730日と未来の約束
流れた気がしたと言うのは、認めたくなかったからだ。
泣いた事。親友の死にさよならをしてしまった事。大好きだったあの子の言葉が現実になってしまった事。
目の前の君が泣いた事。
一年という時間は終わってしまえばあっという間だ。季節はどんどん移り変わるのに、その中にいる自分は、一日一日を当たり前のように過ごしているから体感速度は変わらないのだ。ただ、終わってしまった後に、自分は成長したとか、大人になったとか、そんな事を考えて口にする。
それはきっと、いつになっても変わることは無いだろう。
そう思う。
厳しく長い冬を乗り越えて、花はようやく咲き誇った。
沢山の人を魅了し、狂わせるような愛され方をしている。
誰もが空を見上げて溜め息をつく。それは美しい物を愛でる時に使う息遣いだ。
世界は薄桃に染められる。僅か二週間程度のお話。
そんな季節には、もしかしたら、夢幻を魅せられるのかもしれない。
黒檀色の石が薄桃に染められていた。前日降った雨のせいで、砂利道には花弁の絨毯が出来ている。石に掘られた溝に、側面に、頂点に、花弁は張り付いたままだ。
取る事はしなかった。その方が風流だと、言い出す奴がいるだろう。愛でる奴がいるだろう。微笑む奴らがいるだろう。
一年はあっという間だ。今もそこに佇んでいる気がしている。
あの坂道を、手を繋ぎながら歩いている気がしている。
あの公園で、幼い姿のまま走っている気がしている。
でもそれはこの季節が魅せた幻なのだ。
現実では、もう声も思い出せなかった。どんな風に自分の名前を呼んでいたのだろう。笑った声も、怒った声も思い出せない。
その忘却に、まだ慣れない自分がいる。どうかその記憶を奪わないで欲しい。願っても、時は残酷に彼等を奪っていく。
やがて薄れて顔も思い出せなくなるのだろうか。写真を見ないと分からないくらいになってしまうのだろうか。
怖い。彼等が感じていた恐怖の、その端っこ。忘却の恐怖が襲いかかる。きっとこれは、幾つになっても消えはしないのだろう。
730日。共に過ごした時間と、過ごせなかった時間。
「よう、久しぶり」
大学を休んだ。新学期早々、不真面目な奴だと思われるかもしれない。けれど、練習は行くつもりだから、大丈夫かなとも思っている。
「一人暮らし、始めたばっかだけどもうやめたいわ」
帰っても誰もいないのは大変だ。家事、洗濯、炊事、全て自分がやらなければならない。元々、掃除は嫌いだから部屋は散らかり放題。洗濯物は畳まず、鍋は吹きこぼれる。自分はここまで出来ない奴なのかと、正直悲しくなってくる。
「そういえば、お前の部屋いつも綺麗だったよな。はー、掃除しに来てよ」
石を何度も叩く。それでも返ってこない返事は、これが現実だと自分を責め立てているようだ。
もう言葉は出てこなくて、無言でその場を立ち上がる。並んだ石を眺めて、何となく、ここにはいないだろうと思った。
縛られるのが嫌いな奴らだ。黒檀色の石の元に、大人しく埋まってるような人間じゃない。
いるとしたらきっと、あの公園。坂道の下。時計台の前。
風と共に舞ってるだろう。世界を祝福するように桜を降り注いでいるだろう。
桜が舞うと思い出す。
大事な親友と、恋をした少女を。
「なぁ、お前ら俺の事、どんな声で呼んでたっけ」
答えは風がかき消していった。
それが悲しいけれど、受け止める事が出来るようになってしまった自分がいる。
「そうだ、俺里香と付き合ってるんだよ。驚いただろ」
笑って見せた。あの頃の自分には考えられない事だ。
「立波が、最後残してくれた言葉あっただろ。あれ、里香の事だったんだなって思ったんだ」
彼女はきっと、あの憂いを帯びた笑顔で笑うだろう。そう、良かったわねなんて口にして。けれど本当は心の底から祝福してくれるのだろう。そんな人だったから。
「多分、いや70%くらいの確率で、俺はもうあいつ以外付き合わないんじゃないかなって思ってる。まあ向こうはどう思ってるか分からんけど」
なんだそれと、蒼也なら言うだろう。呆れたように笑いながら。きっと、それでも幸せを願っている。
「だからさ、もし。もし、もう一度会ってくれるなら」
風が吹いた。立ち上がり墓石を見つめる。
「今度は俺らの子供として、会いに来てくれよ」
自分でも何を言ってるか分からないくらい、馬鹿な発言をしたと思う。でも、言わなくちゃいけないと思った。再び二人に会えるように、独りよがりな約束をしておきたかった。
「あ、でもどっちかだけな。二人して俺の子供とか駄目だぞ」
誰がなるかと、蒼也なら言うだろう。
「自分勝手な独り言だ。向こうで笑いながら聞いててくれ」
ポケットに入れたままの携帯が鳴る。その送り主の名前を見て、目を細めた。
「さてと、授業サボりが彼女にばれたから行くとしますか」
一つ欠神をして背を向ける。桜は舞い続けていた。
「ああ、そうだ。一つ言い忘れた」
振り返らなかった。だってそこに、二人の気配を感じたから。
「どうせ生まれてくるなら、次はもっと桜が満開の時にしろよ」