国際医療相談室

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2024年04月20日

中国で見た不思議な治療



 

 あれは2002年のこと、中国・広州市の300床ある大病院で不思議な光景に遭遇した。50代の女医、陳蓮は白衣を纏っていたが、西洋医でも中医でもなかった。医師免許を持たない彼女が医師の尊厳でもある白衣を纏うことに反発する医師も複数いた。それどころか一年ほど前までは、彼女が病室を訪れ、患者と接する行為に異議を申し立てる医師もいた。

 

 しかし、異議を申し立てた医師の行為は正論だった。無資格の彼女が、もし、医療行為の一環として患者に指の一本でも触れたなら、当時の中国でもそれは法律違反にあたる。医師たちは自分の務める病院で違法行為が行われていることに看過できなかったのだ。

 

 ところが、彼女を病院に招聘したのは、その病院の経営者であるM氏だった。M氏は華僑の出だが財閥というわけではない。医師を目指してカナダで学んだが医師にはなれず、中国に戻り不動産デベロッパーとして一代で財を成した。10万人規模の巨大な街をつくり、それに付随して学校、ホテル、ショッピングモール、そして病院も建設した。そのコミュニティーの中では誰もM氏に苦言を呈する立場にはなかった。

 陳蓮は内科に属していたので彼女を病院から排除させたい一派は、内科の主任女医である王燕医師にその旨を嘆願した。王医師も対応に窮した。M氏の肝入りで招聘した陳を、自身の意志ではないにせよ、上申するには相応の根拠が必要だ。そこで「もう少し様子を見ましょう」と王医師は懐柔策で時を稼いだが、西洋医でもある王医師もはじめのころは彼女の存在に疑問を抱いていたという。

 

 そんな陳蓮が赴任してから一年後の2002年には白衣を纏い、堂々と廊下を歩いているが、彼女に後ろ指を指す者はもう誰もいなくなった。わずか半年の間に、どの医師をもってしても助けることのできなかった重度の意識不明患者3名を、彼女が根治させ、退院させたのだ。

 

 3名の患者はそれぞれ40代男性、30代と20代の女性で、長らくICUにいて西洋医がチームで治療にあたったが治療そのものを断念して死を待つばかりだった。病名や、原因はそれぞれ違ったが脳に異常が見られ意識朦朧から昏睡状態に陥り、そのまま意識を回復することのない奇病で、どの医師も諦め、家族には積極的な治療はこれ以上行えない旨を伝え、本人の生命力に期待すると同時に、自然死を待つしかないと宣告した。

 患者はみなまだ若い、家族はまだ生きている意識のない患者を囲み号泣する日々を一般病棟で過ごすしかなかった。そこに登場したのがx先生だった。医師免許を持たない彼女の介入に医師たちは猛反対したが、家族は藁にもすがる思いで、陳蓮の民間療法を受諾した。結論から言うと、わずか半年の間に3人の患者が目を覚まし、次に自らの力で水を飲み、最後は自分の足で歩いて退院したのだ。

 奇跡も三度続くと奇跡ではなくなる。患者に携わった誰しもが、彼女に意見を呈することは、いい意味でできなくなった。著者は彼女の治療法を実際に何度か見せてもらったことがある。実にシンプルだった。

 

 患者をベッドに仰向けに寝かせ、照明を落とした治療室で、彼女が不思議な歌を唄いながら患者の全身を軽くポンポンと叩いていく。たったそれだけの行為を一時間から二時間かけて行うのだ。件の3人の患者にも同様の行為を日々続けたのだと王主任が教えてくれた。科学的なエビデンスは何ひとつ残されていないが、死を待つだけと宣告された3名の患者が歩いて退院したという事実を病院中の多くの関係者が目撃している。

 

 私は陳蓮を取材したが、彼女自身も何故だかわからないと言っていた。歌の言語は彼女の故郷である少数民族の方言で、それは同じ中国人の王主任でもわからないと言う。陳蓮によれば、歌詞に深い意味はなく「降りてきた言葉」を音(声)にして即興でリズムをつけているそうだ。当時、波動というキーワードはあったが、今振り返ればある種の周波数だったのかもしれない。私が民間療法に興味を持つ大きなきっかけとなった。