1999年の全米9ボール選手権。
絶頂期のエフレンと若き獅子
コーリー・デュエルとの一戦。
11ラック先取り。


コーリーもエフレンと同じく
キュー切れ大魔王だが、彼が
考案したソフトブレイクは毎
回同じような配置で玉が散ら
ばり、量産連続マスワリとか
も普通に出すので、ナインボ
ールのルールが変更になった。
機械式タイトラックの登場に
よって、それを攻略しきった
コーリーだったが、ルール変
更。9番玉をフットスポットに
置くブレイクインしずらいよ
うにした配置にやがて変わっ
て行った歴史がある。

それでも、今度はカットブレ
イクという技法をコーリーは
編み出し、2001年には史上最
年少24才でU.S.オープンの覇
者となった。



そんな彼、コーリーがどんな玉
を撞くかというと、こんな感じ。
エフレンまっつぁお。

 

エフレンがどんな玉を撞く人か
というと、こんな感じ。
「マジシャン」だよな、これ(笑

 

いやぁ、ビリヤードというのは
観戦していても、自分でやって
も面白過ぎるスポーツです。


この天井カウンターが懐かしい。


2005年。広島県三原市街地内に
撞球界を設立した時、9フィート
競技台を2台クラブハウスに置い
たが、天井にこれを模した手作り
のカウンターを設置した。 
ビリヤードボールだと重いので、
軽く薄いビニールカラーボール
で手作りして。1.8穴幅のブラン
ズウィック華台の上のみだった
が。
撞球会クラブハウスは2005年7月
から2010年8月末までメンバーた
ちの自己資金で自主運営した。
メンバー全員が街中の国道沿いの
クラブハウスの合鍵を持ち、24時
間いつでも玉を撞ける環境を作っ
ていた。すべて自主運営。
初期出資5万円を創立メンバーが
平等に持ち寄り、物件を借り、テ
ーブルを買い揃え、クーラーや調
度品の設備を整え、毎月各人1万
円の特定会費を納めて管理し、そ
こから家賃、光熱費、水道代をま
かなっていた。メンバーがかなり
増えた時には会費月6,000円で撞
き放題という嘘のような環境が実
現できていた。
ビシッとした法律文言の約款も私
が作り、月一度の全員会議を開催
して、月度会計報告、活動計画立
案と組織運営問題の討議等をし、
月例試合も毎月開催していた。
運営部署も設定し、事務局も置い
て任務を厳格に分担し、合議制で
組織を運営していた。
クラブハウスの室内はテーブルか
らトイレ、給湯室まで毎日清掃す
るが、月一度の大掃除の時は持ち
回りで2名が毎月ローテーション

で掃除をした(これは任意ではな
く鉄則)。
部外者の来訪時には会員が責任を
以て開錠して使用管理した。
営利団体ではないので、経理面で
一切利益は出ていない。持ち出し
が多かったが、会費の余った分は
プールして、設備品購入等の資金
に充てた。
主要メンバーの転勤や移住、結婚
等々が数件重なり、5年でクラブ
ハウスの運営は終了した。
だが、営業店舗形態ではない互助
組合方式で最高の撞球環境を5年間
も維持できた事は、創立運営メン
バー各人のその後の生き方にも糧
となった事だろう。
日本国内で初めての方式(しかもか
なり内実がしっかりとした)だった
ので、ビリヤード専門雑誌に取材
を受けて、カラーページ2面抜きで
紹介された事もあった。知恵と仲
間の力を合わせればこういう素晴
らしいビリヤード環境も実現でき
るのだ、という内容の記事紹介だ
った。
全国のビリヤード場(本格的玉屋)は
その月刊誌を必ず購読していたの
で、メンバーが国内のどの都道府
県の玉屋に行こうとも、撞球会の
名前は知れ渡っていた。日本のビ
リヤード界には初対面の挨拶代わ
りの会話文句の定型文が必ずある
ので。その時に「ああ」となった。
現在はアミューズメントばかりに
なった国内のビリヤード環境だが、
その定型文は今でもビリヤード場
には生きているのだろうか。
それはこうだ。
「普段はどちらで撞いてらっしゃる
のですか?」