「銀座が庶民の街になってしまった」しゃぶ葉にオーケーも出店…大衆チェーンが増殖してもなお、銀座に悲観すべきではない理由
最近、銀座に異変が起きている。 ここ数年で銀座の中心部には「くら寿司」「しゃぶ葉」「オーケー」「ワークマン」など、日常使いのチェーン店が続々と出店。SNSでは「銀座がロードサイド化している」「庶民的になった」という声も聞かれる。実際に歩いてみても、その印象は強い。 【写真】「庶民の街になってしまった」銀座の現在の街並みをじっくり見る 高級ブランドが立ち並ぶ日本屈指の商業地で、いま何が起きているのか。
20年がかりで「チェーン化」した銀座
実際に銀座を歩くと、その変化は確かに目に入る。マロニエゲート銀座2の建物には、ユニクロ、GUに並んでくら寿司とオーケーの大きな看板が見える。そのほかにも、しゃぶ葉やワークマンなど、かつてのイメージとはかけ離れた店舗が続々と銀座に進出している。 こうした銀座へのチェーン店出店が話題になったのは今に始まったことではない。(おそらく)最初に大きな議論を呼んだのは2005年のユニクロの出店だ。当時は「銀座にユニクロ?」と世間を驚かせた。 雑誌『考える人』2005年秋号(新潮社、現在休刊)のある記事では「こんな店は銀座にふさわしくない、と非難がましい目で見られないともかぎらない」(『BACKSTAGE REPORT ユニクロ銀座店の舞台裏(1)「待ち合わせしたくなるワクワク感のある店へ。ユニクロの旗艦店 2005年10月7日オープン」』)と書いており、当時の懸念の空気を今に伝えている。 しかし、そんな懸念はどこ吹く風でその後もチェーン店の出店は続いた。無印良品、ダイソーと続き、コロナ禍以降は一気に加速している。現在はアパレル、生活雑貨、スーパー、外食と、ロードサイドにあるような主要チェーンがほぼ揃った形だ。「銀座にユニクロ?」と驚いた日から20年が過ぎ、銀座は一体どこへ向かっているのだろうか。
銀座に「大衆的チェーン店」が増殖した背景とは?
銀座にチェーン店が増えた背景には、構造的な理由がある。中央区の人口急増だ。 臨海部を中心にタワーマンションの建設が続き、中央区の人口はこの10〜20年で急激に増加している。そこで起きた問題が公共交通機関の不足だ。晴海エリアの公共交通機関は、地下鉄大江戸線の勝どき駅しかない。 となると実際、駅まで数十分かけて歩くより、自転車で20分かけて銀座に来た方が楽と考える人も出てくる。こうして、タワマン住民が自転車で銀座にやって来て、オーケーで買い物し、くら寿司で食事する――という日常が生まれるようになった。昨今問題化している違法駐輪の増加も、この動きと連動している。 つまり、ロードサイド化とは単なる「銀座の大衆化」ではなく、銀座の周辺人口そのものが変わったことの反映でもあるのだ。 さらに、銀座の変化を考える上では街づくりを担う組織も知っておく必要がある。それが2006年に設立された民間組織「銀座デザイン協議会」だ。 銀座デザイン協議会は2006年に設立された。新たに建物を建てたり改装したりする際に、事業者から寄せられる年間300件にも上るという申請を基にして事前協議を行っている。建築物の外観や看板デザインについて、事業者とともに「銀座らしいデザイン」を一緒に考えていく団体である。 協議会の特徴は、規制ではなく「対話」にある。「銀座の街づくりの考え方を事前に理解してもらうことで、よりよい開発を行ってもらうこと」を重要視しているという。数値や規則による強制ではなく、店との「信頼関係」で街を守るという考え方が根底にあるようだ。 なお、銀座デザイン協議会は「銀座街づくり会議」が運営する実務組織だ。街づくりの方針策定を担う組織として2004年に設立された銀座街づくり会議の傘下で中央区の指定を受け、個別の建築・デザイン案件を協議する場として生まれた。 銀座のロードサイド化について、両組織の事務局顧問を務める竹沢えり子氏は「今になって初めて聞くような話ではなく、実は銀座の“大衆化”はずっと繰り返してきた歴史があります」と話す。