《甲子園で優勝後に襲った病魔…》
昭和49年の夏が終わって新チームとなり、学年が一番上になった。秋の大会に備えてグラウンドで部員総出のバットスイング、素振りをする。甲子園で優勝した直後ですからファンがすごいんです。
9月に入って試合当日の朝、起きたら寝汗をかいていたんです。試合中も体が重たく、微熱もあった。その大会は1回戦で天羽(あまは)に負けてしまった。そんな状態でも高校生くらいだとあまり病院に行かない。その後、茨城国体(10月20~25日)がある。それには出たいと思っていました。体のだるさも続いたので、銚子市内の島田病院(島田賢医師)に行ったんです。いきなりレントゲン写真を見せられた。肺の右側に肋骨(ろっこつ)が写ってない、真っ白なんですよ。先生から説明を受けました。
「入院した方がいいです。これは胸膜炎といって肺に水がたまっている状態なんです」って。たぶん甲子園大会のころから、少しずつ水がたまっていたんじゃないかって。ええっ? 僕、そんなに水を飲みすぎたのかなって(笑)。
ま、冗談です。国体出場はあきらめました。昔は注射で水を抜いたりしたが、傷が残らないように薬で治療した方がいいということになった。医者も「途中で無理してこじらせない限り完治する」と言ってくれた。しっかり治せば、再び野球ができると自分にも言い聞かせて病院の言う通りにしたんです。約3カ月入院してました。甲子園で優勝したことで全国から激励の手紙やお見舞いの千羽鶴などが届きました。勇気づけられましたね。
《ベッド上で特訓。転んでもただでは起きない?!》
僕は入院中にスローイングを覚えたんです。病室の天井にボールをぶつけてね。スローイングは手首をこねて使うとボールコントロールができない。指先で投げる感覚を養った。手首をこねずに投げるとひじが向いた方向にボールが行く。ひじの使い方と指先の感覚でスローイング練習をしました。
ボールを天井に向かって投げる。最初は加減がわからず、天井に当たってドンと音がする。患者さんからクレームがきて、看護師さんに怒られたこともありました。天井ギリギリに投げてましたから。3カ月間、毎日やっていた。ひじの使い方をソレで覚えたんです。
スローイングはプロに入ってからもすごく自信を持っていました。どんなに遠くからでも同じ軌道に投げることができた。〝けがの功名〟じゃないけど、やはり何かしら〝やったもの〟は後々しっかりと自分のものになるんですね。
退院したとき体重が増えていたんです。入院時は176センチ、65キロだったのが72キロぐらいになっていた。プロに入ってのベストが68キロくらいかな。
《半年ぶりに練習再開》
年が明けて50年4月1日、解禁日に早朝練習をしました。あらかじめ1年生に用意をさせていたんです。朝7時半くらい。約半年ぶりの練習です。そうしたら早朝なのにグラウンドに生徒がいっぱいいたんですよ。学校の窓からもみんなが見てくれて。うれしかった光景ですね。今でも目に浮かびます。最後の1年間、「またしっかりやらなきゃいけないな」って、改めてそんな気持ちになりました。
でも新チームは前年に比べ小粒だった。投手も前年は土屋さん(正勝、50年中日入り)がすごすぎた。野手も僕と1歳年下のウーやん(宇野勝、後に中日入り)くらい。彼はもともとピッチャーだったけどコントロールが悪くて野手になった。斎藤一之監督の方針は僕がショートで宇野がサード。ある日の練習中、監督には相談せず、「お前、ショートをやれ、俺がサードにいく」とポジションを変えたんです。後で監督に一応、「俺はサードがいいです。肩のことを考えたらウーやんがショートに向いています」と話すと「それでいい」って。チームを任されましたね。(聞き手 清水満)