"空間と五感からはじまる
全方位ヒーラー"

0意識®︎協会所属
マスターヒーラーのひびのです

整体師をしながら
フジシロオサム代表の
0意識ヒーリング®︎を
ご提案しています






こちらの書籍
↓おもしろかったです↓



医療の在り方は
日就月将の発展を遂げています

それは
なにかが新たに
解明されたということであり

同時に
解明されていないことが
いかに多いかも象徴しています

未だ見ぬ領域に
情熱をもって挑み

標準治療を
ひっくり返していく

ここに
美徳があり
ロマンがあります

ぼくも
そんなヒーラーでありたいと思います

って
のっけから何様で
ごめんなさいですが

0意識ヒーリング®︎に関するご相談は
↓こちらからどうぞ↓






お客さまと
たわいもない話をしている時に

よく話題にあがる
飲食店がありました

複数のお客さまが
いっつも満卓!
美味いものを出すよ!
と言っていたので

そのうちぼくも誰かを誘って
暖簾をくぐってみようと

インスタグラムをフォローして
楽しみにしていました

そんな矢先に
突然の訃報

ニュースにも
大きく取り上げられました

念願のお店をオープンして
まだ数ヶ月とのことでした

店主は四十路そこそこだそうで
小学生の男の子のパパでした

どんな思いで亡くなっていかれたのか
想いを馳せるとともに
胸が痛みます

こういう
居ても立っても居られない時にも
0意識ヒーリング®︎は力になってくれます

会ったこともない
名前も知らない店主に
追悼を捧げる0意識ヒーリング®︎

オーリングを手向けると
現場付近に留まっていた店主は
上霊されていったようです

翌日
気になったので
あらためてヒーリングすると
もうそこにはいないと
お返事がありました






世の中には
色々なヒーリングがあります

エネルギーに対しての
アプローチの方法も

与えるものや
クリアにするもの
祓うもの
動かすものなど
さまざまであり

その目的も
肉体や魂の癒し
代替医療
地球や宇宙とのつながり
潜在意識の書き換え
自己の探求
幸運へのいざないなど

グローバルな視野と
あらゆる考え方があります

どれがよくて
どれがよくない
という話ではなく

ヒーリングの本質は
「快適に生きること」という
共通の着地点があることがわかります






「愛」という
言葉があります

これ以上の表現をもたない
最上級の快適を想像させる
言葉だといえます

聞き心地もよく
あたたかみもあり
無条件に人を惹きつける言葉で

商業利用にも
有効なワードだと思います

その表現が
実にしっくりくる
0意識ヒーラー®︎の
先輩もいらっしゃいます

しかし同時に
典型的な抽象表現で
あることもたしかで

とらえ方によっては
最上級の「重さ」や「負担」
にもなってしまいます






最近
知り合いを通じて
知り合いになった
怪しさ満載の自称セラピストは

色々な種類のヒーリングの
心得があるそうで

インスタとラインに
あれこれ投稿していますが

内容はすべて抽象的で
何が言いたいのかさっぱりわからず

末尾が毎回
「愛してます ありがとう」
で終わっています

普通の感覚の方なら
お?おおお?となるでしょう

ぼくは
途中で虫唾が走って
そっと閉じました笑

過度に
愛だの感謝だの
強調するのは

ひねくれ者の
ぼくからすると

抽象表現を使うことで
何かを隠しているように
感じてしまいますし

自己顕示欲による
キラキラ感のアピールのことを
愛だといっているように思えます

もしくは
力量や知識が足りていないのを
愛という言葉に置き換えて
目を逸らさせているようにも感じます

要するに
胡散臭いんですよね

実際に
その自称セラピストと
会話にならない会話をしたときも

この世のすべては
愛に包まれてる
みたいなことを言っていて

いやいや
勘弁してくださいよと
つい笑ってしまいました

愛に溢れた自分を
愛しているということが
ひしひしと伝わってきました

それでいて
現在は新規のお客さまは
募集していませんとかいうので

もうぼくからしたら
ある種の癖(へき)だと思います

曲がりなりにも
ヒーラーやセラピストを
名乗りたいなら
まずご自身のバランスを
整えた方がいいと思いますけどね

ぼく自身も
わりと抽象的なタイプの人間ですが

ことさら男性は
抽象表現が苦手な人が多いので
余計に違和感を抱くのかもしれません

そもそもぼくは
その人に関心がなかったので

ひとつの出来事として書いていますが
ツッコミどころは満載です

ちょっと奥さん
ヒーラー選びは
要注意ですよ!





じゃあ
愛とは一体
なんでしょうか

前にも書いたことがありますが↓

「ちゃんとみていること」と

そしてなにより
「境界線」だと思います

まず
相手のことをよくみていないと
恋のから騒ぎならぬ
愛の空回りになるわけです

自分が愛だと思って
やってることが
相手にとって
迷惑になる場合もありますし

押し付けられた愛とやらによって
エネルギーのバランスが
おかしくなることもあるでしょう

各種ヒーリングの
共通ミッションである
「快適に生きること」

これを
追求するためには

その人がどんな人か
何を求めているかを
まずはちゃんとみていて

どんな言動を選べば
対等に快適な状態になるかを
追求することが
愛ではないかと思うわけです

相手に合わせるわけでも
自分を押し付けるわけでもなく
適切な境界線を引くこと

これができていれば
人間関係のトラブルも
未然に回避できたり

煙たがられるようなことも
ないと考えます

こういう仕事をしていると
たしかに依存に近い状態になる
お客さまも現れます

それはもう
仕方のないことですが

それにどこまでも寄り添うことが
その人のためになるとはいえません

ぼくはわりと
ピシャッと線を引きますが

必要のないことを
必要ないと言ってあげられるのが
その人に対する愛だと思いますし

その人に使う時間を
他の必要としている人に使えば
ひとりが救われるかもしれません

愛の解釈に
正解も制限もないとは思いますが

ものを語るなら
根拠くらいは
持った方がいいと思いますし

ぼくが愛に対する
根拠を持つとしたら
境界線だと思います






0意識ヒーリング®︎は
エネルギーをクリアにすることで

肉体や魂が
快適な状態を取り戻す
という考えを持ちます

生きている肉体と
亡くなった霊魂が

双方の異なる世界線で
快適に過ごすために
ヒーリングをする場面もあります

お互いに
世界線をまたぐと
不都合なこともあるわけです

例えば
エネルギーが肉体にくっついて
人間に痛みが発生するように

お互いの境界線が
曖昧になればなるほど
双方はバランスを崩し
快適な環境から外れていきます

定かではありませんが
肉体が痛みを覚えるとき
そこにいるエネルギーも
同じように苦しんでいると
考えることもできます

それを
苦しくてもここにいていいよ
私が犠牲になって癒してあげるから
というのは

愛とはほど遠い
境界線を度外視した
押し付けや馴れ合いです

セラピスト=自己犠牲=愛
なんて本気で思ってるとすれば
それはもう話になりません

一方で
0意識®︎の愛は

こんなとこいるから苦しんじゃん
道つくるから一回上行ってみなよ
というニュアンスです

「ちゃんとみていること」
「境界線」
このふたつです






また
0意識ヒーリング®︎は
気づきのヒーリングです

個別性のある肉体や霊魂が
それぞれにふさわしい場所に気づき
その道案内をするだけなので

敵にまわしたり
危害をくわえようとすることは
一切ありません

仮にもしその霊魂が
0意識ヒーリング®︎を嫌うのなら
自由意思のもと
離れていくと思いますし

それを無理に追っかけ回したり
どこにいったかを
興味本位でリーディングしたりなど
尊厳のないこともしません

人間においても
ヒーリング全般を
毛嫌いする人は
自由意思のもとで
線引きしてくると思いますが

それを否定したり
説得しようともしません

他人の価値観やプライバシーを尊重し
プライベートに首をつっこまないのと
まったく同じことです






こうやって考えてみると
「個々の境界線」を大切にする
0意識ヒーリング®︎というのは

実は
愛に溢れていることがわかります

習得講座の内容に触れるので
あえてここでは書きませんが

0意識ヒーリング®︎の創始者
フジシロオサム代表は

愛に対して
ぐうの音も出ないほどの
完璧な解釈を
漢字ふた文字で
表現されていました

きっと
愛の本質を
知りすぎてしまったがために
別の解釈をすることに
悩まれたのだと思います

0意識ヒーリング®︎は
生きている人に対しても
亡くなった人に対しても

あなたはあなた
わたしはわたし

肉体は肉体
エネルギーはエネルギー

それぞれには
適切な居場所があり
快適なポジションがあることと
その境界線を大前提に考えます

一方的でも
押し付けでも
ばら撒きでもなく

お互いの快適を求めるという
ただそれだけを
愚直に追い求めたヒーリングです






ぼくが
亡くなられた店主を
ヒーリングしたことは
たしかに勝手な行動ですが

なぜその行動をとったのかは
しっかりと説明ができますし

自分なりの愛を
行動に移したと言う
根拠があります

そして
根拠が頭に入ってる時の
0意識ヒーリング®︎は強力です

どういう意識で
ヒーリングをしているのかが
確信になるからです

また
その行動は
店主への愛だけでなく

状況を目の当たりにして
いたたまれなくなった
自分の心に対する
愛だともいえます

亡くなってしまった方に
何かをしてあげたくても
何もできないという
もどかしさに苛まれたり

店主とその家族を慮り
感情を抱え込んだ状態は

ずばり
相手と自分の境界線を
見失った状態であることを
意味しており

ぼく自身にとって
快適な状態だとはいえません

快適でない
という原因は

環境が合っていないか
境界線がおかしいかのどちらかです

ぼくの行動は
肉体があろうとなかろうと
他者と自分との間に
本来あるべき対等な境界線を引き

お互いを心地よい場所に
案内をするという行動です

本来
愛というのは
人も自分も救われるものなんですよね

なんせ
愛ですからね






つい亡くなる前日まで
こんな食材を仕入れたとか
本日のオススメとか

お子さまのことなども
楽しそうに投稿をされていた

店主のインスタグラムは
もう更新されることはありません

そして
時計が止まる日は
誰しもに
いつか必ず訪れます

大切な人とのお別れも
こっちが先か
むこうが先かの違いだけで
いつか必ず訪れます

それが10年後なのか
明日なのかも
誰にもわかりません

だから
わたしたちには
境界線が必要なんです

おわかり
いただけますでしょうか

境界線が
あることで

わたしたちは
どんなに姿かたちが変わっても

いつまでもいつまでも
共存することができるのです







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