橋本愛が仮に蜷川幸雄の稽古場に立っていたら、おそらく初日で通用しなかったと思う。
蜷川の現場は、演技力以前に、舞台に立つ覚悟そのものを問われる場所だった。
稽古中から激しい罵声が飛び、時には灰皿が飛ぶという逸話まである。「役者をやめろ」と突きつけられることも珍しくなかった。
もちろん、現代の基準でそれを無条件に肯定するつもりはない。
だが、少なくともその場に立つ俳優たちは、そうした厳しさを覚悟したうえで、自分の身一つで芝居に向き合っていた。
結局、問われるのは才能だけではない。
どこまで作品のために自分を差し出せるのか。
どこまで批判や叱責に耐え、役と向き合えるのか。
マネージャーを通して「これはNG、あれもNG」と条件を積み上げ、自分が傷つかない環境だけを前提にする俳優では、あのような稽古場には耐えられないだろうね。
モデル出身の人を、簡単に「役者」と呼ぶことには違和感がある。
佐藤二朗のように、演劇の現場で小さな役を積み重ね、実力で居場所を勝ち取ってきた本物の役者と、話題性や見た目だけで起用されるモデル上がりの“なんちゃって役者”を同じ土俵で共演させるべきではない。