あの木琴を弾いてみて──完璧主義と曖昧主義
わたしは、木琴というものが無性に弾いてみたくなるのです。おまけに誰にも木琴に触れて欲しくはないのです。愛する人を支配したいようなもので、見て欲しくもないのです。ですから、わたしだけの木琴という理想があることは、言うまでもありません。完璧主義というものの面倒なところは、完璧に支配してしまおうとする意志と行動が伴うところです。余計な計算までして我が物とするところに七面倒なところがあります。ああ、わたしだけの木琴よ──いつまでもそばにいさせてくれ、木琴を溺愛することの意義を教えてくれ。君の音色がとても美しいことぐらい知っている。君を叩くたびに綺麗な音色が聴こえてくる、そうだろう?君の醍醐味はわたしだけしか知っていないはずだ。誰にも触らせないようにいつも木琴室で隠しているのが効果的だ。誰かしらは聴こえるとかじゃないよ、この木琴の音色はもうわたしにしか聴こえないんだよ。完璧というものはそういうものだろう。完璧主義をひそかに満たしてくれるもの、それが君という木琴だろう。唯一無二の木琴は、君しかいない。木琴室といっても木琴は君しかいない。ヴァイオリンやフルートが並ぶこの部屋でも、輝きを失わないでいるのは、この木琴を雑巾で拭いてくれる丸山茂夫のおかげであろうか。丸山は、わたしがこの部屋にいない間に木琴を手入れしてくれた、恩のあるおじいさんである。わたしは、木琴が昨日より輝いている理由を、このおじいさんのせいだと三ヶ月目に気付いた。
わたしは、三ヶ月という歳月は短いようで長い、と感じた。茂夫がちょうど木琴を手入れしているところに偶然にも鉢合わせたとき、茂夫は、「これを三ヶ月もしちょる」と呟いた。何の責も施しもないわたしであったが、わたしの木琴が輝いた理由は明らかであった。ひとつ気にかかるのが、木琴のことをどう思っているかであった。わたしは、か弱いこのおじいさんが気に入った。それは、わたしの特殊能力である、心の声が判然とすることと関連していた。茂夫は、木琴を心から愛していたのである。木琴はひとつしかない。だからこそ、この一手間を大事にするのだ。
わたしは、「こんな夜遅くに木琴室に入ったのは、木琴を手入れするためなんですね」と言って笑った。茂夫は、うむ、そうじゃ、と言うと、「木琴はあと少しで完全じゃろう」と呟いた。わたしは、木琴のことを愛しているのはわたしもです、と伝えた。──木琴を弾くたびに上達する自分自身をイメージした。このおじいさんが木琴を弾くところは想像しにくかった。木琴は、愛してくれてありがとう、という声を発した。わたしは、面白い、と思うと木琴を軽く弾いた。木琴が、もっと弾いて、と声を発している気がした。


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