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文系・テック・ブログについて②

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前回の続きです。なので前回の記事を先に読むと、以下の文章、スムーズに読めますんでー、。

2. 文系 – テクノロジーについて

昨今、韓国文化が隆盛してる。まあそれは知ってますよね。

で、その立役者ですけど、もちろん、いっぱい、いる。

中でもね、この人は間違いなく筆頭くらいに挙げられる人だよね、って人を挙げますね。

SMエンターテインメントの社長である、イ・スマン。Lee Soo-man。李秀満。

SMエンターテインメントすげえよな

イ・スマンは70年代には人気フォーク歌手だった。けど、80年代に起きた韓国の言論弾圧に不満を抱いて渡米。

で、芸能活動をやめてロボット工学を学んだ。

その後、80年代後半には祖国が民主化したので帰国。で、この時代の電子音楽やDJカルチャーを背景にした音楽をはじめる。そしてSMエンターテインメントを設立する。

んで、その後、一言で言うと、すごいことになる。

日本でも著名なミュージシャンで言えば、BoA東方神起少女時代SUPER JUNIORSHINeeEXONCTaespaなどを、彼は生み出した。

イ・スマンは、いま73歳。おじいちゃんだ。あれ、やっぱ老人がすごいって話?

……には、なりません。「この人」がすごいという、属人性の話では、ない。

あ、いやもちろん、このじいさんはすごいすよ?そりゃそうなわけだが、特に大事なのは、ここからの話。

「文化技術」でいってるっす

このイ・スマンがね?2011年にスタンフォード大学経営大学院で講演を行ったんです。

そこで話したのが、「Cultural technology」。文化テクノロジー。というものについて、だった。

ちなみにね、en.Wikipediaには、ちゃんとその項目があるんです。で、ちなみにちなむと、日本のウィキペディアにはないわけ。そのあたりからもさ、うん、推して知るべし。ってことではある。

参照先は外部サイトです。見るとよい

さて、上記en.Wikipediaから、かいつまんで以下に記すと、スタンフォードで語られたのはこういう話。

イ・スマンは1990年代後半から、K-POPのアーティストを韓国国外へ普及させるために必要な「文化技術」を体系的なマニュアルにした。という。そしてそれを、SMエンターテインメントの全従業員に学ばせた。という。

このマニュアルには、海外のどんなコンポーザー、プロデューサー、コレオグラファーを起用すべきかや、各国でどんなコード進行を使うべきか、 特定の国で選ばれるべきアイシャドウの色、行うべき手の動き、MVのカメラアングルなどが詳細に記されている。という。

たとえば動画の冒頭には必ず360度のグループショットがあり、その後で各人のクローズアップを繋ぎ合わせたモンタージュを挿入するようにしていた。という。

う〜ん、本当かなあとは思う

上記の件は米雑誌「ニューヨーカー」にも報じられている。題して「Factory Girls – Cultural technology and the making of K-pop.」。

参照先は、The New Yorkerです。見るとよい
Factory Girls Cultural technology and the making of K-pop.

まあ、しかし、何だろうね、眉唾感はあります。ハッタリの可能性が大である。第一、門外不出のマニュアルだからね。外部の人は誰も見たことないし。

しかし、米国でロボット工学を学ばはった人でっしゃろ?まじでマニュアライズした可能性もありまっしゃろ!アメリカとか〜〜!進んで……っ、進んでまんねやろ〜〜〜!?(声:ひつじねいり松村)

まあ、ある程度は事実かもしれない。しかし、完全なものではない可能性もあるよね。ただ、今は、どっちでもいいのよ。

重要なのは、イ・スマンが、ウチの会社はすごいぞ、盤石だぞ、お前らは勝てん、ということを言おうとした時に、その理由を「技術」化したからだ、と言ったこと。そのもの。なんです。

そして、韓国は実際、2010年代には、「文化技術」と名付けられた政府機関やら何やらを作って、国の文化を世界へ送り出している。

これ、2ちゃんねるの国粋オッサンたちがお元気な時代には、韓流ブーム陰謀論にも結びつけられたんだけど、政府活動がうまくいったかどうかも今はどうでもよくて、少なくとも、韓国政府も「文化技術」って言葉に乗った。

そして何より、そもそも大本のイ・スマンがスタンフォードでそういう宣言をしたのは間違いない。それ自体が重要なんです。

技術とは何かー、への問いー、とか何とか。

なぜ重要か。を、理解するには、さて、ええと、まずは「技術」とは。何か。みたいな話にはなりがちなんだわ。んだが。

実はね、その話は、20世紀以降の思想史1では、非常にね、重要な、テーマのひとつではあるんすわ。

なので!そういう話を、今から、しない(えっ)。

思想的に重要なテーマとかってさあ、だからこそさあ、好意的にも敵対的にも、今これ読んでる人さあ(おまえな)、即、「そういう話」だと思って終わりにするかもしれないじゃん。

そうなるとすーぐ明後日のほうに話が持ってかれるっしょ。やなんだよね。めんどくせえ。

なので、そういうのだと思った人、今日は、その話は、なーしよっ(声:おばたのお兄さん)。ってことだ。びびったか!たじろいだか!

そもそもね、技術と言ったこと自体が重要

で、もっかい話を整理する。まずここで重要なのはね、本当にそんな完璧なマニュアルがあるかということでは、ないわけだ。

また、そしてもちろん、このマニュアルによる彼のプロデュース戦略が、アタリか、ハズレかということでは、ない。みんなで真似しようみたいな話、じゃ、ない。

繰り返すが、大事なのは、彼がこれを「技術」だと言ったこと。

つまり彼は、まずは「俺のプロデュース能力がすごいんだ」とは言わなかった。SMエンターテインメントの成功とは、わたくしの才能とか、パワーとか、神通力とかではない。技術として共有したこと、それがウチの強みだ。

でね?まあ、結局は思想的なテーマにもわずかに接近する2けどさ、この場合、彼が言おうとしている技術とは、ざっくりまとめると

  • 作品を情報として分析し、
  • 同じやり方を再現可能にし、
  • 他人に伝達(教育)可能にする

ってことではあります。

でねでね?今はあらゆるものが情報技術化する時代だし、世界なんです。すげえ平たく言うと、ザ・ネット時代!てやつな。

そういった時代・世界には、アートが情報化するのは避けられない。そこで発表され、そこで流通し、そこで語られるんだから。環境・条件が、そうなってるんです。

で、イ・スマンが「うまい」のは、そんな時代だったらさあ、もう、じゃあ、むしろ積極的に、それに、乗った!ってことだった。すなわちネット時代に、作品を分析し、情報化し、「技術」として再現可能にし、他人に伝達し、そして成功したこと。

かつ、そういうことをやっているんだと自ら宣言したこと。これが大事です。

これ、すーごい今の時代に似つかわしいのね。ネット時代の申し子って感じ。時代と寝てるね。いい波乗ってんね。

そんな作品は嫌いだとか倫理的にやだとか、バズらせる技術のことじゃねえのとか、そういう話でもないのよ。勘違いする人いると思うので申し添えておくと、くどいようだけど、この「技術」ってのは、単に「これをやると量産型のヒットが生まれ、うまくいく」みたいなもんではないと思うのね。普遍的な技術を整備することによって各自に個別の達成が得られる、という話だと思うよ。

K-POPというジャンルのビルボード的な音楽に対する異質性から言っても、そうじゃないすかね。これについてはまた今度くわしく言うかもだけどさ。

今アニメすげえよね。けどね

ま、ともかく、日本はどうしてそうならなかったんでしょう。と思ったわけ。

前回も言ったけど、日本は同じくネット時代を迎えて、SNS時代にすらなって、カルチャーにおける技術論としては、「これをやったら大ヒット」みたいな語りと、ハイブロウな語りが伸びていったよね。作品論もそうだけどさ。

むろん、何らかの正しさとか、説得力は、あんだと思うよ。つまり、読んだ人もきもちいし、一定の技術的向上に貢献する。のかもね。でもさ、「これを学んだ人たちによってジャンルが広がった。成長した」という状況を作っていない。むしろ、それらの技術論を学んだ人よりも、語った人のほうが、散発的に注目されて、終わりなんじゃない?

書いた人が一定期間バズって終わり、みたいな。

「ゼロ年代のネット上には、まだ、作品に対する豊かな語りがあった」みたいな話をする人もいるけどね。そりゃ、あったでしょう。当時で言えば、アニメの技術論が、ぎりぎりいい線いってるやつだったかな。だからこそ今、それを継承してアニメのクリエイターは国際的に見ても誇れる技術を持っているんじゃないすかね。

けど、ジャンルに対するバックアップは結局思うように得られなかったし(断言)、結果的にその技術論も広がってないから、散発的な結果だと言えるんじゃないすか。

日本における「文化技術」

じゃあ、やります?文化技術。文化テクノロジー。日本でも。ぬーん?

……うーん。

つうかあのね、日本でもね、「文化技術」って言葉は、それこそ散発的に使われてるのよ。調べたらさあ、団体すらあるよ。けどね。それをイ・スマン的な「文化を技術として捉える」という意味で語っている人は、すげえ、いねえ。くそいねえ。

せいぜい、ざっくり言って20世紀後半くらいの発想だったりもするんすよ。「技術を文化として捉える」とか「文化と技術の垣根を越える」とか「リベラルアーツ」みたいな話とかね。まそれで頑張ってくれればいんではないかと思うけどさ。わたくし的にはがっかりでさ。

「文系」ならどうか

あと気になるのはさ、そもそも「文化」って言い方だと、こぼれる領域がむしろ日本だとでかいのね。それこそ、作品自体に対する語りは日本では研究的な領域が広がってはいるんだけど、そこを切り捨てることにもなる。

じゃ「人文系」にすればどう?逆に、そっちに寄せるのかよwだめに決まってんだろww

んじゃ「文化系」って言葉ならどうか。文化系テクノロジー。は。どう?だめー。「文化系」って言葉にある種の含意があったのは、まさに時代的なもんだよね。文化系女子、とかさ。しかし、今は失われた3。前回、年長世代感出さないで行こうぜって話だったのに、これに今から乗れないだろ。

けどね、そこでわたしあ、思ったんです。「文系」なら、どうよ。

これぞ、日本的な概念じゃん?そしてこれは、俺が「カバーできたらいいな」と思う領域、全部、ゆるっと、入ってくる言葉だぞ。しかも死んでいない。日本に染み付いちゃってる。染み渡ってしまっている。韓国さんには、わかるまいが。だが、そこがいい。

まあね、あたくし個人としては、どんくせえ言葉ー、と、思うんだけどね。でも日本、どんくせえからな。つうか一般性って、どんくせえということだからな。わしもそれなりにいっぱい仕事をしているので、わかってんのよ、そこんとこー。だから、「文系」はよさそうだ。

「テック」なら

でもさあ、「文系テクノロジー」を宣言したとて。何をどうすんのよ。それは、僕が名付けてはいなかったが、同じ理想によって、すでにやっている活動である「ひらめき☆マンガ教室」だの「さやわかのカルチャーお白洲」だのと、どう違うのか。

そこで僕は、やっぱ、文字によるウェブのことを、考えたんです。それは僕にとって大事なものなんです。

たしかに、文化について書くウェブは、まあ、日本では、風前の灯であるぞと。MetacriticとかRotten Tomatoesも成立しない。まして技術として文化を語るなんて、散発的な試みにしかなりえない。

じゃ、やっぱだめじゃん。ということになる。

しかし、別の分野に目を向ければ、日本でも、技術を、技術として書きながら、コミュニティが広がっている例は、なくは、ない。むしろ、ウェブでこそ、広がっている。と、わたし気づいたんです。

それは「テックブログ」なんだ。

次回、この言葉について説明しますけど、知ってる人なら、あるいはカンのいい人なら、もうわかるかもしれない。つまり僕は、じゃあ僕が所属するようなジャンルにおける「テックブログ」を広げていければ、いいんじゃない?と、思ったのね。

先に言っておくと、もちろん、そんなうまくは、いかない。

③へ、つづく。


  1. もちろん注釈でも、今は何ひとつ具体的に説明はしない。 
  2. むろん説明しない。 
  3. つまり私は、「文化系」というタームが意味を持っていたのはせいぜいゼロ年代までであり、当代においては死語同然というか死に体というか空っぽのハコであると、そういう認識でいくべきだと、言ってしまっているんです。どう思います? 

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