君はいい子
私は悪い子(novel/27736656)の続編です。
お題箱にてリクエストいただいたものです。
ゆじの疑似恋愛の軌跡に嫉妬してしまうひぐるまさんの話です。
過去作の続編希望をいただけるとは思わず、すごく嬉しかったです。
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どうしょうもなく、くだらない嫉妬心を抱えている。
日曜、昼。日車は悠仁に誘われて、立川にある古民家カフェを訪れていた。
内装を現代の様式に改装したカフェは、骨格の梁が剥き出しになっていたり、漆喰の壁が見た目も涼やかだった。壁には日車の身長と同じくらいの油絵で描かれた風景画が飾られており、異世界に迷い込んだと思うかのような雰囲気だった。
まあまあ広い店内も、席数は4テーブル程しかなく、周りを気にせずゆったりと過ごすことができた。
「日車、何頼むか決めた?」
目の前でストロベリーピンクの髪をふわふわと揺らす少年が、覗き見るかのようにメニュー表から顔を出す。
「そうだな、あまり見慣れない飲み物ばかりで迷う」
手元のメニューには、自家製ジンジャエールに始まり、金柑ジュースや青梅ジュースなど、あまり馴染みのない飲み物が並んでいた。名前は認識できるが、具体的な味が想像できず、目移りしてしまう。
「わかる。俺も初めて来た時すげー迷ったもん。あ、でも、これとか美味かった」
悠仁が指差した先には、赤紫蘇ジュースと書かれていた。どう考えても、悠仁が選びそうにない選択肢である。
「……渋いな」
思わず本音が漏れた。
「まあ、じーちゃんが飲んでそうだけど。けっこーさっぱりしてて俺は好き」
「そうか。じゃあ、これにする」
「ん。あ、すんませーん」
悠仁は片手をあげて店員を呼んだ。
「この赤紫蘇ジュースと、金柑ジュースください」
店員が戻っていくと、悠仁は楽しそうに左右に揺れて「楽しみだな〜! ここ、まーじでうまいから」と歌うように言った。
そんな姿に、思わず目元が綻ぶ。しかし、一つ、どうしても引っかかっていることがある。
悠仁はこんなに洒落た店に、誰と来たのか。
馬鹿にする意図はないが、どちらかというと落ち着いた雰囲気の店は、学生だけで訪れるにはハードルが高いように見える。事実、客はある程度年齢がいった層しか見受けられない。そんな店を、どうして悠仁は知ったのだろうか。
脳裏に、1人の男が思い浮かぶ。
日車はふう、と周りに聞こえないようにため息をついた。
「日車?」
上から降ってきた悠仁の声に、日車は暗くなった顔を誤魔化すように皺を伸ばして、口角を上げた。
「ああ、楽しみだな」
日車の言葉に、悠仁は一瞬、ポカンとしていたが、うん、と頷くと、また花が咲くような笑顔で「期待してていーから」と言った。
日車は曖昧に笑った。確かめなくても、きっとこの店の料理はうまいのだろう。なぜなら、悠仁が日車をこういう店に連れてきたのは、今回が初めてではなかった。
何度か、悠仁がおすすめだという食事処に行ったが、どこも雰囲気が良くて、美味い料理店ばかりだったのである。そして、どこも学生向けというよりは、日車のような落ち着いた年齢層が好みそうな場所だった。
しかも、SNSでは載っていないような、知る人ぞ知る、というような場所ばかりなのである。
突然であるが、悠仁と日車は、俗にいう、恋人関係というものである。
池袋で出会って以来、日車にとって悠仁は太陽の子、光の申し子と見間違うごとく、もはや崇拝している領域に近い感情であったが、どういう訳か、恋人、というポジションを手に入れた。
恋人と言っても、健全なお付き合いをしている……逆に言うと、それだけ真剣に考えている関係である。
2人がどうしてそんな関係になったのか、詳細は省くが、先ほど思い浮かべた男──ハマダ(偽名であるが、便宜上、ハマダと呼ぶ)という男の存在は大きかった。
というのも、悠仁はそのハマダという男を、日車の代役として疑似恋愛もどきをしていたのである。
直接会ったことは一度しかないし、しかもその時は夜だったので、あまりよく覚えていないが、確かにその男は日車と似た雰囲気を持っていた気がする。そして何より、その男からは自分と似た匂いがしたことは、強烈に覚えている。
ホテルの前で悠仁とその男が2人で立っていた時のことを思い出して、無意識に眉間に皺が寄った。まあそれも、未遂に終わったのであるが......。
まあとにかく。調査した範囲では、2人の仲は至って友人関係に近いもので、悠仁と色々な場所に行っていたようだった。おそらくここも、今までの店も、ハマダと行った店だったのだろう。
正直、面白くない。
「お待たせ致しました」
いつの間にか店員が飲み物と前菜を持って日車の横に立っていた。
運ばれてきた料理は、長い皿に、一品料理が7種ほど、ちょこん、と並べられていて、丁寧に作られていることがすぐにわかった。
「右から説明していきます。ひじきの白和、トマトの甘露煮、蕗の天ぷら、黒豆を炊いたもの、茗荷の味噌漬け、せりのおひたし、帆立を梅で味付けしたもの、です。ごゆっくりどうぞ」
何やら呪文のような言葉を残し、店員は去っていった。
「……今、何を言われたのか、完全に理解できなかった」
料理を呆然と見つめながらそう呟いた日車に、悠仁はからりと笑って、「日車も? 実は俺も」と小さい声で同意した。
「ま、食ってみろってことで。とりあえずうめーから」
悠仁は箸を手に取ると「いっただきまーす」と声を上げて、料理に箸をつけた。
日車も同じく料理に手をつける。
家庭料理のようで繊細な味のする料理は、うまく説明はできなかったが、最近食べた中で一番美味いと感じるものだった。
「これ、マジでうまい。感動した。日車もう食った?」
プチトマトの甘露煮を咀嚼しながら、悠仁は日車に鼻を向ける。
「いや、まだだ」
日車は摘んでいたフキの天ぷらを口に含んだ。サクリと軽い音がして、青い苦味と程よい塩分が口に広がる。
「天ぷらも美味い」
「やっぱうめーよな!?」
日車の「美味い」という言葉に、悠仁は一際瞳をキラキラと輝かせて、満面の笑みを浮かべた。
その顔を見て、日車の口元が解けるとともに、胸に黒い墨がポタポタと垂れて、体内の水を汚していく感覚がした。
机の下で無意識に下腹をさする。
「……随分と、いい店を見つけたな。釘崎や伏黒と来たのか?」できるだけいつもと同じ調子の声を出した。
「ん? んー、いや、別の人。こーいう良い店詳しいんだって」
悠仁は手元の黒豆を転がしながら、少し早口で答えた。
「……そうか」
誰とは言わなかったが、その人物はおそらくハマダという男だと、確信に近いものを得てしまった。
胸から湧く墨が、箸を持つ指先にまで染み込んでくるのを感じて、思わず帆立に箸を突き刺す。しかし、行儀の悪さに、すぐに箸を抜いた。
赤紫蘇のジュースを口に含んで、ふう、と息をつく。
悠仁はそんな日車の様子を気にすることもなく、満面の笑顔で料理を口に運び続けていた。
日車は考える。きっと、悠仁に悪気はなく、今日の店はその男と一緒に来て気に入ったために日車にも紹介しようと思ったのだろう。
その気持ちは理解できる。できるのであるが……。
「女々しいな」
「ん? なんか言った?」
「いや、独り言だ」
日車は考えることを放棄するかのように、咀嚼に集中した。
その後に運ばれてきた料理も、悔しいことに、どれも美味しかった。
店を出ると、悠仁は大きく伸びを一つした。
「いやー、うまかったな〜。大根のステーキとか初めて食べたわ! ああいう、丁寧?な料理食べんのも、なんかいい経験! って感じで、大人になった気分だよなァ」
「よかったな」
「日車も、満足した?」
こちらを伺うように上目遣いで聞いてくる悠仁に、日車は「ああ、大満足だった」と返事をする。
「おー、ならよかった!」
悠仁はまた太陽のような笑顔を浮かべて、歩き出した。
「モノレール使ったほうが早えけど。駅まで20分くらい、歩いて帰るでいい感じ?」
「ああ、問題ない」
2人は住宅街を抜けて、倉庫街へと歩みを進めた。
休日のせいか、あたりには誰もおらず、カツカツと足音が聞こえるくらいに、しんと静まり返っていた。
「俺も、ああいう店に詳しくなるべきだな」
日車はずっと考えていたことを口にした。
「急にどったん。ああ言う店って、昼飯の話? 別に無理しなくていーって。日車、あんま外出るタイプじゃないじゃん」
悠仁は眉根を下げて、口をへの字にする。
初めから期待もしていないような声に、日車は今までの自分の積極性のなさを呪いつつ、口角が下がるのを止められなかった。
そもそも、2人は付き合っているわけで。なんなら付き合いたてな訳で。そんな、一番気持ちが昂っているはずの段階でこちらに期待も何もないような反応をされると、若干の寂しさとやるせなさが募ってしまうのは、仕方ないことではないだろうか。
「だが、君にばかり頼ってしまうのも、申し訳ないだろう」
「えー、そんなん気にしなくていーのに。むしろ頼られんの好きよ? 俺」
悠仁は胸に拳を当てて、フン、と胸を張った。
「君がそう言ってくれるのは嬉しいが。流石にいつも任せきりなのは不公平じゃないか? 付き合うということは、お互いに対等であるべきだと思う」
ザ、と音がして、振り返ると、悠仁は耳まで赤くさせて立ち止まっていた。
「虎杖?」
日車が首を傾げると、悠仁は口を何度かはくはくとさせて、盛大にため息をついた。
「日車、そういうとこあるよな……」
悠仁は手の甲を口に当てて、ふう、と息を整えた。そして、ゆっくりと日車の前まで歩みを進める。
「じゃあさ、」
つい、と悠仁の手が日車の裾を引っ張った。
日車が悠仁の手から腕へ、そして、顔へと視線を移すと、熱をはらんだ瞳が静かに揺れて日車を捉えていた。
「あれ、やりたい」
「あ、れ、というのは」
日車はゴクリと喉を鳴らした。魅入られたかのように、悠仁から目が離せなくなる。
悠仁は日車の体にくっつきそうなくらいまで近づいて、耳元に手を当てた。
「はーぐ、ってヤツ」悠仁の首がコテンと横に揺れた。
咄嗟に周りを見渡して人の気配を確認する。倉庫街が続く道は広かったが、人の気配はなかった。
「みんな駅まではモノレール使うから。ここの人通り、ほとんどないよ」
悠仁はつまんだ日車の袖をそのままに、また歩き始めた。少し歩くと、一件の家ほどの倉庫があり、その影は道から死角になっていた。
「な、ここなら周りを気にしないでハグ、できると思わん?」
細められた目が、熱をはらんで日車を見ていた。
「……建造物侵入罪」
それしか、言葉が出なかった。
「ここ、ぎり公道だから」
悠仁は倉庫と土の境界線を足でさして、いたずらっ子のように笑った。悠仁の手が、日車の腹を柔らかく押して、倉庫の影へと追いやる。
ホコリの湿った匂いと、悠仁の柑橘のような、若々しい木のような匂いが鼻をつく。
腹に回された腕が、日車の存在を確かめるように、キュ、と締め付けてくる。お互い半袖だったので、腕にあたる悠仁の肌が少し湿っていて、それがやけに生々しかった。
「ひぐるま」
肩に当たる悠仁の鼻が、すう、と息を吸うのがわかった。そして、震えるように、はぁ、と細い息を吐く。
「虎杖、汗をかいてるから、あまりそこで息をされると……」
「俺」
悠仁はさらに腕に力を込めて、肩口に目をぐりぐりと押し付けた。
「言ったよな。日車の匂い、好きだ……」
酔っぱらったかのように、蕩けた声でそういうので、体の芯がズンと熱くなりかけた。
鉄の理性で、体にブレーキをかける。
「ああ、そうだったな。この匂いが気に入ったなら、帰って香水を分けてやるが……」
「んーん。日車が付けた匂いが好きだから」
悠仁はフニャりと笑って、日車の首に鼻を寄せた。
「日車、ハグして。誰も来ねーから、大丈夫」
悠仁の声に、日車は悠仁の背に腕を回した。しっかりとした腕が包み込む感覚に、悠仁はへへ、と安心したような声を出した。
そんな悠仁の表情とは一変して、日車の表情は、恋人に向けるような温かいものではなく、敵を目の前にしたかのような、冷たい目をしていた。
なぜ、悠仁はこの場所を知っているのか。
なぜ、外で、こんなにも慣れたようにハグができるのか
なぜ、誰も来ないことを、わかっているのか
答えは聞かなくてもわかっていた。
きっと、悠仁はあの男と同じことを、ここでしていたのだろう。
日車は悠仁の体を閉じ込めようとするかのように、腕に力を入れた。
「ひ、ぐるま」
くぐもった声に、一気に腕から力が抜ける。
「すまない、力を入れすぎた」
「んーん。ちっとびっくりしただけ。意外と積極的じゃん」
悠仁は嬉しそうに、カラカラと笑った。
「あまりからかうな」日車は咳払いを一つした。「もう帰るぞ」
「えー! いいところだったのにィ」
「外でこういうことはしない」
日車はバッサリと切り捨てた。
悠仁は口を尖らせながらも、大人しく駅へと歩き始めた。
去り際、自分たちの足跡ではない足跡を発見した。誰のものかはわからなかったが、日車はそれを鷹のような目で睨みつけると、こそぎ取るかのように革靴でその足跡を消した。
砂埃が舞い、靴は薄く汚れたが、地面から消し去られた跡に、スッと胸がすくような気になって、口角が上がる。
「日車〜、何してんのー」
悠仁の声がけに「今行く」と言って、日車はその場を後にした。
立川駅は週末ということもあって、多くの人でごった返していた。
「うへー、相変わらずすげー人」
悠仁はゲンナリとした顔で人混みを見つめた。
「土曜の夕方だから、一番人が多いのかもな」
2人は改札を通ると、時刻表を見上げて電車の時間を確認した。
そこで悠仁が「あ」と声を上げる。
日車が悠仁に顔を向けた時には、すでに悠仁はどこかへと歩き出していて、期間限定で設置されている店の前で立ち止まった。
「これ、土産でもらったんだけど、美味かったよ。立川にも来てくれたんか〜、期間限定だけど」
悠仁が指差す先には、トリュフ塩を使ったパンが並んでいて、トリュフ独特の匂いが鼻をくすぐった。
土産、ということは、釘崎や伏黒と遊びに行ったときに見つけたわけではないのだろう。
こんな流行りものを悠仁に渡す相手など、1人しか思い浮かばなかった。
「それも、あの男に聞いたのか」
「え?」
日車は咄嗟に手を口に当てた。幸い、雑踏の音がうるさくて、悠仁には聞こえていなかったようである。
「いや、欲しいなら、買って行くか?」
胃に鉛が落ちたように、肩から下がだるかった。
「うーん、いや、やめとくわ」
悠仁は少し考えた後に、すす、と日車の元に戻ってきた。
「別に無理しなくてもいいんだぞ」
「いや、無理じゃなくて。なんか今日の日車、調子良くなさそーだから。早く帰ろうぜ」
高校生に気を使われている。惨憺たる様に、日車は額に手を当てて、後ろに流した。
「……帰るか」
否定も肯定もできず、日車は足早に歩き出した。
幸か不幸か、電車は人で溢れかえっていてぎゅうぎゅうだったので、悠仁と日車は人に流されて、少し離れた場所でそれぞれが立つことになった。
電車がゴオオ、と音を立てて進む間、胸から湧き出す嫉妬心を消そうと、必死に削除を試みる。しかし、いつまでたっても気持ちは晴れないままだった。
しかも、少し離れた場所に立つ悠仁の顔を見ると、また、新たな墨が胸に落とされる。この繰り返しであった。この不毛な試みは、最寄駅に着くまで続いた。
駅に着くと、日車は無言で改札を出た。
悠仁も黙って後ろからついてくる。
「……日車、調子、そんなに悪いん?」
こちらを慮るような声に、いつもであれば温かいものが胸から湧くはずであったが、今日はなぜか、氷が落とされたかのように、胸がスッと冷たくなる感覚に襲われた。
「いや、悪くない」
体が冷えるのと同時に、返事も適当なものになる。
悠仁は流石にムッと口を固く結んで、日車の前に回り込んだ。
「日車、言いたいことあんなら言えって」
まっすぐな目が、日車を捉えていた。
「別に、言うべきことはない」
「じゃあそのいかにも不機嫌です、って態度やめろよな」
「そんな態度はとっていない」
「とってるっつーの。歩くのはえーし返事も適当だし。かまって彼女か」
悠仁の指が日車の胸を突いた。
その指の感覚に、視界がカッと赤くなる。
「君こそ」声に力が入った。
「なんだよ」悠仁の声も負けじと強くなる。
日車は拳を握って、静かに声を発した。
「あの男と同じ軌跡を辿らされて、俺がどう思うのか、想像したことはあるか」
あの男、とは誰のことか言わなかったが、悠仁はすぐにハッとして、日車から目を逸らした。
ということは、日車が考えていたことは正しかったのだろう。
握った拳から、ギチ、と爪が皮膚に食い込む音がした。
「……それは、ごめん。日車が好きそうだと思って選んだだけで」
「まだあの男と繋がっているのか」
「もう連絡はしてねーよ、日車もあの日見てただろ」
「どうだか、君は俺が想像するより、悪い奴のようだからな」
自分でも驚くほど、軽薄な声が出た。
「……」
悠仁は黙って眉根を寄せて、口を固く結んでいた。何かを我慢するように、小さく肩が震えている。
日車は冷えた胸が急にザワザワとし始めて、思わず悠仁に手を伸ばした。
「いや、すまない。今この言葉を使うのは、適切ではなかった」
「いいよ、別に。それが日車の本心なんだろ」
その言葉と同時に伸ばした手が弾かれる。
「虎杖」
「まあ、やってた事が事だし、信用されなくて当然だよな。日車の言うとおり、俺って、悪い奴だし」
悠仁の自嘲気味に笑う顔に、日車は完全に選択肢を間違えたことに気づいた。
「まあ、帰るとこは同じだけど。別々に帰る、でいいよな?」ひどく投げやりな声だった。
「……わかった。君がそうしたいなら」
日車の言葉に、悠仁はまたひどく傷ついたような顔をして「馬鹿」と一言残し、歩き去っていった。
1人残された日車は、はあ、とため息をついて、タクシー乗り場に向かう。
「呪術高専まで」
タクシーはゆっくりとスピードを上げ、駅を離れた。
駅を去る前、悠仁が電話をしながら、バス停の方に1人で歩いているのを見かけた。何か興奮したように捲し立てている。
きっと、今日のことを釘崎か伏黒に愚痴っているのだろう。
日車は頭の熱を追い出すように息を吐いた。
悠仁が帰ったら、今日の態度は謝らなければならない。流石に大人気がない、では片付けられない態度だったことは、火を見るより明らかである。
「何か、喜びそうなものを買って帰るか」
日車はそう呟いて、タクシーの運転手に進路変更を告げた。
高専までに存在する、買い物ができそうな場所はコンビニしかなかった。
しかも、悠仁が喜びそうなもの、と言ってもあまりピンとくるものはなく、結局数件のコンビニを徒歩で移動する羽目になった。
仕方ない。買い物の間、タクシーに待ていてもらうというのは、あまりにも勝手が過ぎる。
日車は両手にパンパンに膨らんだLサイズの袋を4袋ほど持って、なんとか高専に戻ってきた。
時計を見ると、結構な時間が経っていて、バスを使った悠仁の方が先に到着していそうであった。
日車はそのまま寮へと足を向けると、悠仁の部屋の前に立つ。
手にある袋の質量が、何十倍にも重くなった気がしたが、ふう、息を整え、部屋のドアをノックする。
返事はない。やはり、それほどさっきのことを腹に据えかねていたのだろうか。
もう一度ノックをしようとした時、隣の部屋から伏黒が顔を出した。
「日車さん?」
伏黒は悠仁の部屋に目をやると、また日車に目を向けた。
「虎杖なら、帰ってないっスよ。つか、今日一緒に出かけてたんじゃなかったですっけ」
伏黒の一言に、日車の動きが止まった。
日車はタクシーを使っていたが、途中から徒歩で帰ってきた。いかにバスがタクシーより遅かったとしても、もう帰ってきてもおかしくない時間である。
「……色々あってな。虎杖は、君に電話をしてこなかったか?」
伏黒は片側の口を上げて、「いや、ないっすね」と返事をした。
「俺、釘崎の買い物に付き合わされてたんで。電話あっても気づかなかったのかも」
伏黒は手元のスマホを見た。
「やっぱないですね」
「釘崎にも、電話はなかったのか」硬い声だった。
「まあ、俺と一緒にいた時には」
日車は袋をその場に置いて、走り出した。
「ちょっと、これ、どうするんですか!」
伏黒の声は、日車の耳には届いていなかった。
釘崎にも、伏黒にも電話をかけていないとすると、悠仁が電話をかけそうな相手はあまり思いつかない。
しかも、日車のことを愚痴るような、仲の良い……。
1人の男を想像した時、日車の背中にヒヤリと冷たい汗が伝った。
寮を出て、紫陽花の咲く道をかける。満開になった色とりどりの紫陽花からは、青いニオイが漂っていた。
夕日が沈んだ道は、街灯はあるものの、暗くぬかるんでいて、革靴では走りにくかった。
しかも、駐車場にある櫓門まではだいぶ距離があり、櫓門の下に着く頃には、ズボンには細かい泥が点々と跳ねていた。
荒れた息を整え、駐車場へとまた走り出そうとした。その時、唇に、一滴の水が当たった。
顔を上げると、また頬にポツリ、と雫がぶつかり、次第にサアア……と霧が落ちてくるような雨が顔に当たり始めた。
「また、雨なのか」
日車は以前悠仁をホテルの前に捕まえた時のことを思い出して、大きく舌打ちをした。
駐車場まで数分。寮に傘を取りに帰るまで往復約10分。どちらにしても濡れること確定である。
日車は覚悟を決めたように、駐車場に向けて、後ろ足に力を入れた。
「日車?」
弾かれたように顔を上げると、目の前には、悠仁がビニール傘を差して立っていた。もう片方の手には、小さいビニール袋が収まっている。
「そんな真剣な顔して、なんか任務? 傘ねーなら、これ使えば?」
悠仁は開いたままの傘をそのまま差し出した。
「いや」
日車は走り出そうとした体勢のまま、悠仁を見つめることしかできなかった。
「任務じゃねーなら」悠仁は辺りを見回した。「なんで、こんなとこ、突っ立ってたん?」
悠仁を探しに行こうとしてました、とは言えず、日車はただ静かに走り出す体勢から直立した。
「……諸事情により、駐車場に向かおうとしていたが……その、事情が変わって、行く必要がなくなったところだ」
日車の要領を得ない回答に、悠仁は「はぁ」と生返事をしたが、その後、何かを考えると、左手で持っていた傘の柄を右手に持ち替えた。
「ん、まあ、よくわからんけど。戻るってことで、傘、入ってく?」
悠仁は視線を櫓門に向けてボソボソと呟いた。
「いいのか」
日車の拍子抜けしたような声に、悠仁はむすっと口を尖らせて「いーけど」と声を上げた。
「さっきの態度はどーかと思うから。ちゃんと謝ってくれんなら、入れてやってもいーけど」
悠仁は、ツン、と鼻をあさっての方向に向けて、目線だけを日車にやった。
「……すまなかった」
素直に謝る日車に悠仁はしょうがないな、と言うかのように眉根を下げて、片手に持っていたビニール袋を差し出した。
「これ、お土産。俺、流行りの店とか詳しくねーから。日車の好みじゃなくても文句言うなよ」
ビニールを受け取って中を見ると、中には白い紙袋が入っており、その袋を開けると、拳よりも大きいメンチカツが2つ入っていた。
「……でかいな」
「でかいのがいいんじゃん。昼、和食だったから消化が早くて、今、腹がめっちゃ空いてんの。誰かさんが喜びそうと思って合わせてやったから」
悠仁は恨めしそうな声で、ジトリと日車を睨んだ。
「それは、配慮してくれて、ありがとう」
「ん、わかればよろしい」
悠仁が傘を少し上げて、誘うように首を振った。日車はその下に入り、寮へと歩き始めた。
雨が傘に当たって、ポツポツと音が反響する。傘の雫が街灯を反射させて、雫の一つ一つが、スポットライトのように輝いていた。
「日車はさ、なんかあっても自分が我慢すればいい、って思うの、やめた方がいいと思う。じゃねーと今日みたいに突然爆発するかもしんねぇじゃん」
悠仁も傘に伝う雫を眺めながら、ポツリと呟いた。
「君のことか?」
悠仁は口をハの字にして、呆れたように日車へ顔を向けた。
「なんで俺なんだよ。日車の話だっつーの。嫉妬してんなら素直に嫉妬してるって言えって話!」
バシン、と悠仁の平手が日車の背にヒットした。
「いや、すまない」
「俺、けっこー傷ついたんだからな。元はと言えば俺がわりーけどさ」
「いや。君は悪くない」日車ははっきりとした声を出した。
悠仁の瞳がゆらゆらと揺れて、日車を不安そうに見上げていた。
「君はずっといい人間のままだ」
「それ、禁止って言ったじゃん」
「前とは少し意味合いが違う」
日車は傘の柄を持つ悠仁の手に、自分の手を重ねた。
傘が一瞬傾いて、溜まっていた雨粒が滝のように地面に落ちた。
「君は、清濁併せ持った上で、輝いている」
「? うん?」
「つまり、俺にとって、君がどうあろうと、ずっと眩しいままで」
悠仁の手に重ねられた手に、自然と力が籠った。
「誰かに取られないか気が気でない、ということだ」
一際大粒の雨が、ビニール傘に降り注いで、水の壁ができた。ザアザアと音が遠くで聞こえたが、傘の中だけが静かだった。
「……最初からそー言えよな」
ポスン、と悠仁の拳が日車の腕に当たる。
「本当は、君がまた、あの男の元に行ったのではないかと、探しに行こうとしていた」
「はぁ? なんでそーなんの」
「帰り際に、電話をしていたから。伏黒も釘崎も電話を受けてないと聞いて」
「電話......あー、伊地知さんに迎えにきてもらおうとしてた時の話?」
「伊地知?」
「このメンチカツ」
悠仁は袋を指差した。
「駅から遠いしバスの路線からも外れてっから、伊地知さんに拾ってもらおうとしてたんだよ。伊地知さん、夕方ぐらいに高専に戻るって言ってたから。結局無理だったからバス乗り継いで帰ってきたの。超大変だったんだからな。ありがたく食うように」
悠仁はまたフン、と鼻を鳴らして、そっぽを向いた。それでも、重ねられた手は振り解かれなかった。
日車は手にしていた袋を見る。傘の下では、雨の湿った匂いと、油の匂いが充満していた。
「そういえば」
日車は思い出したかのように、すん、と悠仁の首元に鼻を近づけた。
柑橘と、若々しい木の匂いが鼻をくすぐったが、少し離れただけで、その匂いは油の匂いに上書きされてしまった。
「君の匂いは、柑橘っぽいと思っていたが、やはり間違いではなかったか」
日車はあっけにとられる悠仁の手から、傘をするりと抜き取った。
「帰るか。腹も減ったし。俺も帰りにコンビニに寄ったから、色々食べるものがあるぞ」
そう言って悠仁の顔を見ると、ワナワナと震えていた。
「え……、えっちだ!!!!!!!!」
「なんでそうなる」
「なんかたまにいやらしーんだよ!!!!」
「いやらしくない。冤罪をかけるな」
「いやー! すっとぼけてる! フケツよー! ワルイ大人だわ!!!」
悠仁はモチャモチャと傘の下で暴れた。
その反動で傘も揺れて、雫が跳ねる。
日車は仕方なさそうにため息をついて、傘を持ち変えると、悠仁の肩を組むように腕を回した。
「悪い大人を本気にさせるとどうなるか、教えてやろうか」
ぴたりと、それまでの喧騒を忘れ去ったかのように、悠仁は顔を真っ赤にして、動きを止めた。
日車はクツクツと笑って腕を外すと、そのまま歩き始めようとしたが、つい、と背中を弱々しく掴まれ、歩みを阻止された。
「ど、どーなるんだよ」
悠仁の眉はこれでもかと言うほど釣り上がっていたが、耳が赤くなってふるふると震えていた。
「そうだな」
日車の口が悠仁の耳のすぐ横に移動した。いつもよりも低い声で空気を揺らす。
「……イイように絡め取られて、逃げられなくなるかもしれないぞ」
悠仁は目を閉じて「ん」と口を固く結んだ。
その表情があまりにもぎこちなく、思わず吹き出してしまう。
「君はやはり、根っからのいい子だと思う」
「だ、」
日車の言葉に抗議の声を上げようと、大きく開かれた悠仁の口は、耳に感じた柔らかい感覚に、そのまま閉じられた。
はくはくと池の上の鯉のように口を開閉する悠仁の姿に、日車は我慢できなくなって、声を上げて笑った。
頭突きに近い、悠仁の口が、日車の口に突進してくるまで、あと30秒──……
<終わり>
日虎は境目目様の二次創作が一番大好きです♡♡ 公式の日虎のアクスタで同じポーズしている物が出るのですがすんごい良くて、注文しちゃいました。笑