脱原発リレーハンスト

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8bitNEWSに脱原発ハンガーストライキが掲載されました

動画ニュース「8bitNews」でリレーハンストが紹介されました。村井顧問がインタビューに応えています。ぜひご覧ください。 この動画投稿は誰でも参加できるそうなので、ぜひ皆さんもチャレンジしてみたらいかがでしょうか?
動画はこちらから
8bitNEWSとは?
8ビットは、日本でのパブリックアクセス(放送への市民参加)の実現と市民による発信力の強化に貢献することをめざして作られた新しいメディアだ。NHKの「Bizスポ」や「ニッポンのジレンマ」などの司会を担当していた堀潤アナウンサーと批評家の宇野常寛氏が、現在の報道のあり方に疑問を持ち、それを変えていく方法はないかという思いをぶつけあったことから生まれた。


事務所にソーラーパネルを設置しました事務所にソーラーパネルを設置しました

子どもたちの子どもたちの子どもたちのために

脱原発ハンガーストライキのブログ
http://blog.canpan.info/stopnps/
脱原発ハンガーストライキの趣旨
2011年3月11日の大地震・津波によって引き起こされた福島第一原発事故。見えぬ恐怖に怯え、福島の人たちは心も体もバラバラに引き裂かれた。今も尚、多くの人たちが故郷に戻れずにいる。この「フクシマ」の、言葉に言い尽くせない大惨事は、日本にある54基のすべての原発を停止するに至った。そして多くの人たちが、「フクシマ」を自分の事として捉え始めた。これまで私たちは、原発を抱えた市町村の方々に負担を押し付け、電力を消費してきた。そして、これまで原発の存在に無関心であった。ここに改めて反省とお詫びを申しあげたい。
 そんな矢先、政府は、福井県にある「関西電力大飯原発」を再稼働させようとしている。野田総理は、「関西電力大飯原発」再稼働の理由として、「経済活動の停滞とそのことによる国民の暮らしが立ちゆかなくなること」を挙げているが、何故そうなるのかを全く説明しようとしない。しかも安全基準は何よりも暫定的なものでしかない。 「3.11」がもたらした数々の悲劇を見る以上、いかなることがあっても原発を再稼働させてはならない。第二の「フクシマ」を繰り返す事は絶対に許されない。こうした声を上げることで、大飯原発立地地域の人たちには経済苦をはじめ、引き裂かれるような思いをさせてしまうことになるのは心苦しいが、敢えて「関西電力大飯原発」の再稼働を止めるべく行動に踏み切ることを決意した。  当然、原発立地地域の人たちの暮らしは、今後も補償されなければならない。電力会社と政府の責任は言うまでもないが、私たち一人ひとりもその責任を果していかなければならない。日本にあるすべての原発が止まった時点で、私たちは原発に依存しない社会へむけて、「まずはこの夏を原発ゼロで乗り切ろう!」と決意した人たちもいる。  被災地NGO恊働センターは、1995年1月17日の阪神淡路大震災を機に立ち上がったNGOである。私たちは17年前に「かけがえのない いのちの尊さ」を学んだ。だからこそ、人としての尊厳を取り戻すために「関西電力大飯原発」再稼働に反対し、福島の人たちの痛みとおおいで暮らす人たちの苦悩を共有する為にも24時間ハンガーストライキのリレーに入る。 これは、「関西電力大飯原発」再稼働の反対のみならず、原発のない社会への未来に向けた私たちの願いである。そして、東日本大震災を忘れないことも改めてここに誓う。
 アメリカ先住民のイロコイ族は「大事なことは、7世代先の子どもたちにとって有益であるかどうかで決める」という。 今一度考えよう、子どもたちの子どもたちの子どもたちのために・・・・
24時間リレーの方法
この趣旨に賛同いただける人たちで、「24時間ハンスト」をリレーします。24時間のハンスト(水のみを摂取)を一人ずつ行い、次の一人にバトンタッチしていきます。それぞれが、それぞれの暮らしの中でやれる範囲でハンストを行ってください。
参加者募集!!
ハンストを通じて原発や身の回りの暮らしに向き合って頂けたら幸いです。参加者でローテーションを組んで途切れる事なく行っていきます。参加ご希望の方は、ご都合のいい日と匿名希望の有無をお知らせください。ローテーションに組み込ませていただきます。一人また一人と思いの輪をつないで行きましょう!「今日はどこの誰がハンストしている。」などの情報やブログで発信していきます。 参加希望の方はinfo@ngo-kyodo.orgまでご連絡ください。
賛同者募集!!
ハンストまでは出来ないけど、主旨に賛同するという方も募集しています。個人、団体は問いません。賛同者として名前をあげさせていただきます。匿名でも構いません。

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おいっさー中島Tシャツ、新色の黒と紺を入荷しました🌈新色は白抜きのため、3,500円で販売しています(他の色は3,000円です)。これまでの色も入荷しています、じんのび商店にぜひお立ち寄りください!能登Tシャツで一緒に能登の夏を盛り上げましょう🐬 ... See MoreSee Less
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こんにちは今日の夕方5時30分からの関西テレビ「ニュースランナー」で能登地震での恊働センターの活動がとりあげられますので、お時間ある方は見てください😊 ... See MoreSee Less
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「令和6年(2024年)能登半島地震救援ニュース」No.158やさしや足湯隊レポート No.33今回は2026年5月2日(土)から5月5日(火)の4日間、ボランティア8名で活動しました。足湯は中島町の仮設住宅、じんのびマルシェ(じんのび広場で毎月開催され)、珠洲市の三崎町の仮設住宅にて行いました。三崎町ではたこ焼きパーティーも開催し、地元の若い世代やお子さんたちとも楽しく交流する時間となりました!今回の「つぶやき」です。-----------------------------------------------------------*仮設住宅の暮らし帰る家がなくなったのは寂しい。畑が近くにないとね。車がないからなかなか大変。(80代女性)自分とお母さんとお父さんと仮設住宅で住んでいるけど洗面所とトイレとお風呂が同じ場所にあるから、私がお風呂の後に着替えている時に、お父さんがトイレに行きたかったりしたら、移動しないといけないから大変。あと、狭い。(30代女性)*若い世代と街づくり若い世代がいないから負担が残ってる世代にかかりすぎる…頑張って地元に残ろうとしてるのに、 しんどい。復興住宅でも自分が自治会長とかになるのかな。最近吐き気と頭痛がして体調が良くなかった。 この仮設住宅の環境やと思う。(40代男性)*ボランティア今年入ってから初めての外部から来た人たちのイベントだよ。だからこうやって集まるのを皆んな楽しみにしてた。 また来てね。(70代男性)〈ボランティアさん感想(一部抜粋)〉*自分は耳が遠いと話し、日中は仮設で独りでいて、しゃべる相手がいない、食べることしかすることがない、どんどんボケていくのよねと話された。別れ際、何度も何度も「 ありがとうね」と言ってくれ、小さいつぶらな瞳が涙ぐんでいたように見えた。今思い返し、彼女の人生と今を想像するだけでもとても心が苦しく悲しく思う。だから、また能登に行って会いたいし、少しでもそばにいて話をしたいと思う。(守愛美さん)*今は仮設から復興公営住宅へ移るフェーズへと変わり、特に高齢者の悩みが人それぞれではあるものの、日本で高齢になったときに震災にあうということがあまりにも厳しい現実が立ちはだかるということを再認識させられました。半壊だったのに、公費解体で迫られ壊して更地になり「ちょっと帰ってくるねと言える家がなくなってしまった」とさみしそうな高齢女性のお話を聞くと、「戻る場所」があるということの保障がどれほど心の安心をもたらすかということも考えさせられました。(斉藤容子さん)—----------------------------------------------------------------------------------仮設住宅の暮らしが2年以上続いている今、生活に「慣れた」と話されていても、実際はその環境が少しずつ身体と心に影響し、体調を崩されている方々が多くいます。また、復興住宅へと住まいが変わるなかで、「取り残されている」と感じる方々、不安を共有される方々もいました。私たちボランティアそれぞれがその声一つ一つをどう受け止め、出会った方に向き合うのかを問いかけられています。(島村)*私たちの活動は、日本財団、共同募金、住友ゴムから助成を頂き活動しています。■活動支援金のご協力をお願い致します。・クレジットカードでも寄付ができます。・郵便振替口座番号:01180-6-68556/加入者名:被災地NGO協働センター・銀行振込 ゆうちょ銀行一一九支店 口座番号NO.0068556 名義:ヒサイチNGOキョウドウセンター*お手数ですが、備考欄に「2024年能登半島」と記入して下さい。 ... See MoreSee Less
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「令和6年(2024年)能登半島地震救援ニュース」No.157「この声は、誰に届くのか」令和6年(2024年)能登半島地震から2年半。表向きには落ち着きを取り戻したように見える能登だが、被災地の現実は静かに、見えにくく、そして確実に悪化している。七尾市では、仮設住宅の次の住まいとなる復興住宅の申込みは、去年の12月にすでに締め切られた。しかし、希望する地域に住めない、ペットが不可、高齢者が生活圏を離れざるを得ない、仲の良かった人と離れ離れになるなど、制度と現実のズレが深刻化している。住民の「心の復興」と制度が進める「現実の復興」の間にも、大きな隔たりが生まれている。今回、被災地NGO恊働センターから応援要請を受けて能登に訪れた。私は、中島第一団地仮設住宅の集会所で、よく将棋やオセロが好きな住民の方々と時間を過ごしている。その中のお一人であるAさんは、いつも仮設住宅の中で仲良くされていたBさんが体調を崩され、付きっきりで病院までの送迎や、食事の準備から調理までしていたという。そのため、しばらく将棋を指す気力もなかったという。10日ぶりに盤を挟んだその日は、大きな声を上げて笑いながら、駒を進めた。しかし、その笑顔の裏側には深刻な現実があった。睡眠薬を飲んでも1時間ほどしか眠れない。足はむくみ、CPAPをつけなければ無呼吸になってしまう。体を横にして寝ることができず、仮設住宅の狭さが体調悪化に拍車をかけていた。お宅にあがらせてもらい、お茶を飲みながら話すうちに、次々と課題が浮かび上がってきた。体調を心配すると、Aさんは笑いながらも「心配せんでも、いつかみんな死ぬから」そして口々に「疲れた」と漏らした。さらに話題は、復興住宅へ移る際の話になった。仮設住宅の備品であるIHもカーテンも次の住まいには持っていけず、壊れている箇所があれば弁償しなければならない。わざわざチェックしに来る人もいるという。「被災者を馬鹿にしとるんか」Aさんは強い憤りをにじませたが、その表情にはあきらめの色も混じっていたように感じた。能登の各市町村で方法や制度は異なるが、共通しているのは、一人ひとりの状況がまったく違うにもかかわらず、「平等」という名のもとに一列に並べようとする仕組みである。公平・平等は本来、人を守るための原則のはずである。だが時にそれは、弱い立場の人をさらに追い詰める「悪魔」にもなる。行政が個別対応に限界を抱えるのは理解できる。だからこそ、一人ひとりの声を聴き、寄り添い、隙間を埋める存在であるボランティアの役割が、いままさに問われている。Aさんは最後に、私にこう言った。「この頭はなんのためにあるんや。フィリピンかミャンマーか知らんけど、能登も大変やぞ」何のための仕組みなのか。誰のための復興なのか。平等とは一体何なのか。私は返答に詰まり、胸の奥に重いモヤモヤだけが残った。「頑張ってくれよ」と言われても、「はい、頑張ります」とも言えない。何を、どのように頑張れば、この人は救われるのか。分からなかった。「俺らが言うより、あんたが言わないと、変わらない。市に行っても、上司に確認してきます。それは、できません。この繰り返しや」私は、このAさんの声を聞いた以上、聞いただけにすることは、無視であったり、見て見ぬふりをしたりすることと同じだ。足湯ボランティアでも、様々なお話「つぶやき」を耳にする。そのどれもがすぐに解決できないものばかりだ。だから、聞くだけでも吐いてもらうだけでも、その人の心が楽になると思い込むようにしていた。それは、支援者として自分が楽になるための解釈だったのかもしれない。もちろん、聞いてくれただけで、楽になる人もいるが、今回の場合は「結果を待っているよ」と言われた。この住民さんが待っている「結果」とは、なになのか?精一杯頑張って市を説得するように掛け合いましたが、だめでした。そのような過程の報告ではないと思う。一人ひとりの「声」を大事にすることに、代弁することに、改めて責任と重圧を痛感した。まだ何も動けていないのに、すでにモヤモヤとした無力感が押し寄せてくる。こうして、このようなことを綴っていること自体、情けなくも感じる。CODEの職員として4年目を迎えるが、阪神・淡路大震災から恊働センターとCODEが大切にしてきたことの意味、その難しさに、私はまだスタートラインにも立てていないのかもしれない。ちなみに、ここまで読んでしまった方々は、もう「見て見ぬふり」はできないと思う。 支援は一人ではできないし、変えることも一人ではできない。 だから、読んでくださったあなたも、すでに私が勝手ながら巻き込んだ。半分冗談ですが、Aさんの言葉を聞いた以上読んだ以上、一緒に悩みながら、できることを探していけたら心強い。 (山村太一)*私たちの活動は、日本財団、共同募金、住友ゴムから助成を頂き活動しています。■活動支援金のご協力をお願い致します。・クレジットカードでも寄付ができます。・郵便振替口座番号:01180-6-68556/加入者名:被災地NGO協働センター・銀行振込 ゆうちょ銀行一一九支店 口座番号NO.0068556 名義:ヒサイチNGOキョウドウセンター*お手数ですが、備考欄に「2024年能登半島」と記入して下さい。 ... See MoreSee Less
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「令和6年(2024年)能登半島地震救援ニュース」No.156やさしや足湯隊レポート No.32  第40次足湯隊の活動報告です。今回は2026年4月24日(金)から4月27日(月)の4日間活動しました。活動初日に訪れたのは、輪島市の先端にある西保地区の上大沢町と大沢町です。海が目の前に広がり、山々が連なるこの地域は水害で大きな被害を受けました。足湯隊が向かう道中も土砂が流入したままの場所や、ガードレールや車線がなくなっている場所も未だあります。 集落を訪れると、仮設住宅から畑や草刈りをしに通われている方や、家に戻り、住み始められた方にも出会いました。仮設から通う漁師のKさんは船が土砂で流され、現在は小さな船で漁に出られています。「道きれいになったやろ!」という言葉に「帰る道がなかった頃からすれば、帰る道があることの喜びなんだ」(ボランティア感想、紺屋仁志さん)と実感させられました。  その日の午後は西保地区の方々が多く暮らされている仮設住宅で足湯を行いました。卓球を一緒に楽しみつつ、「海人さんとして、ワカメ採りを15才から70才までしてました。一回潜ると約1分潜り2時間経つと止めないといけないのが能登のルールです。」「海好き?海も山も好きなんよ。ワカメは四月が一番おいしいんよ!」と、集落にあった暮らしのことを教えてくれました。  翌日は「2026年中島牡蠣フェスタ」での足湯ブースです。牡蠣フェスタが行われるのは7年ぶりだそうで、足湯に来られたMさんは「前は商店街にお店もたくさんあって、そこから小さな店がブースを出してたんだよ」と話されます。仮設住宅から歩いてイベントに来られる方々もいました。この日初めて足湯を受けられたWさんは「足湯はする人とされる人のエネルギーの交換ですね!」と二度訪れてくれました。  Wさんの足湯をされた永田さんは足湯のケアについて、「自分でも体をほぐすことはできるが、他者に触れてもらうことで『エネルギーの交換』のようなものがあり、癒やされる 」こと、仮設住宅で足湯を受けながら自身の病歴や体調について語り始める方々も見られ、「長い避難生活の中で当たり前になっていた不調に改めて気づき、必要なケアへつながる契機になっている 」(ボランティア感想、永田真子さん)と感想を述べられました。  「エネルギーの交換」となる足湯は、ボランティアにとっても被災した方々と共にある関係を築くきっかけとなっています。そして、地域に帰ることが難しい現状があるなかで、「つぶやき」から彼・彼女達の暮らしの営みを聴き、記憶を共有していくことも私たちにできることの一つではないでしょうか。            (島村)写真はこちらからngo-kyodo.com/blog02/article/index.php?entry_id=10737*私たちの活動は、日本財団、共同募金、住友ゴムから助成を頂き活動しています。■活動支援金のご協力をお願い致します。・クレジットカードでも寄付ができます。・郵便振替口座番号:01180-6-68556/加入者名:被災地NGO協働センター・銀行振込 ゆうちょ銀行一一九支店 口座番号NO.0068556 名義:ヒサイチNGOキョウドウセンター*お手数ですが、備考欄に「2024年能登半島」と記入して下さい。 ... See MoreSee Less
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先日、COMING KOBE26に一緒に能登から参加してくださったSALONの白藤拓郎さんからのメッセージを紹介いたします。PORTRAIT IN DAYS [COMING KOBEで 感じた、“支える”という文化]深夜バスで神戸へ向かった。5月23日と24日に予定しているALGOでの企画展準備がかなり押していたので、正直かなり迷っていた。 体力的にもスケジュール的にも余裕がある状況ではなかった。 それでも結果的には、今回COMING KOBEに参加して本当に良かったと思っている。今回の参加は、いつもお世話になっている被災地NGO恊働センターのご縁からだった。 megurumeguruとして物販で参加させてもらい、ブースでは能登の物産も販売していた。 中島菜を使った商品や輪島塗のお箸、公費解体された古民家からレスキューされた輪島塗の器など、震災後の能登から繋がってきたものたちが並んでいた。COMING KOBEは、阪神・淡路大震災の復興支援と「恩返し」をテーマに続いてきた、神戸を代表する入場無料のチャリティーロックフェスだ。 音楽イベントではあるのだけど、単なる娯楽イベントとは少し空気が違っていた。会場全体に、「支える」という意思のようなものが流れている。出演者、スタッフ、来場者と役割が分かれているというより、そこにいる人達みんなが少しずつ“支える側”に回っているような感覚があった。会場には「減災ヴィレッジ」というエリアがあり、防災や減災について考える展示や活動も行われていた。 被災地NGO協働センターのブースもその中にあり、自分達もその一角に混ぜてもらっていた。フェスというと、どうしても消費的なイベントを想像してしまう。 音楽を楽しみ、お金を使い、盛り上がって終わる。 もちろんそれもひとつの形だと思う。でもCOMING KOBEには、人の善意やボランティアの熱量によって成立している独特の空気があった。「参加する」というより、「関わる」という感覚に近い。ものを売りに行ったというより、人と人との関係性の中に少しだけ混ざらせてもらった。 そんな感覚の一日だった。COMING KOBEの会場である メリケンパーク も印象的だった。神戸駅から港に向かって歩いていく途中には、屋根付きの商店街が続いていて、その中に古着屋や小さな個人店が自然に混ざっている。 神戸という街には観光地としての印象もあるのだけど、実際に歩いてみると、どこか生活の延長のような空気が残っていた。神戸は古くから港町として海外文化を受け入れてきた街でもある。異国文化と日本の感覚が自然に混ざり合っていて、その独特な空気感が街全体に漂っていた。特に印象に残ったのは、古い建築の使い方だった。会場の近くには、東京の銀座通りのようにハイブランドが並ぶエリアもあるのだけど、その多くが歴史を感じる建築の中に入っている。 新しい巨大な商業施設を次々につくるというより、古い建物を活かしながら街を更新しているように視えた。古いものを壊して新しくするのではなく、時間の蓄積ごと引き継いでいく。その感覚は、自分が服をつくる時に考えていることとも少し重なって視えた。ヴィンテージの服を再構成する時も、単純に“新しくする”ことを目指しているわけではない。 布に残っている時間や痕跡をどう活かすかを考えている。街にも、そういう編集のような感覚があるのかもしれないと思った。当日は天気も良く、海沿いの風が本当に気持ちよかった。港と音楽フェスの相性はやはり特別で、歩いているだけで不思議な開放感がある。歩きながら、どこか七尾の 能登食祭市場 をもっと大きくして都市化したような感覚があるなと思っていた。 海が近く、人が集まり、観光と生活が混ざり合っている。ただ神戸には、その上に海外文化と都市性が重なっていて、それが独特の景色をつくっていた。人はかなり多いはずなのに、不思議とそこまで混雑しているようにも感じなかった。 街として色々なことが整理され、積み重ねられてきた歴史があるからなのかもしれない。今回COMING KOBEに参加して改めて感じたのは、このフェスは単なる音楽イベントではなく、「人と人との関係性」で成り立っている場所なのだということだった。出演者やスタッフ、ボランティア、来場者がきれいに分かれているわけではない。 それぞれが少しずつ支える側に回っている。 その空気が会場全体に流れていた。それは、能登半島地震以降、自分が日々感じていることとも重なっていた。結局のところ、困難な状況の中で最後に大切になってくるのは、人と人とのつながりなのだと思う。物資や制度ももちろん必要だ。 でもそれ以上に、「あの人がいるから行ってみよう」とか、「誰かが関わっているから続いている」という関係性が、場所や文化を支えている。だからこそ、COMING KOBEのような場にmegurumeguruとして参加できたことには、大きな意味があった気がしている。正直、こういう規模感や熱量を、そのまま今の能登に持ってくるのは簡単ではない。場所の問題、交通の問題、人の流れ、運営の体力。 色々な条件が揃わないと成立しないことを今回かなり実感した。でも、だからこそ今は、すでにこうした文化が根付いている場所にmegurumeguruとして参加していくことが大切なのかもしれないと思った。外に出て、人とつながり、関係性を少しずつ増やしていく。その積み重ねが、いつか能登で何かをつくる時の土台になる気がしている。能登半島地震から2年が経つ。石川県外では、少しずつ震災の記憶が遠くなっていることを、最近は色々な場所で感じていた。でも今回、神戸ではそれをあまり感じなかった。今も神戸に拠点を置く 被災地NGO恊働センター の熱量は変わらず、継続して能登を支援してくれている。きっとCOMING KOBEのような場所が、そういう記憶や感覚を街の中に残しているのだと思う。阪神・淡路大震災で支えられた人達が、「恩返し」という形で今度は自分達が支える側に回っている。その感覚は、東日本大震災を経験した宮城や福島から来てくれるボランティアの方々からも感じることがある。自分達が受けた恩を、別の誰かへ返していく。きっとそういう感覚が、場所や文化を長く支えていくのだと思う。自分もそれを忘れずにいたい。 ... See MoreSee Less
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