NEEDY GIRL OVERDOSEと超かぐや姫!
新宿でNEEDY GIRL OVERDOSEの映画、近場の映画館で超かぐや姫!を観てきました。
同じ、配信者に焦点を当てた映画かつ、超かぐや姫はニディガを踏襲していると公表しているため、比べてみても良いのかなと思いました。まぁ深夜アニメになるものと、クラファンで1000%を超えた映画を比べるのは如何せん規模が違いすぎるかも知れないけど。
まずは私のオタク自己紹介から。
ニディガがとにかく好きでニディガ展は1から欠かさず行っています。
原作ゲームは全てのエンディングを3週していて、にゃるらのnoteやTwitterもかなり見ているつもりです。グッズとかも色々集めたかな。そしてボカロもかなり好きです。ニコニコ動画は2歳の頃から父の膝の上で触れていました。能動的に見るようになったのは3DSを与えられた小4あたりから。ほどんど有名どころは網羅しているつもりで、マジミラやBlooming、ボカクラなども行っています。
そして本題、この2つの映画の感想です。ネタバレ込みだから注意してね。
NEEDY GIRL OVERDOSE
NEEDY GIRL OVERDOSEはかなり前衛的なアニメだったと思います。全体的にlainをリスペクトした構成、サイケデリックで目まぐるしく移り変わる展開、そして原作・監修のにゃるらの思想がこれでもかと詰まった内容は、原作オタクとしてとても面白かったです。lainのアニメを見たことがある人ならわかると思うのですが、画面いっぱいに文字が映し出される演出は完全にリスペクトだなと思いました。展開がかなり突拍子もないところもね。だから、原作をプレイしていない&まとまった展開が好みの人は、かなり見てて苦痛なものだと思います。にゃるら自身のnoteにも苦痛と書いてあったりして面白かったり。
内容にも触れると、初めは超てんちゃん(=にゃるら)の語り出しから始まる。超てんちゃんが全国的に有名になった存在で、批判について受け流す感じを表していたけど、実際のあめちゃんは深く傷ついていて…みらいな。これはTwitterで目立つにゃるら自身が普段言いたいことを全部言ったなという印象。普段匿名のアニメアイコンに攻撃されて、効かない素振りをしている自分、だけどしっかり傷ついている、ストレスになっている、アンチに対して攻撃してやりたい自分という2面性を、超てんちゃんとあめちゃんとして表現しているなと思った。次に超てんちゃんとカラマーゾフのパープル・ロリポップが戦うシーン。にゃるらこれやりたかっただろうなーwって凄く思いました。美少女同士がチェーンソーとか銃を振り回して戦うなんて全オタクが好きですからね。しかも銀河鉄道の上で。これは原作エンディングのMilky Way Trainから来てるのかななんて思いました。そしてカラマーゾフと超てんちゃんの絡み。パープル・ロリポップがツンデレで可愛い。喜怒哀楽がハッキリしてて、かなり目立つ存在。そして獄薔薇美血華がとっても美しい。映画を観る前からそのゴシックなビジュアルで惚れてしまって、その上我を貫く美への執着、学校への、社会への嫌悪。凄く好みですね……。にゃるらのnote、不登校の女の子から来てるのかな、って思いました。
禰󠄀智禍さまは奇抜な上記2人を纏めるお兄さん的存在。声優が女性だからボーイッシュなお姉さんかも知れないけど。かちぇを押し倒してキスをしようとするところは大胆で驚きました。「ファンに殺される…」という台詞も、今の"推し活"とかの文化のカリカチュアなのかななんて思ったり。そしてあめちゃんの過去、幼少期から学生時代の回想シーン。あめちゃんが女児アニメ、戦隊ものが好きな理由、家庭環境の不和などがグロテスクに描かれていました。原作ではあんまり触れられていなかったからありがたいね。凄く「タコピーの原罪」のしずかに生い立ちがにているなと思いました。あめちゃんは中学ではいじめられっこのファム・ファタルという形で表現されていました。いじめられっこを慰めるシーンで、あめちゃんがキスをするのは少し心苦しかったです……。結局男にたかって生活していたあめちゃんの母親と同じように、あめちゃんも男に媚びているな、と思いました。そしてライブシーン。映画館の大画面スクリーンで超てんちゃんのライブが見られるのは凄く良かったです。最高。
纏めると、にゃるらのマスターベーション映画。嫌いな人はとことん嫌いで、でも刺さる人にはもう2度と抜けない棘となるでしょう。そもそも原作を履修していないとは?の連続になると思います。皆も原作プレイしてみてね。精神病の女のメンヘラ具合を上手くゲームにしています。
超かぐや姫!
ニディガを踏襲しているというので観てみたら、思ったより"陽"の部分をフォーカスしていて拍子抜けした。にゃるらのどろどろとした感情の部分は全てなくされ、代わりに配信者としての明るい面だけを永遠と見せられる。大衆向けのアレンジとしては大成功。これ以上陽のオタクが好むものはないんじゃないかな。内容は展開が早く飲み込めていないうちにどんどん移り変わっていく。ニディガとはまた違ったサイケデリックさがある。あらすじは、勉強もゲームも出来てバイトしまくって一人暮らしをしている高校生のいろはが、光る電柱から出てきた赤子、かぐやを拾い、急成長したかぐやと一緒にVR内のトップ配信者を目指すという話。まず主人公のいろはが超人過ぎて話に共感できない。東大文系を目指しつつバイトもゲームも友だちと遊ぶこともして、なおかつ最終的に理転して東大に受かるのも見ていて不愉快。電柱からいきなり出てきた赤子を育てるのも理解できない。とにかく突飛している。やたら長い兄妹のゲーム実況シーン、急にかぐやが配信者になりたいといい出すシーン、いろはの書いた曲がやたら売れるシーン。全てが起こり得なさすぎることで全然身に入ってこない。お前らこういう感動系好きだろ?食えよ。とされている気分。一般層はこういうので安直に感動して、素直に涙を流せるのだな、なんてアイロニーに見るしかできないぐらいだった。そしてワールドイズマイン、あのサァ……。「世界でいちばんおひめさま」の意味が原曲と全く違うじゃん。初音ミクが恋人から見て「世界でいちばんおひめさま」なのに、あのVR空間内おひめさまって意味じゃないんだよ。ボカロ曲をエモに消費しないでくれ、と思ってしまう厄介オタクの自分にも嫌気が刺す。構成は遥かにニディガの方が纏っているけど、どちらも何かをオマージュしたものだけど、超かぐや姫はリスペクトではなく引用に過ぎないものだった。結局黎明期のボカロ曲を使ってエモ消費したかっただけなんだね。物語に出てくる1番凄い配信者、ヤチヨが、実はかぐやで、いろはに会うために4000年生きてきたのも理解を拒む。再開ストーリーで感動するのがマジョリティなんでしょうね。こんな冷笑的な自分が嫌だ。
2つの相違点・類似点
まず、ニディガは視聴者、アンチの一般層に対して焦点を当てていた。それに対して超かぐや姫は完全に配信者側に重きをおいていた。根本的に描きたいものが違うから、同じ配信者の物語でも大きく作風が異なる。どっちが良いとか悪いとかはなく、ただ伝えたいことが違うんだろうなという印象。特に、ニディガはメッセージ性がかなり強かったが、超かぐや姫は物語の感動に力を入れていた。綺麗ではあった。あめちゃんもいろはも家庭環境に難があるという点で見れば(遥かにあめちゃんの方が環境は悪いが)似ているとも思った。結局、ストーリーが綺麗で感動できる超かぐや姫が世間一般に売れただけであって、私には合わなかったなと言う印象。逆にニディガはTwitterを見ればわかる通りアンチのツイートで阿鼻叫喚。嫌いな人はとことん嫌い。面白くないアニメだと思う。だけどその不器用さが、アニメとしての拙さが、にゃるらが伝えたいことを大量に詰めた結果なのだろうと思った。
是非どちらも見てみてね。どっちも懲役2時間半ぐらいだと思います♪


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