「最近、ヒーローはマスターばっかやん」中日・阿部寿樹の“勝負強さ”が示すドラゴンズ復活へのヒント
サッカー日本代表がワールドカップで見せた戦いぶりは、多くの人の胸を熱くした。惜しくもベスト32で大会を去ったものの、主力を欠きながらも最後まで貫いた「凡事徹底」の姿勢は、今のドラゴンズが見習うべきものではないだろうか。交流戦明けの巨人戦、そして甲子園での阪神戦。そこには、チームが浮上するためのヒントが詰まっていた。(文・チャッピー加藤) 【動画】鮮やかすぎるセンター前!阿部寿樹、7月2日の勝ち越し打
森保ジャパンに学ぶ「凡事徹底」。ドラゴンズに足りないもの
竜党の皆さん、ワールドカップ、観ていますか? サッカー日本代表の「サムライブルー」に「ドラゴンズブルー」をつい重ね合わせてしまった方も多いのでは? サポーターで青一色に染まった日本側のスタンドは、まるで神宮球場や東京ドームのレフトスタンドのようだった。 日本代表が遠藤航や久保建英ら主力を負傷で欠きながら、強豪ブラジルと後半アディショナルタイムまで堂々と渡り合えたのは、層の厚い控えメンバーがいたからだ。指揮官の意図するものが選手全員にしっかり伝わっていたから、誰が試合に出ようと「日本のサッカー」が展開できた。そういうチームを時間をかけて作り上げた森保一監督のマネジメント術には、ドラゴンズも学ぶところが多いのではないか。故障者の多さは言い訳にならない。 大事なのは、森保監督もつねづね口にしている「凡事徹底」である。ちょっとしたことでも、コツコツと徹底して積み上げていけば、いずれそれは大きな成果となる。今季は「キャンプで何をやっていたの?」と言いたくなるプレーが散見されるドラゴンズだが、チームが勝つために、選手自身は何をすべきか? 改めて足元を見つめ直してほしいと思う。
大勢撃ちで劇的逆転! 東京ドームで見たドラゴンズの執念
さて、6月21日の日曜日、私は交流戦明け最初のカード、巨人―中日戦の3戦目を東京ドームへ観に行った。1勝1敗で迎えたこの試合は、午後2時にプレイボール。ちょうどこの日はワールドカップ「日本―チュニジア戦」が行われていて、こちらは午後1時(日本時間)からキックオフ。都合のいいことに、東京ドームシティ内のオープンスペースでパブリックビューイングが開催されており、試合前半の模様は大画面で観ることができた。私同様、前半終了と同時にドームへ向かう人も結構いた。 後半の模様は、ドームに入ってからスマホで経過のみチェック。日本はチュニジアに4-0で快勝した。上田綺世の2ゴールも見事だったが、問題は目の前で戦うドラゴンズだ。巨人先発・井上温大の出来はそれほど良くなかったのに、ランナーは出すが得点を奪えない。 一方、ドラゴンズ先発・柳裕也は初回、ボビー・ダルベックにいきなり先制タイムリーを打たれ、4回・6回には泉口友汰にソロ本塁打とタイムリー二塁打を許してしまう。この時点で0-3。もう1点取られたらチュニジア戦と同じスコアだ。泉口の2打点が、上田の2ゴールにカブる。 このままでは「チュニドラがチュニジアみたいに負けた!」とSNSで揶揄されかねない。反撃を期待した7回のラッキーセブン、2死一塁から代打・板山祐太郎がライトに二塁打を放ち、一塁走者の田中幹也が長駆ホームを狙ったが、好返球が来てホームで憤死……「ああ、また負け試合を観に来てしまったか」と、このときは半ば覚悟していた。 ところが、野球とは怖いもので、8回に信じられないことが起こる。 巨人は予定通りセットアッパー・大勢が登板。先頭・岡林勇希の放った強い当たりを二塁手・浦田俊輔がいったんグラブに収めながら、送球する前にボールをこぼし内野安打に。続く鵜飼航丞はセカンドゴロで万事休すと思ったら、なんと浦田がファンブル。ドラゴンズは労せずして無死一、三塁のチャンスを迎えた。 いつもなら敵のミスにつけこめないお人好しのドラゴンズだが、この日は違った。細川成也と高橋周平がタイムリーヒットを放ち、これで1点差に迫り、なおも2死一、二塁。続く村松開人の打席のとき、ネクストに代打の切り札・阿部寿樹の姿が見えたので、私は「何でもいいからマスターに回せ!」と村松に念を送った。無理に打ちにいかず四球を選んだ村松は、実にいい仕事をしたと思う。 さあ、2死満塁で一打逆転のチャンス。そしてマスターは期待通り、きっちり仕事をしてくれた。ライト前にタイムリーを放ち、2者が生還。なんと大勢から4点をもぎ取って、試合を一気にひっくり返したのだ! やればできるじゃん! さらに最終回には、代打・石川昂弥がダメ押しのタイムリーを放ち、これで勝負あった。最後は守護神・松山晋也が締めて勝利。ドラゴンズは交流戦で楽天に3連勝して以来、実に6カードぶりのカード勝ち越しを決めた。巨人相手、しかも敵地で大勢を打ち崩しての逆転勝ちだけに、溜飲が下がった人も多かっただろう。私も試合終わりに祝杯をあげた。 それから11日後の7月2日、私は甲子園球場にいた。