灯りのない土地を、いま超えているーフライト5Aからの独白
成功した男は、なぜ孤独なのか
誰にも言えない沈黙のひだを抱えたまま、彼はナイトフライトに乗った──
詩と哲学で描く、ある経営者の“夜の問い”
エンジンの低い音だけが、
密やかに世界を引きずっていく。
深夜1時45分。
上空1万メートル。
窓の外には、灯りのない大地が広がっていた。
どこかの国の夜。
人々が眠っているはずの土地。
そこには、名前も記憶もない、ただの“暗さ”が横たわっている。
── なぜ、こんな時間に、こんな場所にいるのだろう。
海外出張の帰り。
会食も終わり、現地スタッフの見送りを受け、
ひと通りのスケジュールをこなして、ようやく機上の人となった。
座席のパーテーション越しに、他の乗客の姿は見えない。
すでに眠りに落ちた人々の呼吸だけが、どこか遠くで感じられる。
ほどよい距離と静寂。
唯一、自分の席だけに残る読書灯。
その光が、テーブルに置かれたグラスを照らしていた。
スコッチの琥珀色が、天井の光とまじわり、
まるで誰にも聞かれない独白を始めようとしているかのように、
静かに揺れていた。
窓の外を見る。
疲れた顔が、うっすらと映っている。
そして、その先に広がる、広大な“何もない”黒。
その黒の下にも、それぞれの夜が息づいている。
遠くの誰かの暮らしを、ふと想像してしまう。
自分とは関係のない人生。
決して交わらない時間。
けれど、どこかで、誰かが、
今日という日を生ききって、眠りについているのだ。
自分は、どうだろうか──
成功した。
数字も、評価も、実績も、
そのすべてを眼下に置いてきたはずなのに、
なぜか、心だけが地上に残されたままだ。
このフライトは、何を越えているのか。
地理的には距離を縮めているのに、
精神的には、何ひとつ“離れられていない”と感じる。
── 心の重量だけが、いまだに下に引っ張られている。
誰にも言えないことがある。
誰にも渡せない問いがある。
それは、年々増えていく“気づかれなかった沈黙”たちだ。
それを誰かに説明する気もない。
だが、今夜のように、窓の外に吸い込まれていく景色を見ながら、
ただ一度でいいから、誰かに、
「わかる」と言われてみたかった、と思う。
自分の中には、まだ届かない思いがある。
どこに行っても、何を得ても、
それは上空にも、機内の快適さにも関係なく、
ただ静かに、問いとして残っている。
それが、このフライトの本当の目的地かもしれない。
どこへ向かっているかではなく、
どこから離れられないのか──
そのことに、ようやく気づいた夜だった。
……着陸予定時刻まで、あと3時間12分。
眠ることもできず、
ただグラスの残りを口に含んだ。
スコッチの香りが、口の奥に滲んでいく。
エンジンの音は、一定のリズムで空を切っている。
このまま、もう少しだけ
“灯りのない土地”の上を飛んでいたいと思った。
どこにも属さず、何者でもなく、
ただ、通り過ぎる存在として──
本作は、シリーズ『社長の孤独~深夜2時の書斎から~』より、特別番外編として書き下ろしたものです。
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