(撮影/西條彰仁)
(撮影/西條彰仁)

器械体操の大会で膝の靭帯を切断……

(撮影/西條彰仁)

――ちなみに、久留米といちごはなにか関係ありましたっけ?

斎藤 ないです(笑)。いちごは15歳という意味ですね。でも、15歳の子はいちご姫になれないんです。高校1年生から3年生までいちご姫になれる権利はありますが、やっぱり3年生のほうが仕上がっているので、圧倒的に強くって……。わたしがいちご姫コンテストで審査員特別賞をいただいたのも、高校3年生のときでした。

――なるほど。仕上がっていたんですね。

斎藤 でも、わたしは栃木県の日光市出身だったので「いちご姫」という文化を知りませんでした。いちご姫は他薦じゃないとなれないというのが歴代のルールにあって、友だちの推薦をもとに編集部の方が高校まで写真を撮りに来てくださって、その写真が「月刊くるめ」の表紙として世の中にバンと出たわけです。わたしが人の目に触れる活動をしたのは、それが初めてでした。

――しかも、斎藤さん自身は、福岡県出身ではないんですね。

斎藤 はい。部活の特待生として声をかけていただいて、栃木県日光市から福岡県杉森高校に進学しました。器械体操に力を入れている高校で、高校では3年間器械体操の選手をしていたのですが、高校3年生のときに怪我をしてしまいました。

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――練習中の怪我ですか?

斎藤 いや、大会の本番中です。団体戦の最後の種目で、わたしが最終種目「床」の演技で無事終えれば、次の大会へ進めるかもしれないと言う状況で、最後の最後に膝の靭帯を切ってしまいました。その結果、団体戦で次の大きな大会には行けなくなり、そのまま全員引退という、絶望的な終わり方だったんです……。自分が痛いだけならまだ心への傷は浅かったのですが、メンバー全員の未来を摘んでしまったことが本当に辛かったし、怪我の痛みやたったひとりで臨む人生で初めての手術への不安も大きかったです。ずっと体操だけやってきたわたしにとって、それは人生で一番の挫折でした。そんな絶望的な気持ちになっていたときに、いちご姫に選んでいただけて「いつまでも、くよくよしていてはいけない」と前を向くことができました。

――いちご姫ってローカルなお祭りイベントくらいに思っていたのですが、もっとハイレベルなコンテストだったんですね……。すみません。

斎藤 そうなんですよ! 東京からも大手事務所さんが見に来るぐらい注目されていた、芸能界の登竜門的なコンテストだったと思います。

――高校3年生でいちご姫に選ばれて、そこから大学へ?

斎藤 体育の教員の免許を取得できる大学に入学したいと思っていたのですが、怪我をきっかけにその道を辞めて、パティシエの専門学校に進みました。

――これまた急展開ですね。

斎藤 体操の特待生として入学しましたが、選択した学科が調理科だったので、卒業と同時に調理師免許を取得する事が出来ました。実家が栃木なので親に「早く帰っておいで」とよく言われていました。だから、福岡に残る理由として、製菓専門学校に行って、2年間和菓子と洋菓子と製パンの勉強をしていました。それと同時に、わたしの代からいちご姫がアイドルグループとしても活動をすることになり、その活動が楽しくて、リーダーとして一生懸命がんばっていました。「いちご姫で有名になるぞ」という気持ちは強かったんですけど、先輩や同期が卒業していって自分が最年長になったとき、新しく入ってきてくれた若くて小柄なメンバーたちと横並びになった自分に、違和感を覚えてしまいました。そこで社長さんに「ステップアップしたい」と相談したときに教えてくれたのが、ミス・アースの存在でした。「ミス・アースで日本代表になったらグループを卒業させてください」と社長さんに宣言して、ミス・アースに挑戦することを決意しました。

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