論文 日本の支配構造――経済主権とAI主権の喪失をめぐる考察 序章 問題設定・定義・方法論
論文
日本の支配構造――経済主権とAI主権の喪失をめぐる考察
序章 問題設定・定義・方法論
日本という国が、いつから自らの重要な判断を他者に委ねるようになったのか、正確な日付を指し示すことは難しい。しかし、その兆候は既に随所に表れている。半導体工場の誘致決定は、国内産業政策としてよりも、海外資本の投資判断として語られる。データセンターの建設計画は、国家のデジタル主権の問題としてよりも、一企業の事業戦略として報じられる。そして今、人工知能という次世代の基幹インフラをめぐる判断もまた、同じ構造の中に置かれようとしている。
本稿が問うのは、単純な「誰が悪いか」ではない。国際資本の要求に応え続ける経済界、その経済界の圧力を受け続ける与党、そして政治が判断を放棄した空白を埋めるように台頭する民間主導のAI戦略。これらは個別の出来事ではなく、一つの構造の異なる断面として現れている。本稿では、この構造を「支配構造」と名付け、その形成過程と現在地を明らかにしたうえで、他国の事例と比較することで、日本が置かれている状況の特異性を検証する。
本稿における「支配構造」とは、特定の個人や組織による陰謀を指すものではない。むしろ、国際資本・経済界・政治・行政・技術インフラという各主体が、それぞれの利害に基づいて合理的に行動した結果として積み上がる、意思決定の偏りの累積を指す。個々の行為者に悪意があるかどうかは、本稿の主眼ではない。問題とすべきは、その行動の帰結として、国家の重要な判断が誰の手に、どのような経路で集約されていくかという構造そのものである。
この構造を明らかにするため、本稿は以下の四つの視座から分析を行う。第一に、経済界が国際資本からどのような圧力を受け、それがどのような回路を通じて政治に伝達されるか。第二に、与党、とりわけ現政権がその圧力にどう応答し、あるいはどう主体性を放棄してきたか。第三に、その空白を埋める形で台頭する民間主導のAI戦略が、国家のAI主権をどのように再定義しつつあるか。
さらに本稿は、第四の視座として、この構造が国家の本来的な役割とどう矛盾するかを問う。国家の第一の責務は、国民の安全と安心を守ることにある。だが、経済主権とAI主権が国際資本や一企業の判断に委ねられていく過程は、この責務と本質的に緊張関係にある。国民生活の基盤となるインフラや、安全保障に直結する判断が、選挙で選ばれたわけでもなく、国民に説明責任を負うわけでもない主体によって左右されるとすれば、それは民主主義的な統制の外側で国家の重要事項が決定されていくことを意味する。
本稿はここに、単なる経済政策や産業政策の問題を超えた、より根本的な問いを見出す。国民が選挙を通じて選んだはずの政治が、実質的な判断権限を手放しているとすれば、その先にあるのは誰による、誰のための統治なのか。この問いを、本稿全体を貫く軸として位置づける。
これらの分析にあたっては、公開されている政策文書、企業の公表資料、国会審議録、報道記録を一次資料として用いる。また、日本の状況を相対化するため、台湾・韓国・米国・EUにおける同種の構造との比較を各章に組み込み、日本の特異性がどこにあるのかをその都度検証する。比較は結論部にまとめて置くのではなく、各章の本論に続けて配置する。これは、抽象的な総論としてではなく、個別の事例の中でこそ、日本の構造の異常性が具体的な輪郭を持って現れると考えるからである。
本稿の構成は以下の通りである。第一部では経済界と国際資本の関係を、為替と株式市場という価格形成の仕組みにまで踏み込んで論じる。第二部では、その圧力に対する政治の応答パターンを、官僚機構や日米合同委員会という媒介構造とあわせて分析する。第三部では、孫正義とSoftBankを中心に展開されるAI主権の空洞化を、データセンターと「国産AI」政策の実態から検証する。第四部では、以上の構造が国家の第一責務および民主主義的統制とどう矛盾するかを問う。
「支配構造」という言葉は、扇動のための言葉ではない。本稿が目指すのは、感情的な告発ではなく、資料に基づいた構造の可視化である。しかし可視化した結果が、看過できない事態を示しているのであれば、それをそのまま記録することもまた、本稿の責務である。
ゆうこく連合有志の会



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