シゴキに耐えかね脱走騒動⁈ トイレに隠れてざわめきが消えたらスーッと出ていくんです

話の肖像画 元プロ野球巨人軍選手・篠塚和典<6>

銚子商の中心選手として夏の甲子園に出場。準々決勝で平安を破る=昭和49年8月

《中学時代、〝尻(ケツ)バット事件〟のひどさに脱走を計画?!》

バットの形状って太い方と細い方があります。細いグリップでたたかれた方が効くんです。(痕が)ミミズ腫れのようになる。もちろん腫れあがります。だから教室で椅子に座っていても、お尻をずらして座らなければならなかった。痛くって、横向きでね。トイレにだって行けないんです。

僕は1年生からレギュラーだったこともあって、特に標的になっていた気がします。でもこんなこと両親にも言えません。「もうやめなさい」って言われるに決まっている。

夏休み前でした。野球センスのいい選手から「もう野球部をやめた」「もう行かない」という話が結構出ていたんです。僕自身も「もう、こんなのやってられない!」って。とはいえ大好きな野球です。野球をやめるっていうより、まずは部に行くのをやめようと思ったんです。

授業が終わる。部には行かない。一般の生徒の中に紛れて学校から出ていくんです。一応3年生がいるから、見つかったら怖いじゃないですか。階段を下りていくとき、先輩に会ったりするんです。だから授業を終えると真っ先に教室を出て、階段を下りて1階隅のトイレに隠れる。30分、40分したら周囲のざわめきが消える。そのときにスーッと門から出ていく。そして家に帰るんです。

《OBコーチ出入り禁止、説得されて野球部復帰…》

そんな雲隠れ、脱走が1週間くらい続いた。すると顧問の先生とキャプテンが家までやって来た。「もう一度やってくれ」と頭を下げられたんです。〝尻バット〟の件も含めてOBコーチの指導内容がウワサになったことで、学校としても「これじゃまずい」とそのOBコーチの出入りを禁止したという。

他の選手にもその旨を話して納得してもらったから、「お前も帰ってきてくれ」ということで、「わかりました」と再び野球部に戻りました。

有能な選手がやめて戻ってこなかったり、僕よりうまい選手が違う部に行ってしまったりしました。

《中学時代、社会人野球からスカウトされる?!》

耐えられたというか、頑張れたのは仲間がいたからです。同級生の林淳一君、小竹森祥二君です。林君がピッチャーで小竹森君はキャッチャー、僕が内野手で、清水小学校時代は12年ぶりに銚子市の野球大会で優勝した〝三羽ガラス〟です。そのまま銚子1中へ進学し、先輩からの猛練習にも耐え、3年生になった。林君はエースでキャプテンとなって小竹森君とバッテリーを組んだ。僕は3番でショートです。

僕らが目指したのは東総中学野球大会でした。現在の旭市、匝瑳市、銚子市周辺で構成された大きな大会です。市の大会で優勝し、東総大会に出場することができた。準決勝で林君が投げ、決勝戦では投手がいないから「お前、行け」と言われて投げました。3安打完封をして優勝しました。県大会に進みましたが、1回戦で負けました。昭和47年7月のことです。

その後、横浜での大会に招待されました。山下公園に係留されていた氷川丸に泊まったんです。2試合やった。2戦目は早実中(早稲田実業中等部)と2―2で引き分けて、ジャンケンで負けたことを覚えてます。

そのときです、デュプロという会社の人からスカウトされたんです(※野球部創立は41年、元広島などの川口和久さんらのプロ野球選手を輩出、平成20年廃部)。中学3年生ですよ。もちろん首を横に振りました。僕には銚子商に進学するという憧れがありましたので。そんな夏が終わって、そこから林君、小竹森君と僕の〝三羽ガラス〟の受験勉強が始まったんです。(聞き手 清水満)

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