長野県松本市の弘法山古墳は、卑弥呼の時代の前方後方墳なんだそう。興味深いので、弘法山古墳についての調査と妄想で、その正体を探ってみました。
弘法山古墳データ
所在地 長野県松本市並柳2丁目、中山丘陵上
年代 推定3世紀前半~中葉(卑弥呼の時代)
形状 前方後方墳
サイズ 全長約61.5メートル
中心軸の方角 能登半島(石川)~松本(長野)~湘南(神奈川)
古墳の前方後法則と調査方法
拙著「封印された叡智の回復(1)」は、ぜんぜん余裕がなくて1巻で止まってしまってる、伝説的な電子書籍です。まぁ人生に余裕ができたら再開すると思いますけど。
その本の中では「前方向法則」という発想を主軸としてます。
これは前方後円墳などの古い遺跡は、被葬者の関連する土地などを指し示す矢印として機能しているという法則なのですが。これを用いて調査をしました。
古墳の調査にあたっては、Googleマップ、地理院地図など利用してます。
調査の対象となるものは以下のようになってます。
・魏志倭人伝の地名や人物などの、関連する地名があるか
・中心軸の線上に、同一地名があるか
・関連しそうな神社があるか
そして弘法山古墳を調査したら、図のような中心軸線を導き出せました。
関連しそうな場所一覧
こちらが調査結果です。
線上で特徴的なのは、「中」地名がなかなか多いことでしょうかね。
「なか」「なが」「ぬか」などの地名が、並んでますね。
たぶん弘法山古墳のある場所が、中山なことに関係していそうです。
関連する神社は見つかりませんでした。
被葬者はたぶん奴佳鞮
専門家の調査によるとこの古墳は卑弥呼の時代のもので、おそらくこの地域を支配した安曇氏などの豪族の墓であろうとの話がでてました。
具体的に誰なのかというのは、記録がまったくないので分からないんだとか。
ここで「魏志倭人伝」を開いてみました。弘法山古墳が作られたのは魏志倭人伝の時代ですので、倭国の大臣クラスの人物で「なか」「なが」「ぬか」の名前を持ってる人がいないかなと、探してみたわけです。
岩波文庫 中国正史日本伝(1)石原道博編訳より
すると1人いました。「奴佳鞮(なかて・ぬかて)」
たぶんこの方が、弘法山古墳の主であると考えてみました。その理由としては、
・弘法山古墳がある場所は「中山」である
・中心軸の線上に「なか・ぬか」の地名が並んでる
・奴佳鞮は「なか・ぬか」
・奴佳鞮は3世紀の大臣クラスの人物
この条件が全部揃ってましたので、まぁ個人的にはこっそり奴佳鞮で確定ですよ。
弘法山古墳が中山にあるのは、「奴佳鞮の山」だからなのでした。
中心軸の線上に幾つもの「なか・ぬか・なが」地名を名付けて、奴佳鞮の墓所であることを示すように作られていました。
「中」の羅列のなかに「糠(ぬか)」が含まれているのも、奴佳鞮が「なかて・ぬかて」だったからです。
この方の情報は魏志倭人伝に官(官吏)であるとある以外に全然無いです。しかし名前3文字から、人物像を推察できます。
「奴」は奴隷の奴~ということで、奴隷上がりなのかもしれません。あるいは匈奴系の人なのかも。この中心軸を大陸に伸ばしていくと、匈奴方面ですし。女偏なので女性の可能性もありそう。ただ単に執筆者の珍寿が意地悪な漢字を使った可能性もありますが。
「佳」は顔かたちが美しいこと、優れていることの意味なので、イケメンだったみたいです。
「鞮」は革靴の意味があるみたいなので、普段から革靴を履いてたんでしょう。そういった人物の特徴が見て取れるわけです。
そうすると中山の北尾根古墳群とか、松本盆地あたりの弥生時代後期の遺跡は、奴佳鞮の一族と後衛の墓所なのかもしれんです。
松本盆地一帯というか信濃一帯を支配した人かもしれません。なにしろ長野は「なが」なわけなので、「奴佳野」で奴佳鞮の領域を示してる可能性ありますし。すると長野の由来が奴佳鞮だという想像も出てしまいます。
あと、奴佳は「ぬか」なだけに、糠漬けが好きだったかもしれませんね。
ぽちされたすかり
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