幾千年も変わらず君を
1years.
365 days and 366 days and after story.
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幾千年も変わらずに
夜が怖い日がある。目を瞑れば、明日が来ないんじゃないかって思う日がある。そんな日は決まって、窓の外から電車の走る音が聞こえて、車のクラクションやエンジン音、風の音が聞こえて目を覚ます。薄暗い部屋の片隅、セミダブルベッド、六畳一間の部屋は二人で住むには狭すぎる。思い出は全部、ここに詰まっている。
隣には君が眠っていて、長い黒髪が枕に流動線を描いている。白い肌は月明かりに照らされて、細い手はこちらに伸びていた。自分の寝間着があるくせに、僕のスウェットを着たがる君に呆れたのは幾度なくあった。けれど、嬉しそうな顔で袖に手を通す姿を何度も見たら、許してしまうのが恋人の性だ。スウェットを着て、ギュッと自分を抱きしめる姿が、愛おしくて仕方なかった。
眠り続ける君の身体が、規則正しく上下していた。小さな呼吸は、耳を澄まさないと分からないくらいだ。眠れない僕は、ベッドに座ってその頬を撫でる。布団をかけなおして寝顔を見続けた。
こんな夜がたまにある。君に言えない、眠れない日の話だ。物心ついた時からあった眠れない夜は、僕を酷く孤独にさせた。隣に誰かいるのに、何故か一人になったと勘違いさせる。この世界から一人、はじき出された気持ちにさせられる。耳に届く外の世界の音も、遠い世界での出来事に感じる。壁にかかった時計が規則正しく鳴らす音が、命のタイムリミットに感じてしまう。大きな病も、死に至るような感情も何一つ持ち合わせていないのに、この瞬間だけは、世界で一番死に近い場所にいると感じるのだ。
思えば、君にはずっとこんな夜があるんだって言わなかった。夜更かししたとか、ゲームをしていたとか、適当な理由をつけて笑ったのだ。君が心配するのを分かっていたから、その瞳が揺らぐのを見たくなかった。
幼馴染という括りの少女は、僕の隣で成長して一人の女性になった。しなやかに伸びる手足も、雪のように白い肌も、赤く色づく唇も、美しく輝く瞳も、全て僕のものになった。最初からそうだったのかもしれないけれど、僕はずっと君を手に入れたくて仕方なかったって、そんな事を言えば眉を下げて笑うだろう。
君が想っているよりもずっと、僕は君が好きだから。
枕元に置いていた携帯電話を確認すれば、いつの間にか日付が変わっていた。どうやら君がまた一つ歳を取ったらしい。日付が変わった瞬間に誕生日を祝おうと言っていた数時間前が懐かしく思えた。夜更かしが苦手な君の事だから、すぐに寝るだろうと思っていたけれど、案の定先に寝てしまったので苦笑いをしたのはついさっきの事だ。
もう何度一緒に祝ったか分からない誕生日を特別な日にしたかったのは、小さなエゴだろう。引き出しの中に入れたままの誓いは、この夜が明けないと口に出来ない。
どうか、早く夜が明けてくれないだろうか。僕の孤独を、振り払ってくれないだろうか。怖くなって君の手を強く握り締めた。世界で一番、置いて行きたくない人だ。
ふと、その手が握り返された。驚いてそちらを見れば、君の瞼がゆっくりと開かれた。
「…ごめん、起こした?」
「…起こされた」
緩やかに微笑んで、身体を起こした君は、肩までずり落ちたスウェットを元に戻す。ほら、サイズの合わない物を着ているからそんな風になるのだ。いつもそんな恰好で寝るのは止めて欲しい。酷く扇情的なんだと言えば、扇情的に見せてるんだよと言われた事を思い出す。僕の恋人は策士だ。
「眠れなかったの?」
「そうだね」
寝ぼけ眼の君が広げた腕の中に入っていく。壊れそうなくらい小さな身体を優しく抱きしめて、その匂いを嗅ぐのは癖になってしまった。同じシャンプーを使っているのに、君の髪はどうしてそんなにもいい匂いがするのだろう。体臭がシャンプーと混じって別の匂いになると誰かが言っていたが、君の匂いもそうなのかもしれない。そうでなければ、こんなにも優しい匂いはしないはずだ。
「いつから?」
その言葉に、僕は息を飲んだ。このいつからは何時から寝ていないの?という問いではない。言葉に含まれたニュアンスを読み取る事が出来るのは僕だけかもしれない。僕だけであって欲しい。君を一番知っているのは僕がいい。
「子供の頃からかな」
眠れない夜に対して問われた問いに答えを返す。たまにね、と言葉を付け加える。君は僕の背を撫でた。
「怖いの?」
「かもね」
「どうして?」
「眠ってしまったら、朝が来ないかもしれないと思うんだ。でも起きていた所で、孤独に襲われる」
「隣にいても?」
「うん」
「そっか」
小さな身体は微弱な熱を放っていて、まだ寒い春先には温かく感じられた。
「今度から起こして」
「嫌だよ。せっかく気持ちよさそうに寝てたのに」
「蒼空くんが一人でいるよりはいいよ」
「でも俺は」
「千年の孤独も、二人でいれば耐えられるでしょ?」
そう言って耳元で笑った君に、敵わないなと思ってしまった。いつだって僕の先を歩いているような気がする。先を歩いて手を引っ張っているくせに、ふとした瞬間に背中を押してくれるのだ。優しく包み込んで愛を与えてくれる。僕はその愛に愛で返しているだろうか。執着で返しているような気がしてならない。
でも、君の事だから、執着して縛り付けていてくれって言うのだろうけれど。
「夢を見たよ」
「どんな?」
「蒼空くんが先にどこかに行ってしまう夢」
微かに、背中に回っている手が震えた。それに気付いて抱きしめる力を強める。重ねた身体が、分かち合う体温が、君にとって僕にとって安心を得られるようなものであればいい。
「行かないでって思った」
「俺緋舞を置いてどこにも行かないって約束出来るよ」
「知ってるよ。昔からそう言ってたもの」
君を置いてどこにも行かないと言い続けている。些細な日常でも、大きな転機でも、君無しの人生が考えられないから、隣で歩んでほしいと思い続けている。運命がもしあるのだとしたら、僕は君といる事が運命だと思っている。
「でもね、私思ったんだよ」
「何を?」
「置いて行かれても、蒼空くんは絶対迎えに来てくれるって」
電車の走る音が聞こえた。きっとこれが終電だろう。
青白く薄暗い部屋に、一筋の光が差し込んだ。きっと月明かりだろう。
僕の心臓が高鳴った。きっと君を愛しているからだろう。
君の腕が離れて、身体がゆっくりと離れていく。乱れた髪に、小さく傾げた首、柔らかく弧を描く唇、愛に溢れて細められた瞳、全てが美しくて仕方なかった。
「離れても、会えなくなっても、幾千年も変わらず君を待つから、どうか迎えに来てくれませんか?」
微笑んだ君が綺麗で。それ以上の言葉なんて出て来なくて。愛おしさが酸素に変わり、息を吸う度血管を巡って心拍を速まらせた。
ああ、きっと。僕はこの一瞬を生涯忘れないだろう。
立ち上がってベッドから降りる。クローゼットの中、衣装箪笥の引き出しを開けて誓いを手に取った。強く握り締めて君の前に立つ。君は不思議そうな顔でこちらを見ていた。僕はベッドに腰かける君の前で、膝をつきその左手に触れた。
「離れても、会えなくなっても、幾千年も変わらず君を探すよ」
箱を開けて誓いを手に取る。
「何度だって君を迎えに行って、何度だって愛を伝えるから」
君の左手に指輪を嵌める。
「まずは今世で一緒にいてくれませんか?」
顔を上げた先、君の瞳から涙が零れ落ちた。
「って言っても、まだ大学生だし、指輪だって高い物じゃないから、またちゃんとやり直すけどさ」
その涙を拭いながら、必死に弁明の言葉を探した。その指に光る指輪は確かに高かったけれど、それは学生が払えるレベルの物だった。ペアリングが欲しいと言った君に、何とかして良い物を渡したかったけれど、結局今の僕に払える限界は知れていた。その事実に少しばかりの悔しさが込み上げた。だから、この指輪では永遠の愛を誓えるとは思っていない。
ただ、君との未来を誓えると思った。
「何度だって一緒に夜を越えて欲しいんだ。何度だって一緒に桜を見たいし、何度だって今日を祝いたい」
声を上げて泣きじゃくる君が愛おしくて、頬をゆっくり撫でた。君は僕を見る。涙で滲んだ視界に、僕はどう映っているのだろう。けれどきっと、君の見る世界はこの世で一番美しいはずだ。
「誕生日おめでとう」
口角が緩んだ。その唇が言葉を紡ぐ前に塞いで抱きしめる。
「ずるいよ」
「ずるいでしょ」
肩口から聞こえる声は不満げで、僕は思わず笑ってしまった。
「大好きだよ」
「俺もだよ」
「絶対見つけて迎えに来てね」
「緋舞も忘れず待っててね」
「待つよ。世界で一番愛おしい人」
「迎えに行くよ。世界で一番愛する人」
笑い合って、手を取り合った時、夜はもう怖い物では無くなった。孤独はどこにも存在せず、この腕の中で息をしている愛する人が僕を一人にさせてくれなかった。
こうやって、少しずつ大人になっていく。春の嵐の中、君に会った日から今日までずっと、変わらず君を好きでいる。桜が散っても、注がれた愛情が消える事はない。寒く厳しい冬が終わり、春の匂いが鼻を燻って君がまた歳を重ねる度、僕は君に誓おうと思う。
この視界から色彩全てが消えてしまったとしても、変わらず君を愛し続けて、この命が尽きてしまっても、変わらず君を探して迎えに行く事を。
幾千年も変わらず君を愛し続けよう。