在日はどうやって駅前の土地を買い占めたのか
私の3つの出会いと、戦後史から導く“推測”
私はこれまでの人生で、三度「在日コリアンの不思議な豊かさ」を目撃してきた。
だが、それが戦後のどんな歴史から生まれたものなのか──当時の私は何も知らなかった。
いま思えば、あの違和感がすべての始まりだった。
■ 若い頃の職場の在日コリアン男性
年齢は私とほぼ同じ。
しかし生活の余裕は桁違いだった。
「親戚が持ってるマンションにタダで住んでいる」
当時の私は理解できなかった。
都内のマンションを親戚が所有、しかも家賃ゼロ。
なぜそんなことが可能なのか。
■ 新宿の飲み屋で出会った在日コリアン女性
10数年前、彼女は酒を片手に軽く言った。
「この辺のビルのいくつか、うちの一族のよ。働かなくても生きていけるけど、趣味で店やってるだけ」
別の女性も同じように「都内に土地持ってるの」
と当たり前のように口にしていた。
何をして食っているのか分からないが、なぜか裕福な様子だった。
■ そして、私が住んでいる賃貸の大家も在日
複数のビルと駐車場を持ち、一族で管理している。
駅前のパチンコ店を経営していた時期もある。
ここまで揃ってくると、
私の頭の中で「なぜ?」が膨らんでいった。
在日は差別のせいで貧しい生活を強いられているのではなかったのか?
◆ しかし──彼ら個人から直接事情を聞けるわけではない。
だから私は、戦後史の資料を読み始めた。
そこで出てきた答えは、教育で教わった内容とはまるで違うもうひとつの戦後史だった。
歌舞伎町の土地持ちの六割が今もって朝鮮人や韓国人、台湾人だという。(歌舞伎町・ヤバさの真相 溝口 敦 p158)
以下は「彼らがどうやって土地を得たのか」を、当時の一次資料から推測したものだ。
1)敗戦直後、日本人は「売る側」だった
『闇市の帝王』で進駐軍としてやってきた中国人の王がこう証言している。
「当時の日本人は金がなかった、みな喜んで土地を売ってくれた」
「俺には警視庁や検察庁も手が出ないんだ」
「俺は不良外人のナンバーワンだ」「金と命とどちらが欲しいか」
王は5千万円を持って日本にやってきた。日本人が持ち帰った日本円は銀行に預金させ封鎖し少しの払い戻ししか認められなかったが、王は進駐軍だったのですべて新円と同額で取り替えることができた。
そして主の帰らぬ東京の一等地を次々と即金で取得し、マーケットを作りあげた。
王は集客力のある駅前の土地に目をつけ、新橋、新宿、渋谷、自由が丘、荻窪、学芸大学などにマーケットを作った。
しかし土地の登記や権利書に王の名前が出ることはない。朝鮮系日本人の名義で土地の売買から登記までを行っていた。
2)“買う側”に回れたのは、外国人だった
溝口敦『歌舞伎町・ヤバさの真相』は明言している。
>敗戦後、日本人の多くは米占領軍ばかりか、中国人や朝鮮人に対しても恐れや怯えや反感を抱いていた。中国人は一夜にして「戦勝国民」となったし、台湾人や朝鮮人(当時は「第三国人」と呼んだ)の多くは日本植民地主義のくびきを脱して精神的にも解放され、敗戦日本をあたかも治外法権の地と観じた。彼らの暴力と横暴を規制できるのはGHQだけであり、日本警察はほとんど無力だった。日本人の中で暴力的にわずかに対抗できるのは戦前からのヤクザ、帰還兵や学生崩れからなる愚連隊、総じて暴力団に限られていた。(p115)
『疵―花形敬とその時代 本田 靖春』にもこうある。
中国人、台湾人、朝鮮人のいわゆる第三国人が駅前の焼野原のかなりの部分を占拠して、米などの食料品やゴム製品など、禁制品を堂々と商って、日本人の露天商を上回る利益を上げていた。彼らには警察力が及ばず、かえって渋谷署の署長や特高主任を呼び出し、先勝国民としての権利を主張して十数時間にわたって監禁するという事件を起こした(p145)
いまになって日本人からビルを買い取り、大工場をおこし、派手なキャバレーやパチンコ店を経営している朝鮮人の話が”不思議な物語!として町に伝えられるだけである。しかも、この物語はどれもこれも、戦前のみすぼらしい状態と、戦後のにわか成り金ぶりが伝えられるだけで、かんじんの開運のキッカケはボカされてしまっている。 (中略)
どうして彼らが金づるを握ったのだろう。このナゾをとくためにもう一度終戦直後のことを思い出してみよう。
”もう日本人じゃない”
日本降服の直後、マッカーサー元帥が厚木に乗りこんでくると、まっ先にこう叫び出したのは在日六十万の朝鮮人たちだった。彼らの多くは戦前出かせぎのため日本に渡ってきたか、あるいは戦時中軍部の徴用で連れてこれられたもので、内地における生活がみじめだっただけにこの強気が一度に爆発した。
彼らは敗戦国にのりこんできた戦勝の異国人と同じように、混乱につけこんでわが物顔に振舞いはじめた。米でも衣料でも砂糖でも”モノ”が不足していた時代に彼らは経済統制など素知らぬ顔でフルに”モノ”を動かした。当時絶対に手にはいらなかった純綿のハダ着や雑貨、菓子類、ウイスキー、外国の医薬品など彼らのヤミ市では簡単に買う事ができた。ヒロポンや密造酒が集散されたのも主にそこだった。ゴミゴミしたマーケットから金持ちが続々と生まれていった。
(白い手黄色い手ーー日本人の財布は狙われているp29~)
これらの資料が描く像をまとめると──
当時のカオスな闇市を動かせたのは、
法の外側で自由に動けた外国人勢力だったのだ。
3)彼らは闇市で莫大な現金を手にした
安藤昇『やくざと抗争』にはこうある。
外国人のヤミ行為に対しては寛大で、取締りの弱腰はまったく見られたものではなかった。だから外国人は堂々と米飯を売り、ヤミ物資あるいは統制品を販売して巨利を博したのである。
街の一等地は彼らによって占領された。いまでも街を見渡してみたまえ、どの街もパチンコ屋、中華料理、あるいは衣料店にしても彼ら経営の店がなんと多く、幅をきかせていることか…。(p208)
高山正之も「変見自在 マッカーサーは慰安婦がお好き」で以下のように解説している。
朝鮮人犯罪を報道した新潟日報社が襲撃され、ついには首相官邸も襲われた。彼らはあの食糧難時代に一人で100人分の配給米を要求した。断れば殴る蹴る。そうやって集めた米で密造酒を造った。川崎市で密造酒手入れをした税務署員が報復で殺される事件もあった。
彼らは儲けた金で不法占拠した駅前一等地にパチンコ屋を建てた。そんなうまい話があるのかと戦後に波ってきた朝鮮人は多かった( p30)
野村進『コリアン世界の旅』ではさらに踏み込む。
「闇市で儲けて、それからパチンコ(店経営)に走った人が多いんですよ。じゃあ闇市で何をして儲けたかというと、結局、ヒロポンと贓物故買だよね」
密造した覚せい剤を売りさばいたり、盗品の横流しをしたりして、短期間のうちに大金を作り、それをパチンコ店開業に振り向けたというのである。
「そういううしろ暗い過去がなかったら、カネなんていうものはそんなに貯まらんですよ。うしろ暗い過去があるから、人にも言われんわけでね。」
厳しい就職差別があったから、限られた仕事に集中せざるをえなかった、と言い訳する。
「(パチンコ店が)脱税ナンバーワンの業界というのは事実なんです」
脱税の言い訳もまた差別のせいだという。選挙権もないのに誰がバカ正直に税金なんか払うか、というわけ。(p96)
つまり、
闇市 → パチンコ → 不動産
という流れで、現金の塊を土地に変えていった。
ここに初期の朝鮮人地主層が生まれた。
4)不法占拠+現金買収という“二層の取得経路”
鈴木栄二『総監落第記』には凄まじい描写がある。
地主に対する脅迫の悪質なものでは、地主がこれらのボス達に拉致されて、莫大な立退き料を要求されるなどという事件も起つたほどだ。ことに不法占拠のやり方がまた驚き入った無法者流で、簡単なバラックを一夜のうちに急造して、地主の気づいたときにはもう営業が始つているという調子。この不法占拠者には第三国人が多く、そのほとんどが中華民国人か合湾省民であつた。
「戦争に勝つた中国人が、日本人の土地建物を占有するのに何の文句があるか」これが彼等の決まった口実であつた。P18
『嫌韓流の真実!ザ・在日特権』にもこうある。
東京の新宿歌舞伎町などの例に見られるがごとく、このような敗戦直後の土地不法占拠の先鞭をつけたのは、在日の華僑(主に台湾人)たちだった。やがて朝鮮人たちがこれを真似しだし、さらに大っぴらな不法占拠を始めたのだ。敗戦から一年が経過して始まった取締まりにより、都市部の優良地のかなりの部分が、これら「第三国人」によって不法占拠されていたことが判明し、場所によってはそのまま今日に至っている。
もっとも、土地占拠は不法に行なわれたが、日本人側にも戦災で一家離散の家庭が多く、土地の所有を主張する者が不在だったから、当時の事情を考慮して物事を捉えなければならない。(p25)
さらに、当事者自身の証言にも、当時の無秩序さがはっきり残っている。
川崎在日コリアン生活文化資料館の聞き書きには、こう記されている。
「土地は誰のものでもなくて、みんな勝手に自分の土地にした」
これは研究者の分析ではなく、実際にそこにいた人の言葉である。
日本の大都市で土地がどう動いたのか──その核心を一行で示している。
つまり取得経路はこうだ。
① 不法占拠(先に物理的に押さえる)
② 現金買収(所有者が出てきたら即金で買う)
この2つの手段が同時に使われた。
戦後直後の日本は「法より早い者勝ち」が通用した時代だった。
そしてその早い者が、外国人だった。
5)そして地主層は固定化し、70年動いていない
『民団新宿60年の歩み―雑草の如く生き抜いた同胞の歴史』はこう証言する。
現在、街中に住んでいる韓国人は戦後そこに来た人が多い。
戦後の混乱で疎開で引越したり、所有者がはっきりしなくなり、
空いている土地があると、親戚縁者がそこにあつまれと号令をかける(p325)
この“固定化構造”こそ、
私が出会ってきた3人の在日の背景にある。
■ ◆ 推測:私が出会った3人の背後にある“戦後の構造”
職場の先輩が“家賃ゼロ”に住めた理由
→ 一族が戦後に取得した不動産を、家族内で回している可能性が高い。新宿の飲み屋の女性が“駅前ビル所有”を語った理由
→ 歌舞伎町の地権者の6割が外国人という溝口敦の記述と一致する(p158)。現在の大家一族が複数のビル・駐車場を持ち、駅前のパチンコを経営していた理由
→ 文献が描く“闇市→パチンコ→不動産”の典型ルートと完全に重なる。
彼らが自分の来歴を語らなくても、
当時の歴史構造を知れば“推測”は可能になる。
■ 結論:私の違和感は、すべて戦後の地権シャッフルに繋がっていた
私は糾弾したいわけではない。
ただ、学校教育とは全く別の戦後史を知り、
ようやく腑に落ちた。
なぜ先輩は家賃ゼロなのか
なぜ新宿の女性はビルを所有しているのか
なぜ現在の大家が複数のビルと駐車場を持つのか
答えはこうだ。
敗戦直後の無法地帯で、駅前の土地を先に押さえ、
闇市で得た現金で買い占めた。
その“戦後の勝者”の子孫が、今も都市の地主であり続けている。
三つの小さな出会いが、
私を“もう一つの日本の戦後史”へ導いたのだった。
【補足】
< この二十八で日本が独立してから丁度半年になりこの間、占領中から続いて認められて来た外人の特権もここで一切消えてなくなる。こうして日本は名実ともに完全な独立国となるわけである。しかし七年を超える長い占領の期間中、ずっと与えられていた特権を利用して外国人の一部の者は日本の各方面に支配的な地歩をすでに確保してしまった。身近なところで言えば昔の銀座に第三国人の経営する飲食店は中華第一楼、ローマイヤー、ジャーマン・ベーカリー。ケテルスぐらいのものだったが、現在ではキャバレーなども含む750軒の飲食店中約4割が第三国人の支配下にある。
というのは彼らの大部分はろくに税金も払わず、禁制当時に米を平然と売り、営業時間その他の統制には一切服さないという優位に終始して来たからであると銀座の古老は切歯して語っている。別に法規で公認された特権でもないのに、日本の官憲の卑屈さと、取締っても裁判権がないという実際的な問題からこういうことは多めにみられ、彼ら自身に特権と信じ込ませていよいよはびこらせたためである。そしてそれらの特権を取り上げて独立を迎えた。しかも東京はいまや完全に植民地化し、かつて中国になどあつたあの租界のような実相を呈してきたというものがある。果たしてそうであろうか、ここに実相の一端をとらえて読者に送りその判断に待つとしよう。>
…彼らが関心を払うのはビルに空室が出ないことだけで、テナントがどんな商売をしようと自分に火の粉が降りかからないかぎり関係がない。所有と経営の分離が荒っぽい商売を許し、テナント料をつり上げ、歌舞伎町を危険な街にしたともいえる。
しかも歌舞伎町の土地持ちの六割が今もって朝鮮人や韓国人、台湾人だという。彼らが出稼ぎ感覚で日本人の地主や家主以上に街の美観や動向に無関心だったとしても、意外ではない。
盛業中の不動産業者
別の不動産業者が指摘する。
「街がスタートしたころ土地を買った三国人も今は代替わりしている。代が替わっても持ち堪えた一族、所有権を手放したビルオーナー、いろいろだけど、その後、歌舞伎町で土地やビルを買い進めた三国人も多く、三国人のシェアは相変わらず六割程度だ。
歌舞伎町で今一番目立つのは三経ビルディング(木山貴英社長)と森下不動産(金井勝利社長)だが、三経ビルディングは歌舞伎町の一丁目、二丁目に二十八棟ものビルを所有している。所有ビルの登記を取ってみれば分かるが、最近買収したビルばかりで、しかも全部が全部担当に入っていない。どこで資金を融通しているのか、狐につままれた気がする」
この三経ビルは韓国系とされる。所有ビルは「三経1ビル」などとナンパリングしているが、全国の盛り場にビルを所有し、ほぼ欠番なしに「三経70ビル」まであるから、不動産業者がが瞠目するのは当然だろう。
(歌舞伎町・ヤバさの真相 溝口敦p158)
>念のため三経ビルディングと森下不動産に確認を求めるべく取材を申し込むと、両社とも「取材は受け付けていない」という。いわば「我々は自分の商売に専念する。書くなら勝手に」といった態度である。よく言えば「自立自尊」、悪くいえば「社会責任の無自覚」は歌舞伎町という街全体に共通する性格である。
(歌舞伎町・ヤバさの真相 溝口敦p160)
【追記】
株式会社三経ビルディングの求人広告
https://tenshoku.mynavi.jp/jobinfo-266513-3-10-1/
「当社は、業界では珍しい無借金経営を設立当初より続け
三経グループの一員として、ビルの仕入れから管理まで
トータルに手掛けています。
現在の自社管理物件は97件に達しー」
と紹介文にある。
不動産業界で“無借金”とは異常値だ。
通常の不動産会社はビル購入のために巨額の借入を抱える。
無借金で都心のビルを買い続けられるということは、
最初から巨大な現金と土地を持っていた
ということ以外に説明のしようがない。溝口敦が記した「闇市 → パチンコ → 不動産」という戦後の構造が、企業の形で現在まで生き残っている。
三経ビルディングの無借金経営は、単なる経営方針ではなく、
戦後の初期条件そのものの影響 を如実に物語っている。


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