今や市町村境を越えるバスは便数が減少し、鉄道と平行している路線では廃止や市町村境で分断されて市町村内はコミュニティバスのみという地域も多い。
1970年代から1980年代前半までは水戸や土浦を中心に鉄道の有無にかかわらず2、30km圏内の市町村へ路線バスが1時間に2、3本あった。この時期が路線バスの黄金時代といえよう。
今回はこれよりふた昔前の1950年代後半の話である。
水戸を中心に話をすすめていこう。
茨城交通では水戸ー日立(日立電鉄と相互乗り入れ)、水戸ー常陸太田、水戸ー常陸大宮、水戸ー長倉、水戸ー鉾田
東武バスでは水戸ー笠間
帝産オート(→茨城オート→茨城交通)では水戸ー岩間
関東鉄道では水戸ー石岡、水戸ー鉾田、水戸ー小川
1980年代前半までの黄金期を支えた系統がすでに存在していた。
これを超える長距離路線バスが1950年代後半に数多く存在していた。
今回はこれを紹介していこう。
大洗ー水戸ー大宮ー大子線(茨城交通)
急行観光バスとして大洗ー袋田間で運行開始していたが、この時刻表では急行の表示はなく急行運転ではなくなったようである。
(当プログ「昭和34年茨城交通バス水戸地区時刻表の考察ー3ー(市外線後編)」より)
水戸ー石塚ー野口ー茂木ー宇都宮線(茨城交通・国鉄バス)
国鉄バスと茨城交通が相互乗り入れ協定を結んで昭和30年に運行を開始している。

(当プログ「昭和34年茨城交通バス水戸地区時刻表の考察ー3ー(市外線後編)」より)
水戸ー奥ノ谷ー鉾田ー鹿島ー波崎(急行)(鹿島参宮鉄道→関東鉄道)
まだ、銚子大橋が開通していないが、1975年ぐらいまで残っていた急行水戸ー銚子線の前身ある。
廃止前は唯一の県庁前発着の路線であり貸切車で車掌付の運行であった。

(1956年鹿島参宮鉄道潮来営業所監修時刻表より)
千印は千波経由でおそらく水戸発も千印がないが千波経由であったと思われるが通過扱いとしていたため記載しなかったと思われる。
水戸ー奥ノ谷ー紅葉ー鉾田ー札ー鹿島(鹿島参宮鉄道→関東鉄道)
吉田(下市)、紅葉(大和田)、札(湖岸)経由していた。1980年代のメインルートの逆を通った各停便である。

(1956年鹿島参宮鉄道潮来営業所監修時刻表より)
水戸ー奥ノ谷ー鉾田ー麻生ー佐原(急行)(鹿島参宮鉄道→関東鉄道)
水戸から佐原まで行くルートは水戸ー(国鉄常磐線)ー土浦ー(国鉄バス霞ヶ浦線)佐原というルートが考えられるが、乗車時間のみでも所要時間はこの水戸ー佐原線の方が30分程短い。


(1956年鹿島参宮鉄道潮来営業所監修時刻表より)
水戸ー奥ノ谷ー小川ー玉造ー麻生ー潮来(急行)(鹿島参宮鉄道→関東鉄道)
学生時代(1982年)に、玉造町駅を訪れた際にバス路線図があってこの系統が残されていたが、少なくとも廃止から10年が経っていたであろう。

(1956年鹿島参宮鉄道潮来営業所監修時刻表より)
石岡ー小川ー玉造ー麻生ー潮来ー鹿島(鹿島参宮鉄道→関東鉄道)
水戸発ではないが長距離路線である。石岡ー鹿島を結ぶという名実ともに会社名の由来通りの系統である。
1970年頃には水郷汽船廃止に関連して運行を開始した土浦ー潮来急行バスの経路でもあった。幼稚園の時に母と誤乗ではあるが一区間のみ乗車した経験がある。

(1956年鹿島参宮鉄道潮来営業所監修時刻表より)
水戸ー杉崎ー笠間ー下館(東武鉄道)
戦前は茨城急行自動車(現在の茨城急行とは無関係)の路線であった。戦中に東武自動車に一時合併されていたが、戦時統合により常総筑波鉄道に、戦後まもなく株主により分離提案が出され、東武自動車を吸収していた東武鉄道に譲渡された複雑な経緯を持つ路線である。茨交主体の時刻表で水戸駅発片道のみの掲載である。下館行きが多いことに驚いてしまった。

(1958年水戸駅列車・バス時刻表より)
水戸ー奧ノ谷ー石岡ー土浦ー牛久ー取手
水戸ー奧ノ谷ー石岡ー土浦ー水海道
水戸ー奧ノ谷ー石岡ー筑波
水戸ー奧ノ谷ー石岡ー柿岡(常総筑波鉄道)
1956年水戸ー取手間を運行していた茨城旅客自動車より茨城交通や鹿島参宮鉄道との争奪戦を制した常総筑波鉄道に譲渡された路線である。前述の東武鉄道への下館ー水戸線譲渡以来の約10年ぶりの水戸乗り入れであった。
譲渡後、既存の路線を利用した枝線系統の新設や鹿島参宮鉄道が手薄だった土浦ー取手間を大増便している。

(1958年水戸駅列車・バス時刻表より)
県南では常総筑波鉄道は西側を東武、東側を鹿島参宮に、鹿島参宮鉄道は西側を常総筑波、東側を国鉄バスがブロックしており長距離路線バスが設定しづらい状況であった。長距離バスで挙げられるものは以下の路線である。土浦ー江戸崎ー佐原(国鉄バス)土浦ー下妻ー古河(国鉄バス)相互乗り入れによって運行されていた土浦ー北条ー下妻ー古河(東武鉄道、常総筑波鉄道)筑波山登山客をあてこんだ取手ー谷田部ー筑波(常総筑波鉄道)
どうやら1950年代〜1960年代の茨城県内の路線バスは中・長距離路線に力を入れていたようである。(完)
1970年代から1980年代前半までは水戸や土浦を中心に鉄道の有無にかかわらず2、30km圏内の市町村へ路線バスが1時間に2、3本あった。この時期が路線バスの黄金時代といえよう。
今回はこれよりふた昔前の1950年代後半の話である。
水戸を中心に話をすすめていこう。
茨城交通では水戸ー日立(日立電鉄と相互乗り入れ)、水戸ー常陸太田、水戸ー常陸大宮、水戸ー長倉、水戸ー鉾田
東武バスでは水戸ー笠間
帝産オート(→茨城オート→茨城交通)では水戸ー岩間
関東鉄道では水戸ー石岡、水戸ー鉾田、水戸ー小川
1980年代前半までの黄金期を支えた系統がすでに存在していた。
これを超える長距離路線バスが1950年代後半に数多く存在していた。
今回はこれを紹介していこう。
大洗ー水戸ー大宮ー大子線(茨城交通)
急行観光バスとして大洗ー袋田間で運行開始していたが、この時刻表では急行の表示はなく急行運転ではなくなったようである。
(当プログ「昭和34年茨城交通バス水戸地区時刻表の考察ー3ー(市外線後編)」より)
水戸ー石塚ー野口ー茂木ー宇都宮線(茨城交通・国鉄バス)
国鉄バスと茨城交通が相互乗り入れ協定を結んで昭和30年に運行を開始している。
(当プログ「昭和34年茨城交通バス水戸地区時刻表の考察ー3ー(市外線後編)」より)
水戸ー奥ノ谷ー鉾田ー鹿島ー波崎(急行)(鹿島参宮鉄道→関東鉄道)
まだ、銚子大橋が開通していないが、1975年ぐらいまで残っていた急行水戸ー銚子線の前身ある。
廃止前は唯一の県庁前発着の路線であり貸切車で車掌付の運行であった。
(1956年鹿島参宮鉄道潮来営業所監修時刻表より)
千印は千波経由でおそらく水戸発も千印がないが千波経由であったと思われるが通過扱いとしていたため記載しなかったと思われる。
水戸ー奥ノ谷ー紅葉ー鉾田ー札ー鹿島(鹿島参宮鉄道→関東鉄道)
吉田(下市)、紅葉(大和田)、札(湖岸)経由していた。1980年代のメインルートの逆を通った各停便である。
(1956年鹿島参宮鉄道潮来営業所監修時刻表より)
水戸ー奥ノ谷ー鉾田ー麻生ー佐原(急行)(鹿島参宮鉄道→関東鉄道)
水戸から佐原まで行くルートは水戸ー(国鉄常磐線)ー土浦ー(国鉄バス霞ヶ浦線)佐原というルートが考えられるが、乗車時間のみでも所要時間はこの水戸ー佐原線の方が30分程短い。
(1956年鹿島参宮鉄道潮来営業所監修時刻表より)
水戸ー奥ノ谷ー小川ー玉造ー麻生ー潮来(急行)(鹿島参宮鉄道→関東鉄道)
学生時代(1982年)に、玉造町駅を訪れた際にバス路線図があってこの系統が残されていたが、少なくとも廃止から10年が経っていたであろう。
(1956年鹿島参宮鉄道潮来営業所監修時刻表より)
石岡ー小川ー玉造ー麻生ー潮来ー鹿島(鹿島参宮鉄道→関東鉄道)
水戸発ではないが長距離路線である。石岡ー鹿島を結ぶという名実ともに会社名の由来通りの系統である。
1970年頃には水郷汽船廃止に関連して運行を開始した土浦ー潮来急行バスの経路でもあった。幼稚園の時に母と誤乗ではあるが一区間のみ乗車した経験がある。
(1956年鹿島参宮鉄道潮来営業所監修時刻表より)
水戸ー杉崎ー笠間ー下館(東武鉄道)
戦前は茨城急行自動車(現在の茨城急行とは無関係)の路線であった。戦中に東武自動車に一時合併されていたが、戦時統合により常総筑波鉄道に、戦後まもなく株主により分離提案が出され、東武自動車を吸収していた東武鉄道に譲渡された複雑な経緯を持つ路線である。茨交主体の時刻表で水戸駅発片道のみの掲載である。下館行きが多いことに驚いてしまった。
(1958年水戸駅列車・バス時刻表より)
水戸ー奧ノ谷ー石岡ー土浦ー牛久ー取手
水戸ー奧ノ谷ー石岡ー土浦ー水海道
水戸ー奧ノ谷ー石岡ー筑波
水戸ー奧ノ谷ー石岡ー柿岡(常総筑波鉄道)
1956年水戸ー取手間を運行していた茨城旅客自動車より茨城交通や鹿島参宮鉄道との争奪戦を制した常総筑波鉄道に譲渡された路線である。前述の東武鉄道への下館ー水戸線譲渡以来の約10年ぶりの水戸乗り入れであった。
譲渡後、既存の路線を利用した枝線系統の新設や鹿島参宮鉄道が手薄だった土浦ー取手間を大増便している。
(1958年水戸駅列車・バス時刻表より)
県南では常総筑波鉄道は西側を東武、東側を鹿島参宮に、鹿島参宮鉄道は西側を常総筑波、東側を国鉄バスがブロックしており長距離路線バスが設定しづらい状況であった。長距離バスで挙げられるものは以下の路線である。土浦ー江戸崎ー佐原(国鉄バス)土浦ー下妻ー古河(国鉄バス)相互乗り入れによって運行されていた土浦ー北条ー下妻ー古河(東武鉄道、常総筑波鉄道)筑波山登山客をあてこんだ取手ー谷田部ー筑波(常総筑波鉄道)
どうやら1950年代〜1960年代の茨城県内の路線バスは中・長距離路線に力を入れていたようである。(完)
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