ここにきて苦しい戦いを強いられている埼玉西武ライオンズに。浮上の起爆剤として期待がかかるのが、2022年のドラフト1位・蛭間 拓哉外野手です。

今季初の一軍昇格・出場となった3日のオリックス・バファローズ戦では、5打数3安打1打点と見事なスタートを切りました。結果を残さなければ即座に立場が危うくなる蛭間選手にとって、これ以上ない大活躍となりました。

蛭間選手といえば、浦和学院時代に高校通算28本塁打を記録して高校日本代表に選出され、進学した早稲田大でも大学日本代表を経験してリーグ通算13本塁打をマークするなど、22年の大学球界を代表するスラッガーでした。

打倒・大阪桐蔭を掲げ全国制覇を目指した浦和学院時代

浦和学院時代、蛭間選手は1年春からベンチ入りを果たしていましたが、当時から浦和学院の選手たちの中でも体格に優れ、パワー、強肩、俊足を兼ね備えた選手でした。

甲子園を目指して日々技術を磨いてきた蛭間選手でしたが、宿敵・花咲徳栄の存在もあり、なかなか甲子園の土を踏むことができませんでした。2年夏(2017年)は直接対決の末に敗れ、新チームとなった2年秋も秋季関東大会の埼玉県大会準々決勝で市川越に敗戦。センバツの道を絶たれ、甲子園出場のチャンスは3年夏の一回きりとなってしまいました。

そんな浦和学院ナインの「何としても甲子園に行きたい」という強い気持ちをさらに引き上げたのが、3年春に行われた大阪桐蔭との練習試合でした。

当時、蛭間選手は怪我をしていたため、スコアラーとしてベンチ入りしていましたが、そこで大きな気づきを得たといいます。本人は当時をこう振り返ります。

「自分たちも、最後の100回記念大会で優勝するためにずっとやってきました。その中で『大阪桐蔭を倒さなきゃ優勝はない』というのは2年の冬からチームで言い合ってきて、その言葉にみんなも応えて練習に取り組んでくれました。だからこそ、大阪桐蔭と練習試合ができるということ自体に、みんなの気持ちが舞い上がっていました。

実際に勝てた要因としては、前日に大阪桐蔭と並ぶ強豪の履正社と練習試合をして、結果は1点差で負けたのですが、そこでチームが一つになり『明日、大阪桐蔭にいけるんじゃないか』という雰囲気になったことがあります。チームが完全に一つになった感覚があり、大阪桐蔭を破ることができました」

そして、この大阪桐蔭と真剣勝負をしたこと自体が、チームが強くなった最大の要因だと語ります。

「大阪桐蔭の存在は常に頭にありました。ここを倒さなければ絶対に甲子園優勝はないと思っていたので、あのチームがいたからこそ、自分たちの代は強くなれたのだと思います」

こうして勢いに乗った浦和学院は、春の県大会で花咲徳栄を破って優勝を果たします。そして迎えた最後の夏。南埼玉大会を勝ち抜き、5年ぶりとなる夏の甲子園出場に大きく貢献しました。本戦でも準々決勝まで勝ち進みましたが、そこで立ちはだかったのが因縁の大阪桐蔭でした。結果は2対11で敗れ、蛭間選手の高校最後の夏は幕を閉じました。

走攻守の三拍子が揃った強打者として高く評価された蛭間選手は、大会後にU-18日本代表に選出されました。国際舞台でも14打数5安打と活躍を見せましたが、実はこの夏の時期を境に、蛭間選手の心境は高卒でのプロ入りから大学進学へと大きく傾いていたといいます。

「最後の夏が終わるまでは、高卒でのプロ入りを意識していた部分はありました。しかし、夏を最後までやり通してみて『自分はまだまだだな』と痛感しましたし、高校日本代表の試合でも納得のいくバッティングができなかったため、そこで自信を失ってしまいました。自信がない状態のまま高卒でプロの世界に飛び込んでも意味がないと思ったので、しっかりと自信を持って勝負できるように、大学の4年間でもう一度やり直したいと考えました。そのため、高校では志望届を出さずに進学を決断しました」

こうして蛭間選手は、次なる成長の舞台として名門・早稲田大学への進学を選択することとなるのです。

理論的に練習に取り組み、リーグ通算13本塁打を記録

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