AI開発なら同意不要 病歴も渡りうる個人情報保護法改正案の危うさ
病院で書いた問診票、薬局での処方履歴、健康診断の結果――。そうした情報が、一定の条件のもとで自分の知らないうちに別の企業へ渡り、しかも個別に拒む機会もない。そんな未来が、いま国会で審議されている個人情報保護法の改正案によって現実になるかもしれません。
中東取材の経験を持つ神田大介記者と、政治・国際報道畑を歩いてきた冨名腰隆記者がホストを務める朝日新聞ポッドキャスト「報談」が、ゲストに編集委員の若江雅子記者を迎え、改正案の問題点を語りました。
若江記者は、読売新聞社時代からIT・サイバー・個人情報分野を専門に取材。2025年に朝日新聞社に移籍した後も、この分野の第一線で報じ続けています。「統計やAI開発の目的なら、本人の同意なく個人データを第三者に提供できる」という特例の中身と、その背景にある構造的な問題を掘り下げます。
※本記事は、ポッドキャストエピソード「企業側に甘アマ 個人情報保護法、悪い意味でヤバい改正案 #176」の音源を生成AIで文字起こしし、音声チームと出演者が確認・校正したうえで公開しています。
詳しい専門家からも「最悪の案だ」と批判
個人情報保護法が改正される。そう聞いても、多くの人はピンとこないかもしれません。
「過去、何度か改正はあったが、今まではあまり注目されず、報道も少なく、国会審議は無風で終わるっていう感じだった」と若江記者も振り返ります。しかし今回は少し様子が違うそうです。医療データの活用に詳しい専門家からも「最悪の案だ」といった厳しい批判が出るなど、初めてと言っていいほど議論が盛り上がっているといいます。
それだけ問題がある改正なのか。番組での対話を手がかりに、整理していきます。
健康診断のデータが、知らない会社に渡るまで
番組の中で、冨名腰記者がこんなエピソードを話しています。先月受けた健康診断で特定保健指導の対象者と判定され、別室に連れていかれた。そこにはオンラインでつながった外部の保健指導の会社の担当者がいて、名前、住所、電話番号、食習慣まで順番に聞かれたそうです。
「僕はいくつか拒否しましたけど」と笑いつつも、話はここから深刻になります。
こうした外部の会社に蓄積された個人の健康データを、別の会社が「AIの開発に使いたい」と言ったら、今回の改正案のもとでは本人に断りなく提供できてしまう可能性がある、というのです。
今回の改正案の柱の一つが「統計作成等の特例」と呼ばれるものです。統計の作成やAIモデルの学習データとして使う目的に限り、個人データの第三者提供に本人の同意を不要にするという仕組みです。若江記者はこう指摘します。
「統計処理後は個人情報ではなくなるとしても、処理されるまでは個人情報なわけですから、その取り扱いって結構重要だと思うんですけど。今回、特例対象となる事業者に認証とか特別な資格は必要なくて、基本的に誰でも手を挙げられる仕組みなんです」
個人事業主でも、外国の事業者でも、一定の条件を満たせば手を挙げられる。しかもその条件は「提供元・提供先の企業名や統計作成の内容公表」などの義務を果たせばOKという、かなりゆるいものだそうです。
さらに驚くのは、本人が個別に拒む機会がないという点です。提供されるかどうかを本人に聞かないのだから、そもそも知りようがない。ウェブサイトで公表する形にはなっているものの、会社のウェブサイトをいちいちこまめに確認する人なんかいない、ほとんど読まれないだろうと番組内でも指摘されていました。
制度の詳細は、法案成立後に国の個人情報保護委員会の作る規則に委ねられることになります。規則によって安全な「歯止め」が設けられるかどうかは委員会次第です。ただ番組内では、規則は法律の枠を超えて新たな義務を作ることはできないので「歯止め」がどこまで実効性をもつかは未知数、との意見も出ました。
病歴、信仰、犯罪歴…本人同意なしで提供され得る「要配慮個人情報」
この特例が特に深刻なのは、「要配慮個人情報」と呼ばれるセンシティブな情報にまで及ぶ点です。
要配慮個人情報とは、病歴、思想信条、宗教、社会的身分(被差別部落の出身など)、犯罪歴といった、取り扱いに特別な配慮が必要な情報のことです。現行法では、これらの情報は、例外規定に該当する場合を除き、同意なく取得したり第三者に提供したりすることが禁じられています。
ところが今回の改正案では、統計やAI学習という目的を掲げれば、こうした情報も同意なく提供できるようになります。
若江記者によれば、もともとインターネット上に公開されてしまっている要配慮個人情報をAI学習のために収集する際の扱いは、以前から議論されていたそうです。しかし、病院や薬局のように、すでにどこかに保管されている情報を第三者に提供できるようにするという話は、2025年の2月から3月にかけて急に出てきたものだといいます。
消えた団体訴訟、極めて限定的な課徴金
改正案にはもう一つ、大きな問題があります。違反した企業に対する制裁の仕組みが極めて弱いことです。
現行法では、個人情報保護法に違反しても、違反企業に金銭的不利益を課す課徴金の仕組みはありません。そのため、企業が行政指導や改善命令を受けて違反行為を中止したら、それ以上なんの制裁も受けずに済むのです。若江記者はこう表現します。
「やり得の国なんですよ、今のままだと」
今回の改正では、課徴金制度(金銭的なペナルティー)が一応導入されます。しかしその対象は大幅に限定されました。安全管理措置義務の違反などは対象から外れています。金額も「違反行為によって得た額に相当する額」にとどまります。
比較すると、欧州連合(EU)の一般データ保護規則(GDPR)では、重大な違反の場合、最大で全世界の売り上げの4%、または2千万ユーロのいずれか高い方の制裁金が科されます。アメリカにも連邦法としての包括的なプライバシー法はないものの、連邦取引委員会(FTC)による強力な制裁や集団訴訟の仕組みがあり、違反行為への大きな抑止力になっています。
さらに深刻なのは、当初検討されていた団体訴訟制度が改正案から完全に落ちたことです。個人情報を不正に使われた人が個人で訴訟を起こすのは現実的に難しい。だからこそ、資格を持った消費者団体が代わりに差し止めや被害回復を求められる仕組みが必要だったのですが、経済団体の強い反対もあり、最終的に盛り込まれませんでした。
若江記者は、自ら入手した情報公開資料などをもとに、その背景をこう語ります。
「自民党のデジタル社会推進本部に、個人情報保護委員会の事務局幹部が呼ばれて、経済団体のロビイストも同席する場で、『なぜ経済界が望まないものを入れようとするのか』と問いただされた」
このとき、消費者団体はデジタル社会推進本部から一度もヒアリングされていなかったそうです。
統計処理とAI学習は「同じ」なのか
もう一つ、専門家の間で指摘されている論点があります。今回、AI開発は「統計作成であると整理」して特例の対象とする方針ですが、両者は本質的に異なるのではないか、という疑問です。
統計処理は、個人が特定されないように情報を加工し、集団の平均値を出すような作業です。しかしAIモデルの学習は、情報をさまざまな特徴に分解して取り込む処理であり、過学習(特定のデータを繰り返し学習すること)やデータの重複によって、ばらばらに分解されたはずの情報が復元され、個人情報が出力されるリスクがあると、国会でも専門家が指摘しているそうです。
番組内で冨名腰記者は、大量の水滴をバケツに入れるたとえを使って説明しています。水は混ざってしまえば一つの水に見える。けれど生成AIは、条件によっては、その中からもう一度個々の水滴を取り出せてしまう。つまり、「個人情報ではなくなった」と言われている段階でも、技術的には個人情報が復元されうるということです。
もう一つ、個人情報保護法の改正によって作成しやすくなった統計情報やAIモデルが、特定の集団への差別や偏見などの不利益をもたらしたとしても、それが個人情報ではなくなる以上、個人情報保護法では十分に対処できないおそれがあります。若江記者は、この構造的な穴をこう整理します。
「本当だったら、AIの使い方やリスクに応じた規制を整備してからやるべき話です」
EUではAI規制法が整備されていますが、日本のAI関連法はあくまで「促進法」であり、まともな規制の枠組みはまだありません。
「私たちのせいかもしれない」
番組の終盤、若江記者はこんな言葉を口にしました。
「もしかすると、私たちのせいかもしれないと思うんですよ。きちんと報道してきたかどうか、という意味で」
個人情報の問題は、法律が難しく、データは目に見えず、被害も実感しにくい。だから世の中の関心が低く、政治家も票にならないと考え、監視する消費者団体も知識が追いつけない。わかりやすく伝えきれなかった報道は、その悪循環の一端を負っているのではないか――。深刻な話題の合間に脱線を挟みながら進んできた対話が、この一言でふっと静かになる瞬間がありました。
改正案は、今国会会期内にも成立する可能性があります。個人情報保護法には3年ごとの見直し規定があり、次の議論がまた始まります。
私たちの病歴や信仰、購買履歴や移動の記録。それらは「統計のため」「AIのため」という言葉の下で、誰に、どう使われていくのか。その問いは、私たちがスマホを開くたびに、病院で問診票を書くたびに呼び起こされます。
3人の対話では、冨名腰記者の健康診断の話で日常とつながり、神田記者が暴力団取材の経験から「性善説は程々にした方がいい」と鋭く切り込み、若江記者が言葉を選びながら個人情報保護法の問題の構造を解きほぐしていきます。その間合いや温度感も含めて受け取ると、この問いはもう少し身近に聞こえてくるかもしれません。
番組紹介
「報談」は、冨名腰記者と神田記者がいま気になるニュースを語り合う朝日新聞ポッドキャスト。時に脱線しながら、ニュースの奥にある違和感や問いを掘り起こしていきます。
(若江)すべての人に関係する…
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