| No.631 | ||||
|---|---|---|---|---|
| 花月(はなづき) | 秋月型 13番艦 駆逐艦 | |||
| 艦船ステータス(初期値/最大値) | ||||
| 耐久 | 19 | 火力 | 16 / 46 | |
| 装甲 | 10 / 26 | 雷装 | 16 / 42 | |
| 回避 | 43 / 83 | 対空 | 68 / 100 | |
| 搭載 | 0 | 対潜 | 26 / 63 | |
| 速力 | 高速 | 索敵 | 8 / 26 | |
| 射程 | 短 | 運 | 30 / 79 | |
| 最大消費量 | ||||
| 燃料 | 20 | 弾薬 | 25 | |
| 装備 | ||||
| 10cm連装高角砲+高射装置 | ||||
| 13号対空電探 | ||||
| 25mm三連装機銃 | ||||
| 装備不可 | ||||
| 改造チャート | ||||
| 花月 → 花月改(Lv55) | ||||
| 図鑑説明 | ||||
| 秋月型防空駆逐艦、その十三番艦、舞鶴生れ、花月と申します。私が就役した時は、戦局は、既に最終局面となりつつありました。第二艦隊の覚悟の出撃を、豊後水道で見送り、その後、最後の水上決戦部隊に配備されます。戦後は、復員輸送に務めました。 花月のこと、覚えていてくださいね。 | ||||
※初期値はLvや近代化改修の補正を除いた時の数値であり、改造直後の値とは異なります。
最大値はLv99の時の最大値を指します。
ゲームにおいて
- 2026夏イベント前段作戦『反撃!第三十一戦隊の戦い』E1にてドロップ艦として初登場。
アップデート履歴
- 2026/07/08:イベントドロップ艦として実装。
キャラクター設定について
小ネタ
- 秋月型駆逐艦の13番艦で「はなづき」と読む。
- 秋月型自体の竣工艦数は12隻だが、「12番艦」として建造されていた「満月(みちづき)」が戦況の悪化に伴い1945年(昭和20年)3月に工程16%ほどの状態で建造中止となったため、こういった事態となってしまった。
- 日本海軍は、三菱長崎造船所……戦艦武蔵が進水したあとの船台で、秋月型駆逐艦を2隻ずつ同時に建造した。照月(1940年11月13日起工、1941年11月21日進水)、涼月(1941年3月15日起工、1942年3月4日進水)、新月(1941年12月18日起工、1942年6月29日進水)、若月(1942年3月9日起工、1942年11月24日進水)、霜月(1942年7月6日起工、1943年4月7日進水)の順番で建造してゆく。花月も三菱長崎造船所で建造予定だった。*2
- 舞鶴海軍工廠が建造した秋月型は、秋月、初月、冬月、そして花月の合計4隻になった。
- 舞鶴では、冬月が1944年(昭和19年)1月20日に進水した。そして花月は同年2月10日に起工し、10月10日に進水、12月26日には竣工した。
- 13番目の艦ということで建造のノウハウもかなり熟練されていたことや、駆逐艦建造では日本国内有数の能力を持つ舞鶴での建造であったこともあってか建造日数は320日であり、秋月型では最短記録である。
- 姉である満月(未成艦)から基本計画番号: F53が適用されて工程の簡略化が進められていた。その事から満月型としてカウントすると言う論調もあるが、その場合同型として建造されたのは花月のただ一隻である。
- 艦名の「花月」だが、「花」は「桜」を指す陰暦2月*3の異称である。つまり彼女とは同じ意味あいの名を持つ同士である。
- 秋月型は大きくは2つのグループに分かれる。8番艦冬月以降は艦橋を拡大して内部容積を増やしてたりしている。花月もこちらに属しており「冬月型」駆逐艦と呼称される場合もある。
艦歴
竣工するも日本はすでに…
- 竣工した花月は初代(そして唯一の)艦長に「東日出夫*4」中佐を迎え、ちょうど酒匂が旗艦になったばかりの訓練部隊「第十一水雷戦隊」に所属、1945年(昭和20年)1月20日に舞鶴を出港して瀬戸内海に回航された。瀬戸内海で訓練を受けた花月だが、この時点で花月に旗艦任務を与えることが決まっていたのか、必要な旗艦設備の設置工事が施されている。だがその代償として魚雷2本が陸揚げされたため、花月は四連装魚雷発射管を持ちながら魚雷は2本しかないことになった。
- 3月18日、訓練や整備はそこそこに、花月は第三十一戦隊の旗艦を松型駆逐艦「竹」から引き継いだ。
このころはすでに戦況は危機的状況であり、南方との補給線はすでに途絶え沖縄への米軍侵攻も間近に迫っている状況で、こんな中で前線部隊の旗艦となった花月は、慣れるまもなく戦場の暴風雨にその身を晒していくことになる。
初陣
- 米第58任務部隊(指揮官:マーク・ミッチャー中将)は高知県室戸岬沖およそ80キロまで進出して300機以上の艦載機を瀬戸内海西部や北九州各地を攻撃する。今回同時実装されたインディアナやインディペンデンスも、第58任務部隊の面子である。
- その編隊は停泊する大和にも向かい、花月らは必死に応戦して大和を守り切った。だが日本海軍の拠点である呉が空襲を受けたことは花月に戦局がすでに絶望的であることをまざまざと見せつけることとなった。
- なお、この3月19日の呉軍港空襲では艦艇の損害は少なくてすんでいる*5。むしろ米側の方が損害が大きく、迎撃に出た日本海軍基地航空部隊の特攻で空母フランクリン、ワスプが大破して戦線を離脱、イントレピット、ヨークタウン、エンタープライズが小破している。
- だが米海軍の「日本海軍の母港を攻撃するという真珠湾攻撃の意趣返しをする」という願望は残り続け、沖縄戦が一段落した7月の24日と28日にも大空襲をしかけている。この時はすでに日本本土に反撃できるだけの航空戦力もなく一方的な蹂躙となり、在泊していた多くの艦艇が大損害を被っている*6。※一般的に「呉軍港空襲で在泊艦艇が大損害を受けた」というのはこちらの方
- なお、この3月19日の呉軍港空襲では艦艇の損害は少なくてすんでいる*5。むしろ米側の方が損害が大きく、迎撃に出た日本海軍基地航空部隊の特攻で空母フランクリン、ワスプが大破して戦線を離脱、イントレピット、ヨークタウン、エンタープライズが小破している。
- 空襲後の花月は21日に呉工廠で損傷個所の修理と、機銃の増設工事を行った。
工事を終えて大和らの元に戻った花月だったが、26日、連合艦隊が「天号作戦」を発令、大和や第三十一戦隊が所属する「第一遊撃部隊」に佐世保への進出待機が命じられる。
翌27日までに重油250tと弾薬等を補給した花月は第一遊撃部隊の稼働可能な各艦とともに佐世保に向かう。だが同日夜にB-29が実施した下関海峡への機雷投下で同海峡が封鎖されてしまい、佐世保に向かえなくなった部隊は徳山沖に移動してここで待機することになる。なお第一遊撃部隊のため豊後水道で対潜掃討をおこなっていた海防艦御蔵が撃沈されたのも、この流れである。
沖縄特攻
- 4月1日、米軍が沖縄に上陸、沖縄戦が開始された。5日には連合艦隊より沖縄突入の為の出撃準備命令がだされ、第三十一戦隊に関しても「1YB指揮官は三十一戦隊の駆逐艦4隻を以って掃討隊を編成 九州南方海域迄海上特攻隊の対潜対空警戒に任ぜしむべし」との指示があり、いよいよ花月にも作戦出動の機会が巡ってきた。
- この時花月は、自身の準備を進めつつ、大和への燃料搭載を手伝った。徳山湾の沖合に停泊する大和*7は補給のために徳山湾に接舷するのは時間的余裕もなく、代わりに花月らが湾と沖合の大和とを行き来して大和が積む燃料の輸送を行っている。
- 作業は6日2時までかかったが、それでも足りないので花月は一旦作業を終えて日の出と共に500tを積載して大和に補給する事になったのだが、この頃花月は3月30日に海軍兵学校を卒業した第74期生1024名のうち、4月3日に大和に乗艦していた約70名が退艦する事になり、花月が収容している。
- 大和では5日17時に候補生らが集められ能村次郎副長より退艦の指示がだされ、18時よりガンルームで行われた「酒保開け」の酒宴に参加して数日とはいえお世話になった大和の士官たちとの別れを惜しんだ。
花月では候補生受け入れの準備を整えていたが中々候補生たちが降りてこない事にやきもちしていたという。
当時花月航海長だった山根眞樹生氏(当時の階級は大尉)によると、この時山根大尉は当直士官として艦橋におり、候補生がなかなか来ずに手持無沙汰のようだった第31戦隊司令官の鶴岡信道少将と取り留めなく談笑していたという。
結局候補生たちは燃料補給の終わった2時ごろに大和から下艦し花月に移乗。軽巡洋艦矢矧にいた候補性も日の出後に内火艇で花月に移乗。大和への更なる燃料補給と候補生を送り届けるため徳山沖で移動した。- 因みに山根航海長は兵学校72期生であり、候補生が新入生の時の最上級生という関係だった。候補生の中には同じ分隊*8の者が2名*9いて、艦橋にいた彼のもとに挨拶に来てくれたという。
会話の中で名古屋出身の鈴木候補生の名古屋弁が緊張する艦橋内の雰囲気を和ませてくれたのはありがたかったと山根氏は回想している。 - もっとも「俺たちの1号生が操艦してる」と分かったからか、花月が徳山の燃料岩壁に着岸するときは候補生たちが群がって艦橋付近で見学しだし、山根氏も「失敗したら1号生として沽券にかかわる」と緊張したそうな…
※接舷は無事に成功、緊張していた山根氏は徹夜の作業だった事もあり、交代後は艦橋休憩室で死んだように眠ってしまい、出航時間ちかくになってもやってこないので先任下士官が起こしに来るという不始末をしてしまったという笑い話?もある。
- 因みに山根航海長は兵学校72期生であり、候補生が新入生の時の最上級生という関係だった。候補生の中には同じ分隊*8の者が2名*9いて、艦橋にいた彼のもとに挨拶に来てくれたという。
- 大和では5日17時に候補生らが集められ能村次郎副長より退艦の指示がだされ、18時よりガンルームで行われた「酒保開け」の酒宴に参加して数日とはいえお世話になった大和の士官たちとの別れを惜しんだ。
- 候補生たちを陸に上げ、12時ごろには500tの燃料搭載を済ませた花月は大和のいる徳山沖にトンボ返りする。だが大和に接舷しようとすると「重油の移載は取りやめ」との指示があり、14時30分に急遽出航となった。
- これについては花月が徳山に移動していた8時27分付で連合艦隊参謀長名の電文で
「出撃兵力および出撃時機は貴要望通りとせられたるも燃料について大本営戦争指導部の要求に基づくGF機密051446番電通り2000屯以下とせられたし。」
「右に関聨し、掃蕩部隊の兵力並びに行動は機宜制限されたし」
との電文があった事で燃料補給を取りやめたと思われる。- 最初の電文については5日14時の時点で指示していた燃料は2000tまでという指示を工廠などの現場判断で往復分を搭載した事に対しての是正の電文であるが、どのみちこの段階で元に戻していては間に合わないので実質無視された。
- これについては花月が徳山に移動していた8時27分付で連合艦隊参謀長名の電文で
- 兎も角、花月は貴下の駆逐艦を率い、15時20分頃第31戦隊は掃討隊として第一遊撃部隊の前衛に立ち出航した。だが1時間過ぎた16時20分、突如大和より第31戦隊を解列、待機部隊に編入して以後第十一水雷戦隊の指揮下に入るよう命じられた。
- 当然花月の艦橋内は大騒ぎとなった。東艦長は「何故か!」と大声を上げるし鶴岡司令官も「信号に間違いはないか?今一度大和に照会せよ」と命じるなど、この意外な命令に驚いていたと山根氏は証言している。
- 第31戦隊がこの「沖縄特攻作戦」に果たして最初から突入部隊として考えられていたのか?については諸説あるが、山根氏は候補生の乗艦を待つ鶴岡司令官との会話*10の内容や指令が出た時の司令官や艦長の反応から、第31戦隊は元々大和と共に沖縄に向かう事になっていた。それを出撃直後に第一遊撃部隊司令部の判断かなにかで急遽取りやめになったのではないかと推察している。
- この急な方針転換については前述の電文にある「右に関聨し、掃蕩部隊の兵力並びに行動は機宜制限されたし」という連合艦隊参謀長の返信から推察するに、第一遊撃部隊司令部より掃討部隊の扱いについて連合艦隊司令部へ相談があったと思われる。内地への帰路、山根氏が東艦長から聞いた話では伊藤長官は元々航続力の低い松型駆逐艦である榧や槇の事を心配していたとのことで、8時27分の電文で伊藤の判断で兵力や行動を決めてよいとの内諾を得た事で、直前で決めた事だと思われる。
- 当然花月の艦橋内は大騒ぎとなった。東艦長は「何故か!」と大声を上げるし鶴岡司令官も「信号に間違いはないか?今一度大和に照会せよ」と命じるなど、この意外な命令に驚いていたと山根氏は証言している。
- ともかく花月らは豊後水道にはいることもなくここで別れ、大和ら第一遊撃部隊を見送った。そしてこれが大和を見た最後となったのである。
- 沖縄に向かった大和らがどうなったのかは、提督諸氏はもうご存じだろう。帰ってきたのはわずかに駆逐艦4隻。その中には大破した姉の涼月や冬月の姿もあり、花月に改めて戦況の厳しさ、絶望さを見せつけることとなった。
その後の花月
- その後連合艦隊は20日に第二艦隊や第二水雷戦隊といった開戦以来の武勲ある部隊を次々と解隊する。そうした中で第三十一戦隊や第十一水雷戦隊は連合艦隊付属として残置され、残された艦艇もそれらに配属された。
そうした中で花月は第三十一戦隊旗艦としてそれらを取りまとめ、来るべき本土決戦に向けての準備を進めていた。
このころの第三十一戦隊は旗艦を花月とし、姉の宵月、大破損傷したまま修理されずに放置されている涼月や冬月、松型駆逐艦の残存艦艇で構成されていた。- 5月20日には回天を運用する特攻部隊「海上挺身部隊」が編成され第三十一戦隊がその基幹部隊となり花月が旗艦となる。さらに回天の運用能力が付与され、回天母艦になっていた北上や姉の夏月も配備され、7月に第十一水雷戦隊が解隊となると日本海軍唯一の「作戦行動可能な水上艦戦隊」として存在し続けた。
- だがもうすでにこういった艦艇が活動できる状況ではなく、花月含め多くの艦が瀬戸内海各地で擬装繋留したまま8月15日の終戦を迎えた。
- 5月20日には回天を運用する特攻部隊「海上挺身部隊」が編成され第三十一戦隊がその基幹部隊となり花月が旗艦となる。さらに回天の運用能力が付与され、回天母艦になっていた北上や姉の夏月も配備され、7月に第十一水雷戦隊が解隊となると日本海軍唯一の「作戦行動可能な水上艦戦隊」として存在し続けた。
- 戦後は数少ない稼働可能な艦艇であったことから復員輸送艦となり、1947年(昭和22年)8月27日にその任が解かれるまで多くの外地残留する兵士や民間人の復員に従事した。
その後横須賀で保管されたのちに戦時賠償艦としてアメリカに引き渡された。- アメリカでは「DD-934」のハルナンバーが与えられたがソ連や中華民国のように賠償艦を自国で利用するわけでもなく、1948年(昭和23年)2月3日に海没処分された。
- 戦争の末期も末期、既に多くの艦艇が失われた中で竣工した本艦は外海で活動することもないまま終戦を迎えている。
この艦娘についてのコメント
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