シン・明暗

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恋は、人を救うとは限らない。

失恋ではなく、「自分が見ていた世界が幻想だった」と気づいた瞬間、

愛情は激しい憎悪へと反転する。

 

彼は、もう恋などしない人間だと思っていた。若い頃には胸を

焦がしたこともある。

しかし、年月は仕事と責任を積み重ねる一方で、人を好きになる力を

少しずつ奪っていった。それでよかった。

人生とはそういうものだと思っていた。

久しく忘れていた恋心だった。「恋をすると、人は若返るという。」、

彼もそうだった。
朝の空が少し明るく見えた。季節の花に目が留まった。
職場までの道が短く感じられた。
 

だから、その反動もまた、人生で経験したことのない深さだった。」

彼女は彼の仕事を応援してくれているように見えた。

「無理をしないでください。」

その言葉は、疲れた彼の心を何度も支えた。

彼は疑わなかった。

人を信じることが、自分を信じることでもあると考えていたからだ。

 

だが、ある日、一つの事実を知る。

偶然目にした文章。

そこには、自分の知らない彼女がいた。

彼について語る冷ややかな言葉。

読み進めるうちに、彼の中で何かが静かに崩れていった。

驚きではない。怒りでもない。

世界そのものが裏返るような感覚だった。

恋を失ったのではない。もう一度、人を信じられると思った自分自身を

失ったのである。

 

彼は走り始めた。

五百メートル。

一キロ。

五キロ。

十キロ。

筋力トレーニングも強化へ。

周囲は言う。

「健康のため?」

彼は笑ってうなずく。そうではないんだ。体力・筋力をさらにつけるのだ

誰にも教えない。

 

人は、憎しみは激しい炎だと思っている。

違う。

本当に恐ろしい憎しみは、静かである。

毎日少しずつ心に沈殿していくのだ。

朝、駅で似た後ろ姿を見つける。

そのたびに鼓動が速くなる。それは愛からではない、殺意の呻きなのだ、

彼の世界から「未来」は消えていた。

あるのは「過去」だけだった。

恋をした男ではない。

恋を失った男でもない。

信じる力を失った男が、そこにいた。

 

駅でバスに乗った。

後部座席に、一人の女性がいた。

見覚えのある後ろ姿。

女性も何かを感じたように目を伏せる。

ゆっくりと振り向く。

彼は一歩、前へ出た。目が光る。

カバンから何かを取り出す。

二人の距離は、十歩。

九歩。

八歩。

――。

(未完)