「フランス現代思想」とは何か、それはどこから来て、どこへ行くのか――2020年代から見た遺産目録と批判史
0. この記事の問いと射程
最初に断っておけば、「フランス現代思想」という括り自体が、当のフランスには存在しない、受容側の発明である——米国では「フレンチ・セオリー」として、日本では1980年代のニュー・アカデミズムの流行を通じて広まった呼び名である(この来歴には第1節で立ち入る)。それでも本稿がこの語を使うのは、断罪も崇拝もこの名の下で流通しており、括りを解体するにも、まず名指す必要があるからである。そしてこの主題には、全体をひとまとめに裁く語り方を招きやすいところがある。断罪する側はこの名で括られたものをまとめて棄却しようとし、擁護する側はまとめて弁護しようとしてきた。だが判定の単位が大きすぎると、議論は事実から離れていく。2020年代の現在から見えるのは、どちらの図式にも収まらない光景である。フーコー、デリダ、ドゥルーズらの仕事は、そのままの形で生き残ったわけでも、論破されて消えたわけでもない。概念や問いの立て方が個別に取り出され、社会学、法学、ジェンダー研究、監視研究、翻訳研究などの研究手続きに組み込まれ、弱点は後続の理論によって補正された。全体としての当否ではなく、部分ごとの選別——これが実際に起きたことであり、本稿が採る見取り図である。
とすれば、問うべきは「彼らは正しかったのか」ではない。何が知的遺産として引き継がれたのか。何が引き継がれるべきで、何が切り捨てられたのか。そして誰が、どんな根拠で切ったのか。本稿はこの問いに、遺産目録と批判史の両面から答える。
本稿の射程について、前もって三つの点に触れておく。第一に、本稿で扱う「フランス現代思想」は、狭義のフランス哲学運動ではない。英語圏で「French Theory」として受容され、周辺分野に広がった理論群を含む——ただし、各人物が同じ学派に属したという意味ではない(この留保の中身は第1節と第2節末で立ち入る)。第二に、本稿は入門ではなく総説である。固有名詞の密度は高く、フーコー、デリダ、ブルデューといった名前を一度は聞いたことのある読者を想定している。第三に、ソーカル事件は別稿で詳述したため、本文では扱わない。ただし素通りはせず、本稿に関わる要点だけを以下に示す。
ソーカル事件と本稿の関係(要約) 1996年、物理学者ソーカルは無意味な科学用語を織り込んだパロディ論文を文化研究誌に掲載させ、続く『「知」の欺瞞』で一部論者の数学・物理語彙の濫用を批判した[^1]。事件が突いたのは、科学風レトリックによる権威づけと、特定ジャーナルの編集基準の脆弱さである。突いていないのは、フーコーの監獄分析やブルデューの文化資本論そのものの妥当性であり、「この系譜全体が崩壊した」ことの証明でもない(事件後も彼らは人文学の被引用ランキングの頂点にいる[^25])。本稿の主題——何が検証に耐えて残ったか——は、ソーカルの要求「借りた語彙には概念的責任を負え」の、いわば続きの作業である。
1. まずラベルをほどく――「連中」は存在しない
最初の、そして最大の落とし穴は、異質なものを一つの箱に放り込むことである。遺産の目録を作るにも、批判の的を絞るにも、この整理を誤ると、その後の議論はかなり歪んでしまう。
当のフランスでは「ポスト構造主義」という一貫した運動の自己意識は希薄だった。Angermullerが整理したように、このカテゴリーは主に英語圏で後から束ねられたものであり[^2]、Cussetの言う「フレンチ・セオリー」に至っては、アメリカの大学市場とカウンターカルチャーが合成したブランドである[^3]。日本語の「フランス現代思想」も、これと並行する日本固有の受容の産物である。『現代思想』(1973年創刊)や『エピステーメー』といった思想誌と翻訳出版を流通経路とし、1980年代のニュー・アカデミズム——浅田彰『構造と力』(1983)のベストセラー化と、翌1984年に新聞報道から生まれた「ニューアカ」の呼称——を契機に、一般読書界にまで広まった[^87]。しかも日本語のこの語は、文脈によっては実存主義やエピステモロジーを含む20世紀フランス哲学全般を指すこともあり、指示範囲は米国の「フレンチ・セオリー」よりさらに不安定である。つまり「フランス現代思想という連中」を一括で語る言明は、米国製であれ日本製であれ、実在しない主語について語っている。
忘れられがちな事実も、先に確認しておきたい。構造主義は反科学ではなく、科学化のプロジェクトだった。 ソシュール言語学をモデルに、親族・神話・無意識・テクストを形式的・客観的に分析し、人間諸科学を堅固な科学的基礎に置こうとした運動である[^4]。反科学的に見えるものがあるとすれば、それは構造主義ではなく、その科学主義的野心を内側から批判したポスト構造主義以降の潮流の方であり、両者を混同した批判は出発点から的を外すことになる。構造主義が退潮した主因も、反科学だったからではなく、反証可能性の弱さ、歴史性・主体性・実践の軽視——つまり科学的野心と成果の不一致だった[^5]。
2. 「アカデミアで主流ではなかった」は本当か――主流の解剖と、位置関係の測定
遺産の話に入る前に、成立史をめぐって最もよく流通する言明——「彼らはアカデミアでも主流ではなかった」——の真偽と程度を確定させておきたい。この言明は、周縁性を詐術の証拠とする断罪にも、体制への反逆という英雄譚にも使われるが、どちらの用法も「では何が主流だったのか」を具体的に描かないまま使われている。主流を描かなければ、周縁性は測定できない。
判定を先に要約しておく。「主流ではなかった」は半分だけ正しい。大学講座・博士指導・アグレガシオンという再生産権力の中心から見れば、彼らはたしかに周縁的だった。だが出版市場・学生文化・コレージュ・ド・フランスという威信の場から見れば、1960年代後半以降、彼らはむしろ旧主流の実存主義に取って代わっていった。つまり問題は「主流だったかどうか」ではなく、どの場所における、どんな種類の「主流」かである。
2.1 何が主流だったのか――1945-60年代フランスの知的正統
戦後フランスの知的世界——大学哲学、思想ジャーナリズム、知識人の政治——における「主流」は、一枚岩ではなく、少なくとも三層あった。
第一層:大学哲学の正統=哲学史研究。 ソルボンヌを頂点とする大学哲学の中核業務は、デカルト、カント、ヘーゲルら正典テクストの厳密な註釈と哲学史研究だった。アルキエ(デカルト研究)、グイエ、ゲルー(哲学体系の構造分析)、ジャンケレヴィッチ(ソルボンヌ道徳哲学講座)らがこの正統を担い、その権力の実体はアグレガシオン(教授資格試験)の出題範囲と審査、および国家博士論文の指導・審査権にあった。フランスの哲学教育は高校(リセ)の哲学必修と結びついており、アグレガシオンを管理することは、全国の哲学教員の再生産を管理することを意味した[^6]。これが「主流」の制度的な芯である。地味だが、人事と教育課程を握るのはここだった。
第二層:知的舞台の主流=実存主義的現象学。 一方、書店とジャーナリズムと学生の熱狂を支配していたのは、(その後世界的に流行する)サルトルとメルロ゠ポンティの実存主義・現象学だった。デコンブの有名な整理を借りれば、1930年代から60年代初頭のフランス哲学は「三人のH」——ヘーゲル、フッサール、ハイデガー——の受容史であり、コジェーヴのヘーゲル講義に発する「意識と歴史の哲学」が論壇の共通語だった[^7]。メルロ゠ポンティは1952年にコレージュ・ド・フランスに選出されており、この潮流は在野の流行にとどまらず、制度的な承認も得ていた——ただし後述(2.2)の区別で言えば、それは聖別の極での承認であって、再生産権力の掌握ではない。第二層の「主流」性の実質は、あくまで知的舞台の支配にある。サルトルだけが大学の外に立ち続けたが、それは締め出されたからではなく、文筆と自らの雑誌(『レ・タン・モデルヌ』)だけで知的権威と生計を維持できる、例外的な存在だったからである。
第三層:政治的主流=マルクス主義。 知識人の政治的座標では、フランス共産党の重力圏にあるマルクス主義が「乗り越え不可能な地平」(サルトル)として君臨していた[^8]。大学内の勢力としては限定的でも、知識人の忠誠と論争の磁場としては最大だった。
このほか、少数派だが重要な系譜として、バシュラール゠カヴァイエス゠カンギレムの科学認識論の伝統があった(ソルボンヌの科学史・科学哲学講座)。フーコーが後に「意識の哲学」に対する「概念の哲学」と呼んで自らの出自とした系譜であり[^9]、主流第二層(現象学)への対抗軸として機能した。また文学研究では、ランソン以来の実証主義的文学史(作家の伝記と典拠の考証)がソルボンヌの正統だった。
2.2 主流とどんな関係だったのか――再生産の極と聖別の極
後に「フランス現代思想」と括られる人々は、この主流に対して、どのような位置にいたのか。それを整理するには、ブルデュー『ホモ・アカデミクス』の分析枠組みが役立つ[^10]。フランスの学術場には、再生産権力の極(ソルボンヌ:アグレガシオン審査、博士指導、人事)と、聖別の極(コレージュ・ド・フランス、高等研究実習院:最高の威信を持つが、学位授与権も試験も、制度的な弟子の再生産回路も持たない)という二つの頂点があった。コレージュ・ド・フランスは「フランスの学術的栄光の頂点だが、卒業生を一人も出さない」機関である。この二極構造を押さえると、彼らの経歴は、ばらばらの逸話ではなく一つの型として見えてくる。
彼らは第一に、入口では制度の正規の選抜を通過していた。フーコー、デリダ、アルチュセールは高等師範学校の出身である。ドゥルーズは高等師範学校の受験には失敗したが、ソルボンヌで哲学を学び、アグレガシオンに合格している(1948)[^89]。この経歴を「エリート街道ではない」と言うのは難しい——ソルボンヌは、まさに本節で言う再生産の極の中心であり、アグレガシオンと国家博士を通る道は、フランス大学哲学の正規の昇進路にほかならない。個別の経歴をめぐる定型的な反論(不合格歴、「フーコーはソルボンヌ出身」説、バルトやボードリヤールの例など)には、巻末の補論でまとめて応答する。したがって「出自が怪しい」を学歴・資格の意味で取るなら、少なくとも断罪の中心的な標的(フーコー、デリダ、ドゥルーズ、アルチュセール)について、この言明は偽である。ただし、出自を社会的な生まれや属性の意味で取るなら、話は別の形になる。デリダはアルジェリア生まれのユダヤ系で、ヴィシー政権下では反ユダヤ法によりリセから追放された経験を持つ[^13]。フーコーとバルトは同性愛者であり[^12]、ブルデューは南西部ベアルンの、郵便局員の家の出だった[^88]。パリのブルジョワ男性という伝統的なエリート像から見て非典型的な経歴は、たしかに少なくない。しかし、それを「怪しい」と形容した瞬間、言明は事実の指摘ではなく侮蔑に変わってしまう。そしてこの非典型性は、彼らの仕事——排除の経験、狂気や性の歴史、学歴貴族の社会学——を駆動した条件として、研究上はむしろ正面から扱われてきた要素である。ここでも「出自」という語は、学歴の意味と生まれ・属性の意味の二つを持ち、論者は都合のよい方に切り替えて使うことができる。2.3で見る「主流」の多義性と、同じ構造である。
第二に、彼らはキャリアの中盤で再生産の極から外れ、聖別の極と新設・周縁機関の回路に乗った。バルトはアグレガシオンを持たず(結核による中断)、CNRSから高等研究実習院へ(1960)。ラカンは1963年に国際精神分析協会から事実上追放され(本人言う「破門」)、セミネールを高等師範学校、次いで法学部の講堂で開き続けた——大学教授には終生ならなかった[^11]。アルチュセールは高等師範学校のアグレガシオン指導教官という、エリート機関内の低い公式職位に留まり続けた。ドゥルーズはリヨン大学を経て、1968年に新設されたヴァンセンヌ実験大学(パリ第八)へ移り、退職までそこを動かなかった。フーコーが哲学科を組織したこのヴァンセンヌは周縁性の程度を測る好例で、あまりに急進的な課程編成のため、1970年に哲学の学位の国家資格としての効力を剥奪された——つまり卒業しても哲学教員になれない哲学科だった[^12]。
デリダは「主流ではなかった」が最も強く成り立つ事例である。 高等師範学校で約20年、教授ではなく専任講師級の職位に留まり、国家博士論文の審査を受けたのはようやく1980年(53歳)。フランスの大学哲学の講座には最後まで迎えられず、1983年に社会科学高等研究院の研究指導職に就き、同年、制度の外に国際哲学コレージュを自ら共同創設した[^13]。世界で最も有名な哲学者の一人が、自国の大学哲学には最後まで席がなかった——この非対称が、彼の周縁性の実質である。
主流の側が彼らを歓迎しなかった、という事実もある。象徴的な衝突がピカール゠バルト論争(1965-66)である。ソルボンヌのラシーヌ研究の権威ピカールは、バルトの新批評を『新しい批評か、新しい詐欺か』と題する小冊子で正面攻撃し、バルトは『批評と真実』で応じた[^14]。実証主義的文学史の正統と記号論的読解の挑戦者、という構図がここまで露骨に舞台化された例はない。哲学では、サルトルが『言葉と物』を「マルクスに対するブルジョワジーの最後の防壁」と斬って捨てた[^15]——旧主流(実存主義+マルクス主義)から見て、構造主義は体制側の反動にすら見えた、という証言である。攻撃されていたのは事実だが、右からも左からも、正統からも旧前衛からも攻撃されていた、というのが正確な像である。
そして第三に、彼らを迎えたのは、聖別の極だった。すでにレヴィ゠ストロース(1959)、バンヴェニスト、デュメジルというコレージュ・ド・フランスの構造主義系教授たちが先導しており、イポリット(1963年選出)の死後の講座を、彼の弟子フーコーが継ぐ形で1970年に着任する。バルトが1976年、ブルデューが1981年に続いた。つまり彼らは、再生産の極(大学)には最後まで疎遠なまま、聖別の極(コレージュ・ド・フランス)と文化市場(ベストセラー、雑誌、メディア、そして米国)で正統化された。Lamontのデリダ研究が示した「縮小する学術哲学市場ではなく広い文化市場への適合」とは、この経路の社会学的記述であり[^16]、テル・ケル誌周辺の理論家たちが雑誌・叢書・メディアという新しい流通経路で象徴資本を蓄積したというKauppiの記述もこれに重なる[^17]。
2.3 判定――「主流ではなかった」の真偽と程度
以上から、問題の言明は次のように精密化できる。
「主流」を再生産権力(大学講座、アグレガシオン審査、博士指導)の意味で取るなら、言明はおおむね真である。彼らの多くは大学哲学の人事と教育課程を握る位置には(フーコーの晩年を含めても)ほとんど到達しなかった。デリダに至っては顕著に排除されていた。
「主流」を知的威信と影響力の意味で取るなら、言明は1966年頃を境に偽に転じる。『言葉と物』は人文書として異例のベストセラーになり、構造主義は雑誌・書店・学生文化の支配的な話題となり、1970年代にはコレージュ・ド・フランスの選出が相次いだ。この意味では、彼らは旧主流(実存主義)から主流の座を奪った側である。
つまりこの言明の真偽は、「主流」の語の多義性の中で反転することになる。そして断罪の言説は、まさにこの多義性を利用する——養成期の正統性と威信の獲得を無視して「周縁の怪しい連中」と言い、再生産権力の欠如を無視して「権威に居座った」と言う。同一人物が、語の意味をずらすことで二重に有罪化される。周縁性の測定には、どの極からの距離なのかの明示が不可欠である。
なお時系列も再確認しておく。主著群(『言葉と物』『エクリ』1966、『グラマトロジーについて』1967、『差異と反復』1968)の形成は五月革命に先行する。五月革命は彼らを作ったのではなく、受容・政治化・国際流通を加速した(そして皮肉にも、運動の当時の標語は「構造は街頭に出ない」——同時代的には、彼らは運動からも古いと言われていた)[^18]。政治的文脈が受容に有利に働いたこと(Lamontの分析が示す通り[^16])と、機運を利用してのし上がったという意図の帰属とは、別の主張である——前者は支持できるが、後者を支持する一次資料的な証拠は、管見の限り示されたことがない。
2.4 その主流はどうなったのか――そして現在
周縁性の物語を完結させるには、彼らが対峙した主流たちのその後を見る必要がある。ここに、この成立史の最も教訓的な反転がある。
実存主義は、学派としては急速に退潮した。 1960年代後半には構造主義に知的舞台の主役を奪われ、サルトルの死(1980)とともに一つの時代が閉じた。ただし完全に消えたのではなく、90年代以降、政治的知識人の範型として、また現象学研究の一部として再評価が進んでいる。
現象学は、途絶えなかった。 これは重要である。フッサール゠ハイデガー系の現象学は、レヴィナス、アンリ、マリオンらによって続行され、90年代にはジャニコーが「フランス現象学の神学的転回」と呼んで批判するほどの厚みを保った[^19]。さらにヴァレラらの「神経現象学」を経由して認知科学と接続する自然化の路線も生まれ[^20]、現在のフランス大学哲学で現象学は主要な現役部門である。旧主流の一角は、挑戦者たちより長く大学に生き残った。
哲学史研究の正統は、ほぼ無傷で存続した。 ソルボンヌ的な哲学史・正典註釈は、1968年後の大学再編(ソルボンヌの分割)を経てもフランス大学哲学の基幹業務であり続けている。再生産権力を握る極は、知的流行の交代をやり過ごすことができる——これが再生産権力というものの定義でもある。
マルクス主義は、最も劇的に崩落した。 1970年代後半の「新哲学者」の反全体主義キャンペーン、共産党の退潮、フュレによる革命史学の書き換えを経て、1980年代のフランスのアカデミアでマルクス主義は急速に周縁化された[^21]。かつての政治的主流が、断罪の語彙(全体主義への加担)とともに転落する——この転落劇は、知的正統の交代がどれほど速く、どれほど政治的でありうるかの実例として、フランス現代思想の側の興亡と対で見るべきである(2008年金融危機以降、バディウの「共産主義の仮説」などを通じた部分的な再浮上がある[^22])。
新しい参入者が主流の一角を占めた。 1980年代以降、フランスの大学哲学には分析哲学が本格的に参入した(ブーヴレスは1995年にコレージュ・ド・フランスに選出されている——彼自身がフランス現代思想の文体への辛辣な批判者だった[^23])。現在のフランス大学哲学は、哲学史研究・現象学・分析哲学が主要三部門であり、「フランス現代思想」はその中で再び周縁的である。フーコー、デリダ、ドゥルーズを主な研究対象とする研究者のポストは、フランス本国よりも英語圏の方がはるかに多い。
この最後の反転が、現在地を規定している。彼らの遺産は、フランスの大学哲学ではなく、米国経由のグローバルな人文学・社会科学(第3節の目録が示す各分野)に相続された。そして2020年代のフランスでは、政府や論壇の一部が「イスラモ・ゴーシスム」「ル・ウォーキスム」批判の名の下に、米国から再輸入された自国の思想を外来の脅威として攻撃するという、Cussetが予見した通りのブーメランが起きている[^3]。周縁から出て、他国で主流化し、故国に異物として帰ってくる——「主流ではなかった」の物語は、一度の判定で終わらない往復運動なのである。
最後に、この節の方法についての注記——そして一つの自己申告を。ここで使った道具立て(場、再生産の極と聖別の極、象徴資本、異端の聖別)はブルデューのものだが、ではブルデューは「フランス現代思想」なのか。実はこの問いは、第1節の論点の試金石である。受容カテゴリーとしての「フレンチ・セオリー」の意味では、彼は含まれない——米国で彼は文学部ではなく社会学部に受容され、本人はデリダの学者的身振りを『ディスタンクシオン』の後記で批判し[^24]、預言者型の哲学的知識人モデルを終生嘲笑し、実証の職人仕事を対置した。つまり彼は、哲学的な前衛たちの一員というより、同じ知的世界で彼らと張り合っていた社会学者である。しかし世代と場の系譜では、彼は内側にいる——デリダと高等師範学校の同期であり(アルジェリアに生まれたデリダと対をなすように、ブルデューも兵役と最初のフィールドワークをアルジェリアで経験している[^90])、哲学アグレガシオンを経て、EHESSからコレージュ・ド・フランス(1981)へという「異端の聖別」の典型軌道を、フーコーやバルトと共有している。認識論的な母体(バシュラール゠カンギレムの科学認識論と構造主義。彼の自称は「構造主義的構築主義」)も同じである。
したがって皮肉は、正確にはこう言うべきだろう。フランス現代思想への断罪は、たいていブルデューをフーコーやデリダと同じ箱に放り込む(実際、人文学被引用ランキングでも彼らは並んで頂点にいる[^25])。だがその箱の中身を検証する最良の道具は、箱の住人と同じ知的場で、住人たちと競合しながら鍛えられたものだった。検証装置は箱の「中」から来たのではなく、断罪が区別できていない「同じ場」から来た——そしてこの区別を立てる作業が必要になったこと自体、ラベルの整理を誤ると議論が歪むという第1節の主張の実演になっている。以下の目録は、この場が各分野に相続させたものの全域版である。
3. 遺産目録I――実証化・制度化:誰の何が、どこに引き継がれたか
第一の継承経路は、宣言や世界観としてではなく、検証可能な研究プログラムの部品として各分野に吸収されたルートである。本稿の見立てでは、これが最も太い経路にあたる。なお、先に被引用ランキングに触れたが(第0節・第2節末)、引用され続けているという事実だけでは、遺産の証明にはならない——流行語もまた引用されるからである。クーンの「パラダイム」が典型で、原義を離れた流行語として流通し続け、クーン自身が後年、「専門母型」への言い換えを試みたほどだった。そこで以下では、引用の多寡ではなく、概念がどの分野で、どの程度、検証可能な研究手続きに変わったかを基準に、人物ごとに見ていく。
3.1 フーコー――最も広く分解された遺産
フーコーは、単独の思想家としては、おそらく20世紀後半で最も広範に「部品化」された。少なくとも五つの研究系譜が彼から出ている。
統治性研究。 晩年のコレージュ・ド・フランス講義(『安全・領土・人口』『生政治の誕生』)から[^26]、Nikolas Rose、Peter Miller、Mitchell Deanらが「統治性(governmentality)研究」という経験的プログラムを立ち上げた[^27]。国家を一枚岩の権力とみなす代わりに、統計、保険、監査、会計、心理学的専門知といった具体的な統治のテクノロジーを追跡していく。フーコーの1978-79年講義は、新自由主義を正面から主題化した最も早い理論的検討の一つでもあり、新自由主義を「統治の様式」として分析する語彙——人的資本、企業家的自己、競争による統治——の重要な供給源になった。ブラウン『いかにして民主主義は失われていくのか』(2015)やダルドーとラヴァルの『新自由主義という世界の新理性』(2009)は、明示的にこの講義を出発点としている^92。
生政治論。 「生かす権力」の概念は、アガンベン『ホモ・サケル』(剥き出しの生と例外状態)、エスポジトの免疫化論、そしてムベンベの「ネクロポリティクス」(死なせる権力としての植民地・人種統治)へと分岐した[^29]。パンデミック初期には、アガンベン自身が感染対策を例外状態の常態化として批判する論考を発表し、ナンシーやエスポジトらが応答する国際的な論争になった[^91]——賛否はともかく、この概念装置が現在の論争の現役の道具であることを示した出来事である。
監視研究。 『監獄の誕生』のパノプティコン分析は、David Lyonらの監視研究(surveillance studies)という一分野を生み、プラットフォーム資本主義とデータ監視の分析(ズボフの「監視資本主義」もこの問題系の延長にある)に接続された[^30]。ただしここでは「乗り越え」も起きている——中央の塔が皆を見るパノプティコンより、万人が少数を注視する「シノプティコン」など別のモデルが要る、という修正がこの分野の内部から出た[^31]。
知の歴史・科学論。 『言葉と物』『知の考古学』のエピステーメー分析は、Ian Hackingによって「人々を作り上げる(making up people)」と「動的唯名論」の語彙に翻訳された——人間についての分類概念が作られると、分類された当人たちの自己理解と行動が変わり、その変化が分類概念の側に跳ね返る(ループ効果)ことで、人間の「種類」が分類実践とともに生成する、という議論である[^32]。この翻訳を経て、フーコーの問題系は統計学史・精神医学史・分類の社会学という実証研究群になった。Hackingの仕事は、フーコーが分析哲学と実証史学に接続可能であることの最良の証明である。
セクシュアリティ史とその先。『性の歴史』は、バトラーのパフォーマティヴィティ論を経由して、ジェンダー・セクシュアリティ研究の制度化を後押しした重要な理論的資源の一つになった[^33]。
同時に、実証化は検証による切除も伴った。『狂気の歴史』の史実(「大監禁」の年代と規模、船の実在性など)は、ScullやMidelfortら精神医学史家によって具体的に批判され[^34]、現在の精神医学史はフーコーの問い(狂気の境界は歴史的に構築される)を継承しつつ、彼の史実記述の多くを修正済みである。問いは残り、答えは検証で更新される。これは継承の失敗ではなく、むしろ健全な形と言ってよいだろう。
3.2 ブルデュー――社会学の標準装備へ
(第2節末の注記の通り、ブルデューは「フランス現代思想」そのものではなく、同じ知的世界で彼らと張り合った社会学者である。それでも本目録に載せるのは、断罪も海外の一括受容も引用ランキングも彼を同じ箱で扱ってきたこと、そして何より、彼の遺産がこの系譜全体を検証する装置として現に機能しているからである。)
ブルデューの遺産は、逆説的に最も「目立たない」。あまりに標準装備になったからである。
文化資本と教育社会学。『再生産』『ディスタンクシオン』の文化資本概念は[^35]、DiMaggio(1982)による操作化以降、教育達成の階層差を測る定量研究で広く使われてきた[^36]。測定方法をめぐる論争は続いているが、ブルデューの概念が計量研究の語彙にまで入ったこと自体は動かない。概念が提唱者の手を離れ、誰でも操作化して使える変数になったという意味で、継承としてはかなり徹底した形である。
場の理論。 「場(champ)」の概念は、文学場・ジャーナリズム場・科学場・法学場の分析として輸出され、科学社会学では「誰がどの資本を持って科学場で競争するか」という研究プログラムになった。本稿第2節が使った分析装置そのものである[^10]。
境界研究への発展。 Lamont自身がブルデューを批判的に継承し、「象徴的境界(symbolic boundaries)」研究——人々がいかに道徳・文化・階級の線引きで自他を区別するか——という比較社会学の一分野を開いた[^37]。ブルデューの決定論的すぎる再生産図式への修正を含む発展であり、これも「使いながら直す」継承の典型である。
国家論・実践理論。 ハビトゥス概念は、社会学の「実践論的転回」(Ortner以降の人類学を含む)の中核部品となり[^38]、構造か主体かという不毛な二択を回避する標準の語彙になった。
3.3 デリダ――テクストの外への意外な展開
脱構築には、哲学ではなく文学部の言葉遊びだ、という批判が繰り返し向けられてきた。象徴的なのは1992年、ケンブリッジ大学のデリダへの名誉学位授与に際し、クワインら約20名の哲学者が連名で英タイムズ紙に抗議書簡を送った事件である。そこでは彼の仕事は「ダダイストのそれに似たトリックとギミック」から成り、その影響力は哲学ではなく主に文学研究の領域のものだ、とされた[^98]。だが実際の継承先を数え上げると、意外なほど実務的な領域に及ぶ。
法学。 「法の力」(1989)は、法の根拠づけの不可能性と「脱構築不可能なものとしての正義」を論じ、批判法学(Critical Legal Studies)と法解釈理論に深く浸透した[^39]。法の起源には根拠づけられない暴力があるという論点は、憲法制定権力論や移行期正義の議論で現役である。
翻訳研究。 「バベルの塔」以降のデリダの翻訳論は、翻訳研究(Translation Studies)が独立分野として制度化する際の理論的支柱の一つになった[^40]。原文の「原本性」を疑う視点は、翻訳を派生ではなく生産として扱う現在の標準的見方を準備した。
アーカイブ理論。『アーカイヴの病』は、記録管理学・デジタルアーカイブ論に「アーカイブは過去を保存するのではなく、何が過去として存在しうるかを決める権力装置だ」という問題設定を与えた[^41]。デジタル人文学時代に再評価が進んだ遺産である。
動物論・環境人文学。『動物を追う、ゆえに私は(動物で)ある』は、人間/動物の二項対立の脱構築として、動物研究(Animal Studies)とポストヒューマニティーズの出発点の一つになった[^42]。
政治哲学。 歓待、赦し、来たるべき民主主義をめぐる後期デリダは、移民・難民の政治哲学と和解論(南アフリカ真実和解委員会をめぐる議論など)に概念を供給し続けている[^43]。
3.4 ドゥルーズ゠ガタリ――死後に加速した継承
ドゥルーズ゠ガタリの継承は、他と違って死後に加速したという特徴がある。
アッサンブラージュ理論。 DeLandaが『アンチ・オイディプス』『千のプラトー』の概念を分析的に再構成した「アッサンブラージュ理論」は、社会学・国際関係論・人文地理学で、全体論にも還元主義にも陥らず異種混交的な編成を記述する枠組みとして使われている[^44]。
情動論的転回。 Massumiらが開いた情動(affect)研究は、意識的な意味解釈の手前で身体に働きかけるものを扱う枠組みとして、メディア研究・政治コミュニケーション研究(なぜ論理より情動の方が拡散するのか)に広がった[^45]。
管理社会論。 わずか数頁の「追伸——管理社会について」(1990)は、規律訓練型(フーコー)から連続的変調型への権力の移行を予言的に描き、プラットフォーム研究・アルゴリズム統治論で最も引用される短文の一つになった[^46]。信用スコア、レコメンデーション、ギグワークの出来高管理——2020年代の労働と消費を記述するとき、この短文の語彙はいまも現役で使われている。
その他。 リゾーム概念は初期インターネット論とネットワーク科学の想像力に(功罪ともに)影響し、器官なき身体・生成変化の概念は芸術理論と建築理論の共通語彙になった。
3.5 バルト――記号論から、読解実践の共有財産へ
バルトの遺産は、一つの体系としてではなく、読解の実践知として、複数の分野に分かれて相続された点に特徴がある。
神話作用とメディア分析。『神話作用』(1957)がプロレスや洗剤広告に適用してみせた分析——文化的記号が、歴史的に作られたものを自然なものに見せかける仕組みの解読——は、メディア研究・広告分析・カルチュラルスタディーズの基礎教養として制度化され[^47]、いまやメディアリテラシー教育にまで浸透している。日常の文化商品を「読める対象」に変えたという意味で、後述の教訓(3.8)で言う変換装置の、最も広く普及した形かもしれない。
物語論。 「物語の構造分析序説」(1966)は、ジュネットらのナラトロジー(物語論)が独立した方法論として制度化される起点の一つになった[^76]。物語論は現在、文学研究にとどまらず、ゲームスタディーズ、デジタルストーリーテリング、医療人文学(ナラティブ・メディスン)にまで応用されている。
「作者の死」と、その後の制約競争。 「作者の死」(1967)は、作者を意味の最終審級から外したが、では、どの読解を妥当と判定するのかという基準を十分に示さなかった[^76]。この空白こそが遺産になった、という見方もできる。以後の文学解釈理論は、エーコのテクスト内的整合性、受容理論の「期待の地平」、フィッシュの解釈共同体など、作者に代わる制約を何に求めるかをめぐる競争として展開したからである[^78]。宣言そのものより、宣言が開けた問いの方が継承された例と言える。
写真論。 遺作『明るい部屋』(1980)のストゥディウム/プンクトゥムの区別は、写真論・視覚文化研究の標準語彙になった[^77]。
一方で、初期バルトが『記号学の原理』で構想した「記号の科学」としての記号学は、そのままの形では続かなかった。残ったのは科学ではなく読解の技法である。この点でバルトは、構造主義の科学化の野心(第1節)がどう選別されたかを示す縮図でもある。
3.6 サイード――表象の政治から、ポストコロニアル研究へ
分野の創設。『オリエンタリズム』(1978)は、フーコーの言説分析を帝国に適用し、「東洋」についての西洋の学知が、対象の記述であると同時に支配の装置でもあったことを論じた[^48]。この一冊がポストコロニアル研究という分野の出発点になったことは、ほぼ争いがない。後述の教訓(3.8)の言い方を先取りすれば、「東洋/西洋という区分は自然で自明である」を「その区分はいかに作られ、維持され、誰に利するのか」に変換した仕事である。
対位法的読解。『文化と帝国主義』(1993)が示した対位法的読解——正典文学を、帝国の存在を前提に置いて読み直す方法(『マンスフィールド・パーク』の暮らしを支えるアンティグアの奴隷農園、というように)——は、英文学研究の標準的な手続きの一つになった[^79]。
使いながら直した創設者。 注意すべきは、サイード自身がフーコーの忠実な弟子ではなかった点である。彼は後年、権力がすべてを覆うフーコー的図式では抵抗の余地が説明できないとして距離を取り、人文主義の再評価へ向かった[^81]。道具を借り、限界を見きわめ、修正する——本稿が第7節で最も信頼に足ると述べる批判の型を、サイードは分野の創設者として自ら実演している。
検証と批判。『オリエンタリズム』は実証面でも批判を受けた。東洋学史家のアーウィンは史実と学史の扱いを、マルクス主義批評家のアフマドは(チバーに先行して)階級と資本の分析の弱さを、それぞれ具体的に指摘している[^80]。そして分野の現在は、チバーの普遍主義的批判(第5節)と脱植民地論(第6.4節)が正反対の方向から問う緊張の中にある。創設の書のうち、批判に耐えた部分が残り、耐えなかった部分が修正される——ここでも選別の構図は同じである。
3.7 ラトゥールとSTS――「箱」の外から入り、内から出た人
(ブルデューと同様、ラトゥールにも位置づけの注記が要る。世代は一回り下で、専門は科学の人類学であり、「フレンチ・セオリー」の受容カテゴリーには本来含まれない。彼がこの箱に入れられたのは、主に1990年代の「サイエンス・ウォーズ」で、ソーカルらの批判の標的に含まれたからである。)
アクターネットワーク理論(ANT)。 ウールガーとの実験室の人類学『ラボラトリー・ライフ』(1979)から『社会的なものを組み直す』(2005)に至る仕事は[^82][^49]、科学的事実がいかに作られ安定するかを、人間と非人間(装置、標本、文書)のネットワークとして記述する方法を確立し、科学技術社会論(STS)の中核になった。「非人間のエージェンシー」という語彙は、いまや組織研究、情報システム研究、人文地理学にまで広がっている。
近代論。『虚構の「近代」』(1991)の診断——近代は自然と社会の分離を建前としながら、実際には両者の混合体を増殖させてきた——は[^83]、気候変動やパンデミックのように自然/社会の区分に収まらない対象を扱う研究の、共通の参照点になった。
批判と自己修正、そして晩年。 ANTは内外から批判された。科学的知識の社会学の側からはブルアが「反ラトゥール」で応酬し、フェミニストSTSは権力の非対称性の扱いの弱さを問うた[^84]。そしてラトゥール自身が2004年、構築主義的批判の身振りが陰謀論や気候変動否認に流用される事態を正面から論じ、自己修正に踏み切る——この論文は第4節で扱う。晩年はガイア論と気候の政治へ向かった[^85]。批判から組み立てへ、というこの後半生の軌道は、本稿の言う「乗り越え」を一人の研究者が一人称で生きた実例であり、彼が遺産目録I(本節)と目録II(第4節)の両方に登場するのはそのためである。
3.8 目録Iの教訓
一覧して分かるのは、継承された部品に共通する形式である。それらはいずれも、「Xは自然で自明である」を「Xはいかに作られ、維持され、誰に利するのか」に変換する装置だった。監獄、教育達成、法、アーカイブ、情動、分類——対象は違えど、変換の型は同じである。この変換装置こそが引き継がれた中核遺産であり、引き継がれるべきものでもある。ただしそれは、変換が開いた問いに実証で答えるという条件付きで——その条件を怠った使用こそ、後述する批判の多くが標的にした部位である。
4. 遺産目録II――脱・暴露化:疑いの解釈学の自己修正
第二の継承経路は、批判の矛先が内側を向いている点で、第一とは性格が異なる。フランス現代思想が最も得意とした身振り——隠された権力・抑圧・構造を暴くこと——それ自体を、この系譜の継承者たちが点検し、相対化しようとした流れである。「疑いの解釈学」(リクールの用語[^50])の独占への批判、と要約できる。
セジウィック——妄想的読解と修復的読解(1997-2003)。 転回の起点はクィア理論の内部から来た。セジウィックは、隠された支配を暴く「妄想的読解」が批評の唯一の知的態度になったことを批判し、驚き・快楽・愛着・回復可能性を受け取る「修復的読解」を並置した[^51]。重要なのは、これが理論に敵対する陣営からではなく、理論の最も鋭い使い手から出た自己批判だったことである。
ラトゥール——「批判はなぜ力を失ったか」(2004)。 転回を決定づけたのは、社会構築主義の旗手と目されていたラトゥール自身の論文である。彼は、事実の構築性を暴く批判の身振りが、気候変動否認論や陰謀論にそっくり流用されていることを指摘し、「事実から遠ざかる批判」ではなく「事実へ近づき、物事が存在するための条件を集める批判」への転換を訴えた[^52]。暴露という様式そのものが、暴露されてきた側の武器として取り込まれる——ポスト真実時代を10年以上先取りした診断であり、この一文の重みは2020年代にむしろ増している。
表層読解(Best & Marcus, 2009)。 テクストの背後に必ず抑圧された真相があると想定する「症候的読解」に対し、作品が表面で明示し、配置し、形式化しているものをまず正確に記述せよ、という提案[^53]。浅い読みの勧めではなく、暴露を急ぐ前にテクストの表面を方法的に尊重する規律である。
フェルスキ——ポスト批評(2015-)。『批判の限界』はこの流れを一般理論化した[^54]。批評=疑い・暴露・脱神秘化という等式を解体し、それを多数ある方法の一つに位置づけ直すのが、その骨子である。作品への愛着、承認、驚き、使用、社会的結合も研究対象になる。無批判の勧めではなく、批評の目的と根拠を明示して方法を選択する多元主義である。
現前と物質性(Gumbrecht, 2004-)。 意味の解読だけに作品経験を還元せず、声、リズム、身体、媒体の物質性、空間的「現前」に注目する流れ[^55]。解釈一辺倒だった人文学に「意味以外の次元」を返した。
遠読と経験的転回(Moretti, 2000-)。 遠読とデジタル・ヒューマニティーズは、個別作品の精読では見えないジャンル・形式・出版・翻訳の分布を、コーパスと統計で扱う方向を開いた[^56]。認知文学研究・経験的読者研究は、読者反応を実験的に検証している。「読解には反証条件が要る」という要求への、最も直接的な応答である。
この目録IIの意味は大きい。フランス現代思想への最も深い批判のいくつかは、外部からの断罪ではなく、遺産の相続人たちによる遺産の点検として行われた。暴露は道具の一つに戻され、愛着と表面とデータが方法として復権した。「乗り越え」とは、この自己修正の運動の名前でもある。
5. 唯物論化――左からの批判の系譜
第三の経路は、外部からの、しかし右派の「ポモ叩き」とは似て非なる批判の系譜である。ここで言う右派の語りとは、具体的には次のような系譜を指す。1990年代に米国でリンドらが広め、ブキャナンが大衆化した「文化マルクス主義」論(ポリティカル・コレクトネスの起源をフランクフルト学派の計画に求める図式)。ヒックス『Explaining Postmodernism』(2004)の「社会主義の失敗後、左派が認識論的相対主義に戦略転換した」という物語。それを種本に、ピーターソンが2010年代後半に流行させた「ポストモダン・ネオマルクス主義」——大学はポストモダニストとマルクス主義者の連合に占拠された、という診断。プラックローズとリンジーの『Cynical Theories』(2020)、ルフォの『America's Cultural Revolution』(2023)は、この占拠の物語の新しいバージョンである[^86]。共通するのは「左翼はポモに乗っ取られた」という筋書きだが、この筋書きには理論史上の難点がある。マルクス主義・唯物論の側からのフランス現代思想批判は、受容とほぼ同時に始まり、40年の厚みを持つ。両者は連合どころか、この間ずっと論争関係にあった——「ポストモダン・ネオマルクス主義」という合成語が成立しにくいことは、以下の系譜そのものが示している。つまり乗っ取りの物語は、この対抗の歴史をまるごと視野から外すことで、はじめて成立する類のものである。
第一波(1980年代)——受容への即時応答。 ペリー・アンダーソン『歴史的唯物論の軌跡』(1983)は、パリを「西欧の知的反動の首都」と呼び、構造主義・ポスト構造主義における「言語の専制」——社会をテクストのモデルで扱うこと——を早くも批判した[^57]。エレン・メイクシンズ・ウッド『階級からの退却』(1986)は、ラクラウ&ムフ流のポスト・マルクス主義が労働者階級の中心性を放棄したことを、理論的にも政治的にも後退として弾劾した[^58]。カリニコス『ポストモダニズム批判』(1989)は、ポストモダン=68年世代の政治的敗北の産物という診断を出し[^59]、デイヴィッド・ハーヴェイ『ポストモダニティの条件』(1989)は最も生産的な形で、ポストモダン文化を資本蓄積様式の転換(フォーディズムからフレキシブル蓄積へ)の上部構造として唯物論的に説明してみせた[^60]。断罪ではなく説明——ハーヴェイの本が古典として残った理由である。
ジェイムソン——内在する両義性。 この系譜で特異な位置を占めるのがジェイムソンである。『ポストモダニズム——後期資本主義の文化的論理』(1991)は、ポストモダンを批判対象であると同時に徹底的に理論化すべき歴史的現実として扱い、深さの消失・情動の退潮・歴史感覚の危機を、後期資本主義の文化として地図化した[^61]。彼はフランス理論の道具を使いながらマルクス主義の枠に接続する、両義的な媒介者だった。「理論を使って理論の時代を診断する」という彼の構えは、本稿の構えの先行例でもある。
第二波(1990年代)——政治的帰結をめぐって。 イーグルトン『ポストモダニズムの幻想』(1996)は、差異・多元性・反本質主義の称揚が、いつのまにか市場のイデオロギーと見分けがつかなくなる皮肉を突いた[^62]。ナンシー・フレイザーの「再分配から承認へ?」(1995)は、正義の政治が経済的再分配からアイデンティティの承認へ重心移動したことを分析し、両者の統合を求めた[^63]——後年の「進歩的新自由主義」批判(多様性の言語をまとった資本主義)へ続く議論の起点である。
第三波(2000年代-2020年代)——分野を絞った精密批判。 アドルフ・リード・ジュニアとウォルター・ベン・マイケルズは、人種・多様性の政治が階級的不平等を不可視化する機制を、米国の文脈で一貫して分析してきた[^64]。そして、この系譜の現在の中心にいるのがヴィヴェク・チバーである。『ポストコロニアル理論と資本の亡霊』(2013)は、サバルタン研究の資本主義理解・東西差異論を実証的に批判し、啓蒙主義的普遍性と階級分析の回復を図った。重要なのは、チバーが文化論的転回を丸ごと捨てない点である。『The Class Matrix』(2022)では、文化が社会的行為を媒介することを認めた上で、それでも階級構造と物質的利害の制約は消えないと論じる[^65]——「文化などどうでもいい」ではなく「文化を真面目に扱った上で資本に接続し直せ」である。
ロックヒルと、その批判。 ガブリエル・ロックヒルは対象をフランクフルト学派・西欧マルクス主義に移し、冷戦期の反共政策・財団・大学・出版という知識生産制度の中でこれらの思想がどう機能したかを問う(『Who Paid the Pipers of Western Marxism?』2025。続刊としてフレンチ・セオリー批判が予告されており、彼の射程は本稿の主題そのものに及ぶ)。ただしここには対称的な注意が要る。GreeneとFlussはHistorical Materialism誌サイトの四部構成の長編論文「Theory Betrayed」(2026)で、証拠より断罪が先行し、告発の一部が右派の「文化マルクス主義」陰謀論と同じ水源から汲まれていると批判した。Gilman-OpalskyのMarx & Philosophy誌書評(2026)は「論証が粗く、歴史的に不正確で、還元主義的な、右派反共主義への贈り物」とまで踏み込み、Cosmonaut誌のPatrickも階級分析が陰謀論的説明に置き換わっていると指摘している——いずれも左派内部からの検証である[^66]。制度的経路の記述(検証可能)と「帝国主義の手先」という機能・意図の帰属(要証明)の区別は、左からの批判にも等しく適用される。
この系譜全体から導かれる批判の作法はこうなる。ポストコロニアル理論や文化論的転回を批判するなら、チバー以降の議論を踏まえる必要がある。「ポモは相対主義」という一言は、この40年の批判史がすでに通過した地点にとどまっている。本格的に批判するなら、語彙は階級・資本・国家・帝国主義・財団・大学・出版・研究費・翻訳市場のレベルになる。そしてロックヒルを使うなら、彼への左派内部からの検証もセットで読む——これがフェアな最低線である。
6. その他の発展的批判――規範・実証・実在論・脱植民地
唯物論化以外にも、それぞれ独立の節に値する批判の系譜がある。方向の異なる四つを挙げる。
6.1 規範理論・言語哲学からの批判
ハーバーマス『近代の哲学的ディスクルス』(1985) は、最も体系的な正面批判である[^67]。フーコーやデリダの理性批判は、批判すること自体が理性の規範に依拠しているという遂行的矛盾を犯している——理性を全否定する主張は、その主張の妥当性要求によって自己論駁してしまう。ハーバーマスの対案は、理性を捨てるのではなくコミュニケーション的理性として再建することだった。フーコーとの対決(実現しなかった直接討論を含む)は、権力批判に規範的足場は要るのか、という現在も未決の問いを残した。
サール゠デリダ論争(1977-)は、オースティンの言語行為論の解釈をめぐる衝突だが、実質的には分析哲学と脱構築の論証の作法そのものの衝突だった[^68]。サールから見ればデリダは曖昧で不正確、デリダから見ればサールは自らの前提を吟味しない——この相互不理解は、両陣営の制度的分断を象徴する事件として残った(なお現在では、両伝統を接続する仕事——前述のHackingや、ブランダムによるガダマー読解など[^69]——が蓄積しており、分断は当時ほど絶対ではない)。
ヌスバウム「パロディの教授」(1999) は、バトラー批判の形を取った規範的フェミニズムからの批判である[^70]。パフォーマティヴな攪乱に政治を縮減することは、法制度改革や物質的窮状に取り組む足場を掘り崩す、という論点は、第5節の唯物論的批判とも共鳴している。フランス国内からは、フェリー&ルノー『68年の思想』(1985)が反ヒューマニズムの哲学的一貫性を問うた[^18]——これは五月革命との「ねじれた」関係を最初に指摘した書でもある。
6.2 実証史学・実証社会科学からの検証
第3節で触れた通り、フーコーの史実はScullやMidelfortら専門史家により具体的に修正された[^34]。これは断罪ではなく通常科学の営みであり、むしろフーコーの問いが実証研究に値すると認められた証拠である。同様に、ブルデューの再生産図式は階層移動の計量研究によって「決定論的すぎる」と修正され[^37]、レヴィ゠ストロースの二項対立的心性論は「反証不能」として人類学の主流から退いた[^5]。検証に耐えた部品が残り、耐えなかった部品が切られた——遺産目録I(第3節)は、まさにこの選別の結果として読める。批判と継承は、ここでは同じ作業の裏表である。
6.3 思弁的実在論・新しい唯物論――「言語論的転回」そのものへの反逆
2000年代後半、フランス哲学の内部から、ポスト構造主義の暗黙の前提そのものを標的にする波が起きた。メイヤスー『有限性の後で』(2006)は、カント以降の哲学(ポスト構造主義を含む)を「相関主義」——思考と存在の相関の外部を考えられない立場——と名指し、思考から独立した実在へ回帰せよと論じた[^71]。ハーマンのオブジェクト指向存在論、バラッドのエージェンシャル・リアリズム、ベネットの生気的物質論(新しい唯物論)も、それぞれの仕方で、「すべては言説・テクスト・構築である」という前提への不満を共有している[^72]。皮肉なことに、この潮流の教師筋にあたるバディウ自身が、数学を存在論に据え、真理と普遍性を再建し、「ポストモダン的な詭弁」への軽蔑を隠さない哲学者だった[^73]。ランシエールの平等の公理も同様に、差異の思考から普遍の思考への揺り戻しを体現する[^74]。フランス現代思想を乗り越える最も野心的な試みが、フランス哲学の次世代から出た——この事実は、この伝統が自己批判の装置を内蔵していることの証明でもある。
6.4 脱植民地論――ポストコロニアル理論への「南からの」批判
キハーノの「権力の植民地性」概念に発するラテンアメリカの脱植民地(decolonial)学派——ミニョーロ、ルゴネスら——は、ポストコロニアル理論を継承しつつ、それが英印関係を範型とし、理論装置(フーコー、デリダ、グラムシ)を結局ヨーロッパから輸入している点を批判した[^75]。批判の座標軸は1492年と植民地的近代の成立に置き直され、知識そのものの脱植民地化が要求される。重要なのは、これがチバーの普遍主義的批判(第5節)とは正反対の方向からの批判だという点である。ポストコロニアル理論は両側から問われており、この分野の現在は、普遍性の回復(チバー)と徹底した脱中心化(脱植民地論)の緊張の中にある。
7. まとめ――遺産相続の作法
目録と批判史を通覧して、三つの結論を引き出すことができる。
第一に、引き継がれた中核は「変換装置」である。 自然で自明に見えるもの——狂気の境界、学力、法、作者、情動、分類——を「いかに作られ、維持され、誰に利するのか」という問いに変換する装置。これが統治性研究から翻訳研究、監視研究、境界研究まで、あらゆる継承先に共通する部品だった。この装置自体は、2020年代にも減価していない。
第二に、引き継ぐには条件がある。変換が開いた問いに、検証で答えることである。 「いかに作られたのか」という問いへの答えは、史料、統計、実験、コーパス、制度分析によって裏づけられなければならない。この条件を満たした使用(統治性研究、文化資本の計量研究、遠読)は生き残り、変換の身振りだけを反復した使用は、実証史学に切られ、唯物論者に切られ、ポスト批評に切られ、実在論者に切られた。四方向から同じ部位が切られたという事実は、切除の妥当性のかなり強い証拠である。
第三に——これは本稿の見立てだが——最も信頼に足るのは、批判する当の遺産を自分でも使いこなせる者による批判である。 ラトゥールは構築主義の道具で構築主義の政治的悪用を診断した。チバーは文化の媒介を認めた上で階級に接続し直した。Lamontはブルデューを修正しながら発展させた。脱植民地論はポストコロニアル理論の問いを引き受けた上で座標を替えた。逆に、ラベルを一括りにし、意図を証拠なく帰属し、崩壊を宣言する類の断罪は、右から来ても左から来ても、この40年の批判史に何も付け加えていない。
結局、この系譜から残ったのは完成した世界観ではない。「自然に見えるものが、どんな制度・言説・実践によって作られているのか」と問う習慣だった。ただし、その問いは到達点ではなく、出発点である。監獄を分析するなら史料が要る。教育を扱うなら統計が要る。テクストを論じるなら読解の手続きが要る。権力を暴くことは、始まりにはなっても、結論にはならない。だから、いまこの系譜を読むのに、信奉する必要はないし、まとめて捨てる必要もない。使える問いを取り出し、検証にかけ、耐えなかった部分を捨てる——一見地味に見えるこうした作業こそ、人類が積み重ねてきた知的営為そのものであり、継承とは本来そういう営みなのだと思う。
補論:エリートとは誰のことか
本文2.2の判定——養成課程において、彼らは制度の正規の選抜を通過していた——に対しては、定型化した反論が繰り返されてきた。デリダはアグレガシオンに落ちている。フーコーはソルボンヌ出身でエリート校ではない。バルトやボードリヤールは本当に周縁だ。個別に見えるこれらの反論は、実は同じ一つの未整理から生じている。すなわち、エリートとは誰のことか、が決められていない。そこでこの補論では、先に定義を整理し、その座標の上で個別の反論に応答する。
エリートは一次元ではない。 「エリート」という語には、少なくとも五つの軸がある。社会的出自(どんな家に生まれたか)、教育選抜(どの選抜を通過したか)、資格資本(どの資格を得たか)、職業上の到達点(どこまで昇進したか)、支配権力への接続(統治や資本の中枢に繋がるか)。制度の側も一枚岩ではない。フランスの高等教育は大学とグランゼコールの二重構造を持ち、「エリート選抜機関」の典型は高等師範学校、ポリテクニク、ENA(現INSP)などグランゼコールの側にある——ブルデュー『国家貴族』以降のエリート教育の社会学が分析対象としてきたのも、まさにこちらである[^96]。したがって、「エリート」を統治・資本への接続で定義することは十分に正当であり、その定義の下では、フーコーはたしかにエリートではない。彼は学術・文化の象徴エリートであって、行政や経営の中枢にいたわけではない。
だが、この定義は断罪の役に立たない。理由は二つある。第一に、この定義の下では哲学者・思想家がほぼ全員外れる。サルトルもメルロ゠ポンティもリクールも、行政や経営の中枢には行っていない。集団のほぼ全員に当てはまる性質は、その中の特定の人々を「怪しい」とする根拠にはならない。第二に、そもそも測る場を取り違えている。オペラ歌手を指して「プロ野球選手ではない」と言うのは事実だが、その人物が属する競争空間については何も測っていない。争点は「アカデミアで権威を得た経緯が怪しいか」なのだから、関連する場は学術界の選抜と昇進である。「主流」という語は、どの場の主流かを指定して初めて意味を持つ——無指定のまま使えば、本文2.3で見た「主流」の多義性の問題が、そのまま再演される。
さらに言えば、「哲学者はエリートではない」の側にも精密化が要る。統治・資本の軸で哲学者が中枢にいないのは、フランスに限らずどの社会でも自明であって、フランスについて何かを言ったことにならない。しかもフランスは、この狭い定義の下でも、哲学と権力の中枢のあいだの行き来が例外的に多い国である——ENS出身の文学アグレジェだったポンピドゥーは大統領になり、コジェーヴは経済省で通商交渉の実務を担い、フェリー(『68年の思想』の共著者その人)は国民教育大臣になった。他方、文化資本と制度の軸で見れば、フランスの哲学者は「エリートでない」どころか、国家が制度的に認証するエリートである。リセで哲学は必修であり、バカロレアには哲学試験があり、哲学教員はアグレガシオンという国家競争試験で選抜される国家公務員であり、ENS生は在学中から給与を受ける公務員候補生である。フランスの哲学者は、国家のエリート選抜装置の内部で生産される職種であって、在野の自由業ではない。この二面性を最も正確に定式化したのは、ほかならぬブルデューである——知識人は「支配階級の中の被支配分派」である[^97]。すなわち、支配階級には属するが、その内部では経済・政治資本を持つ分派に対して従属し、文化資本において優位に立つ。この定式の下では、「哲学者は権力エリートではない」と「哲学者はエリートである」は矛盾なく両立する。「エリートではない」という言明は、この二階建ての構造を一階に潰したときにだけ、言えるように見えるのである(なお、哲学者の社会的中心性は20世紀半ばに頂点があり、1980年代以降は「知識人の終焉」が繰り返し語られるほど低下したが、それはエリートの座が場のあいだで移動した話であって、当時についての判定を変えるものではない)。
では、学術の場での「エリート街道」とは何か。 アグレガシオン制度の研究(Schrift)によれば、20世紀フランスの哲学・人文系における理想型は、名門リセのカーニュ(受験学級)→高等師範学校→哲学アグレガシオン→(CNRSやティエール財団などの研究職を経て)国家博士→ソルボンヌやコレージュ・ド・フランスの上位ポスト、という連鎖である[^95]。体現者を挙げるなら、アロン(コンドルセ校のカーニュ→ENS→アグレガシオン1928→ソルボンヌ教授→コレージュ・ド・フランス)や、メルロ゠ポンティ(ENS→アグレガシオン1930→国家博士→コレージュ・ド・フランス)が教科書的である。アルチュセールはENSの内部で次世代を選抜する側に回った型、ブルデューは地方出身から制度的中枢へ上昇した型にあたる。そして、フーコー(カーニュ→ENS→アグレガシオン→国家博士→コレージュ・ド・フランス)は、この理想型のほぼ全区間を通過している。この場における主流のエリート街道とは、ENAでもHECでもなく、まさに彼らの多くが通った経路そのものである。
個別の反論は、この座標の上で処理できる。
「デリダはアグレガシオンに落ちている」——落ちているが、翌1956年に合格している。フーコーも1950年に落ち、1951年に合格した[^12][^13]。一度の不合格を失格の証拠にするなら、1928年にアグレガシオンに落ち、翌年首席で合格したサルトルも失格になる[^93]——この基準は、旧主流ごと巻き添えにしてしまう。難関試験で浪人を経ることは、当時のフランスの学歴エリートにとって例外ではなく通例だった。不合格歴や、地方・国外のポストを転々とした時期(フーコーのリール、ウプサラ、チュニス赴任など)も同様で、これらはエリート経路の外部にいた証拠ではなく、経路の内部の屈折・迂回である。
「フーコーはソルボンヌ出身。エリート校ではない」——制度の誤読が二重にある。第一に、当時の高等師範学校は通常の大学学位を自ら授与しない養成機関であり、フーコーの哲学・心理学の学士号は、制度上パリ大学(ソルボンヌ)側で取得されたと見られる[^94]。「ソルボンヌの学位」はENS生の通常の形式であって、ENS出身であることと何ら矛盾しない。第二に、「今の」ソルボンヌという言い方は時代錯誤である。当時のソルボンヌは一元的なパリ大学の中枢であり、1968年後のフォール法で解体・分割された。現在のソルボンヌ大学は2018年創設の別法人であり、現代の大学序列の印象を1940年代に投影することはできない[^94]。この反論は「ドゥルーズはソルボンヌだからエリートではない」という形でも現れるが、先の区別に照らせば、どちらの形でも立たない。グランゼコール型の定義を採るなら、フーコー、デリダ、アルチュセールが通った高等師範学校こそ、その筆頭格のエリート機関である。他方、ドゥルーズの経路(旧パリ大学で学び、アグレガシオンに合格)は、少数選抜型ではないにせよ、本文2.2で言う再生産の極——大学哲学の正統的な養成と昇進の中心——であり、断罪の言説自身が「正統」として想定している当の経路である。
「バルトやボードリヤールは本当に周縁だ」——その通りである。バルトはアグレガシオンを持たず(結核による中断)、ボードリヤールは高等師範学校を経ず、リセのドイツ語教師からルフェーヴルの下での遅い博士号(1966、ナンテール)へ進んだ。しかし、この経歴の異質性こそ第1節の論点の再確認である——「組」の全員がエリートだったという主張が成り立たないのと同じ理由で、全員がエリートでなかったという主張も成り立たない。学歴の検証は、一括りではなく個人ごとに行うほかなく、個人ごとに行えば、断罪の中心的な標的(フーコー、デリダ、ドゥルーズ、アルチュセール)については「出自が怪しい」は学歴の意味で偽、周縁的経歴の者(バルト、ボードリヤール)についてはそもそも「正統に居座った」という像の方が崩れる。どちらに転んでも、一括りの断罪は支えられない。
対照例と例外も確認しておく。 本当に非典型的な経路の例を挙げるなら、郵便局に勤めながら学位を取り、地方の教職を経てソルボンヌ教授に至ったバシュラールのような場合だろう——そして、そのバシュラールですら到達点はソルボンヌだった。Schriftは、ENSを経ずにフランス大学哲学で中枢的キャリアを築いた例外として、リクール、ドゥルーズ、リオタールを挙げている[^95]。ドゥルーズを「例外」と呼べるのは、ENS経由が標準だったからにほかならない。なお、残る逃げ道として、世襲的な社会的出自にエリートを限る定義もありうるが、それは本文2.2で扱った「出自」の第二の意味の話であり、学歴の議論とは別である。
三つの反論に共通するのは、本文2.3で指摘した構図である。「エリート」「主流」の定義を、そのつど都合のよい範囲に伸縮させることで、反証を回避する仕組みになっている。応答の要点は、個々の事実確認だけでなく、定義を先に固定し、場を指定し、個人ごとに検証せよ、という手続きの要求にある。エリートとは誰のことか——それは、どの場の、どの軸の話かを決めて初めて答えられる問いであり、そして決めたとたん、「主流のエリート街道では全くない」という一括りの言明は、どの決め方の下でも支えられなくなる。
付記:読書案内
成立史・受容史から入るなら、Cusset『フレンチ・セオリー』、ブルデュー『ホモ・アカデミクス』、Lamontのデリダ論文(1987)。思想の中身より先に「それが何として作られたか」を掴むための三点である。彼らが対峙した主流の側の見取り図には、デコンブ『知の最前線』(原題 Le Même et l'Autre、「三人のH」から構造主義までの内在的な哲学史)が最良の一冊で、第2節の背景はこれで裏が取れる。
遺産目録Iの現場を見るなら、Rose『魂を統治する』かDean『統治性』(統治性研究)、Hacking『何が社会的に構成されるのか』(分析哲学への翻訳)、DiMaggio以降の文化資本研究のレビュー論文、DeLanda『社会の新たな哲学』(アッサンブラージュ)。目録IIは、ラトゥール「批判はなぜ力を失ったか」(2004)とフェルスキ『批判の限界』の二点が要。
左からの批判は、時代順にハーヴェイ『ポストモダニティの条件』→ジェイムソン→フレイザー→チバー『The Class Matrix』。ロックヒルを読むならHistorical Materialism誌の批判的応答とセットで。その他の批判は、ハーバーマス『近代の哲学的ディスクルス』、メイヤスー『有限性の後で』、ミニョーロの脱植民地論の概説を各一点。
いずれも、一冊だけを読んで結論を出すのではなく、立場の異なる本と突き合わせながら読むことが推奨される。
文献註
註は本文の主要な典拠に限った。邦訳のあるものが多いが、書誌情報は原著・初出で統一している。
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[^87]: 日本での受容史は佐々木敦『ニッポンの思想』講談社現代新書、2009年(増補新版あり)を参照。「ニューアカデミズム」の呼称が1984年初頭の朝日新聞の記事に由来するとされる経緯も同書に詳しい。
[^88]: P. Bourdieu, Esquisse pour une auto-analyse, Raisons d'agir, 2004(ブルデュー自身による、ベアルンの出自と学歴貴族界での「転向者(transfuge)」経験の自己分析).
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[^91]: G. Agamben, "L'invenzione di un'epidemia"(2020年2月26日)ほか、パンデミック期の一連の論考は A che punto siamo? L'epidemia come politica, Quodlibet, 2020 に収録。応答として J.-L. Nancy, "Eccezione virale"(2020年2月27日)など。
[^92]: W. Brown, Undoing the Demos: Neoliberalism's Stealth Revolution, Zone Books, 2015; P. Dardot & C. Laval, La nouvelle raison du monde: Essai sur la société néolibérale, La Découverte, 2009. いずれも『生政治の誕生』講義を明示的な出発点とする。なお新自由主義批判には、マルクス主義政治経済学(D. Harvey, A Brief History of Neoliberalism, Oxford UP, 2005 など)という別系統の基盤もある。
[^93]: A. Cohen-Solal, Sartre 1905–1980, Gallimard, 1985. サルトルは1928年のアグレガシオンに不合格、1929年に首席で合格した。
[^94]: ENSが通常の学位を自ら授与しない養成機関であったことはフランス国立公文書館(FranceArchives)のENS権威レコード、旧パリ大学の解体(1968年後のフォール法)と現ソルボンヌ大学の創設(2018年)についてはSorbonne Université公式沿革を参照。なお現在のENSは2016年入学者から独自のディプロム(DENS)を授与しており、「学位を授与しない」は当時の制度に限定される。
[^95]: A. D. Schrift, "The Effects of the Agrégation de Philosophie on Twentieth-Century French Philosophy", Journal of the History of Philosophy 46(3), 2008. 大学哲学教授にとってENS出身がほぼ標準であったこと、非ENSの例外(リクール、ドゥルーズ、リオタール)もここで論じられている。
[^96]: P. Bourdieu, La noblesse d'État: Grandes écoles et esprit de corps, Minuit, 1989. 大学とグランゼコールの二重構造については M. Verhoeven, H. Draelants & T. Ilabaca Turri, "The Role of Elite Education in Social Reproduction in France, Belgium and Chile", Journal of Sociology, 2022 も参照。
[^97]: P. Bourdieu, "Champ du pouvoir, champ intellectuel et habitus de classe", Scolies 1, 1971. 「支配階級の中の被支配分派」の定式は『ディスタンクシオン』(前掲、註24)でも反復される。
[^98]: B. Smith ほか計19名の署名による公開書簡, The Times(London), 9 May 1992. 署名者にはW. V. クワイン、D. アームストロング、R. バーカン・マーカスらが含まれる。授与自体は同年の投票で承認された。この事件はサール゠デリダ論争(第6.1節)と並ぶ、分析哲学と脱構築の制度的対立の代表例である。



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