奈良国立博物館 超国宝展 鑑賞ガイド③ 5章・6章・7章
奈良国立博物館で開催中の超国宝展の予習用にまとめました。
長くなりすぎたので記事を分けています。
こちらは5章~7章のまとめになります。
また、後期展示出品物のみになります。
第5章 神々の至宝
100 七支刀
「七つの刃に別れる不思議な刀。百済から倭王へもたらされた、年代つきの古代日本史上最古の史料!?」
国宝 古墳時代(4世紀) 奈良・石上神宮
📌 概要
鉄製で、左右に三本ずつ、計六本の枝刃を段違いに造り出した特異な形の剣。
全長74.8cm、下から約3分の1の位置で折損している。
剣身の棟には、表裏あわせて60余字の銘文が**金象嵌(きんぞうがん)**で刻まれている。
📜 歴史・背景
銘文の解読は明治以降続き、現在では以下のように解釈されている:
(表)
泰□四年(□□)月十六日丙午正陽造百練釘七支刀□辟百兵供供侯王□□□□作
(裏)
先世以来未有此刀百済□世□奇生聖音故爲倭王旨造□□□世
「泰□」の2文字目は判別困難だが、**「泰和(たいわ)」=東晋の年号「太和」(西暦366〜371)**とする説が有力。
この説に基づけば、七支刀は西暦369年に制作された可能性がある。
『日本書紀』には、神功皇后摂政52年(372年)に百済より「七枝刀」が献上されたという記述があり、この剣がその実物であると考えられている。
もしこの解釈が正しければ、『日本書紀』の伝承を裏付け、絶対年代を示す古代日本史上最古の史料となる。
102 禽獣葡萄鏡
重文 中国・唐(7世紀) 奈良・春日大社
103 海獣葡萄鏡
「ぶどうの楽園に遊ぶ幻の獣たち――唐で大流行して、日本でも作られた鏡」
国宝 中国・唐(7世紀) 千葉・香取神宮
📌概要
唐代に制作された、葡萄唐草文と動物のモチーフが美しい装飾鏡。
鏡背には葡萄唐草文が広がり、その中に狻猊(さんげい)・龍・獅子・孔雀・蝶・蜂など多様な動物が高肉彫りで表現される。
中央の鈕(ちゅう:紐を通す突起)は獣形で、主に狻猊とされる。
鏡の形は肉厚でずっしりとした造り、高級品として扱われた。
「海獣」とは実際の海の動物ではなく、空想上の霊獣を指す(表面に見える四足獣)。
📜歴史・背景
「海獣葡萄鏡」という呼称は、清代の図譜『西清古鑑』に由来。
海獣=鈕の狻猊を指すとされるが、なぜ「海」の字が使われたかは諸説あり未詳。
葡萄唐草文は西方起源で、ディオニュソス信仰に由来する楽園モチーフがシルクロードを経て中国へ。
唐代に大流行し、日本には飛鳥〜奈良時代にかけて舶載された。
奈良・正倉院、高松塚古墳、法隆寺五重塔などからの伝世・出土が有名。
日本国内でも仿製(模倣)鏡が制作された例もある。
1996年時点で日本・中国あわせて220面以上が確認されており、同型鏡の存在が多いことも特徴。
高松塚古墳出土の鏡は、中国・西安の十里鋪337号鏡などと同型。香取神宮の鏡も正倉院宝物と一致する型をもつ。
104 八幡三神坐像
「神が僧の姿で現れる――神仏習合を象徴する、最古級の八幡三神像」
国宝 平安時代(9世紀) 奈良・薬師寺
📌概要
寛平年間(889〜898)に薬師寺鎮守「休ヶ岡八幡宮」の神として勧請された三神像。
中央に僧形八幡神(そうぎょうはちまんしん)、右に神功皇后(じんぐうこうごう)、左に**仲津姫命(なかつひめのみこと)**を配した三神一具。
僧形八幡神は、神でありながら僧侶の姿をとる、神仏習合を象徴する特異な神像。
像高は三体とも約38cmと小ぶりながら、全体の構成は堂々としている。
三体それぞれに形・彫り・彩色に変化と対照があり、きわめて入念な作り。
現存する木彫神像として最古級の例であり、彫刻史的にも重要。
📜歴史・背景
八幡神はもともと武家の守護神であり、平安時代以降は仏教と習合し、僧の姿で表される像が多く造られるようになる。
この像は平安時代初期の制作とされ、神像と仏像の表現が融合した代表的な作例とされる。
105 獅子・狛犬
鎌倉時代(13~14世紀) 奈良・薬師寺
大型の獅子・狛犬一対で、薬師寺の鎮守、休ヶ岡八幡宮(やすみがおかはちまんぐう)に伝来したとみられる。
106 休ヶ岡八幡宮古神宝
室町~江戸時代(16~17世紀) 奈良・薬師寺
107 板絵神像
「神も仏も、極彩のなかに――鎌倉の絵仏師がよみがえらせた22柱の物語」
重文 鎌倉時代 永仁3年(1295) 奈良・薬師寺
🌸板絵神像(いたえしんぞう)
堯儼(ぎょうごん)筆/鎌倉時代・永仁3年(1295)/板絵著色/奈良・薬師寺 八幡宮所蔵/〈重要文化財〉
📌概要
鎌倉時代に薬師寺の鎮守・休ヶ岡八幡宮に安置された全6面構成の板絵神像
各柱間に納められており、合計22柱の神々を描く
男神5面・女神1面の構成で、それぞれの背後にはその神に縁ある樹木(紅葉、柳など)を描いた背障を設置
鮮やかな彩色と墨書銘が組み合わされた、神仏習合の時代を象徴する貴重な作品
📜歴史・背景
もともとは平安時代・寛治年間(1087〜1094)に制作された「神像障子」だったが、虫害により破損
そのため鎌倉時代の永仁3年(1295)に絵仏師・堯儼が描き改めたと、裏面の朱漆銘から判明
神仏習合思想のもと、仏教寺院における神像信仰の姿がよく表れている
近年の修理と調査を経て、平成26年(2014)に往時の彩色を再現した復元模写が完成
110 本宮御料古神宝類 黒漆平文唐櫛笥
「神に捧げる化粧道具。鏡箱を備えた黒漆の宝箱は、比売神のための美のしつらえ。」
国宝 平安時代(12世紀) 奈良・春日大社
📌概要
春日大社の四柱の神のうち、**四宮に祀られた比売神(ひめがみ)**に奉納された御神宝。
「唐櫛笥(からくしげ)」とは、化粧道具を納めるための箱であり、蓋と台が一対の構成となっている。
箱は隅取り(すみとり)された立方体形状で、蓋と本体(身)は合口(あいくち)構造。
全体は黒漆塗り仕上げで、本来は**宝相華文(ほうそうげもん)の銀平文(ひょうもん)**で飾られていたが、経年により茶褐色に変色し文様は判別しづらくなっている。
蓋の中央には鏡を収める小箱が一体化して造り付けられており、非常に珍しい構造。
台も黒漆塗りで、四脚は猫脚(ねこあし)形状になっており、優雅な印象を与えている。
🏛️歴史・背景
この唐櫛笥は、春日大社の神々に捧げられた「本宮御料古神宝類(ほんぐうごりょうこしんぽうるい)」の一つとして伝来。
女性神である比売神のための神宝として、化粧具を収める用途で制作されたと考えられる。
「唐櫛笥及台」として一対で国宝に指定されている、非常に貴重な品。
平安〜鎌倉時代の王朝文化や神事における装飾工芸の粋を今に伝えている。
112 桐蒔絵手箱(熊野速玉大社古神宝類のうち)
「神に捧げられた蒔絵の極致――金の輝きに桐の葉舞う美の玉手箱」
国宝 南北朝時代 明徳元年(1390)頃 和歌山・熊野速玉大社
📌概要
**平安時代に完成した化粧具を納めるための箱(手箱)**で、中世以前の蒔絵手箱は現存数が非常に少ない。
熊野速玉大社には、保存状態が良く、内部の内容物も揃った蒔絵手箱が十一合も伝来している。
なかでもこの桐蒔絵手箱は、皇室・仙洞御所・足利義満の奉納品とされ、最上級の技法「沃懸地蒔絵銀螺鈿(いかけじまきえぎんらでん)」が用いられている。
手箱本体は密に蒔かれた金粉による金地(沃懸地)に、桐と唐草文様を高肉蒔絵と銀の螺鈿で装飾。
紐金具には金製の桐意匠の金具が取り付けられている。
📜内部構成品(主な内容物)
梨地箱入り白銅鏡 ×1
銀銅水入 ×2
同歯黒器 ×1
白銅香合 ×2
同白粉笥 ×2
同歯黒箱 ×2
銀銅耳掻・鋏・毛抜・櫛拂・髪掻・眉作・歯黒筆・解櫛 各1~2
紅皿 ×1
蒔絵梳櫛 ×29
蒔絵櫛箱 ×1
→ 内容品は化粧具を中心とする豪華な構成で、十二社殿のうち第三殿「證誠殿(しょうじょうでん)」の御神宝とされる。
114 一遍聖絵 巻第三
国宝 鎌倉時代 正安元年(1299) 神奈川・清浄光寺(遊行寺)
一遍「信じてないからいらんっていってた僧侶に、むりやり念仏札を渡してもうたけど、あれ良かったんやろか… せや! 熊野権現に聞いたろ」
熊野権現「お前が救うわけじゃないし、南無阿弥陀仏唱えたら救われるわけだから、渡した相手が信じてるとか信じてないとか全然関係ないよ」
一遍「おおおおーーー、我、悟りを得たり!!!」
🔹 概要
作者:伝 円伊
技法:絵巻物、紙本著色
特徴:一遍上人が諸国を巡りながら、念仏札を配布し、融通念仏を広める様子が描かれている。
巻第三の内容:
熊野山中で一人の僧に念仏札を勧めるが、信心がないため受け取れなかった。
一遍は、他の人も受け取らないのではと心配し、無理に札を渡す。
自らの布教方法に疑問を抱き、熊野本宮証誠殿で熊野権現の啓示を受ける。
「念仏は信心の有無に関わらず、南無阿弥陀仏を唱えるだけで極楽往生は決定している」と悟る。
🔹 作品の特徴
絵巻は全12巻あり、一遍の生涯を詳細に描写している。
巻第三は、熊野権現の神託を受けて、他力本願の教えを深く理解する重要な場面。
権現の姿や一遍の祈りの様子が繊細に描かれ、厳かな雰囲気を醸し出している。
細かな描写が施されており、衣服の襞や山の風景、登場人物の表情まで詳細に表現。
🔹 美術史的評価
一遍聖絵は、日本の絵巻物の中でも特に写実的で、臨場感のある描写が評価されている。
一遍の教えの広まりと熊野権現の信仰が描かれており、時代背景を色濃く反映している。
鎌倉時代の仏教信仰の形を知る貴重な資料。
116 唐鞍
「馬も神の使い。極限まで飾られた、平安のファッションショーホース!」
国宝 鎌倉時代(13世紀) 奈良・手向山八幡宮
🌸用途と背景
主に以下の場面で使用:
- 大嘗会(だいじょうえ)
- 賀茂祭・春日祭の勅使行列
- 外国の使節の接遇しだいに調達が困難になり、簡略化した模造品が主流に
🌸構造的特徴
通常の和様の「倭鞍」とは異なる構造
幅広の居木(いぎ)に、前輪(まえわ)・後輪(しずわ)を乗せた形で緊縛固定
馬の胴全体を隙間なく装飾するのが唐鞍の醍醐味
🌸装飾と荘厳具(しょうごんぐ)
・現存する中で最も古く、1306年(嘉元4)修理記録あり
・この手向山八幡宮の唐鞍は、装具も完全に残る最古の一具
・主な装具:
- 銀面(ぎんめん)…馬の顔を飾る
- 角袋(つのぶくろ)…馬頭に立てる装飾
- 天蓋形の頸房(くびふさ)
- 雲珠(うず)…馬の背に立てる飾り
- 八子(はね)…左右に垂らす装具
- 摂蝶・杏葉(せっちょう・ぎょうよう)…胸繋や尻繋に飾る多数の装飾具
- 尾袋…唐尾に結んだ飾り尾を包む袋
🌸ポイント
・馬一頭をまるごと荘厳仏具化したかのような完成度
・極めて保存状態がよく、儀礼馬文化の貴重な資料
・**「日本で最も豪華な馬の衣装」**といっても過言ではない!
第6章 写経の美と名僧の墨蹟
118 賢愚経(大聖武) 巻第十五
「聖武天皇の名筆と称される、大字で描かれた寓話の世界。特別な料紙に刻まれた時代の祈り」
国宝 奈良時代(8世紀) 奈良・東大寺
🌸 概要
『賢愚経』は、善行や悪行の結果を寓話形式で解説する経典で、69品から構成される。もともとは16巻または17巻のセットとして東大寺戒壇院に存在したが、現在は断簡として各地に伝わっている。
🌸 特徴
「大聖武」という通称
経文が堂々とした大字で書かれ、聖武天皇の筆と伝えられてきた。
一般的な写経は1行17字だが、この巻は12字前後の大きな文字で書かれている。
筆線は二度書きされているとの伝承もある。
料紙の特徴
「荼毘紙(だびし)」と呼ばれ、遺灰を漉き込んだとの伝承があるが、実際にはマユミの繊維や樹皮、樹脂を混ぜた紙。
奈良時代の写経所では「真弓紙」または「檀紙」と呼ばれていた。
書写年代
奈良時代後期、宝亀年間(770〜781年)の写経と推定されている。
120 大毘盧遮那成仏神変加持経(吉備由利願経)
「手紙の表に書かれた密教の教え。手紙と経典が織りなす、奈良時代の写経美」
国宝 奈良時代 天平神護2年(766) 奈良・西大寺
🌸 概要
唐の善無畏(ぜんむい)と一行(いちぎょう)によって共訳された『大日経』として知られる真言密教の重要な経典。胎蔵界曼荼羅の根拠となる教えが説かれている。
🌸 特徴
書写時期
奥書はないが、書風から神護景雲(767~770)年間の写経と推定されている。消息経
写経の料紙として手紙(消息)を使用した珍しい形式。裏返し、漉き返し、表を使う方法があるが、この経典は表を使った例。
切断した消息を打ち直し、雲母引き、界線を施して経文を書写している。
装飾と筆跡の美しさ
薄墨で仮名消息が書かれ、連綿体の仮名の変化が美しく表現されている。経文は濃墨で楷書体、消息の仮名文字とのコントラストが際立っている。
121 金光明最勝王経(国分寺経)
「黄金の祈り、国を護る──聖武天皇の夢が息づく十の巻」
国宝 奈良時代(8世紀) 奈良国立博物館
🌸作品名:金光明最勝王経(金字経)
🌸制作時代:奈良時代・8世紀
🌸所蔵:奈良国立博物館
🌸備後国国分寺旧蔵・十巻完存
🌸作品の概要
『金光明最勝王経』は、国家安泰・護国を祈るために読誦された、仏教における護国経典の代表作。
聖武天皇の詔により、各地に建立された国分寺の塔に納めることが命じられた経典であり、正式名称「金光明四天王護国之寺」は、本経にある「四天王護国品」に由来する。
この作品は、備後国(広島県東部)の国分寺に安置されていたものと伝わり、金泥で美しく書かれた巻物が十巻すべて現存しているのは非常に貴重。
🌸特徴とポイント
奈良時代の写経としての完成度が極めて高く、国家事業としての壮大なスケールを物語る
赤茶色の紙に金文字という荘厳な装飾は、仏と国家への敬意の表れ
完全な十巻揃いで現存するのは稀少で、写経史的にも極めて重要な遺品
🌸ロマンの視点
聖武天皇の夢見た「仏教による理想国家」──その実現に向けて編まれた、祈りの国家プロジェクト。
地方の一寺にも、ここまでの荘厳な写経が収められた背景には、国全体を仏の守護下に置こうという壮大なヴィジョンがあった。
そしてこの金文字の巻物は、**約1300年の時を超え、今も私たちの目の前に広がる「黄金の祈り」**なのです✨
36:13くらいから44:08くらいまで
金の純度が高いと思われる
紫色の紙は奈良時代に盛んに作られたけど平安以降にはあまりない
国分寺の数だけあったと思われるので60セット以上あったはず?
金光明最勝王経をつつんでいた紙が正倉院に残っていて、紫色に色移りしている
ただし金泥の部分は色移りしてないので、表紙の「金光明最勝王経」が読めてしまう
122 法華経(浅草寺経)
「平安時代の超ゴージャス写経!一人の筆が紡ぐ、金銀に輝く法華経!」
国宝 平安時代(11~12世紀) 東京・浅草寺
🌸 概要
東京・浅草寺に伝わったことから「浅草寺経」と呼ばれる『法華経』。『法華経』全八巻に『無量義経(むりょうぎきょう)』、『観普賢経(かんふげんきょう)』を加えた全十巻が揃う。
🌸 特徴
装飾料紙
全紙にわたって丁字(ちょうじ)が吹かれ、装飾が施された料紙を使用。表紙と見返しは濃い茶色、本紙と紙背は薄めの色合いで、金の小切箔が全体に散りばめられている。金泥の界線
墨書された経文の周りには金泥の界線が引かれ、豪華な装飾が施されている。経意絵(きょういえ)
見返しには金銀泥で描かれた「経意絵」があり、巻第一には「釈迦説法図」が描かれている。和様の筆致
経文は小振りで端正な丸みを帯びた和様の筆致で、全十巻を一筆(一人)で書写。朱点は後世に付けられたもの。保存状態
蝶鳥文様の螺鈿(らでん)を施した軸首や、四種の糸を織った平打組紐が当時の姿を残しており、非常に貴重な装飾が残っている。
🌸 由来
浅草寺に伝来した経緯は不明だが、全巻を一人で丁寧に書写されたことから、深い祈りが込められていると考えられる。
123 法華経(久能寺経) 薬草喩品・随喜功徳品
「鳥羽法皇の皇后・待賢門院を中心に、貴族たちが結縁した平安時代のゴージャス写経!」
国宝 平安時代(12世紀) 個人蔵
🌸 概要
名称:法華経(久能寺経)
時代:平安時代
所蔵:鉄舟寺(静岡市)、東京国立博物館、五島美術館、個人蔵
形式:装飾経
巻数:全30巻のうち、19巻が鉄舟寺に、3巻が東京国立博物館、2巻が五島美術館、4巻が個人蔵、4巻は所在不明
🌸 特徴
結縁一品経:『法華経』8巻を28品に分け、開経と結経を合わせた全30巻を30人の結縁者が書写
結縁者:鳥羽法皇の皇后・待賢門院(藤原璋子)を中心に、法皇や女御、女房らが参加
装飾:
金銀の切箔、砂子、野毛(のげ)を蒔いた豪華な装飾
界線:銀泥で描かれている
安楽行品には、天地に金銀泥で描かれた蓮や唐草の文様が散りばめられている
🌸 保存状況
鉄舟寺:19巻(国宝指定)
東京国立博物館:3巻(無量義経、法師品、安楽行品)→重要文化財
五島美術館:2巻 → 重要文化財
個人蔵:4巻 → 重要文化財
所在不明:4巻
125 法華経方便品(竹生島経)
「竹生島の美と祈りが描かれた装飾経―金銀泥に輝く平安の息吹」
国宝 平安時代(11世紀) 東京国立博物館
🌸概要
所蔵:竹生島・宝厳寺、東京国立博物館
時代:平安時代(11世紀)
形態:装飾経
書写形式:金泥・銀泥の界線を引き、墨書
装飾:
金銀泥で描かれた鳥、草花、蝶、霊芝雲
経文の美しさを引き立てる優雅な装飾が施されている
🖌 特徴
金銀泥の下絵:料紙に繊細な金銀泥で自然の風景や草花が描かれている
和様の完成期の書風:整然とした美しい筆遣いが見られる
松花堂昭乗の識語:巻末に松花堂昭乗が、筆跡を源俊房のものと鑑定した記録がある
✨ 見どころ
経文の間に描かれた金銀泥の装飾が、竹生島の自然や仏の世界を表現している
11世紀の和様書風が現れ、平安時代の美術的価値を伝える
料紙そのものも装飾が施され、見るだけでその時代の美意識が感じられる
126 一字蓮台法華経
「一字を一仏に見立て、蓮台の上に咲く仏の言葉―平安時代の彩り豊かな祈りの結晶」
国宝 平安時代(11~12世紀) 福島・龍興寺
🌸概要
所蔵:福島県 龍興寺
時代:平安時代後期
形態:法華経九巻(第六巻欠)
書写形式:一字を一仏に見立て、蓮台の上に一字ずつ載せて書写
装飾:
蓮台の彩色:緑青、群青、朱、黄泥、金泥、銀泥
銀泥の界線:一字ごとに銀の細線で区切り
美しさ:一文字一文字が蓮台の上に丁寧に彩色され、まるで仏が蓮の上に座しているような印象を与える
🖌 特徴
平安時代後期の経典としては非常に珍しい彩色と構造
一字一仏の象徴的な意味合いが込められている
経典としての価値だけでなく、工芸品としても高い評価
✨ 見どころ
鮮やかに色づけされた蓮台の上に一字ずつ丁寧に配置された文字
規則正しく美しく並んだ文字が織りなす景観は圧巻
龍興寺に伝わり、大切に守られてきた貴重な文化財
127 法華経(慈光寺経)
後鳥羽上皇「藤原良経が死んでもうて悲しい…弔うためにみんなで写経してキラキラな経典作るで!」
国宝 鎌倉時代(13世紀) 埼玉・慈光寺
📝 概要
時代:鎌倉時代初期
所蔵:慈光寺
形式:法華一品経(ほっけいっぽんきょう)
特徴:日本三大装飾経の一つ
他の二つは「久能寺経」と「平家納経」
🌸 特徴
金銀の切箔や砂子(すなご)を散らした料紙
極めて繊細かつ優雅な装飾が施されている
鎌倉時代初期の宮廷文化の華麗さを伝える
元久3年(1206年)の制作
大政大臣・藤原良経(ふじわらのよしつね)の急逝を悲しんだ後鳥羽上皇(ごとばじょうこう)によって発願
中宮宜秋門院(ぎしゅうもんいん)が中心となり、一品供養協経として営まれた
三十三巻構成
法華経二十八品に加え、無量義経(むりょうぎきょう)と観普賢経(かんふげんきょう)を含む
巻ごとに金銀泥による絵や文字を飾り、**芦手(あして)**と呼ばれる隠し文字技法も使われている
🏯 背景
後鳥羽上皇の悲しみと供養の念が込められ、朝廷の高位貴族や僧侶が分担して書写
このような共同で経典を書写することを「結縁経(けちえんきょう)」と呼び、平安・鎌倉期に流行した
「平家納経」と並び、鎌倉時代の装飾経典を代表する存在
128 法華経(長谷寺経)
「雲に乗る文殊菩薩、きらめく金泥の経文。長谷寺の宝、鎌倉時代の極彩色の装飾経!」
国宝 鎌倉時代(13世紀) 奈良・長谷寺
📝 概要
時代:鎌倉時代
所蔵:長谷寺
形式:法華一品経(ほっけいっぽんきょう)
特徴:鎌倉時代を代表する装飾経
🌸 特徴
極彩色の見返し絵
金地に群青、緑青、金銀泥、朱などの色彩が豪華に施されている
「安楽行品(あんらくぎょうぼん)」には獅子に乗った文殊菩薩が、于てん王や善財童子を従え、雲に乗って飛来する姿が描かれている
その姿を礼拝する人々の様子も表現されている
精巧な細工
経典を巻く軸の細工が驚くほど丁寧で、刀の鞘飾りに匹敵する精巧な金工技術が使われている
経典の最初に触れる部分には、細長い金具がついており、美しい装飾が施されている
美しい料紙
墨書された経文は、上下に金銀の切箔(きりはく)を蒔いた料紙に書かれている
金泥で引かれた界線が、全体を華やかに引き締めている
🏯 背景
鎌倉時代には、法華経を料紙に書写する装飾経が盛んに作られた
長谷寺のものはその代表的なものであり、保存状態も非常に良好
実用品というよりも、神聖な捧げものとして丁寧に扱われてきた
132 尺牘(久隔帖) 最澄筆
「最澄から、空海のもとに預けた愛弟子・泰範へ。2人に深い敬意を示すも、後にその弟子は空海のものに走ってしまう…」
国宝 平安時代 弘仁4年(813) 奈良国立博物館
📝 概要
作者:最澄(伝教大師、767~822)
宛先:愛弟子・泰範(たいはん)
書かれた時期:最澄が47歳の頃
形式:自筆書状
現存する唯一の最澄自筆書状
📜 内容の要約
手紙の冒頭
「久しく清音を隔(へだ)つ」(久しく音信が絶えている)と書き出しているため「久隔帖」と呼ばれる。
空海への和詩を奉りたい
空海から贈られた漢詩に対し和詩で返したいが、漢詩の序文で触れられた新しい書物(空海撰)について知らないため、内容を知らせてほしいと泰範に依頼。
梵本の法華経の披露
自分が入手した梵本の『法華経』を空海に見せるため、高雄山に参りたいという願いも記されている。
空海への気遣いと敬意
空海を指す「大阿闍利(だいあじゃり)」の箇所で行を改めるなど、目下の弟子にもかかわらず深い敬意を払っている。
最澄の謙虚で丁寧な人柄が現れている。
🌟 注目ポイント
空海との交わりが深く、禅の交流があったことが伺える。
比叡山から遠く離れた高雄山にいる泰範との手紙のやり取りに最澄の思いが込められている。
江戸時代には青蓮院、多和文庫、さらに原三渓の手に渡っていた歴史がある。
133 金剛般若経開題残巻 空海筆
「空海が筆を走らせた密教の真髄!草稿本に刻まれた思索の跡」
国宝 平安時代(9世紀) 奈良国立博物館
🌸 概要
作者:空海(弘法大師、774~835)
書かれた時期:弘仁4年(813年)頃と推定
形式:草稿本、自筆
書風:軽妙な独草体、草書と行書の混合
行数:もともとは約300行とされるが、現存するのは150行程度
本品:38行(有栖川宮家 → 高松宮家の伝来)
京都国立博物館:63行(国宝、神光院旧蔵)
🌸 特徴
経典解説:義浄訳『能断金剛般若経』を密教の立場から解釈
草稿本:行間への加筆や文字の訂正が見られ、草稿段階のものであることが分かる
書風:
軽やかでありながら鋭い運筆
空海の自然体な書風が反映
教王護国寺(東寺)蔵の風信帖とも共通する躍動感
🌸 歴史的背景
醍醐寺三宝院伝来:かつては醍醐寺三宝院に保管されていたが、早くに切断され、各所に散逸
大正12年の関東大震災:この震災で86行分が焼失
藤原葛野麻呂との関係:空海は藤原葛野麻呂が行った『金剛般若経』の供養に関連して願文を執筆。本書もその時期に関連する説がある。
🌸 見どころ
密教解釈:浅略(せんりゃく)と深秘(じんぴ)の二つの解釈に触れ、空海は「深秘」を重要視
書風の独自性:一字一字が独立しながらも流れるような運筆
加筆修正の痕跡:草稿本としての生々しい思索の跡が見られる
134-1 智証大師関係文書典籍 伝灯大法師位位記(綾本)
国宝 中国・唐および平安時代(9世紀) 滋賀・園城寺
🌸伝灯大法師位位記
円珍「やったー、これで大法師になれたー!天皇のハンコもあってばっちり!」
🔹 概要
内容:伝灯大法師位の位記は、僧侶に位階を授けるために発給された公文書。
背景:平安時代前期には5つの位階が存在した:
伝灯入位
伝灯住位
伝灯満位
伝灯法師位
伝灯大法師位
円珍が昇格した証として、伝灯住位から伝灯大法師位までの4通が現存している。
🔹 特徴と書法
伝灯住位は六位相当で、僧綱(そうごう)が発給。大僧都以下が署名し、僧綱印が押されている。
伝灯満位・伝灯法師位・伝灯大法師位の3通は「勅授」によるもので、天皇の内印(天皇御璽)が捺されている。
現存する位記の中で最も古い例であり、平安時代の書法を伝える貴重な資料とされている。
筆致は力強く、格式高い書体が用いられている。
🔹 美術史的評価
平安時代の官位授与の仕組みを知る貴重な資料。
内印が押された位記は、僧侶の社会的な地位の高さを示し、円珍の信望を裏付けている。
書法は美しく、力強い筆使いは鑑賞的価値も高い。
134-2 智証大師関係文書典籍 福州温州台州求法目録
円珍「唐に来て以来、たくさんの経典を手に入れました!日本から持ってきたのと合わせて、天台山に預けますね!」
🔖概要
智証大師・円珍の自筆とされる、現存唯一の入唐求法目録。
福州・温州・台州の各地で求めた経典430巻と、日本から持参した52巻を、天台山国清寺に預けたという内容が記されている。
「求得書目」として、入唐の旅で何を得たかが詳細に記録された文書。
円珍41歳時の筆跡で、脱俗で幽玄な書風としても知られる。
🏯歴史・背景
円珍は仁寿3年(853)に日本を出発し、中国福建省の福州に上陸。
温州・台州を経て、年末に天台山(国清寺)に入る。
この目録は、都・長安へ向かう前に、それまでの収集成果を整理したものであり、学問と信仰の記録でもある。
日本天台宗の開展において、極めて重要な旅の記録とされる。
134-3 智証大師関係文書典籍 請台州公験牒案 円珍加筆
🌸請台州公験牒案
1通目「日本に400巻の経典持ち帰るから、許可おくれ」
2通目「はよしてくれへんと、弟子たちが日本に帰るのに間に合わへん」
3通目「4月上旬には日本に帰るから、はよ許可証明おくれ」
4通目「許可してくれてありがとー!」
🔹 概要
作者:円珍(えんちん)
技法:書状
内容:円珍が唐(中国)に渡って学んだ経典四百余巻を日本へ持ち帰る際、唐の役人・台州刺史の厳修睦に証明書(公験)の発行を求めた文書。
特徴:円珍自らが朱や墨で加筆・訂正を行った文案の草稿が4通現存している。
🔹 書状の内容と流れ
第一通
かつて伝教大師最澄が台州の刺史・陸淳から公験を受けた先例を示し、円珍も同じように交付を求める。
第二通
公験の交付がなかなか行われないため、弟子たちを先に日本へ送り出す日が迫っていると伝える。
第三通
日本への帰国予定である李延孝の船が4月上旬に出発するため、それまでに証明書が欲しいと急かす。
第四通
4月8日にようやく交付の許可が下りたことに対する感謝の意を述べ、翌日に提出した謝状の草稿。
🔹 作品の特徴
草稿であるため、円珍自身の加筆や修正が多く残っている。
平安時代の外交と宗教交流の貴重な証拠として評価されている。
円珍の粘り強い交渉力と、信念を持って経典を持ち帰ろうとする強い意志が感じられる。
🔹 美術史的評価
平安時代の国際交流を示す貴重な資料であり、遣唐使を通じた学問交流の姿がリアルに伝わる。
日本へ持ち帰った経典は後の天台宗の発展に大きな影響を与えた。
最澄からの系譜を受け継ぐ形で、唐での学びを深めたことがわかる。
134-4 智証大師関係文書典籍 文書目録 円珍筆
「唐での記録、日本での思索――60歳の円珍がまとめた“法の履歴書”、そこには自由な筆致と深い祈りが刻まれている。」
🔎概要
円珍(智証大師)による自筆の目録。
わずか20行ほどの短い文書だが、内容は多岐にわたる。
筆跡は軽妙で、自由自在に筆を運ぶ円熟の草書体が見どころ。
書の魅力と内容の密度が詰まった、小品ながら重みある一作。
📜歴史・背景
最初に挙げられている「夢相記」は、現存する「感夢記」に該当するものと思われる。
入唐求法に関わる文書の記録も含まれており、唐での求法の足跡を知る手がかりとなる。
最後に記されている「太政官下延暦寺牒」が、もしも貞観13年(871年)の太政官牒案であれば、円珍が60歳頃に記したと考えられる。
内容と書風の両面から、円珍の知性と精神性を感じられる重要資料。
134-5 智証大師関係文書典籍 議定文 円珍筆
「教えを守れ、そしてつなげ。――大師・円珍が弟子たちに託した“継承の誓い”」
🔎概要
円珍(智証大師)自筆の文書。
書体は独特で、筆に気迫がみなぎるような円熟の書風が特徴。
教法の散逸を防ぎ、正しく伝えるために出された厳粛な「教えのルール」。
📜歴史・背景
寺院の伝法阿闍梨が弟子を持たずに亡くなった場合、その遺した真言法文・儀軌などが失われることを防ぐため、国家(太政官)が定めた規定(貞観13年=871年)に基づく内容。
円珍はその教令をただ守るのではなく、自らの筆で改めて弟子たちに伝え、教法の厳正な継承を強く願った。
形式ではなく「魂を込めて書いた」ことが伝わってくるような文書で、教えを受け継ぐ真摯な姿勢が読み取れる。
135 聖一国師あて尺牘(板渡しの墨蹟) 無準師範筆
無準師範「弁円へ。うちのお寺が焼けた際、板千枚を寄付してくれてありがとう。承天寺創建もおめでとう! 日本で禅を広めるためにがんばれよ!」
国宝 中国・南宋 淳祐5年(1245) 東京国立博物館
📌 時代・背景
中国・南宋時代(1177-1249)
作者:無準師範(径山万寿寺 第34世住持)
弟子には、日本へ渡った名僧(円覚寺の無学祖元、建長寺第2世の兀庵普寧)や、京都・東福寺の開山となった**聖一国師(円爾弁円)**がいる
📌 板渡しの由来
1242年(淳祐2)、無準師範が住む万寿寺が炎上
博多の承天寺でその知らせを受けた円爾弁円が、板千枚を寄進
無準師範が、その礼として円爾弁円に送った感謝の書簡が「板渡しの墨蹟」
📌 書簡の内容
弁円の承天寺創建を喜ぶ
寄進された板の数を確認し、感謝を伝える
日本の禅宗の興隆を願い、励ましの言葉を送る
📌 特徴・来歴
松江藩主で茶人の松平不昧の旧蔵品
✍️ 無準師範の書の特徴
線の力強さ:筆の運びが力強く、一筆一筆がしっかりと墨が乗っているのが分かる。南宋時代の僧侶らしい、気品と決然とした筆致が特徴的。
余白の取り方:漢詩や書簡で重要視される「余白の美」を意識していて、窮屈にならず全体が整っている。
文字のバランス:縦線と横線のバランスが良く、特に縦の力強さが目立つ。これは禅僧が修行の中で培った精神の安定と深い瞑想の影響もあるかも。
🧐 考察ポイント
南宋時代の書風は、唐代の規則的な整った字形から少し開放的になっている。無準師範の筆跡はその典型で、自由さと力強さが調和している。
特に「弁円」への敬意と感謝が込められた筆運びが見られるのも、この書簡ならではの温かさを感じる。
第7章 未来への祈り
139 蓮唐草蒔絵経箱
「平安貴族が愛した法華経の宝箱」
国宝 平安時代(12世紀) 奈良国立博物館
サイズ:縦31.8cm、横17.6cm、高12.1cm
材質:漆皮製(しっぴせい)、金沃懸地、金銅製金具
🌸 概要
平安時代の工芸技術を代表する品で、漆皮(しっぴ)と呼ばれる特殊な技法で作られている。
鞣した獣皮を型に張り付け、漆を塗って固めたもので、奈良時代には広く用いられていたが、平安時代に入るとほとんど見られなくなった。
本品は、その貴重な平安時代後期の漆皮製経箱として、現存する唯一の遺品と考えられている。
🌸 デザインと装飾
蓮唐草文:蓋と身の表面には、折枝文風の蓮唐草文がバランスよく配置され、蝶が舞う様子が優雅に描かれています。
金粉と青金の蒔き分け:金色と青みがかった金(青金)が効果的に使われ、文様の立体感が際立っています。
蓋裏の散らし文:外面は幾何学的な配置ですが、内面は蝶が不規則に舞う散らし文様で、外と内で異なる印象を与えています。
紐金物:四弁宝相華形の金銅製の紐金物が身に取り付けられています。
🌸 用途と背景
この経箱は、法華経八巻を納めるために作られたと考えられ、平安貴族たちの法華経信仰の深さを物語ります。
また、もとは福井県小浜市の神宮寺に伝来していたもので、長い時を経て大切に守られてきた歴史があります。
平安時代の華やかな装飾技術と信仰心が一体となった、極めて貴重な遺品です。
141 藤原道長経筒
道長「金ピカの経筒を埋めたら、娘に皇子が生まれた! 金峯山のご利益すごい!」
国宝 平安時代 寛弘4年(1007) 奈良・金峯神社
🔹 概要
内容:藤原道長が自ら書き写したお経を納めるために制作された経筒。
材質:銅製で、表面には厚く金が塗られ、500字余りの漢字が刻まれている。
構造:筒の形状はお茶筒のように上部の蓋がすっぽりと被さる形式。
高さ:36.4cm
銘文:筒の表面には「南<せん☆月+玽☆>部州大日本国左大臣正二位藤原朝臣道長」と始まる刻印があり、制作の経緯、内容、そして金峯山に埋めることが詳細に記されている。
🔹 背景
この経筒は、日本最古の経筒とされ、1007年(寛弘4年)に藤原道長41歳の時に、奈良県吉野の「金峯山(きんぷせん)」の山頂に埋納された。
「金峯山」は現在の奈良県吉野、大峰山山上ヶ岳の頂上にあたり、標高1714mの険しい場所。
埋納の様子は道長の日記「御堂関白記」にも詳細に記されている。
道長はこの経筒の埋納の翌年、娘の彰子が皇子を出産したこともあり、「金峯山の御霊験はあらたかだ」と噂された。
🔹 発見と影響
江戸時代、元禄4年(1691年)の山上本堂の改築工事の際に発見された。
現在は京都国立博物館で保管・展示されている。
この経筒の埋納は後の日本各地の「経塚(きょうづか)」の流行の先駆けとなり、経典を地中に埋める信仰が広がった。
🔹 美術史的評価
日本最古の経筒としての歴史的価値だけでなく、金の施しと見事な書体も評価される。
道長が自ら書写した経典を保管するためのこの筒は、平安時代の信仰と権力を象徴する存在。
142 金峯山経塚出土品 双鳥宝相華文経箱・経箱 鷺脚台付
道長「さっきの金ピカの筒といっしょに埋めた経箱です」
国宝 平安時代(11世紀) 奈良・金峯山寺
🌸概要
金峯山経塚から出土したもので、「国宝 金銅藤原道長経筒」と同じく、藤原道長が奉納したと考えられる経箱の一部。
三具あり、いずれも法華経を納めていたという。
🌸特徴
「双鳥宝相華文(そうちょうほうそうげもん)」という文様が施された装飾経箱
金銅製で、高台(脚台)付きの珍しい形式
ひとつは鷺脚(さぎあし)のように細く優美な脚を持ち、もうひとつは格子状の高台がついている
いずれも平安時代中期の豪華な納経具で、道長の権力と信仰を象徴する品
(参考)
箱は3つあって、そのうちの1つはこれで、こっちは「経箱 猫脚台付」と呼ばれている
143 菩薩半跏像(伝如意輪観音)
「モナリザ、スフィンクス、そして中宮寺の世界三大微笑—飛鳥の時を超え、静かに思索する慈愛の姿」
国宝 飛鳥時代(7世紀) 奈良・中宮寺
🌸 概要
制作時期:飛鳥時代(7世紀)
材質:クスノキ材
高さ:像高132.0cm(左脚を除く坐高は87.0cm)
所在地:中宮寺(奈良県)
指定:国宝
伝承:当初は「弥勒菩薩像」として造立、平安時代以降に「如意輪観音」と伝わる
製作技法:
一木造ではなく、頭部は前後2材、胴体は1材、両脚と台座は別材での接合
階段状の矧ぎ目を持つ特異な木寄せの技法
経年により全体が黒ずんでいるが、彩色の痕跡が足の裏などに残る
🌸 特徴
半跏思惟像の傑作:
右足を膝の上に乗せ、右手を頬に当てて思索する姿
表情は柔らかく、思慮深い「古典的微笑(アルカイックスマイル)」をたたえる
エジプトのスフィンクス、レオナルド・ダ・ヴィンチのモナリザと並び「世界三大微笑像」と称される
木造技術の極致:
当時の飛鳥仏の中でも卓越した技術で制作
黒ずんだ木肌の中に浮かぶ微笑が神秘的な印象を与える
🌸 歴史的背景
建治元年(1275年)の文献『太子曼荼羅講式』には「本尊救世観音」と記載され、当時から重要な信仰の対象であったことがうかがえる。斑鳩の里に1300年以上守られ、訪れる者に深い感銘を与え続けている。


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