法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

舞台演出家の谷賢一氏が、あたかも佐藤二朗氏のキャンセル・カルチャーの被害者のようにあつかっているが、逆では?

 週刊新潮に掲載された佐藤インタビューの要約を受けて、谷氏は下記のように語った。


佐藤二朗さん側からの視点では、説明はこうなる。これがキャンセルカルチャーです。

佐藤さんと橋本さん、どちらの説明が正しいか。誰か、判断できますか? できないでしょう? なのに佐藤さんだけドラマ降板の報が飛んだり、明らかに非対称です。やめよう、キャンセルカルチャー。

 他にも佐藤氏がキャンセルされようとしているという主張がインターネットで散見され、そこそこの賛同を集めている。
 一方、先日に『キャンセル・カルチャー・パニック』を翻訳出版したid:hokusyu氏が、こうした考えが佐藤氏を暴走させ、むしろ自滅するような状況に追いこんだと評している。


接触NGの話は佐藤側のマネージャーには伝わっていたわけだから、あとまわしにしたら佐藤二朗の演技プランに問題が起こりかねないと判断したならマネージャーが伝えるべきでしょ。それは橋本側やフジ側には分からないわけだから。そして知らずにアドリブしたのはフジ側も橋本側も咎め立てしていなかったのに、佐藤は何を怯えていたのか、自分のマネージャーを注意するのではなく橋本愛の楽屋に押しかけてしまった。それは彼が過剰なキャンセル・カルチャー・パニックに陥ったせいであり、そのせいでパワハラをやっちゃうことになった。だから、ある意味では佐藤二朗も被害者だよ。キャンセルカルチャー言説を内面化していなければ、もっと普通に対応できたわけだから。


 しかし、そもそも佐藤氏に「キャンセル」を求めている人がどれだけいるだろうか。批判者でもhokusyu氏のように、ひきさがるべき部分だけ適切にひきさがれば今後も仕事をつづけられるだろうという意見を多く見る。
 何より情報共有の不備があった橋本愛氏もドラマの制作続行を望み、フジテレビも降板したがっていた佐藤氏を慰留していた。佐藤氏は俳優業からの引退どころか、当該作品からのキャンセルも誰も望まなかった。
 一方で、橋本氏は俳優業からの引退を求められた。他の誰でもない、佐藤氏によって。口調や細部の表現こそ違えど、当初の週刊文春による報道から佐藤氏の事務所による声明まで、その認識は共有されている。
現時点で佐藤二朗氏らの発信を見るかぎり、橋本愛氏は純然たるハラスメントの被害者でしかないと思うのだが - 法華狼の日記

過去の心の傷は最大限、尊重されるべき社会だと心から思うが、トラウマがあって夫婦役を演じるなら先に状況を相手に共有すべきである事、その状況が続くなら俳優を続けるべきではないのではないかと僕個人は思います、と伝えました。

「その状況」が変われば俳優を続けられるという意見だと解釈することはできるし、「僕個人は思います」と主観的な意見であることは明らかにしているが、俳優業そのものの引退を勧告する内容であることもたしかだ。
 たとえば、「女性差別的な文化を脱するために」というオープンレターは、それがおこなわれるきっかけとなった人物の「キャンセル」を賛同者がもとめた形跡もないのに、「キャンセル・カルチャー」だと解釈して反発されていた。
オープンレター「女性差別的な文化を脱するために」が排斥を目的としたものだという読解の根拠がよくわからない - 法華狼の日記

 排斥の呼びかけは存在しないと賛同者は語り、排斥の呼びかけは受けいれられないと拒絶者は語る。違う意味だが双方とも排斥を認めないことでは一致して、現実の「女性差別的な文化を脱するために」の文章はそのまま残った。争う意味がどこにあったのだろう。

 そしてその「女性差別的な文化を脱するために」を「キャンセル」するために裁判までおこなわれたが、当然のように敗北的な和解で終了した。それでも「女性差別的な文化を脱するために」に反発しつづける人は少なくない。
「キャンセル」を求められたと解釈すれば反撃として「キャンセル」をしかけることが正当化される。それほど過敏な人々であれば、先に明確に「キャンセル」を求めた佐藤氏を非難しそうなものだが、少なくとも同じくらいの規模の動きは見かけない。
 一例として、「女性差別的な文化を脱するために」が出されるきっかけとなった被害者の北村紗衣氏*1を誹謗中傷していた山内雁琳氏などは、橋本氏が週刊文春に告発したという根拠なき前提から、佐藤氏の問題が第三者に認定された事実を無視して、北村氏への攻撃に利用している。


橋本愛による文春への「告発」と佐藤二朗による「告発返し」は、「「被害者」がハラスメントだと思えばハラスメント」になる「ハラスメント」概念が如何に社会を破壊するかの典型例と言えますが、この社会規範を文字通り「道徳権力」にした根源は北村紗衣等リベラル左翼知識人に他なりません。


私は、オープンレター騒動で呉座勇一氏へのキャンセルカルチャーをアカデミアにおける将来の地位を全て捨てる覚悟で批判し続け、その滑稽なる醜態を揶揄し続け、非常勤講師の職も失い、裁判を戦って敗訴し、文字通りキャンセルされて出られる場所が殆ど無くなりましたからお気持ちはよく分かります。

 このような山内雁琳氏をクラウドファンディングで支援する人々もいまだいるようだ。
 こうした動きを見ていると、キャンセル・カルチャーという概念は、加害者の擁護にばかり恣意的にもちいられているように思える。

*1:はてなアカウントはid:saebou