日本国宝展 鑑賞ガイド③ 前後期共通の展示品
日本国宝展の予習ガイドで、筆者は2期と6期に行く予定なので、2期と6期に出てくるものをまとめましたー
なお、展示ナンバー21までの「Ⅰ ニッポンの国宝―美の歴史をたどる 1 日本美術の巨匠たち」は、別記事にまとめています。
Ⅰ ニッポンの国宝―美の歴史をたどる 2 いにしえ文化きらきらし
22 深鉢形土器 ①火焔型土器 ②王冠型土器 新潟県十日町市笹山遺跡
火焔型土器はこんなかんじ
こちらの方は王冠型
「炎が燃えてるみたいってことで火焔型土器と名付けられました。実は煮炊きされた跡ものこってます!」
そもそも縄文土器についての解像度が低すぎるので、まず全体像を捉えようという話
火焔型土器は縄文中期にあたるそうですー
縄文土器についての解像度が低すぎるので、発掘された笹山遺跡について知ろうという話
土器の発掘の現場や火焔型土器の定義などが知れて面白いですー
26 人物画象鏡
「きったない文字で読まれへん思うけど、実は古墳時代の情報あります!48文字で大王とか弟王とか書いててすごいです!あんま有名ちゃうけど!」
5〜6世紀頃に製作された青銅鏡
鏡背には東王父・西王母などの人物像とともに、48字の銘文が左回りに鋳出されている
この銘文は、日本で初期に漢字で固有名詞を記した貴重な例
「大王」や「男弟王」などの語が確認されることから、大王号の成立やヤマト王権のあり方を探る手がかりとして注目されている
特に注目されるのは、「斯麻」なる人物が「長寿を願って銅鏡を作らせた」とする記述
これが百済の武寧王を指すのか、あるいは倭国の王族なのか、研究者の間で解釈は分かれており、「癸未年」が443年か503年かによっても歴史的意味合いが変わってくる
(銘文)
癸未年八月日十大王年男弟王在意柴沙加宮時斯麻念長寿遣開中費直穢人今州利二人等取白上同二百旱作此竟
鏡の図像は中国伝来のモチーフを基にしており、原型と比べて左右反転して鋳造されていることから、国産で鋳造されたことが確実視されている
こうした点から、東アジアとの文化交流や日本の王権形成を考えるうえで極めて重要な出土品として、国宝に指定
😆ゆるーい感想
調べてみたら、めちゃくちゃロマンでびっくりしたよ!
むしろ、調べてなかったら、「このへんのはあんまよくわからないし興味ないから」と素通りするやつ!w
古代の発音に詳しい人による解読
Wikipediaの間違いを指摘
独自解釈だけどめちゃくちゃ興味深い!
海外との交流があったことがよくわかる
ここでは大王は反正天皇、弟王は允恭天皇としている
反正天皇のあたりのエピソードはこのへん
兄の履中天皇の時に謀反を起こし住吉仲皇子を始末した功績で天皇になっている
反正天皇は、謀反を起こした住吉仲皇子を始末するべく、部下のソバカリを「大臣にしてやる」と調略して殺させる
大臣になるためにあっさり裏切ったソバカリがおっかないけど、大臣にすると約束してしまったので、大臣にしてやるといって、でっかい盃に酒を入れて飲ませる
飲んで前が見えなくなったところをソバカリを刺し殺す、ひどいw
允恭天皇はその反正天皇の弟
27 金銅鞍金具(前輪・後輪)奈良県藤ノ木古墳
「未盗掘の藤ノ木古墳からこんにちわ!透かし彫りの金でめっちゃ綺麗でしょ? 金ピカ馬具装着した馬を想像してみて!すごいでしょー!?」
藤ノ木古墳が未盗掘の古墳で埋葬品の状態がよかったことがよくわかりますー
金銅鞍金具についても解説あり。
橿原市の博物館行ってみたいー!
28 金銅壺鐙、金銅透彫冠残欠 宮地嶽古墳
「神話と皇統をつなぐ石の迷宮――太宰府の彼方に眠る“最強の祖父”」
福岡県・宮地嶽神社の奥にひっそりと眠る宮地嶽古墳は、全国第2位の長さ(全長23m)を誇る石室を持つ巨大古墳
築造は7世紀中葉、ヤマト王権の終末期
副葬品は豪華絢爛✨金銅の冠や馬具、大刀、ガラス玉など国際色あふれるお宝の数々が出土し、現在は国宝指定されている
被葬者とされる胸肩君徳善(むなかたのきみとくぜん)
彼の娘は天武天皇の妻=尼子娘であり、皇子高市皇子の祖父にあたる
つまり、天武の「外戚」にあたる超重要人物だったかも…!
近くでは、8世紀初頭のものと推定される火葬墓も発見
出土したガラス製の蔵骨器は文祢麻呂墓と似ており、もしかするとその被葬者は尼子娘、または宗像氏の後裔かも?という説もある
29 女神坐像(東寺)
「薬子の変の時に空海の願い叶えてあげたお礼で神像にしてもらいました。でも勝手に仏教徒にされて困惑しております」
この女神坐像は、京都・東寺(教王護国寺)に伝わる八幡三神像のうちの一体
八幡三神とは…
🧔♂️八幡大菩薩(応神天皇)=男神(なんと僧の姿!)
👸神功皇后(じんぐうこうごう)=女神
👸仲津姫(なかつひめ)=女神
→ この女神坐像は、神功皇后か仲津姫か、どちらかの姿だと考えられてる
男神が剃髪して僧の姿なのに対し、女神は平安時代の貴族女性の姿。当時の高貴な女性の服装を表現している
この三神像は、**神と仏がひとつになる「神仏習合」**を象徴する存在
日本の神々を仏の化身と見なす「本地垂迹説(ほんじすいじゃく)」に基づいていて、密教が広めた思想の中でも特にユニーク✨
男神の姿は、現世的で人間らしさを感じる姿。悩みを持つ人間の象徴としての神の姿でもあるらしい
三体とも同じ木から彫られている可能性が高いのもポイント!
→ 日本人にとって、木には神が宿る=「憑代(よりしろ)」という感覚があって、それが形になったような作品
😆ゆるーい感想
仏教なんてぜんぜん知らなかったはずの神功皇后が、なんか勝手に仏に帰依したことにされてしまってる件。
本人あの世で「えっ、仏教って何?」っていってるよ!
東寺に八幡神像があるのは薬子の変の折に空海が八幡神に祈祷したことが由来らしい
ただし、当時と今では構成が違って、女神はひとりだけだった
30 家津御子大神坐像(熊野速玉大社)
熊野速玉大社「うちには、足利義満が奉納した宝物が1000個くらいあって、全部国宝なんよ。こいつら、これでもイザナギ・イザナミ・スサノオなんやでー」
熊野速玉大社には、千古の古から伝えられてきた神像七躯があり、いずれも桧の一木造著色坐像
速玉、夫須美、家津美御子、国常立神像の四躯が国宝に指定
家津御子大神は、素戔嗚尊(すさのおのみこと)の別名
😆ゆるーい感想
個人的感想だけど、顔があまりスサノオっぽくないw
めっちゃ弱そうというか、文官の顔だよね、これ。
この顔で天上界で脱糞しながら泣き叫ぶのか…
熊野速玉大社と新宮の解説
国宝が収められてる宝物館もさらっと紹介
個人的には行ったことがあるので懐かしかった
この動画で紹介してる熊野曼荼羅は万博の関西パビリオンで複製があったので個人的にタイムリー
以上、とにかく個人的にはツボでした
32 金鶴及銀樹枝・銀樹枝、木造彩色磯形残欠、銀鶴、銀鶴及磯形(若宮御料古神宝類のうち)
藤原頼長「氏神の春日大社に若宮作って、縁起物の鶴と松の飾りもの奉納するでー」
春日大社の摂社・若宮(1135年創建)に奉納されたと考えられる、超貴重な神宝。
若宮創建の際、藤原頼長らが中心となって奉納を進めたが、この金鶴と銀樹枝は記録にない"幻の宝"。
昭和5年に若宮から撤下された品々の中で発見され、作風からも創建当初の奉納品と推定される。
🕊金鶴(かなづる)
金無垢で作られた鶴。翼を広げて枝に止まっているポーズ。
**羽や目など細部が非常に精巧な蹴彫り(けりぼり)**で彫られており、芸術的完成度が非常に高い。
吉祥や長寿の象徴として、神に捧げるにはふさわしい造形。
🌿銀樹枝(ぎんじゅし)
銀の棒を鍛えて造られた繊細な二本の樹枝。
枝先が分かれており、松の枝を表現していると考えられる。
風流な洲浜形や磯形の飾りに立てられていたと思われる(他に若宮御料の磯形も現存)。
🌄背景と意味
蓬莱山(中国神仙思想の理想郷)では鶴が舞うとされ、それに倣った飾りが日本にも伝わる。
平安時代後期から「松と鶴」の組み合わせは吉祥意匠の王道に。
本品は、その**王朝的イメージの“原風景”**ともいえる存在。
神々に捧げる、自然と仙境への憧憬を込めた究極の飾り物。
Ⅰ ニッポンの国宝―美の歴史をたどる 3 祈りのかたち
38 天蓋附属 天人、鳳凰、飾金具
白鳳時代(7世紀)/法隆寺金堂蔵・国宝
「わたしら、白鳳時代の天人と鳳凰でございます。普段は法隆寺の天蓋にいて見えにくい私達だけど、今回展示で降りてきました。ぜひ見てね」
🌸作品の概要
法隆寺金堂の釈迦三尊像を守る天蓋(てんがい)に附属する木彫の天人と鳳凰。
天蓋本体とともに、2020年に令和初の国宝指定を受けた。
ふだんは金堂の高い天井付近に設置されているため、間近で観られる機会は非常に少ない。
現在は展示のために地上で公開され、その姿・技巧をじっくり堪能できる。
🌸特徴とポイント
白鳳時代の繊細な木彫技術を伝える現存最古級の装飾彫刻。
天人は笛を奏で、鳳凰は華やかに羽ばたく姿を表現し、空中で仏の世界を彩っていた。
天井装飾という構造上、下から見たときの見栄えを計算した造形と配置になっている。
金堂建築・釈迦三尊像・天蓋が三位一体となった、古代仏教空間の粋を体現。
🌸時代背景と意義
白鳳時代(飛鳥〜奈良前期)は、仏教が本格的に日本文化に根付いていく時代。
天蓋とその装飾は、仏の世界を立体的に表現するための“空間の仏画”のような存在。
これらの附属物が単なる装飾ではなく、仏教の宇宙観と祈りを体現した重要な文化資産であることが、国宝指定に繋がった。
✨ロマンの視点🌌🎵
天井の高みに宿り、千年のあいだ仏を見守り続けてきた**“空の住人”たち**が、いま、わたしたちの目の高さに舞い降りた奇跡――
その柔らかな表情、流れるような羽のライン…
祈りと音楽と光が交錯する、白鳳の空がここにある
こちら、もともとはどんなかんじで飾られてたのかがわかる記事ですー!
40 聖観音菩薩立像
「あなたの苦しみや悲しみを聞かせてください。この聖観音菩薩が全て受け止めますから、心配しないで」
奈良時代・8世紀/薬師寺 東院堂/銅造・鍍金/像高188.9cm/〈国宝〉
🌸作品の概要
薬師寺東院堂の本尊として祀られる、聖観世音菩薩の立像。
「聖観音」は、千手・十一面などの変化観音と異なり、**観音の“本来の姿”**を表す。
奈良時代(8世紀)の作で、白鳳美術の最高峰のひとつ。
像高はほぼ人間と同じサイズ(約189cm)。目の前に立つと圧倒的な存在感。
🌸特徴とポイント
衣の襞から足が透けて見える表現は、インド・グプタ様式の影響によるもの。
胸を張り、足を揃えて立つ姿は凛とした気品に満ち、
右手は下げ、左手は静かに挙げる――その静謐さと優しさが共存している。豪華な胸飾や瓔珞(ようらく)、天衣(てんね)をまとい、
かつては見事な宝冠もあったとされる。若き皇子のような気高さを持ち、有馬皇子をモデルとする伝承も残る。
🌸文化的意義と魅力
白鳳美術が目指した「神聖 × 若さ × 美」がすべて詰まった傑作。
観音菩薩=“音(こえ)を観る者”として、苦しみの声を聞き取ってくださる存在。
その姿にふれるだけで、心の痛みが少しやわらぐような包容力と慈悲の美。
✨ロマンの視点🌸🕊️
まるで、苦しみに沈む人にそっと近づいて、
**何も言わずにその存在だけで救ってくれる“静かなヒーロー”**のよう……若さと悲しみと慈しみがひとつにとけあったその姿は、
まさに**「白鳳の貴公子」――理想の美と魂が宿る尊像**なんだね✨
🌸有間皇子(ありまのみこ)ってどんな人?
🏯生まれ:舒明天皇12年(640年)
→ 父は孝徳天皇、母は阿倍氏の小足媛。高貴なおうじさま✨👑従兄:中大兄皇子(のちの天智天皇)
→ 政治のトップに立っていく人物で、有間皇子とは対立気味…。
🌸どんな運命だったの?
👶天皇家のプリンスとして生まれるも…
🏙️父・孝徳天皇は中大兄と仲違い → 孝徳が失意のうちに崩御
😞その後、有間皇子は政治争いを避けようと心の病を装って療養へ
🏞️帰国後、蘇我赤兄にそそのかされ「中大兄に反旗を翻そう」と計画
💥が!赤兄はスパイで、すぐに密告されてしまう
🌸最後はどうなったの?
🕊️斉明天皇4年(658年)、19歳で処刑(藤白坂)
→ 「天と赤兄だけが知っている。私は知らない」と答えたと伝わる
→ その姿に悲劇の美少年伝説が生まれた…
🌸万葉集に残る伝承とロマン✨
📖万葉集に辞世の和歌が2首残る(ただし後世の創作説あり)
🎤後に追悼歌も詠まれ、平安〜江戸時代にかけて伝説化
→ 百人一首の注釈では「のちに即位」とまで!?😳🏯和歌に詠まれた**“磐代(いわしろ)”**は歌枕にもなり、神社も建立
🌸まとめ一言!
美しき若き皇子、信じた者に裏切られ、時の権力に散った――
その悲劇の最期が、仏像の優美さと重なり
聖観音菩薩に彼の魂が宿ると言われるのも納得…😭✨
😆ゆるーい感想
画像検索してて、サムネ見た時に美しくて、いちばんびっくりしたやつですー
白浜市が作った有間皇子の話で、聖観音菩薩の話ではないので、気が向けばというかんじでー
声が聞き取りにくいのが残念
一般的には有間皇子がモデルと言われていますが、こちらの動画では草壁皇子がモデルなのでは、という話
41 薬師寺東塔 水煙
「東塔の分解修築にともない引退して1300年振りに地上に降りてきました。2代目さん、代わりに頑張ってやー!」
奈良時代(8世紀)/銅造鍍金(青銅)/高さ約2m/重さ約400kg/〈国宝〉
🌸作品の概要
**薬師寺東塔の最上部(約34m上空)**に設置された、青銅製の装飾部。
火災・落雷除けの守りとしての意味を持ち、「水煙」と呼ばれる。
創建当時から現存する、極めて希少な仏塔の頂上装飾。
🌸特徴とポイント
4枚の同型透かし彫りパネルを十字に組んだ構造。
各パネルに飛天(ひてん)3体 × 表裏 = 6体、全体で24体の飛天が舞う!
舞い飛ぶ姿、翻る天衣、リズミカルな構図が神がかった美しさ。
🌸注目の飛天たち:実は“天人一族”!?
従来:すべて天女(女性)とされてきた
小杉一雄による新説:天男・天女・天童のセットで構成!
上段:天童(子ども)
中段:天女(母)
下段:天男(父)(笛などの楽器を奏でる)
🌀 → つまりこれは、空を舞う天人ファミリーの団欒なのかも!?✨
🌸文化的意義と魅力
彫刻というより空に描かれた音楽と舞踏の世界。
高さ34mから見守ってきた塔の守護神的存在。
透かし彫りの技術・構成美は、白鳳美術の極点のひとつ。
ふだんは遠くからしか見えないが、近年の修理や展示で間近に鑑賞可能に!
✨ロマンの視点🌸🌌
インド → 中国 → 日本へと旅した“天人たち”が、
ついにたどり着いたのが奈良・薬師寺の空☁️彼らは楽器を奏でながら、私たちの世界に幸せを運ぶ風のような存在
「空の上から見守っているよ」という優しいまなざしが、
この水煙からは確かに感じられる…
水煙の話は15分くらいから30分くらいまでの間
東塔の修復の時に傷んでいた水煙の二代目を作った
今、東塔にある水煙は二代目
今回出品されるのは初代
43 華原磬
「唐の皇帝から送られたという伝承もある、龍と獅子の超かっこいい打楽器です!」
🌸作品名:華原磬(かげんけい)
🌸時代:奈良時代(8世紀)/中国・唐代の影響
🌸所蔵:興福寺(国宝館)
🌸種別:国宝
🌸材質・技法:鋳銅製(磬は鎌倉時代の補作)/総高96.0cm
🌸作品の概要
天平6年(734)に創建された興福寺・西金堂の仏前に設置されていたと伝わる「金鼓(こんく)」と呼ばれる楽器架。
中国の唐・高宗から贈られたという伝承もあり、謡曲『海人』にも登場。
「華原磬」という名は、磬石の名産地・中国の“華原”に由来するとされる。
🌸特徴とポイント
下に伏す獅子を土台とし、その背から六角柱が立ち上がる
柱に雌雄2対の龍が絡みつき、その胴体の空間に**磬(けい/打楽器)**を抱く形
龍のうねる姿と獅子の緊張感ある造形が、静と動の調和を生む
磬は円形で、両面をわずかな3点(左右の耳と下)で接合するという特殊な構造
鎌倉時代の補作を含むものの、唐代金工の精緻な技術と構成美を今に伝える
🌸文化的意義と魅力
類例のない立体構成で、仏前装飾具としては極めて異例かつ貴重
飾りではなく**“音を奏でる仏具”としての実用性**も重視されていた
仏教儀式の厳かさや荘厳な空間演出を支える重要な存在
唐代の美術様式が日本に伝来し、奈良の仏教文化と融合した証し
✨ロマンの視点🌸🦁🐉
四匹の龍が護る音の珠――それは、獅子の背から空に掲げられた「天からの音」。
**祈りの響きを、千年の時を超えて今も空間に残す“音の彫刻”**とも言える逸品。
この磬を鳴らしたとき、どんな祈りが天に届いたんだろう……?
50 孔雀明王像
「平安時代の絵がこんだけ綺麗に残ってるって奇跡的なんだよー!金の使い方に注目してね、すごいから!」
🌸作品名:絹本著色孔雀明王像(けんぽんちゃくしょく くじゃくみょうおうぞう)
🌸時代:平安時代・12世紀
🌸所蔵:東京国立博物館
🌸技法・寸法:絹本着色・縦147.9cm×横98.9cm
🌸作品の概要
密教の修法「孔雀経法」の本尊である孔雀明王を描いた仏画。
広げた孔雀の羽の上に座すその姿は、災いや毒を払う守護者として信仰されてきた。
本図は、現存する孔雀明王像の中でも最も繊細で優美とされ、平安仏画の代表作とされている。
🌸特徴とポイント
羽を大きく広げた孔雀が蓮華座となり、その上に明王が坐す構図
4本の腕を持ち、それぞれに意味深い法具を持つ(蓮華・倶縁果・吉祥果・孔雀の羽)
吉祥果はザクロ形になっており、これは安産祈願に由来する改変の可能性が指摘されている
弘法大師・空海ゆかりの図像に基づくが、細部に独自性あり
仁和寺に伝来した作例との関連性が高く、貴族による注文で制作されたと見られる
金箔、金泥、截金といった金の使い方がポイント
🌸文化的意義と魅力
孔雀はインド・中国で「毒蛇を食らう聖鳥」とされ、災厄除け・安産・増益などの祈願に最適
この図像の変化には、当時の貴族層の信仰や願いが色濃く反映されている
日本密教の発展と共に図像学的な洗練が進んだことがうかがえる
明治〜昭和にかけては、原三渓が一万円で購入し話題となり、後に東京国立博物館へと収蔵
✨ロマンの視点🌸🦚🕊
毒すらも浄化する、聖なる孔雀の羽のうえ。
この明王は、ただの護り神ではなく、優しさと力を兼ね備えた安らぎの守護者。
夜の闇を切り裂いて、祈りを未来へ届ける「色と慈悲の明王」。
背景の羽一枚一枚まで、まるで天界の輝きを織り込んだようだね✨
掛軸塾による解説は12:53から!
孔雀が毒をもってる蛇を食べたりすることから、三毒を食らってくれるそうな。
51 普賢菩薩騎象像 1軀 平安
「白い象さんに乗ってるわたくし、普賢菩薩と申します。文殊菩薩といっしょにお釈迦様の隣にいるから、覚えてね!」
📍時代:平安時代(12世紀)
🏛所蔵:大倉集古館
📏寸法:像高55.2cm(象と蓮台含むと1m以上)
🪵材質・技法:木造、彩色、截金(きりかね)
🌸作品の概要
白象の背に蓮華座を据え、そこに合掌した普賢菩薩が坐す姿。
この姿は「法華経」に説かれる普賢菩薩の現世における来臨の姿とされる。
平安時代後期に多く制作された形式だが、現存例は少なく大変貴重。
像は小ぶりながらも、彩色や截金によって豪華に仕上げられている。
特に背面の截金装飾は、今なお息を呑むほどの美しさを誇る。
🌸特徴とポイント
白象に乗るスタイル:法華経に基づく「来迎」の表現。
合掌する端正な姿:気品ある穏やかな表情と丸みを帯びた柔らかな体つき。
優美な彩色と截金:特に背面の截金文様が圧巻。
来歴不明だが高貴な作:皇族や貴族の発願で造られた可能性。
仏師推定:院派・円派・慶派のうち、面立ちやバランスから**円派仏師(賢円など)**の作とされる。
🌸ロマンの視点:
白象の背にそっと寄り添うように座る菩薩さま。
彩色や截金の名残に、遠い昔の祈りがやさしく宿ってる。
見る人の心に、静かなやすらぎを運んでくれるような一像──。
🙏普賢菩薩とは?
🌸 「行動する菩薩」=慈悲と智慧をこの世に体現する存在
釈迦如来の脇侍として文殊菩薩と並び称され、六牙の白象に乗って現れる姿で知られる。「法華経」の守護者として、特に女性からの信仰が厚かった。
🌸 名前の意味と象徴
梵名「サマンタバドラ」は「すべてにおいて賢い者」。真理を求め行動する心(菩提心)の象徴で、密教では剣や五鈷杵を持つ姿もある。
🌸 姿と作例
合掌して白象に座す姿が最も有名。平安後期以降、独尊として彫像も多く制作され、大倉集古館の像はその優美さから特に有名。強力な守護形態「普賢延命菩薩」も派生尊として存在する。
🌸 眷属との関係
十羅刹女や鬼子母神を眷属とし、法華経を信じる人々を守護する役割を担う。
56 十二天像:日天・月天・羅刹天・火天・帝釈天
東寺「後七日御修法で使ってた十二天の絵、燃えてもーたから新しく作るで!」
鳥羽法皇「この絵、出来が悪いからボツ!やり直し!」
こうして今の国宝の十二天図が出来たのでした
🌸時代:平安時代後期(大治2年・1127年)
🌸所蔵:京都国立博物館
🌸技法・素材:絹本著色/各幅144.2×126.6cm・全12幅
🌸作品の概要
後七日御修法(ごしちにちみしほ)という密教儀式で使用された、天部の守護神12体のセット。火災で焼失した旧作をもとに再制作されたこの作は「乙本」と呼ばれ、平安後期の貴族文化を象徴する華麗な仏画。
🌸特徴とポイント
十二天は密教の守護神たち(帝釈天・大日天・風天など)で構成
火災で失われた旧作を再現すべく、仁和寺の壁画をもとに再制作
截金(きりかね)や色彩の意匠が繊細で華麗な装飾
描線がやわらかく、優美な造形が特徴的
🌸後七日御修法とは?
**「正月八日から七日間、国家の安泰を祈る」**というこの儀式は、
空海が命がけで奏上して実現した、真言密教の集大成ともいえるもので、
その重要な儀式を守護するために掛けられていたのが、この「十二天像」。
つまりこの絵は――
空海の魂を継いで、未来に祈りをつなげた証✨
🌸ロマンの視点
空海が遺した国家祈願の密教儀式「後七日御修法」──その場を護る十二天像は、火災で焼失。
だが、鳥羽院の不満をきっかけに、仁和寺円堂の壁画をもとに再制作され、祈りの場へと還った。
😆ゆるーい感想
この手の色褪せた仏画は苦手だけど、後七日御修法と言われて、「おおー、空海!?」となってテンションアップ。
さらに鳥羽院がダメ出しした結果作られたといわれて「おおおー、妻をじいちゃんに寝取られた、あのどろどろ法皇!」となって、俄然見たくなりましたw
密教関連の展示では割とよく出てくるので、覚えておくと楽ですー
覚え方としては
四属性+日月:火天、水天、地天、風天、日天、月天
その他:梵天、帝釈天、伊舎那天、閻魔天、羅刹天、毘沙門天
◆その他の覚え方
転生するときに「どの母親にしようか?」と考えてるイメージで
ぼたいえらび(母体選び)
梵天、帝釈天、伊舎那天、閻魔天、羅刹天、毘沙門天
57 十六羅漢像:第九尊者~第十六尊者
良い画像がなかったけど、2017年に行った国宝展の図録にのってましたー
…ってことはその時に見てたのかな、全然記憶にないよ!w
「北宋から伝わったお釈迦様の弟子たちの絵です!1000年前の中国です!大切に受け継がれてきたんだよ!」
🌸時代:北宋時代(11〜12世紀)
🌸所蔵:京都・清涼寺
🌸作品の概要
静かな岩窟に佇む羅漢たちが、ひとりひとり異なる個性をにじませる。
北宋時代にまでさかのぼる中国絵画の名品で、日本に伝来した宋画の中でも特に貴重とされる。
どの羅漢も幽玄な表情や仕草を見せており、瞑想にふける者、従者と戯れる者など多様な姿が描かれている。
🌸特徴とポイント
十六人の羅漢すべてが異なるポーズや表情で描かれており、それぞれの人間味が伝わるよう
画面上部に羅漢の名が書かれた短冊があるのが特徴
第十六尊者に「大迦葉」と記されており、本来は十八羅漢の一部だったと考えられる
火災後に別の羅漢像が清涼寺に納められたと見られ、江戸時代の修理痕も残る
🌸ロマンの視点
「千年前の宋から、仏たちの表情がそのまま届く──瞑想する者、微笑む者、その姿に宿るのは、修行を超えた人間の深さ。」
🌸十六羅漢とは?
羅漢は、仏弟子として究極の悟りに達した聖者で、釈迦滅後の正法護持と衆生救済の使命を与えられた
サンスクリット語のアルハットを阿羅漢と音写して、これを略して羅漢という
全員覚えるのは無理なので十六羅漢で他に特徴ある人を5人あげておきますー
那伽犀那(なかさいな)尊者
正坐して枯木の中に入定する姿が描かれることがある
ミリンダ王の問い(※)で登場するナーガセーナと思われる
※インドを征服したギリシャ人の王が仏教について聞いてる感じ
びんずる様
よくお寺に像があって、撫でると病気が治るという言い伝えがある
羅睺羅(らごら)
釈迦の実子
名前の由来は「取らなければいけない障害」という説がある、ひどい
阿氏多(あじた)
仏典の一部では弥勒と同一視
周利槃特(しゅり・はんどく)
釈迦の弟子の中で一番愚かだったが、ひたすら掃除を続けることで、「こんなところにも埃がある」というのに気づく
煩悩もそれと一緒だと気づき悟りに至ったらしい
レレレのおじさんのモデル説がある
周梨槃特の解説
今回は出てこないぽい
58 持国天立像 (浄瑠璃寺)
「怒りすぎて肌が赤くなってしまった… 仏敵はこの剣でばっさりだぜ!」
🌸時代・所蔵:平安時代(12世紀)/京都・浄瑠璃寺
🌸材質・技法:木造 彩色
🌸サイズ:像高146.5cm
🌸作品の概要
平安時代に造られた四天王像の中でも、最高峰のひとつとされる傑作。
本来は堂内の四隅を護る四天王のうちの一体で、現在は増長天とともに本堂内に安置されている。
肉身部は赤く彩色され、頭には花飾りの鉢巻、腹には獅噛(しがみ)の装飾を備える。
台座にはコミカルな表情の邪鬼を踏みつけ、怒りとユーモアが絶妙に共存する造形となっている。
🌸特徴とポイント
躍動感に満ちたポーズと怒りの表情、そして繊細な衣の表現が見どころ!
腹部の「獅噛(しがみ)」や彩色の残り具合も平安彫刻ならでは。
四天王のうち、広目天は東博、多聞天は京博に移され、現在は二天体制でにらみを利かせている。
🌸ロマンの視点
花飾りの鉢巻に、赤く燃える怒りの肉体──その姿はまるで、この世の邪を真正面からねじ伏せるヒーロー!
お堂の隅っこから、黙ってすべてを守る姿が、静かなやさしさにも見えてくる。
ふと気づくと、**邪鬼すら「ちょっと楽しそう」**に見えてくるのが、仏像のふしぎなところ…✨
◆四天王の覚え方
西:広目天
北:毘沙門天(多聞天)
東:持国天
南:増長天
西から時計回りで「こう び じ ぞう」
「交尾するよ!」「誰と?」「お地蔵さん!」というひどい語呂合わせw
西からというのがわかりにくいので毘沙門天の一文字目の下の比と北が似てるところから、毘沙門天が北だと覚えておけばなんとか…
59 病草紙:小舌の男・毛虱・霍乱の女・歯槽膿漏の男・風病の男
👅小舌のある男
「舌の根に小さき舌のやうなもの、重なりて生出(おいい)づることあり」
「飲食をうけず、重くなりぬれば死ぬるものあり」
蝦蟇腫(がま腫れ)と言われる良性腫瘍と考えられる
💉陰虱をうつされた男
男が、陰部を丸出しにして毛を剃っており、妻が笑いながら見ている。
ケジラミの事で、陰毛に寄生して産卵し、激しいかゆみを伴う。
性行為による感染が多い。
💉霍乱の女
縁側で女が下痢と嘔吐をして、家族が介抱している。
当時、霍乱は急性の胃腸障害を意味し、「しりよりくちよりこくやまひ(い)」と称したが、長すぎるので「霍乱」と呼ぶように。
屋内ではすり鉢を使う女性が描かれ、日本の食文化史を知る上でも貴重。
🦷歯の揺らぐ男
歯周病で歯がぐらついた庶民の男が、食事を前に口を大きく開けて妻にその様子を見せている。
並べられた飯や一汁一魚二菜が巧みに描かれ、当時の食生活の様子や内容がうかがえる。
💉風病の男
碁を打つ男が、うまく座れないのか立膝をし、顔はゆがみ、碁石を指す指も震えて定まらない。
相手をする女たちが笑っている。
「厳寒に裸にてゐたる人の、震ひ戦慄(わなな)くやうになむありける」とあり、中枢神経疾患によるものであろう。
🌸時代:平安時代末〜鎌倉時代初期(12世紀ごろ)
🌸形式:絵巻物(現在は各図ごとに断簡)
🌸所蔵:国宝9図を含め、各地に分蔵(京都国立博物館など)
「病気の人達をコミカルに描いてみたよ! 昔はこんな治療方法だったんだよー!」
🌸作品の概要
奇病や風俗、当時の治療法まで描いた異色の絵巻。
一見コミカルにも見えるが、そこには当時の人々の苦しみや生活感、そして社会のまなざしが色濃くにじむ。
「笑い」と「哀れ」が交錯する、平安の医療ドキュメント。
🌸特徴とポイント
滑稽さと痛ましさが共存:歯の治療、幻覚、口臭、性病など、生々しい描写が続く。
風俗資料としても貴重:当時の衣食住、病に対する考え方や処置法がうかがえる。
医学資料としての価値:各病状の描写が細かく、医療史的価値も大きい。
洗練された筆致と書:絵も詞も技巧的に優れ、ただの風刺画にとどまらない美意識を感じる。
🌸ロマンの視点
平安の世、病に伏す人々の姿は滑稽でありながらも、どこか愛おしい。
その表情や動作から、「あの時代にも確かに生きていた誰か」の鼓動が聞こえてくるよう。
ときにユーモラス、ときにリアルすぎて目を背けたくなる…でもそこにあるのは、ありのままの人間の姿。
この絵巻は、時代を超えて「人間ってこういうもんだよね」と語りかけてくれる鏡なのかも。
😆ゆるーい感想
画像あつめて、説明文まとめてるときに気分悪くなったよ!
こんなん描いてた人、絶対命削ってるよ!
61 六道絵:餓鬼道、天道、優婆塞戒経所説念仏功徳
鎌倉時代 13世紀 / 滋賀・聖衆来迎寺
探しても全体画像があまり見つかりませんでした。
かわりに、全部をめっちゃ詳しく解説しているサイトがあるので、そちらを紹介。
62 金銀鍍宝相華唐草文透彫華籠
「みてみてー!超絶技巧の透かし彫りのカゴだよ!蓮の花びらを模した紙入れてまいてたの!」
きんぎんと ほうそうげもん すかしぼり けこ
平安時代 12世紀(1枚)/南北朝時代 14世紀(1枚)
神照寺(滋賀県)所蔵
🌸作品の概要
仏教法会での散華供養(さんげくよう)──蓮の花びらを模した紙をまく儀式で使用された華籠(けこ)。
この華籠はその中でも極めて優美なもので、銅製の円板に**宝相華唐草文(ほうそうげからくさもん)**を透彫し、金銀の鍍金(ときん)で豪華に仕上げられている。
🌸特徴とポイント
平安時代から南北朝時代にかけて作られた16枚のうちの2枚(展示)。
透かし彫り技法で唐草を立体的に表現。
金鍍金を全体に施し、ところどころに銀鍍金を重ねる繊細な加飾。
唐草の展開パターンが中心から三方向に広がるデザインも美しい。
現存する華籠の中でも最上級の技巧と美を誇る名品とされる。
🌸ロマンの視点
極楽浄土の供花を受け止める器が、ここまで美しくあっていいの!?
一枚の器が語る、祈りと芸術の融合の物語。
透ける唐草の奥に、彼岸への道が見える──そんな幻想に誘われる。
😆ゆるーい感想
わかりやすくきれいなやつ。
たぶん誰が見ても、何の知識なくても綺麗だなー、すごいなーとなるやつ。
こーいう知識なくても楽しみやすいのあるとほっとするー
68 法然上人絵伝 巻八・巻十六
🙏『法然上人行状絵図』第八巻五 九条兼実の邸宅で教えを説く法然上人
鎌倉時代 14世紀 /京都・知恩院
九条兼実「あかん…息子死んでもうて何もやる気せーへん…法然でも呼んで南無阿弥陀仏言いまくろ… 」
「せや!!法然の考えを体系的にまとめた本書いてもらったらええねんっ!」
選択本願念仏集…通称「選択集」誕生の瞬間であった
🌸 時代背景と概要
九条兼実(くじょう かねざね)は、摂関家の名門・九条家の当主で、鎌倉時代初期の朝廷の実力者。
そんな彼が心の支えを求めて頼ったのが法然上人だった。
この場面は、兼実の邸宅で法然が教えを説いているシーンであり、やがて兼実の依頼によって、後の日本仏教を大きく変える著作『選択本願念仏集(せんたくほんがんねんぶつしゅう)』が誕生する!
🌸 歴史的ポイント
貴族階級が法然に傾倒しはじめる決定的な出来事
念仏が「庶民の救い」から「国家や権門も動かす思想」へと変貌する第一歩
教義の体系化(『選択集』)という大きな伏線もここから始まる
🌸 ロマンの視点
一人の求道者が、ついに王朝の中枢に迎えられ、その清き声が宮中に響く──
その声はやがて、山々を越え、時代を越え、無数の人々に届く念仏となる。
ここはまさに、「念仏の時代」が始まった黎明の地。
その夜明けに立ち会った兼実の心は、どれほど震えていたのだろうか。
巻数が多すぎて十六巻の画像は出てこなかったー💦
とりあえず去年行った法然展の鑑賞ガイドで!
Ⅰ ニッポンの国宝―美の歴史をたどる 4 優雅なる日本の書
69 金光明最勝王経 巻第四・巻第五
「黄金の祈り、国を護る──聖武天皇の夢が息づく十の巻」
🌸作品名:金光明最勝王経(金字経)
🌸制作時代:奈良時代・8世紀
🌸所蔵:奈良国立博物館
🌸備後国国分寺旧蔵・十巻完存
🌸作品の概要
『金光明最勝王経』は、国家安泰・護国を祈るために読誦された、仏教における護国経典の代表作。
聖武天皇の詔により、各地に建立された国分寺の塔に納めることが命じられた経典であり、正式名称「金光明四天王護国之寺」は、本経にある「四天王護国品」に由来する。
この作品は、備後国(広島県東部)の国分寺に安置されていたものと伝わり、金泥で美しく書かれた巻物が十巻すべて現存しているのは非常に貴重。
🌸特徴とポイント
奈良時代の写経としての完成度が極めて高く、国家事業としての壮大なスケールを物語る
赤茶色の紙に金文字という荘厳な装飾は、仏と国家への敬意の表れ
完全な十巻揃いで現存するのは稀少で、写経史的にも極めて重要な遺品
🌸ロマンの視点
聖武天皇の夢見た「仏教による理想国家」──その実現に向けて編まれた、祈りの国家プロジェクト。
地方の一寺にも、ここまでの荘厳な写経が収められた背景には、国全体を仏の守護下に置こうという壮大なヴィジョンがあった。
そしてこの金文字の巻物は、**約1300年の時を超え、今も私たちの目の前に広がる「黄金の祈り」**なのです✨
78 芦手絵和漢朗詠抄
「言葉は風に舞い、絵は水に映る──芦手に綴る、雅のささやき」
🌸時代:平安時代末(永暦元年/1160年)
🌸作者・書写者:世尊寺伊行(せそんじ・これゆき)
🌸所蔵:京都国立博物館
🌸作品の概要
『和漢朗詠集』を書写した巻物で、芦手絵(あしでえ)と呼ばれる絵入り装飾料紙が用いられている。
芦手絵とは、文字のまわりに自然モチーフをあしらい、詩文と絵を融合させた平安後期の優美な装飾技法。
葦、水鳥、岩、片輪車などが群青や銀泥で描かれ、王朝文化の「雅(みやび)」を体現する。
🌸特徴とポイント
芦手絵の料紙:自然をテーマにした風雅な装飾が魅力。
詩と絵の融合:『和漢朗詠集』の詩文が、視覚芸術として展開される。
貴族文化の象徴:朗詠は貴族の教養と社交のたしなみであり、その美意識が凝縮されている。
完本としての価値:芦手絵を施した料紙による『和漢朗詠集』の完本として現存するのは非常に貴重。
世尊寺家は書道の名門:伊行は「世尊寺流」の祖とされるくらいの人物!つまりこの芦手絵和漢朗詠抄は、「言葉」「書」「絵」の三拍子そろった超ロマン作品!
🌸ロマンの視点
水辺に浮かぶことばたちは、まるで風に揺れる芦のささやき。
絵と詩が重なり合い、読み手の心にそっと寄り添う恋文のよう。
これは、平安の貴族たちが交わした“美しさの共鳴”──時を越えた感性のハーモニー。
🌸和漢朗詠集とは?
平安時代中期、藤原公任によって編まれた「朗詠(声に出して詠む)」のための詩文アンソロジー。
和歌216首+漢詩・漢文588句を、四季や祝いごとなどテーマ別に分類し、美しい言葉で人々の心をゆかすことを目的とする。
成立は長和2年(1013年)頃。もとは貴族の婚礼や屏風装飾に添えるために編まれた、王朝文化の結晶。
🌸時代背景と意義
当時、朗詠は社交や儀式に欠かせぬ教養。
王朝文学にもたびたび登場し、場を雅に彩る役割を果たした。
公任は唐詩だけでなく日本人の詩も積極的に収録し、日本的美意識を重視。
構成には唐の白居易や菅原文時、紀貫之らが多く登場し、好まれた詩人の傾向も読み取れる。
🌸現存と文化財としての価値
平安時代書写の完本は極めて貴重で、皇居の三の丸尚蔵館が所蔵する雲紙本が令和6年度に国宝指定。
唐紙や粘葉本なども含め、令和7年度に追加指定が予定されており、美術史的にも大注目。
Ⅰ ニッポンの国宝―美の歴史をたどる 5 和と漢
92 喪乱帖(原跡)王羲之筆
🌸作者:王羲之(おうぎし)
🌸時代:唐時代の模写(原作は東晋・4世紀)
🌸ジャンル:書(行書)
唐の書家「王羲之の字が神すぎるので超絶技巧で模写して複製作りました」
日本人「ひええ、この模写すごすぎる! 宝にして受け継ごう!」
🌸作品の概要
中国書道の頂点「書聖」王羲之による書簡を集めた帖。
内容は親族の喪や乱世への嘆きなど、私的な手紙3通。
模写とはいえ、驚くほど精緻な技法で写されている。
王羲之は官僚だったが田園生活を好み、隠遁して書や詩に没頭した文人。
🌸特徴とポイント
書体は「行書」=楷書と草書の中間で、柔らかく自然な筆致。
同じ漢字を異なる書き方で表現する“変化の美”が見どころ。
模写技法は「搨模(とうも)」と呼ばれ、真筆の上からなぞって写した超絶技巧。
書の鑑賞では、内容よりも「字の美しさ・リズム・感情の流れ」を見るのがポイント!
🌸ロマンの視点
1500年前の感情が、紙の上で今も呼吸している。
真筆が失われても「手の温度」は、模写を通じて受け継がれる。
書とは、言葉を超えた“魂の痕跡”──芸術としての最も深い記録。
📌王羲之の“すごさ”をざっくり3ポイントで!
🌸 ① 行書を芸術に昇華した人!
→ 楷書(きちんと)、草書(くずし)その中間の「行書」で、
美しさ×読みやすさの絶妙バランスを完成させたのが王羲之✨
→ つまり、いまの“手書き文字のお手本”を作った人!
🌸 ② 感情がにじむ文字!
→ 「字を見れば人柄がわかる」って言うけど、まさにそれ!!
“怒り”“悲しみ”“静けさ”…文字のカーブや力の抜き方に全部出てる!
→ 書を超えて、もはや筆跡アート!
「書」は字だけど、魂ごと残せる芸術なんだってことを教えてくれる。
🌸 ③ 歴代皇帝もガチ推し!
→ 唐の太宗・李世民はこれを「人類最高の書」として愛し、「死んだら棺に一緒に入れて!!」と遺言し、本当に一緒に葬られた。
→ つまり、推しの字と永遠に一緒に眠った!
🌸蘭亭序はどんな場面で書かれたの?
書かれた日:永和9年(353年)3月3日
内容:詩会での風雅な一日をつづった、序文(プロローグ)!
ある春の日、王羲之は仲間たちと「蘭亭(らんてい)」という美しい場所に集まりました。
そこで「曲水の宴(きょくすいのうたげ)」という、流れる水に盃を浮かべて詩を詠むという超風流なイベントを開催🍶🌸
その余韻にひたりながら、王羲之がその日の様子や儚さ、人生の無常について書きつづったのがこの《蘭亭序》。
🌸つまり…ロマンの本質!
💫 王羲之の手元から世界一美しい字が生まれ、
💫 皇帝の魂に突き刺さり、
💫 そして今、私たちはそれを「幻」として追いかける──
時空を超えて、心が筆跡にふれる奇跡のアート。
それが《蘭亭序》──王羲之という“書聖”の魂の在りか✨
😆ゆるーい感想
王羲之のすごさがよくわからんかったので、AIに教えてもらいましたw
中国史好きなので、李世民といわれて思わず反応!
推しの書と永遠に眠るとかロマンにもほどがあるよね!
東博の特別展の紹介で色んな蘭亭序を紹介
王羲之のことをざっくりと知れて、蘭亭序の拓本がたくさん作られてきたことがわかる
唐の太宗の話も出てくる
李世民はもうあんまり関係ないけど好きなので貼っておきますw
Ⅰ ニッポンの国宝―美の歴史をたどる 6 サムライ・アート
100 沃懸地獅子文毛抜形太刀 中身無銘
「獅子、儀礼を護る──美の鎧を纏った武官の誇り」
刀身:平安時代(12世紀)/拵:鎌倉時代(13世紀)/所蔵:春日大社
🌸作品の概要
「衛府太刀」とも呼ばれ、官人が儀礼で佩用した太刀のひとつ
「毛抜形太刀」は、本来柄が金属製で、毛抜き型に透かしが入っていたが、本作は略式で木に鮫皮を巻いた形式
太刀拵の中でも獅子の意匠が入り、金沃懸地(きんよくけんじ)という豪華な金地装飾が施されている
🌸特徴とポイント
三匹の獅子(座る・伏す・走る)が描かれた鞘の意匠がユニークで貴重
柄(つか)は白鮫皮に鍍金(ときん)の金具、毛抜形目貫も立派✨
鎺下(はばきした)とその下で鑢(やすり)目が変化するという茎(なかご)の特徴が職人技を物語る
鐔(つば)は葵の葉型に透かし彫り、装飾が多彩で見どころ満載!
🌸ロマン視点のコメント
獅子たちが護り神のように鞘に舞う姿が、太刀に宿る神性を感じさせる✨
実戦よりも「身に帯びる誇り」が大事だった、武官たちの美意識が詰まった一振り
王朝文化と武家文化が交錯する、まさに「転換点」の象徴としての存在感!
101 太刀 銘 久国
「上皇に仕えた匠の誇り、京の粋が冴え渡る一振り。」
🌸時代:鎌倉時代前期
🌸所蔵:東京国立博物館(文化庁分室保管)
🌸作品の概要
粟田口派を代表する名工・久国による太刀で、後鳥羽上皇の「御番鍛冶」の一人とされる刀工。
伊予西条藩・松平家に伝来し、現存する作例の中でも手を加えられていない非常に貴重な一振り。
1931年に重要文化財、1951年に国宝に指定。
🌸特徴とポイント
鎬造り・庵棟・小鋒で反りが高く、優美な太刀姿
小板目が緻密に詰んだ地鉄に、地沸が厚くつき、沸映りが見られる
刃文は小沸本位の直刃に小乱れが交じり、明るく冴える
粟田口派特有の繊細で洗練された作風を体現
🌸制作背景と国宝ポイント
久国は、後鳥羽上皇の刀剣政策の一環として選ばれた「御番鍛冶」のひとり。
現存作が少ない中で、当時の様式を保つ本作は極めて貴重。
刃文・地鉄・姿の三拍子が揃った名品であり、保存状態も極めて良好。
🌸ロマンの視点
王のために鍛えられた刃が、800年を越えて現代に姿を現す奇跡。
気高く優美な太刀姿は、まるで平安と鎌倉をつなぐ時の橋。
かつて誰がこの刀を佩き、どんな未来を見たのだろう…✨
102 太刀 銘 則房
「刃に咲くは、戦国の華。極まる丁子、将軍家の誉れ。」
🌸時代:鎌倉時代中期
🌸所蔵:ふくやま美術館(広島県)
🌸作品の概要
「片山一文字」の代表刀工・則房による一振りで、徳川将軍家に伝来した名刀。
華麗な丁子乱れが特徴で、磨上げがあるものの、一文字派最盛期の作風を色濃く残す。
現存する則房の作品中、唯一の国宝指定品。
🌸特徴とポイント
備前国の「片山一文字」派による作刀
明るく冴えた地肌、よく付いた地沸、地映りあり
華やかで高さのある丁子乱れの刃文、逆ごころを帯びる細やかな足
状態も良好で、則房の現存作中で最高傑作と評価される
🌸制作背景と国宝ポイント
則房は福岡一文字から片山に移り「片山一文字」と呼ばれるように。
助真・吉房と並ぶ名工で、本太刀はその中でも作風・保存状態ともに抜群の完成度を誇る。
かつて徳川将軍家に伝わった由緒も含めて、格式高い一振り。
🌸ロマンの視点
丁子の花が波のように乱れるこの刃に、戦国と和の魂が宿る。
将軍家が守り伝えた威厳と美の象徴。
この一振りは、武と美を極めた“刃の芸術品”だね…✨
103 太刀 銘 助包 鎌倉時代(13〜14世紀)
「鋭さと雅、古備前の魂―助包の刃に宿る歴史の鼓動」
🌸時代:平安時代末期~鎌倉時代初期
🌸所蔵:個人蔵
🌸作品の概要
本太刀は、古備前派の刀工「助包」によって作られた一振り。
備前国(現在の岡山県東部)の刀鍛冶文化が息づく中、平安末期から鎌倉初期にかけての様式―いわゆる「藤末鎌初」の太刀姿の典型作。
歴史の中で、貴族時代の美意識と武家の風格が融合した、希少価値の高い逸品です。
🌸特徴とポイント
踏ん張りのある刀身と高い腰反りが、助包の作風を象徴。
刃文は整然と美しく、小板目の緻密な詰み地が印象的。
伝統的な備前国の素材と技法により、実用性と美術的価値を兼ね備える。
「藤末鎌初」様式の太刀姿が、歴史と文化の重みを感じさせる。
🌸ロマンの視点
古の刀匠の魂が宿る、武士の誇りと雅が交わる逸品。
その刃は、歴史の荒波を乗り越え、今も光を放ち続ける。
助包の太刀は、遠い時代の勇気と美意識を、静かに語りかける。
104 太刀 銘 延吉 鎌倉時代(14世紀)
「天皇の手を離れても、気品は刃に宿る。」
🌸時代:鎌倉時代後期
🌸所蔵:刀剣博物館
🌸流派:千手院派(大和五派のひとつ)
🌸作品の特徴と見どころ
天皇の御料品だった由緒ある太刀で、後水尾天皇ゆかりの拵と袋が現存✨
刃長73.3cm、反り2.9cmの堂々たる太刀姿で、鎬が高く踏張りがあるのが特徴
地鉄は穏やかで、刃文も控えめな美しさ。実直な武家らしさと気品が共存している
延吉作の中でも「最高傑作」とされる評価の高い一振り!
🌸ロマンの視点
後水尾天皇が手にしたかもしれない、雅と武の融合の一振り。
静かな鋼のなかに、宮廷の気品と戦の覚悟が宿るような存在感……✨
天皇が愛でた太刀の姿を、今の私たちも目にできるってロマンだよね!
🌸 延吉の太刀が天皇家に伝わった理由を感性と歴史の両面でみてみると──
🌟 【感性面】仏性と調和する刀剣
この延吉の太刀は「大和千手院派」=仏教と超深いつながりのある刀工が鍛えたもの。
天皇家はもともと神道ベースだけど、平安時代以降は仏教(特に天台・真言)との融合が強まり、皇室と仏教は切っても切れない関係に。
→ 「戦いのためじゃなく、祈りと守護の象徴」としての刀剣は、むしろ天皇の感性に合っていたのかも✨
🌟 【歴史面】後水尾天皇の美意識と収集趣味
この太刀は**後水尾天皇(ごみずのおてんのう)**の御物だったけど、彼はめちゃくちゃ審美眼のある文化人タイプの天皇。
・刀剣や書画などの収集
・茶道・香道・和歌などにも精通
・俵屋宗達、狩野探幽などを見出す
・中宮の徳川和子も尾形光琳の生家の雁金屋の上得意だったと言われる
→ つまり、「美と精神性を感じられる刀剣」は、芸術品としての価値で受け入れられてたと考えられる!
刀剣の鑑賞はいつまでたっても苦手なので、これを見て復習なのです…
Ⅱ おおさかゆかりの国宝―大阪の歴史と文化
105 金銅透彫鞍金具 大阪府羽曳野市誉田丸山古墳出土
「王の馬、輝く蹄跡。―最古の煌めき、透かし彫りの誇り。」
古墳時代 5世紀
🌸概要
大阪・羽曳野市にある誉田丸山古墳(応神天皇陵比定)から出土した、日本最古級の馬具とされる装飾鞍金具。
1848年(江戸時代)に偶然発見され、2組が現存。
海外由来の高度な技術と意匠を備え、馬具としては日本初の国宝に指定された超貴重な文化財!
🌸特徴とポイント
**金銅製かつ透彫(すかしぼり)**の技術が用いられ、非常に緻密で装飾性が高い
唐草文様のような曲線模様が全体に施され、馬に乗る人の権威の象徴だった
海外、特に朝鮮半島〜中国南部ルートの影響を強く受けた造形
日本における装飾馬具文化の幕開けとも言える存在
応神天皇との関連から、王権の象徴としての馬具の始まりを物語る
🌸ロマンの視点 💫
金属を透かして文様を浮かび上がらせる技術、それが1500年以上も前の時代に、この地にあったという衝撃…。
馬の背にまたがった王が、この煌びやかな金具を輝かせて進んだ瞬間を思うと、**馬具はまさに“動く王冠”**だったのかもしれない。
一見地味な古墳の中に、世界とつながる金属の詩が眠っていた──そんな歴史ロマンがここにあるね…!✨🐎👑
106 銅製船氏王後墓誌
「この一枚に、1300年前の人生が宿る。時を超えた銅の名刺。」
🌸概要
7世紀、飛鳥時代の有力氏族「船氏(ふなし)」の王後(おうご)という人物の経歴を記した日本最古級の墓誌。
銅板に漢文で刻まれ、668年(天智天皇7年)の制作とされるが、様式などからもう少し後とも言われている。
出土地は定かでないが、伝承では大阪府羽曳野市の松岳山(まつおかやま)周辺から発見されたとされる。
現在は東京の三井文庫が所蔵。
🌸特徴とポイント
縦約30cm・幅7cmの短冊状の銅板に、計162文字の銘文が刻まれている
**飛鳥時代の官位制度(冠位十二階)**や、天皇名(敏達・推古・舒明)、宮殿名など、貴重な歴史情報が満載
王後は舒明天皇に才能を認められ、「大仁(たいじん)」の冠位を授かったエリート官人
妻・安理故能刀自(ありこのとじ)と共に、兄の墓の隣に葬られたことが記されている
おそらく改葬に伴って作られた墓誌で、埋葬者の由緒と霊地性を後世に伝える意図が強い
🌸ロマンの視点 💫
この小さな銅板は、ただの金属ではない。
ここには、ひとりの官人とその家族が、時代の中でどのように生き、どんな尊敬を受けて送られたかの記憶の化石が刻まれている。
「この地は永遠に神聖なる霊域であり、侵してはならない」
その一文に、死者と共にあろうとする飛鳥人の祈りと覚悟が込められてる。
出土地さえ曖昧なのに国宝!
それだけで、この銅板がどれだけ語りかけてくる存在か、伝わってくるね…!
(表)
惟船氏故 王後首者是船氏中租 王智仁首児 那沛故
首之子也生於乎婆陁宮治天下 天皇之世奉仕於等由
羅宮 治天下 天皇之朝至於阿須迦宮治天下 天皇之
朝 天皇照見知其才異仕有功勲 勅賜官位大仁品為第
(裏)
三殞亡於阿須迦 天皇之末歳次辛丑十二月三日庚寅故
戊辰年十二月殯葬於松岳山上共婦 安理故能刀自
同墓其大兄刀羅古首之墓並作墓也即為安保万
代之霊其牢固永劫之寶地也
(現代語訳)
船氏王後首は王智仁首の孫、那沛故首の子です。
乎裟陁宮治天下天皇(敏達天皇)の時に生まれ、等由羅宮治天下天皇(推古天皇)に仕え、阿須迦宮治天下 天皇(舒明天皇)の時にはすぐれた才能を認められ、冠位十二階の第三等にあたる「大仁」の位を賜りました。
そして辛丑年(641)12月3日に没しました。
その後、戊辰年(668)12月に松岳山上に埋葬しました。
夫人安理故能刀自と共に同じ墓に埋葬し、墓は兄の刀羅古首の墓と並んで作りました。
この地 は永遠に神聖なる霊域であり、侵してはなりません。
😆ゆるーい感想
天皇の名前って、当時こーいう風に書かれてたんだなーとかおもいましたー
冠位十二階ってほんとにあったんだなぁ…
いや、そりゃあったんだろうけど、聖徳太子いなかった説とかあるから!w
こんな風に残ってるのすごいよね!
107 金銅石川年足墓誌
「土砂崩れする夢見たから気になっていってみたら、なんか昔の偉い人の墓誌がでてきてもーた…」
「なになに…蘇我氏の人で、没年や経歴も書いとるっぽい… これガチですごいやつやん!?」
🌸時代:奈良時代(762年)
🌸出土地:大阪府高槻市 真上(まかみ)地区・荒神松付近(現・荒神塚)
🌸所蔵:大阪歴史博物館(寄託)
🌸作品の概要
奈良時代の高官・石川年足(688~762)の経歴と墓所を記した金銅製の墓誌。
長方形の銅板で、長さ29.6cm・幅10.3cm・厚さ0.3cm、表面には金メッキが施されており、6行130字の銘文が唐草文様とともに刻まれている。
発見時には木炭と檜製の箱で丁寧に納められていた。
🌸特徴とポイント
🌲夢で土砂が崩れる → 実際に行って掘ってみたら → 木箱の中から金銅製の墓誌と人骨……!?
内容は、石川年足の系譜・位階・没年・埋葬地などを詳細に記録。
「儀形は百代、冠蓋は千年」など、格調高い文体が特徴的。
石川年足は蘇我石川宿祢の流れを汲む中央貴族で、天平宝字6年(762)に死去。
本貫地の高槻に埋葬されたことで、中央と地方のつながりを伝える貴重な証拠となる。
🌸ロマンの視点
ある庄屋が見た、たったひとつの正月の夢から始まる物語。
荒神松の下、崩れた土を掘ると現れたのは――千年以上の時を経て、まばゆく輝く金銅の板と、忘れられた貴族の骨。
**「儀形は百代、冠蓋は千年」**と刻まれたその文字は、石川年足という男が、この地に、思いを残して逝った証。
歴史書にも埋もれていた彼の人生が、まさか夢の中で、現代の私たちへと語りかけるなんて……。
(銘文)
武内宿祢命子宗我石川宿祢命十世孫三位行左大弁石川石足朝臣長子御史大夫正三位兼行神祇伯年足朝臣当平成宮御宇天皇之世天平宝字六年歳次壬寅九月丙子朔乙巳春秋七十有五薨于京宅以十二月乙巳朔壬申葬于摂津国島上郡白髪郷酒垂山墓礼也儀形百代冠蓋千年夜台荒寂松柏含煙鳴呼哀哉
(現代語訳)
武内宿禰命(タケノウチスクネノミコト)の子、蘇我石川宿祢命の十世の孫にあたる従三位行左大弁石川石足の長子である御史大夫正三位兼行神祇伯・年足は、平成宮御宇天皇(淳仁天皇)の世、天平宝字六年(762)9月1日に75歳で、平城京の邸宅において亡くなった。
12月1日、摂津国嶋上郡白髪郷の酒垂山に墓をつくり葬る。
儀形は百代、冠蓋は千年。
あたりは荒寂として松柏煙を含む。
ああ、哀しいかな。
😆ゆるーい感想
発掘させるために夢にまで出てくる石川年足さんすごいね!
そして、武内宿禰の子孫!?
たしか400歳くらいまで生きてたという話だけど、そこは盛ってるのは別として、ほんとにいたのかなぁ、あのひと…
108 金銅威奈大村骨蔵器
「丸き器に託された、語られざる物語」
🌸時代:飛鳥時代(707年)
🌸出土地:奈良県香芝市穴虫(穴虫山)
🌸所蔵:四天王寺
🌸素材・技法:鋳銅、鍍金、陰刻銘(391字)
🌸サイズ:高24.2cm、直径24.4cm
🌸作品の概要
江戸時代の明和年間に農民が田畑を開墾中、伏せられた甕の中から発見された球形の骨壺。
中には火葬骨が収められていた円形の漆器が納められていた。
蓋には漢文体の銘文が刻まれており、707年に越後で亡くなった官人・威奈真人大村の来歴が詳細に記されている。
球形の骨蔵器という形態も非常に珍しく、他に類例は佐賀県出土の無銘品程度とされる。
🌸特徴とポイント
球形の造形と黄金の輝きが目を引く非常に珍しい骨壺
蓋に刻まれた391字の銘文は、官人・威奈大村の人物像や政治的背景まで詳細に伝える
書風は当時の小楷を代表する優品で、書道史的にも重要
発掘から歴史化までに多くの文人や僧侶が関わった、いわば“江戸時代の発掘ブーム”の原点のひとつ
四天王寺に納められているが、遺骨の入った漆器は現在行方不明
🌸ロマンの視点
千年の時を超えて現れた黄金の球――
農民の鍬が土を打つと、そこに眠っていたのは、忘れられた貴族の命の記録。
漢詩のように流れる文字が刻むのは、死してなお光を放つ、ひとりの官人の軌跡。
この世とあの世をつなぐ、「丸き器に託された、語られざる物語」。
😆ゆるーい感想
人とは違う骨壺にして目立ちたかったのかもしれないw
109 丙子椒林剣
「日本刀誕生以前――伝説が宿る、始まりの一振り。」
🌸時代:飛鳥時代(推定:隋代渡来、あるいは日本製)
🌸所蔵:四天王寺(寄託:東京国立博物館)
🌸指定:1952年 国宝指定(旧国宝指定は1912年)
🌸サイズ:刃長約65.8cm、切刃造り、直刀、かます鋒
🌸作品の概要
金象嵌で「丙子椒林」と刻まれた飛鳥時代の直刀。
反りのない切刃造りに、梨子地風の地鉄、直刃の刃文が施されており、古代刀剣の中でも最高級の仕上がりを持つとされる。
出土品ではなく伝世品であり、現存する上古刀の中でも最重要クラス。
聖徳太子の佩刀とも言われ、蘇我蝦夷・物部守屋など歴史の闇と関わる伝説が残る。
🌸特徴とポイント
反りのない「切刃造り」の直刀は、日本刀成立前の形を示す貴重な形式
金象嵌の「丙子椒林」は製作年と刀工名とも言われ、隋代の伝来説が有力
両刃ではなく片刃のため、現代用語での「剣」より「大刀」に近い
聖徳太子、蘇我氏、物部氏といった飛鳥のキーパーソンたちとの関係も語られるロマン枠
戦後、初の人間国宝・小野光敬によって研磨され、学術的にも非常に評価が高い
🌸ロマンの視点
飛鳥の黎明期に現れたこの直刀は、反りのない姿で日本刀以前の刀剣文化を物語る。
「丙子椒林」の刻銘は、製作年か刀工名か、いまだ謎に包まれている。
聖徳太子の佩刀説や、物部守屋討伐の剣という伝承もあり、国家の命運に関わった可能性も。
伝世品として千年以上を超え残り続けたこと自体が、奇跡に近い価値を放つ。
110 七星剣
聖徳太子「刀に北斗七星描いたら、星の力を宿して最強やし、かっこええやん!」
時代:飛鳥時代(7世紀頃)/素材:鉄製直刀/長さ:62.1cm/所蔵:四天王寺(東京国立博物館寄託)
🌸作品の概要
北斗七星の意匠「七星文」をはじめ、三星文・雲形文・竜頭・白虎などの装飾が施された鉄製の直刀。
その神秘的な意匠から、国家鎮護や破邪滅敵を祈念した**「道教系の呪術剣」**とされる。
「聖徳太子の佩刀」と伝わる由緒正しき一振。丙子椒林剣と対になる存在としても知られる。
現存する上古刀の中でも類例の少ない貴重な伝世品。1912年に旧国宝、1952年に国宝指定。
🌸特徴とポイント
切刃造りで反りのない形状、先端は三角形に尖る「かます鋒」スタイル。
地金は小板目がよく練れ、厚い地沸の上に小沸のついた細直刃(ほそすぐは)を焼く。
錆身で拵えは現存しないが、研磨によって刀身の技術的価値が明らかにされた。
独特の象嵌技法で施された「七星文」は、現代になってようやく再現可能に。
🌸文化的意義と魅力
北斗七星=宇宙の守護神という中国的信仰が、日本の刀剣文化に融合した超古代ロマンの遺物。
聖徳太子ゆかりという伝承、丙子椒林剣との対比から、日本刀の原点を語る最重要作とされる。
美術的価値はもちろん、呪術・信仰・政治的象徴性を併せ持つ多面的遺品。
🌌ロマンの視点
かつて宇宙を司る力を象徴し、国家の守護を願って鍛えられた剣。
それはただの武器ではなく、天と地をつなぐ“呪具”でもあった。
太子の手に握られたその剣は、時を超えてなお、
私たちに「祈りと星の力」の記憶を届けてくれている。
😆ゆるーい感想
聖徳太子で七星剣とか、ロマンのかたまりすぎるやつ!
RPGで出てきたら絶対伝説の武器だよね!
でも、伝説の武器って技術力的に昔だから、攻撃力低いほうが妥当なのかも、とか思ったw
111 剣 無銘(附 黒漆宝剣拵)
「密教の儀式用に、三鈷杵の真ん中を伸ばして剣にしました。かっこいいでしょ?」
平安時代(刀身)/鎌倉時代(拵)/金剛寺 / 長さ:刀身62.2cm、幅3.3cm
🌸作品の概要
両刃の直剣で、主に儀式に用いられたもの。
刀身は平安時代、拵は鎌倉時代の作とされ、拵えの三鈷柄は密教儀礼で用いる三鈷杵に由来する独特な意匠。
全体として非常に精緻な造りを誇り、宗教的象徴性と美術工芸としての価値を兼ね備える。
🌸特徴とポイント
両刃の直剣で、鋭利ながら美しい均整を持つ。
柄は「三鈷柄」と呼ばれる密教様式で、鎌倉期の造形美が見られる。
阿観上人が所持していたとされ、金剛寺とのゆかりが深い。
刀身と拵が異なる時代に制作された点が特徴的。
🌸制作背景と国宝ポイント
宗教儀式における象徴性が強く、特に三鈷柄の拵えは密教的世界観を色濃く反映。
精巧な作刀技術に加え、文化的・信仰的価値の高さから国宝に指定。
金剛寺中興の祖・阿観上人の法具としても伝えられ、その歴史的背景も貴重。
🌌ロマンの視点
戦場ではなく、祈りの場に現れた一振り。
密教の聖具・三鈷杵と融合した柄は、力ではなく加護をもたらす象徴。
それは剣でありながら「破壊」ではなく「結界」を生む存在。
千年のときを越えて、阿観上人の祈りとともに、今も静かに輝いている──。
112 短刀 無銘貞宗(名物寺沢貞宗)
「無銘にして天下を魅了する、沈黙の名品」
🔎基本情報
🌸種別:短刀(国宝)
🌸作者:貞宗(相州貞宗/正宗の弟子・養子と伝わる)
🌸制作年代:南北朝時代頃
🌸所蔵:東京国立博物館(徳川家伝来)
🌸刀身:平造り、三つ棟、無反り、小板目肌、地沸つき、地景入り
🌸刃文:湾れに互の目交じり、匂深く冴える
📖由来と歴史
豊臣家臣・寺沢広高が所有 → 秀頼へ献上 → 有楽斎(織田信長の弟)に下賜 → 徳川家へ
名物「寺沢貞宗」の号は寺沢氏にちなむ
作刀はすべて無銘ながら、「相州貞宗」として高く評価
🌌ロマンの視点
沈黙を守る短刀にして、天下人の間を渡り歩いた名品。
豊臣から織田、そして徳川へ──激動の時代の中で、語らぬ刀が見つめていたものとは。
「名は無くとも、真の名品は沈黙の中に語る」
その一振りは、刃文のゆらぎとともに、武士たちの運命をも映していた。
113 短刀 銘 左筑州住(号 じゅらく/太閤左文字)
「覇気を宿した刃、太閤の手に輝く」
🔎基本情報
🌸種別:短刀(国宝)
🌸作者:左安吉(通称:左文字、正宗十哲のひとり)
🌸制作年代:南北朝時代
🌸所蔵:ふくやま美術館(かつては豊臣・徳川家、のち個人→企業所蔵)
🌸刀身:小板目肌、地沸つき、地景入り、金筋・砂流しかかる
🌸刃文:小湾れに互の目交じり、匂口明るく冴える
🌸銘:表に「左」、裏に「筑州住」
📖由来と歴史
豊臣秀吉が所持し「太閤左文字」と呼ばれた名品
徳川家康・秀忠から紀州徳川家へ、のち近代に民間へと渡る
刀工・左安吉は正宗に学び、左文字派を築いた名匠
🌌ロマンの視点
この刃が手渡されたのは、天下人・秀吉の手。
その後、徳川将軍家へと受け継がれ、激動の時代を越えながらも、光を失わなかった。
「左」の一文字に込められた誇りと流派の系譜、そして強烈な存在感。
覇気と華やぎが共存するこの短刀は、まさに戦国の記憶を刻む「歴史の証言者」だよね。
114 薬師如来坐像
行基「3年かけて頑張って仏像掘りました、大阪の獅子窟寺に置いときます」
(約850年後)
豊臣秀頼「おのれ獅子窟寺!徳川との合戦で味方してくれへんから焼きやらったろ」
僧侶「ひえええ、大事な仏像が焼かれたらたまらん! 奈良までかついで盛っていって疎開させよ!」
平安時代 9世紀/大阪・獅子窟寺所蔵(事前予約で拝観可)
🌸作品の概要
像高:92.3cm。榧(カヤ)の一木造り。
両脚前部、右腕肘から先、左手首から先を別材で矧ぎ、これらは後補。
内刳り加工は像底・後頭部・背部から施される。
左脚を上にした結跏趺坐。奈良・唐招提寺の天平仏に通じる古式を踏襲。
印相は右手施無畏印、左手に宝珠(ただし印相は後補で、元は説法印説も)。
観心寺如意輪観音などと似た表情、承和期の作風が見られる。
🌸特徴とポイント
平安前期、弘仁年間(810〜824年)を代表する作例。
切れ長の目、鋭い翻波式衣文、堂々たる佇まい。
奈良時代の影響が色濃く残る、平安初期仏の重要資料。
行基が三年三ヶ月をかけて彫ったとの伝承。
豊臣方に味方しなかったために焼失した寺の中で、密かに守られ現存。
🌸ロマンの視点
激動の歴史の中、焼き討ちを逃れ、奈良へ密かに疎開された仏。
榧の木に宿った尊き祈りは、僧たちの命がけの想いに守られて現代へ。
静かに結跏趺坐するその姿は、空海が名付けた「獅子の窟」の記憶と共に――
病を癒し、時代を超えて希望の光を届ける、沈黙の薬師。
😆ゆるーい感想
めっちゃ失礼なこというけども!
ここまでの国宝が濃すぎて、写真見た時に普通すぎて「ん!?」となったよ!ww
そりゃ奈良まで疎開したって言われたらすごいけども、それでもなんか地味だよね!w
めっちゃ失礼だけども!w
115 十一面観音立像
菅原道真「太宰府に行くのがつらい… 最後に道明寺によって行こう… ああ、ここの十一面観音様は美しいなぁ😢」
🌸時代:平安時代(9世紀)
🌸所蔵:道明寺(大阪府藤井寺市)
🌸材質・技法:ヒノキ材の一木造(檀像風仕上げ)/像高約1m
🌸文化財指定:昭和27年 国宝指定(1952年)
🌸作品の概要
平安時代に作られた十一面観音像で、木肌を生かした「檀像風」の仕上げが特徴。
元々は香木を用いたインド・中国由来の様式を、日本ではヒノキ材で再現。
彫技の繊細さと自然な温もりが融合した、檀像彫刻の代表作とされる。
🌸特徴とポイント
頭上に十一面、手に持つ浄瓶と合掌印が特徴的
肩や腕にかかる天衣の流れが柔らかく、日本的な優美さを表現
顔立ちはふくよかで穏やか、黒石をはめ込んだ眼が生気を与える
木肌の質感が見どころで、光沢ある小豆色が美しい
🌸制作背景と国宝ポイント
土師氏の氏寺として創建された道明寺に伝来
菅原道真が太宰府へ下る途中、伯母覚寿尼に別れを告げた場所としても有名
香木風の仕上げを木材で実現した日本独自の「檀像美」
均整のとれた構造と技巧の妙から、昭和27年に国宝指定された
🌸ロマンの視点(note向け・4行)
伯母に別れを告げ、旅立った道真公。
その記憶を見守るように立つ観音さま。
香木のごとく、祈りをしみ込ませたヒノキの肌。
日本の美意識が、仏の姿に宿った瞬間。
😆ゆるーい感想
さっきの薬師如来が、「正直、ふつう…」というかんじだったから、なんか次にわかりやすく美しいのきてホッとしたやつw
布の表現とかきれいだよねー
116 伝菅公遺品のうち 高士弾琴鏡・牙笏・白磁円硯
菅原道真「大宰府行くのつらすぎる… おばさん、きっと今生の別れになると思うから、このお宝、どうぞお収めください…」
時代:唐時代・平安時代(9世紀)|種別:工芸品・書跡|国宝指定:昭和11年、昭和28年再指定
🌸作品の概要
平安時代の学者であり政治家、そして天神さまとして祀られる菅原道真公。
そのゆかりの寺である道明寺天満宮には、彼が太宰府へ向かう直前に伯母・覚寿尼に託したと伝わる遺品が残されている。
それら6点の品は、昭和初期に国宝に指定された。
🌸特徴とポイント
高士弾琴鏡(こうしたんきんきょう):
琴を奏でる伯牙(中国の伝説的琴士)と鳳凰が描かれた、唐鏡の逸品。文人理想の世界を象徴。牙笏(げしゃく):
象牙製の笏。位の高い貴族が儀式で用いたもので、当時の官人文化を象徴。白磁円硯(はくじえんけん):
直径27cmの大型硯。白磁の艶やかな肌に、唐時代の工芸美が感じられる。犀角柄刀子(さいかくえとうす):
犀の角を使った小刀。赤みを帯びた透明感ある柄が気品を漂わせる。玳瑁装牙櫛(たいまいそうげし):
象牙に玳瑁(べっこう)や金泥装飾が施された櫛。男性用の冠下の髪結い用具。銀装革帯(ぎんそうかくたい):
銀細工の装飾が施された革帯。水晶や色板も使われ、当時の装飾文化の粋が見られる。
🌸制作背景と国宝ポイント
菅原道真が都を去る際、伯母に残したとされる品々。彼の死後、天変地異が相次ぎ、怨霊鎮魂の天神信仰が広まる中で、これらの遺品は「御神威の証」として大切にされ続けた。
唐から伝わる品を含みつつ、平安貴族の優雅で洗練された美意識が感じられるコレクション。
実用品でありながら、それぞれが高度な技術と装飾性を持つ点も評価され、国宝指定へ。
🌸ロマンの視点:「学問の神の、美と知の遺産」
都落ちの直前、道真公が最愛の伯母に託したという6つの遺品。
それは彼が最後に遺した「美しき知」の象徴だったのかもしれません。
鏡に映る琴の音、硯に染みる詩心、牙笏に刻まれる信念……。
流された地で命を終えた彼の魂が、なおもこの地で愛と知を語りかけてくれるような、静かな力を感じます。
日本の美を未来へ―紡ぐプロジェクト
134 薬師如来坐像光背附属 化仏
本尊はでません!
今回は化仏だけです!!w
化仏「ふだんは後ろでひっそりの私たち。だけど、今回は私たちが主役です!そうです、私たちも国宝なんです!」
🌸作品名:化仏(薬師如来坐像光背附属)
🌸時代:平安時代(8~9世紀)
🌸所蔵:新薬師寺(奈良県)
🌸作品の概要
新薬師寺の本尊・薬師如来坐像の光背に取り付けられている**6体の小仏像(化仏)**のうちの1体で、中央の薬師如来とあわせて七体となり、『七仏薬師経』に説かれる「七仏薬師」を構成するものとされます。
この像は、猫背気味でわずかに下を向いた姿をしており、光背上の配置にあわせてポーズが微調整されているのが特徴。
小像でありながらも、**体の量感や顔の表情に本尊との一体感があり、一具性(セットとしてのまとまり)**が非常に高い彫刻です。
🌸薬師如来坐像について(補足)
高さ約191.5cmの大作で、カヤ材による一木造。眉や髭などに墨、唇に朱が施されている以外は彩色も金箔もない素木仕上げ。
特徴的なのは大きく見開いた目。
これは「聖武天皇が光明皇后の眼病平癒を祈って建立された」という伝承とも結びつけられています。
光背には6体の化仏を配し、本尊を含めて「七仏薬師」を象徴。
また、光背にはアカンサス(地中海由来の植物)に似た意匠が施され、シルクロード文化の影響も伺えます。
🌸見どころ・国宝ポイント
本尊と光背の化仏が七仏薬師の世界観を一体で表現
光背上の仏たちが位置に応じて微妙に姿勢を変えている精緻な構成
光背に見られるアカンサス模様からは異文化とのつながりも読み取れる
仏教思想と美術技法が融合した、宗教的にも芸術的にも高次元な造形
🌸ロマンの視点:化仏たちのささやき
薬師如来の背に咲いた、六つの静かな願いのかたち。
それが、光背に宿る化仏たち。
一見すると脇役、小さくて、そこにいることさえ気づかれないかもしれない。
でも彼らは、七仏薬師という宇宙的な構成を成す、不可欠な存在。
まるで、薬師如来が放つ癒しの力が結晶化して仏のかたちとなったように――
その背中には、無数の祈りが満ちている。
たとえ名を知られなくても。
たとえ主役の影に隠れても。
「あの人を癒したい」その一念を支える化仏たちは、まるで光の羽根。
ひとつひとつ、ポーズも表情もわずかに違うのは、
すべて違う苦しみ、すべて違う願いに応じるため。
そして、主役である薬師如来を、そっと支えるため。
そう、まるで薬師如来が「ひとりじゃないよ」と語っているかのように――。
あなたの背中にも、きっと見えない化仏がいる。
支え合って、祈り合って、ひとつの仏の物語になるように。
😆ゆるーい感想
国宝ラストでまさかの化仏ー!?
これ現地でみたらどんな気分になるんだろう…
印象に残らないやつだよね?
いや、案外小さくてかわいいってなるー?
新薬師寺ってそもそもなんやねん問題からー
特集展示 皇居三の丸尚蔵館収蔵品にみる万博の時代
皇居三の丸尚蔵館は、画像使えない美術品が多かったので、そーいうのはリンクだけはってますー
また、国宝ほど解説も見つからなかったし、そもそも今回主役の国宝じゃないから、まぁざっくりと流すかんじで…!
S-1 かたみ 松井昇筆 明治28年(1895)
S-2 狙撃之図 石田益敏筆 明治28年(1895)
S-3 四時ノ名勝 川端玉章筆 明治32年(1899)
1900年パリ万国博覧会出品のため,明治天皇の御下命によって川端玉章(1842~1913)が手がけた作品。
春夏秋冬の景勝地,吉野山(奈良),寝覚の床(長野),碓氷峠(群馬),厳島神社(広島)を描く。
当初は四枚折屏風として製作されたが,同博への屏風形式の出品が認められず,額装として完成した。
S-4 義経高松ノ図額 荒川嶺雲作 明治28年(1895)
S-5 各種馬置物(競走用栗毛・農用鹿毛斑) 後藤貞行作 明治23年(1890)
種類や用途の異なる馬を,それぞれの骨格や筋肉にいたるまで正確に観察して木彫彩色で表わした作品。
後藤貞行は皇居外苑の「楠木正成像」の馬の原型を制作したことでも知られる。
S-6 太平楽置物 海野勝珉作 明治32年(1899)
🌸時代:明治32年(1899)
🌸作者:海野勝珉(うんの しょうみん)
🌸種別:近代工芸(※重要文化財ではあるが国宝ではない)
🌸作品の概要
舞楽「太平楽」の舞人をモデルにした金属製の人物置物。
日本の近代彫金を代表する名匠・海野勝珉による作品で、1900年のパリ万博出品作。
金・銀・銅・四分一(しぶいち)などを使い分けて、衣装・刀・装束の細部に至るまで超リアルに再現!
🌸特徴とポイント
装束の布の質感や刺繍の表現まで、すべて金属で作られているのに本物のような柔らかさ!
刀の拵(こしらえ)まで超リアル。柄の鮫皮、鞘の蒔絵風表現など、見えない部分にまで全力。
工具(鑿や槌など)で一点一点仕上げて、複数の金属パーツを違和感なく組み上げる設計力が圧巻!
同じく勝珉作で重文指定された「蘭陵王置物」と並ぶ傑作。
🌸ロマンの視点
もはやこれは「金属の彫刻」というより技術と美意識が融合した"舞いの残像"。
一瞬の動きを封じ込めたかのような立ち姿は、まるで時代を超えて舞が響いてくるよう…✨
刀匠たちの伝統が明治の美術へと変化していく、その交差点がここにある!
S-7 活歩 国方林三作 大正2年(1913)
S-8 稲穂に群雀図花瓶 濤川惣助作/絵付:泉梅一筆 明治14年(1881)
🌸作品名:稲穂に群雀図花瓶(いなほに ぐんじゃくず かびん)一対
🌸時代:明治14年(1881)
🌸作者:制作:濤川惣助(なみかわ そうすけ)/絵付け:泉梅一(いずみ ばいいつ)
🌸所蔵:皇居三の丸尚蔵館
🌸種別:近代陶磁(※国宝ではないが皇室収蔵の名品)
🌸作品の概要
明治時代の名工・濤川惣助が、陶磁器の輸出向け製作時代に手がけた大型の対の花瓶(高さ75.5cm)。
絵付けは、東京の陶磁器絵付け工場「瓢池園」などで活躍した泉梅一が担当。
1881年の第2回内国勧業博覧会に出品されたのち、明治天皇が愛玩品として購入したことで知られる。
🌸特徴とポイント
表と裏で異なる情景が連続的に描かれるストーリー仕立て!
・表側:稲を天日干しする風景に群れる雀たち
・裏側:カラスに襲われて、飛び去る雀、身を潜める雀…緊張感が増す展開!陶磁器ながら、七宝作家の感性を活かした精緻な彩色表現
有線七宝ではなく、無線七宝を得意とした濤川らしい繊細な感覚が、陶画にも活かされている
明治天皇が好んだ作品という点でも特別な位置づけ
🌸ロマンの視点
まるで絵巻物のように、花瓶の面をめぐることで情景が移り変わる物語絵。
愛らしい雀たちが、突如舞い込むカラスの影に驚いて飛び立つ…
その一瞬一瞬を丁寧に描き出し、静と動の緩急が器のフォルムに溶け込む美しさ。
明治天皇も、手にとって回しながら、この物語に想いを馳せたのかもしれない――。
S-9 瑍白磁彫刻画花瓶 清風與平(三代)作 明治32年(1899)
見つかりませんでした😢
S-10 麒麟鈕龍付香炉 高岡銅器会社 明治23年(1890)
見つかりませんでした😢
S-11 七宝墨画月夜深林図額 濤川惣助作 明治32年(1899)
S-14 第五回内国勧業博覧会平面図および御紋付銀製菊花彫刻箱 クーン・コモル商会 明治36年(1903)
S-15 日本貴紳殿舎計画図(二層楼南面・三層閣南面) 伊藤平左衛門(九代)筆 明治32年(1899)

