この「ドラえもん、コロコロコミックス撤退」問題件に関しては、第一報段階で多分こんなことだろうなと思ってずっと注視してきたが、やはりそういうことであったか。
自分も出版現場で腸の煮えくり返る思いをさせられているので、よく分かるのだ。
僕の場合は、ミステリとSFを中心に1960年代から2000年ぐらいまでの旧作で、良質な作品をワンレーベルで復刻する「ト◯マの特選」というシリーズを文庫復刻していた仕事で、会社経営陣から横槍が入った。
このシリーズ、2020年から2年ばかり僕がプロデュースを担当し、結構読書好きの層には話題になって、小ヒットも何本か出した。氷室冴子の『海がきこえる』の1&2や、どんでん返しの妙で話題になった梶龍雄の『龍神池の小さな死体』『清里高原殺人別荘』などを出して、文庫の棚もじわじわ取り返せていたのだが、表紙絵だけでなく口絵もつけたり、装丁も特別なデザインにしてマスコットまで付けたりして、人件費が少し多めにかかった
(そもそも外部編集者の僕の経費がかかっている)。
これが、その会社のOという副社長の経費チェックに掛かった。
売れていないからストップと即断され、何回も実績を上げて抗議したのだが、目先の数万円単位の経費を惜しんで、シリーズ刊行を止めると言って聞かない。
この副社長、この会社がM&Aされたときに買収先から送り込まれて来た、経営強化要員で、就任当初「出版社なんか、本を作らなくてもやれるんですよ」と豪語したという。
こいつがまさに作品をIPと呼び「養殖のハマチ」扱いして、如何に泡銭を引っ張り出すかしか考えていないタイプだった。韓国で縦読みのWeb TOONが流行った途端、グループ内に新会社を作ってすぐ飛びついたりしている輩で、出版業には本当に興味がない。
こういう人間は、出版業が読者との信頼を絆にして結びついている、信頼の紐帯があるとは絶対に考えないのである。
僕がやっていたシリーズも、チョイスするレーベルの括りで「知名度はないが、レーベルに入れることで品質を保証します」という姿勢を買ってもらっていたのだと思う。
もちろんそういう信頼は一朝一夕に育つものではない。
売れても売れなくても、質に拘ってしっかりと出し続けることで初めて、読者が気にかけ、信頼してくれるものであって、やはりその関係性を作るのには最低五年、十年はかけねばならない。その間、面白さを保証し、喜びを提供し続けて、やっとお客様は信じてくれるようになる。
近年のその会社は、創業社長が死んで、迷走状態が長かった。
旗艦となる文芸誌も廃刊して、経費を削ったPR誌しか出せず、書いてくれる作家も減り、読者だけでなく業界内での信頼も失って、他所のヒットにあやかった二番煎じのいい加減なものばかり出してきたから、ずっと低空飛行していた。
やりたいことのある社員は辞め、定年まで無風状態で給料だけ貰いたい無気力社員だけが残って、新しい企画も出さず、ただ惰性で「仕事やっている風」だけを続けていた。
僕は、その「失った信頼」を会社の看板に付け直すことを目的にしたプロジェクトをプレゼンして、復刊企画をスタートさせた。けっして復刊文庫単体の目先の売上だけを求めたものではない。
まずは読者の目を引きつけ、作家や業界との信頼を復旧して「ト◯マ、やるときはやるじゃん」と言ってもらえるのような信頼を作るための策戦だったのだ。
そして、その活動を通して新聞やテレビに記事にしてもらい、解説やSNSで話題になったときの反応で、どんどん注目を集め、書き手を増やし、信頼のブランドとして育てるという腰の座った構想だった。
そういうプロジェクトですよと重役会でも説明して始めている。にも関わらず、月数カ月の経費を惜しんで、シリーズは刊行を止められた。
未だに悔しいし、Oに対しては憎悪の感情が抜けない。
この件に関しては色々腹に据えかねるものが多く、またずっと言われている「出版不況」という状態の本質を突く話でもあるので、書きたいことが山ほどある。
(さらには、このシリーズの後継を頼みに行った会社でも、Oの同類のような奴ら、あるいはさらにバージョンアップしたようなクズ野郎が立ちふさがり、僕はその度に煮え湯を飲まされたので、そのこともいずれ書こうと思う。)
はっきり言えるのは、出版不況は嘘である、ということだ。
確かに雑誌はネットの出現によって売れなくなったが、出版物自体のニーズは減ってなど居ない。スマホで取れる情報と、本に集約された知恵や芸術は全く性質が違う。
「雑誌が売れなくなった」ことで再販制度が揺らぎ、広告も入らなくなって、それまでいい気で我が世の春を歌って無策だった出版社に入る「現金」が減ったのは事実だ。
それでビビった経営陣が「集中と選択」だの「IP戦略」だの絵に描いた餅を並べて、自分たちの取り分を減らさないために騒ぎ出したのが、出版の現場を萎縮させただけなのだ。
管理職はノルマを達成するために、数字の読める堅実な、他社ヒットの二番煎じばかりを要求し、新しい企画を通そうとしない。要するにサラリーマンとしての自己保身を優先し、部下が意欲的な仕事をすることを邪魔してきたのだ。
そのせいで、現場は新しい作家に手を出すことが難しくなる。作品も保守的で、自己再生産的なものばかりになる。その結果──本屋に行っても面白い本が見つからなくなり、読書人が本屋に行かなくなっただけだ。
斯く言う僕だって、かつては週七日、本屋に行かない日はないような人間だったが、今は週に一回、下手すれば半月に一回しか足を踏み入れない。欲しい本はネットで買うか、その数少ない回数で回遊した分で十分だからである。
かつて本屋は「俺の知らない面白い本を漁る漁場だった」
しかし、もうそこには新しい魚群は居ない。
本屋が潰れるのは、出版社が、無気力社員どもの自己保身で面白い本を作れなくなったからだ。そして、そいつらは二言目には作品を「IP」とよび、映像化やグッズ化するための「飯の種」──作り出すために汗をかかずに、中間搾取できるネタとしか思っていない。
その浅ましさとズルさを、ダメな出版社の中の連中はバレていないと思い込んで、今回の藤子F家のご遺族に投げつけたような失礼を、平気でやるのだ。
これは人災である。
作品を「IP」と呼ぶような連中の会社からは、次のヒットは生まれないし、読者に愛される作品は永久に出ない。
小学館コロコロコミックの担当重役はもちろん、作品を作ることに真剣でない編集スタッフしか居ない出版社は、もう出版から汚い手を引け。
そして作家と読者をつなぐ、真剣な取り組みの出来る出版人は蜂起せよ。
でないと、我々の愛したかつての本屋の本棚の豊穣は永久に帰ってこない。
(つづく)
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