五
五
「起きろ」
朽梨は、布団を蹴飛ばして眠る愁慈郎を揺すった。
「……一番鶏がなく前に起こされるとは思わなんだ。寝たのかよ、朽梨」
「私は梟だぞ。すこし寝れられればいい。常に半分はねているしな」
どういうことだ? 常に半分寝ているというのは?
「支度をしておけ。今、飯が来る」
「ああ。けど、女中とか、嫌な顔しただろ。早すぎるって」
「何をいう。宿の者も、これくらいから支度をする。のろのろ寝ておる阿呆が旅などできるか」
愁慈郎は「わるかったな、
着た切り雀で連れてこられているので着替えなどない。
が、一階に降りて湯に浸かることはできよう。
愁慈郎は湯桶に張られた熱々の湯を浴び、体を糠袋で洗って、桶に浸かる。
全身が温められる。清められる思いがした。
時刻はまだ暁七つ頃。夜も開けきらぬ薄暮――ようやく一番鶏が鳴いた。 愁慈郎らは、宿の者が出してくれた朝餉を掻き込んだ。
炊いたばかりの雑穀と玄米に、山芋をすりおろしたものをぶっかけてある。いわゆるとろろ飯だ。だし醤油で溶いた山芋が、なんとも美味である。
汁物は打ち豆と猪肉の簡素な味噌汁。それをぐいと呷って、栄養を腹に収めると、二人は旅籠を出た。
「昼には城に着く」と
「その話、二度目だろ」実は、昨日も同じ話をさせられていたのである。「家にいくつかある山刀の一つだよ。銑おろし、つって、鋼にするには固くて脆い銑を卸して、鋼に精錬し直したもんを使った山刀だって、親父が言ってた」
この時代、まだ炭素という概念は知られていないが、鍛冶師は長年の経験から、どれが炭素の多い(炭素が多いということは、固くて脆い、ということ)銑で、鋼で、鉄かを判別できた。
愁慈郎――いや、獣狩が使う刃物の多くは、鋼だったり、あるいは獣の素材を利用した物が多い。
侍が玉鋼の刀を差すように、獣狩も、鋼の山刀を腰に手挟む。
しかし。
「なんでそんなことを?」
「ただの鋼で、
二人は町を北上した。
ここからつづら折りに曲がりくねった坂を登っていくと、三の丸、二の丸とあり、その上が本丸と天守である。
「そりゃ朽梨が祓ったからきれいなんだろ」
「違うな。もし瘴気が飛んでいれば、あたりの草花は枯れて、腐り、死んでいるはず」
「そうなのか……? じゃああいつは、
「それはない……絶対にな」
あの術は、〈
普通の獣であれば、あのようなことは起こらないという。
すなわち、愁慈郎が打ちのめした大蛇は、紛れもなく
「ひょっとすると」
朽梨は、愁慈郎を振り返って、肩越しに見やった。
純朴そうな若者である。
たった一日旅をしただけでわかる。この男は、見ている方が心配なほどの根明だ。
愁慈郎は純朴そのもの。まさに、山で穢れなく育ったのだろう。世間知らずというわけではなさそうだが、まだ、世の汚さを知らないと見える。
(こやつは、神使の素質があるやもしれぬ。穢れ祓いのちからがある)
そう思ったが、朽梨は黙っていた。
二人が歩き出して、かれこれ、四刻半(八時間)。陽は、空の真ん中辺りまで来ていた。
前方に、山を七巻き半、ぐるぐる囲んでいる
馬出曲輪があり、平時である今、そこはちょっとした検問を兼ねているようである。
「怪しげな荷物はないな?」
「うん。けど、弓と刃が潰れた、例の獣狩山刀がある」
朽梨はうなずき、「弓は預けることになろう。山刀は、私が証拠品として預かる。いいな」と聞いた。
「ああ」異論はなかった。
愁慈郎は検問で弓を預けた。足軽らは「獣狩の弓とはこうも骨太なのか」と驚いていた。
弦を張るだけでも、並大抵の労力ではない。普段、弓は弦を外している。そうしないと、弓がすぐに馬鹿になる。
そして、彼女が「
「いい、かしこまらずとも。志郎兵衛殿にお会いしたいのだが、取り次いでもらえるか」
「では、ご用向きの程をお伺いしたく。如何がされました?」
「御神域に
本来、それは角岳の藩主にすべきである――が、問題は「御神域」で起きたことにある。
愁慈郎箱とここにいたり、震え始めていた。
(梟福殿、つったか?)
「なるほど、であれば、志郎兵衛様にお伝えしたほうが、玄慈様のお耳にもすぐ届きましょうな」
玄慈様。玄慈様の、お耳にもすぐに届く。
「くっ、朽梨、様」
「何だ愁慈郎」
「玄慈様の、妹っ――妹君の、あの朽梨様ですか!」
「ああ。言っていなかったか」
愁慈郎は、混乱と驚きで、その場に後ろ向きにひっくり返った。
標高百八十丈(五百四十メートル)ある山、
天嵐神社を存在の正当性としている
祭祀王として巫女を祀り、統治王として城主……すなわち、藩主をおいている。
日本においても、戦国武将は上洛してときの天皇への拝謁を望んだが、その理由は「自らの天下統一の正当性を担保してもらうため」、すなわち、「畿内を制し、日本のふさわしい支配者として、全国へ己を認めさせるため」であった。
それはこの和魅でも同じ。
神々の宿る神社を、寺を建立するのも、そこに祭祀王やなんかを設置するのも、自らの行為を神の意志であると正当化し、周囲への説得力とするためだ。
そして、当然民からの支持と求心を得るためでもある。
無論だが、玄慈様からお認めを受けるということは、和魅の大陸から許しを得ると同義である。
この
逆説的に。
天嵐神社の神使とは、「藩主と同格」といえた。
ゆえに朽梨は――志郎兵衛の妹であり、そして、玄慈様の妹でもある彼女の拝謁の願いはすぐにかなった。
卒倒した愁慈郎を羽団扇で仰いでやっていると、使いの小姓がやってきて、
「起きろ、いつまで寝ている気だ」
朽梨は愁慈郎の頬と額を、畳んだ団扇でべちりと叩いて、無理やり起こした。
「いてっ、なんだ、どうした」
「阿呆、お前、なにを気を失っておるのだ」
「……く、朽梨様」
「それはもうわかった。もう良いから、いくぞ。兄上がお会いになられる。頼むから、ひっくり返ってくれるなよ」
二人は起き上がって、それから小姓の案内で天守へ向かった。
愁慈郎は、二度と気を失うまいと思ったが、それを誰かに確約することはできそうもなかった。
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八百万夜行 ― やおろずやぎょう ― 三河筆刀齋(三河蕾花) @foxkithune77
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