730日後の未来の世界
泣いた事に気が付かない振りをしたのは、ただ、この状況を認めたくなかっただけだ。
いつの間にか、かけがえのない存在になっていた。好きも嫌いもそんな事を思う前に、隣にいて心地いいと感じさせるような存在になっていた。その事実に気づきたくなくて、だって気付いてしまえば全てが終わってしまう気がして。ただ、傷を舐め合う事になりそうで怖くて。
だから、気付かない振りをした。
そんな一年前の自分が少し恋しくなる。
桜は満開で世界の全てを埋め尽くしていた。舞い散る花びらを見て、思い出すのはやはり二人の事。
この淡い薄桃色の花が、世界で一番似合う二人だった。陽に透ける髪、透き通った肌。自分の欲しかったものをすべて持っていた二人。けれど、一番欲しかったものは手に入れなかった二人。
人間ってこうやって釣り合いを取っていくのだなと思ってしまう。二人が欲しかったものを、私は当たり前に手にしている。当たり前に、明日が来る。未来がある。二人が欲しくて欲しくて止まなかったもの。愛する人と迎える次の朝を、私はいともたやすく手に入れてしまっていた。全世界の半分以上の人間が、これを当たり前だと言うだろう。生きている事が当たり前で、明日があるのも当たり前。
でも、私は当たり前だと思いたくはなかった。
桜は舞い散る。蒼天を埋め尽くす。鼻歌交じりに向かう先は、やっぱり一つだった。
「水縹公園、今年も咲いてるなあ」
自転車を止め、慣れ親しんだ風景を仰ぎ見る。
きっとあの馬鹿は向こうに行っているだろう。けれど私は、あそこに二人はいない気がした。だってあんな冷たい石の下で、じっとしていられるような二人じゃないから。
「蒼也、春だよ」
舞い散る。君の座っていたあのベンチに。ブランコに。私はただ、それを見つめているだけだ。
「どうせ緋奈と二人仲良く見てるんでしょ。あーあ、嫌だ嫌だ」
コンビニの袋の中、アイスはもう、半分こに出来ない。もう、二度と。
「私ね、今になって思う事があるの。言いたかった事があるの」
溶けているだろうなと思いながら、袋からそれを取り出す。
「あの頃はどうして言ってくれなかったのと思ってた。でも、蒼也と緋奈がそれでいいって決めたなら、私にはもうどうする事も出来ないから、後悔だけはしないでって思えるようになったの。きっと沢山捨てて来て今に至るんだろうけど、私はただ、二人が幸せだったって最期笑ってくれてたなら、それでよかったと思う」
小気味の良い音を鳴らしながらアイスの袋が開く。二個入り。一つだけ開けて口をつける。何だかとても寂しくなった。
「そういえば私今矢田と付き合ってるんだよ。意外でしょ?まさか、って自分でも思ってるけど、これが意外と心地いいんだなあ。本当、不思議だよね」
不意に、花びらが膝の上に落ちてくる。それをつまんで手の平に乗せた。
「もし、生まれ変わってくるなら、今度は私の子供でも良いんだよ?」
何て独り言を言って笑う。あり得るはずがない、夢物語だ。それでも口にせずにはいられなかった。
「ああ、それと蒼也」
公園の入り口、歩いてくる人影が眩しくて目を細めた。彼は私を見つけて驚いた顔をする。けれど、すぐに表情を変えた。
それはとても綺麗な笑みで。
思わず私も笑い返してしまったのだ。
「今度は桜が満開の時期に産まれてくれば?」
手の平にあった花びらはいつの間にか消えていた。半分残ったアイスを彼に投げつける。片手でキャッチした彼はおかしな表情をしていた。
私は立ち上がって彼へと走る。
「あげる!!」
桜は舞い散る。きっと、この先何度でも。私が死ぬまで変わる事はないだろう。
けれど願わくば。最期まで、共に桜を眺める相手が、目の前にいる貴方でありますように。
「はぁ!?何でいきなり」
「良いから受け取れ。奢りよ、感謝しなさい」
「押しつけがましいな!」
「あはは」
「笑ってんじゃねぇ」
空いた片手を握って、私達はまた、ここから歩き始めるのだ。
「行こう、翔!」
730日後の未来の世界で。