巨人D1位・竹丸和幸は〝高校最後の夏〟で野球を辞めるはずだった「大学ではバイトして普通の生活を…」
【球界ここだけの話】今年も全国高校野球選手権の地方大会が各都道府県で幕を開けた。大々的に報じられる甲子園出場やプロ注目選手などは本当に一握りで、実際は大半の高校球児がこの〝最後の夏〟を区切りに野球をあきらめる。巨人にドラフト1位で入団し、新人で開幕戦勝利投手という球団初の偉業を成し遂げた竹丸和幸投手(24)=鷺宮製作所=も、そんな一人になっていたかもしれない。 【写真】竹丸和幸、約2カ月ぶり白星「野手の皆さんに感謝」 左腕は中学、高校時代、ずっと控え投手だった。高校野球経験者ならピンとくるだろう。広島・崇徳高時代は1日2試合組まれる練習試合で、ガチンコ勝負の1戦目に出場しなかったメンバーによる、2戦目に登板するのが基本の投手。プロ野球選手など夢のまた夢だった。 冒頭の大半の高校球児同様、〝最後の夏〟で野球には区切りをつけようとしていた。ぼんやりと思い描いていた進路は、地元広島の私立大学。「(家から)近いので。周りもみんな大学に行くから、大学(進学)かなって感じで。野球をやらずに、バイトして、普通の生活をしようとしていました」と振り返る。今となっては驚きの話だが、当時は本当にそう考えていたのだという。 そんな竹丸は、早大で斎藤佑樹らを育てた当時の崇徳高監督、応武篤良氏に同級生とともに城西大へ「練習参加だけでも」とすすめられ入部。一転して、野球を続ける道を選んだ。「中学、高校でほぼ試合(公式戦)に出ていなくて、最後の夏にちょっと投げたくらい。それで関東で大学野球をすると言って、親もよく反対しなかったと思う」。大学でもエースはほかにいたが、救援を中心に全国的には無名ながらも少しずつ才能を発揮。そこに大きな可能性を感じた鷺宮製作所の幡野監督の目に留まり、進んだ社会人野球で大きく花開いた。 プロ野球の世界を見渡せば、学生時代から主力選手として名門校で鳴らしてきた猛者たちが大多数を占める。ゆえに、竹丸のような存在は異質でもある。一方で、野球選手の成長曲線は人それぞれ。どこにチャンスが眠っているかはわからない。もちろん本人の努力と周囲のサポートなしには語れないが、あの夏、道を閉ざさなかったからこそ、現在の歴史的な活躍がある。 今、決してまだ何も成し遂げることができていない、あの夏の竹丸のような高校球児はごまんといるだろう。王道だけが正解ではない。1軍の舞台で輝く竹丸の姿は、それはまた多くの人に勇気を与えている。(浜浦日向)