業はアンダーグラウンドに存在していて、誰もが性産業があることは知っていますが、誰もそれについて語りません。異性愛以外の性的指向や、規範から外れたジェンダーアイデンティティについて語ることも、法律的にも社会的にもタブーです。例えば、この映画を製作し、脚本を共同執筆した夫のナビール・アユーシュはモロッコの売春婦を題材にした美しい映画を作りましたが、モロッコでは上映禁止処分を受けてしまいました。
とにかく、存在している人々を“いないもの”として語らず、 平等な人権や機会を与えない世界は絶対に変えていかなくてはいけないと思います。それは本当に次世代へと受け継ぐべき“伝統”なのでしょうか? この映画を観る方たちにサミアのジレンマを感じてもらい、いま一度、伝統やヒューマニティについて考えてもらえたらうれしいです。
(C)Ali n' Productions –Les Films du Nouveau Monde –Artémis Productions
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