2026-07-13

ナウシカは30点」が火垂るの亡霊を生んだ説 小原篤アニマゲ丼 2026年7月13日 あとで消す

 高畑勲監督1988年映画火垂るの墓」に、野坂昭如さんの原作にない亡霊を登場させたのはナゼか。主人公・清太の亡霊を全ての成り行きの観察者に仕立てることで客観性を強めるため。もう一つは、時を超越した亡霊によってあの時代現代を結ぶため。これは映画を見れば明らかです。現代性を持たせたかった動機の一つに、高畑さんがプロデューサーを務めた宮崎駿監督風の谷のナウシカ」(84年)完成後に下した評価「宮さんの友人としてのぼく自身評価は30点」「『現代を照らし返してほしい』という部分がもう少し強く出る構成にならなかったかと、残念なんですが」(徳間書店ロマンアルバムエクストラ風の谷のナウシカ」)、この“苦言”を自作で実行してみせようという思いがあったのでは――というのが私の説です。

 太平洋戦争末期の神戸14歳の清太と4歳の節子の兄妹が空襲で家も母も失い、孤独と飢えの中で死んでいく物語映画高畑さん自身脚本を書きましたが、使われなかった深沢一夫さんによる“幻の脚本”があった、と6月17日読売新聞が報じました。言うまでもなく「太陽の王子ホルスの大冒険」(68年)と「母をたずねて三千里」(76年)で高畑さんと組んだ方です(2016年に死去)。私は深沢脚本存在を知らなかったので「へえ」と驚きました。

 6月24日に出た寺越陽子さん著「高畑勲と『火垂るの墓』―『幻の脚本』と『7冊の構想ノート』を読み解く―」(新潮社)で、その深沢脚本高畑さんの構想ノートの一部が紹介されていますポイントは〈深沢脚本に亡霊は出ない〉と〈高畑さんの構想の中で亡霊が生まれた経緯(の一部)が分かる〉、コレです!

 深沢脚本の冒頭は、清太が三宮駅便所下痢に苦しみ、その後、構内の柱にもたれたまま便失禁して砂でそれを隠そうとする、というシーン。原作よりグッと描写が長く克明で憐(あわ)れみを誘いますが、生理的にきつい。映画便所シーンがなく、ぐったり座っている清太のまわりにしみが広がっていて通行人が気づいてよける、という簡素描写になっています。ちなみに深沢脚本は、この駅に軍国主義者を批判する演説が響くといった描写もあります

 冒頭を比較するだけでも、高畑さんと深沢脚本方向性の違いがうかがえます

 スタジオジブリ鈴木敏夫プロデューサーは、原作に対する高畑さんの姿勢についてこう回想しています。「原作は明らかに野坂昭如さんの妹への贖罪(しょくざい)意識が強く、そのままやれば、清太への感情移入映画になってしまう。『自己憐憫(れんびん)は描きたくない』。高畑さんのつぶやいたセリフを僕は、いまだに強烈に憶(おぼ)えているんです」(文春新書天才思考 高畑勲宮崎駿」)

 深沢脚本はまさに「そのまま」哀れさを強調し憐れみを誘おうとしているようです。例えば、吾作という名の農家の男が飢えた清太に情けをかけて大豆の袋を与え、ラストに再登場し兄妹の暮らした横穴の前でドロップを拾ってその死を憐れむ、という独自描写で締めくくる点。オーソドックスアプローチと言えます

 映画はまるきり違って、吾作は無心を冷淡にはねつけます。ラスト近くで横穴に(正確には横穴の対岸の豪邸に)現れるのは疎開から帰ってきた華やかで健康お嬢さんたち。当然、横穴の極貧兄妹など知りゃあしません。

 この場面で面白いのは、高畑脚本高畑さんによる絵コンテと完成映画比較です。協同組合日本シナリオ作家協会シナリオ」22年9月号に再録された高畑版「火垂るの墓」(22年8月22日の本欄「発見!『火垂るの墓』に星一徹が出る予定だった」参照)を見ると、聞こえるのは笑い声と蓄音機の「ホームスイートホーム」だけなんですが、コンテはセリフが足され「いやー、ちっとも変わっとらんわ」「やっぱり我が家はええなァ」「久しぶりやわ、電蓄!」「敵性音楽を禁ず! フフフ…」とあります

発見!「火垂るの墓」に星一徹が出る予定だった

 そして映画は「久しぶりやわ、蓄音機!」のあと「懐かしい景色やわァ!」となりお嬢さんたちの出番終了。彼女たちがはしゃげばはしゃぐほど、「情けをかける」とは逆方向に兄妹の悲劇性は増していきます残酷コントラスト高畑さんのやりたかたことでしょう。ただ「敵性音楽を禁ず! フフフ…」は、はしゃぎ過ぎ(不人情過ぎ)とセーブしたのでは。単に分かりにくいと思ったから換えたのかも知れませんけど。

 かように高畑演出キャラクターを突き放し、観客には情緒的な感情移入でなく冷静な客観視を求めるのですが、本作では劇中に、兄妹の受難客観視する兄妹の亡霊を置いて二重の客観性を構築していますカメラ目線(観客を見ている)の亡霊の清太が「僕は死んだ」という印象的なモノローグを放った後に目線を移すと、その先に、駅構内で死にゆ自分が現れる。このシーンで映画を始めたことにより、物語全体を清太の亡霊による観察(回想)という枠組みにはめました。かなり強固な構造です。

 原作は兄妹が共に死に向かう一種の「心中もの」であり、そこに「近親愛みたいなものがある」(徳間書店アニメージュ」87年6月号での高畑勲×野坂昭如対談。文春ジブリ文庫ジブリ教科書4 火垂るの墓」でも読めます)、その強烈な情念官能性をガッチリ抑え込む計算でしょう。一方で、死に対しても冷徹高畑さんは死が甘美な救済に見えてしまわないよう工夫もしています。それは09年7月13日の本欄「赤は阿修羅の赤」でも書きました。亡霊の清太の表情は興福寺阿修羅像がモデルで、亡霊を包む異空間の朱色も阿修羅像の色。亡霊の清太の悲しみと憂いと怒りを内に抑え込んだような表情は阿修羅なのです。

写真・図版

NHKディレクター寺越陽子さんによる「高畑勲と『火垂るの墓』―『幻の脚本』と『7冊の構想ノート』を読み解く―」(新潮社

 さて亡霊を出すアイデアがどうやって生まれたのか、私は長いこと気になっていました。「高畑勲と『火垂るの墓』」第2章で紹介されている構想ノートのあるページの記述写真つき)を読み、その経緯のかなりの部分が分かった気がします。このノートは、19年に東京国立近代美術館で開催された「高畑勲日本アニメーションに遺(のこ)したもの」(19年7月22日の本欄「高畑勲の『謎』と『解』」参照)の準備中に遺品の中から深沢脚本と一緒に発見され、ノートの一部は同展で展示もされましたが、問題のページはなかったと記憶しています(私が見過ごしたかも)。

高畑勲の「謎」と「解」

 「高畑勲と『火垂るの墓』」によると、7冊のノートの「1冊目」と「2冊目あるいは3冊目」(順番が未確定)には「二人の清太」(つまり清太の亡霊)は登場しませんが、「3冊目あるいは2冊目」に箇条書きのプロット案があり、そこにいきなり「現代少年」が出てきます

 ○'87三宮駅に手をつなぐ兄妹出現。'87の包み紙を嗅ぐ。

  少年、オビえてひきとめようとする妹の手をふりきって駆けだす。

 ○'87三宮駅少年、はっと足をとめる。たちまちまわりはかわり、'45の柱のかげに死にゆく清太。清太死ぬ

 そしてその反対の左ページに1行だけ、何とこんな書き込みが。

 ○亡霊がウロツイている――それはなぜか。→本編――

 87年の三宮駅を妹と歩いていた少年が45年の三宮駅の清太を見る。タイムスリップ幻視か。現代少年と清太をどの程度絡ませるつもりだったのかは分かりませんが、ノート記述がそのまま高畑さんの思考過程だとすると「死にゆく清太を見つめる現代少年」の絵が頭の中で「死にゆく清太を見つめる亡霊の清太」にパッと切り替わったんじゃないか。そして左のページに記述が1行だけ、というのは、そのアイデアがそれまでの構想を一新する決定的なものだったからじゃないか。興奮します。きっと高畑さんも興奮したはず。〈現代とどうつなぐか?〉→〈現代少年を出す〉→〈現代少年でなく清太の亡霊〉→〈亡霊が現代を見つめる〉という流れが見えてきます

 同書第3章で鈴木プロデューサーは「高畑さんがあの作品をやる時に一番悩んでいたのはね、どうやって現代と結びつけるか、そこだったの」「ある時ポンと高畑さんが言い出したんですよ、幽霊だって」「その自分アイデアにね、高畑さんはかなり喜んでいた。覚えてますよ、それは」と、寺越さんに語ります

 映画ラスト、清太が節子を荼毘(だび)に付す様子を見届けた(とおぼしき)亡霊の清太は、草むらから出現した亡霊の節子をひざに寝かせ、フッとカメラ目線になる。観客の私たちを見つめたのです。そして次のカットでベンチの2人を後ろからロングで捉えたカメラクレーンUPすると、視線の先に現代神戸ビル群が美しい夜景となって現れます

 同書で紹介されている構想ノートによると、初期には亡霊がもっと冗舌で、死んで40年たっても中学生のまま妹と一緒にいるといった趣旨モノローグや「現代をさまようエンディング」なども構想されていたようですが、それをやめて現代との結びつきをラスト一発に絞ったのは正解だったと思いますインパクトがすごい。まさに観客を撃ち抜きます

 「この映画には清太の幽霊らしきものが登場して、自分たち自身を見つめたり、こちら(観客)を見つめたりします。じつはいま、私たちは先立った人たちに見つめられているのだという、日本人の昔から感覚もつことが必要ではないかと考えているのです」

 「戦後これからどうしていくんだ、戦後四十年たってこれからどうするつもりなんだと問いかけられている、見つめられているという意識を持つことが、いまあらためて必要になっていると思います。そんなことも考えて、二人の幽霊を出しました」

 これは高畑さんの著書「映画を作りながら考えたこと」(徳間書店)所収の講演記録「映画を作りながら考えたこと」から。2人は死んでも成仏できずさまようかわいそうな存在などではなく、私たちがその存在視線に“おそれ”を抱くべきたくさんの死者の代表なのだ、ということが分かります

 人間の命や人生本質を探れば時代場所を超えて普遍性を持つ、すなわち現代の我々と結びつくと思います。それは様々な国の、様々な時代を描いた映画を日々見ていて実感します。しか高畑勲監督は「火垂るの墓」でもっと直接的な表現現代を撃とうとした。なぜか?

 公開前年の87年当時の記者発表用資料(前掲の「映画を作りながら考えたこと」でも文春ジブリ文庫でも読めます)で、高畑さんは原作についてこう書きました。

 「しかしいま『火垂るの墓』は強烈な光を放ち、現代を照らしだして私たちをおびえさせる。戦後四十年を通じて、現代ほど清太の生き方死にざまを人ごととは思えず、共感し得る時代はない」

 「現代を照らしだす」という言葉が手がかり。以下は「ナウシカ30点」発言の続きです。

 「この映画化をきっかけに宮さんが新しい地点にすすむだろうという期待感からすれば、30点ということなんです。宮さんはただの演出ではなく、作家なんですから

 「『巨大産業文明崩壊後1000年という未来から現代を照らし返してもらいたい』と思っていたんですが(中略)『現代を照らし返してほしい』という部分がもう少し強く出る構成にならなかったかと、残念なんですが」

 つまり大衆娯楽作品として満足なものを作ったって現代と切り結ばなけりゃ作家とは言えん。宮崎駿作家となれ、と奮起を促したワケです。読んだ宮崎さんが怒りのあまり鈴木さんの目の前でこのロマンアルバムを二つに引き裂いたというエピソードは、たしか鈴木さんのラジオ番組ジブリ汗まみれ」(のポッドキャスト)で聴きました。

 「映画を作るなら現代を照らし返す部分を持つべきだ」という信念に従ったか、言いっ放しは卑怯(ひきょう)だと感じたか、言うべきことを言ったけれども盟友を傷つけてしまったその責任を感じたか高畑さんの胸のうちは分かりませんが、有言実行、「現代を照らし出す」と宣言して「火垂るの墓」に挑んだのだと、私は捉えます

 言葉を発すればそれは自分を縛るもの。「ファンタジーなんて現代と結びつかなきゃ30点」との思いを含んだ30点発言は、高畑さんの後年のファンタジー否定論の起点になったのでは、とも思いますが、それはまた別の話。

 高畑さんについて本欄では何度も何度も書いてきましたが、まだこんなに書くことがあるとは。やはりすごい人です。

記事への反応(ブックマークコメント)

    ログイン ユーザー登録
    ようこそ ゲスト さん