中島らも『頭の中がカユいんだ』読書感想・レビュー / ロカの元ネタを探る
最終作であるロカを読み終わったので、そこからビューンと遡って初期作の『頭の中がカユいんだ』へハシゴしております。
らもは歯磨きが嫌い / ボソボソ喋り / 口元にコンプレックス
あれだけ連日酒を飲んで、胃腸も肝臓もグダグダの中で歯磨きさえ適当にやっつけているなら、らもの口臭は相当なものだったろうなと鼻をつまみたくなった。
らもの父は歯医者だったそうで、自分の医療ミスの謝罪に(盾にするために)子供を連れていくような姑息なことをしたせいもあり、らもは歯医者によい印象をもたなくなってしまったそうな。
中島らもの出演している動画を見ればわかるけど、押井守より酷いボソボソ喋りで、あのムー編集長の三上に匹敵するほど聞き取りづらい(アル中なのが共通点)
聞き取りづらい理由は、らも家が遺伝的に歯並びが良くないために『大口を開ける』『口を開けて笑うこと』が恥ずかしく、なるべく口を開けないように努力しているからだという。
ロックだなんだと豪語するワリに小さいことを気にするw
ルカとクレオの原型である山口富士夫
当時の京都では『村八分』というバンドが人気だったそうで、ギタリストの山口富士夫という方は黒人ハーフだったそうな。クレオそのままである。
そんな山口はクスリでラリっていたのか、ライブハウスで置いてあった空き箱をズボっと踏み抜いて抜けなくなってしまう。ダサい。
そのダサい局面をどう切り抜けるのかハラハラ見守っていると『オイオイ、誰か何とかしてくれよ』とのんびり呟き、その『ちょいゆるダメカワおやじ感』に、らもは完全にハートを撃ち抜かれてしまったらしい。
『どっかのスーパーバンドの誰かさんのような、頭脳とカリスマを備えたボーカリストの格好良さではなく、ヨタものでギター弾くしか能のないミュージシャンのみが持っている、ささくれた、擦り切れた、しかしどこか影のような優しさを含んだ「退屈」がそこにあった。』
『それ以来、僕は何が何でもロッカーになることに決めたのである。』
『決めたのだが、決めただけで、なれなかった。理由はたくさんある。練習が嫌いだったこと、鼻声だったこと、バンドをやっていく協調性と根気がなかったこと。人にコピーをしないのでテクがつかなかったこと。』
まさに『ロカ』で描いていたルカそのもの!!
中島らもはずっと山口富士夫を理想像にしていたんですね。ロッカーというか、当時の山口富士夫が持っていた『ちょいゆるダメカワおやじ感』こそ、自分が目指すべきキャラだと悟ったのでしょう。
広告代理店のお仕事アレコレ
1970年代、フラフラと大学生をしながら主夫をしてたところ、学生結婚した妻の妊娠が発覚。就職活動などロクにしていなかったので、叔父の紹介で広告代理店の『大津屋』にコネ入社する。
この広告代理店における業務の説明が楽しい。本書から56年経過した現在も広告屋の仕事は基本的に変わっていないんだなと。
適切なターゲットを絞り込み、その視聴者が見ている時間・番組を調査して、予算内でより視聴率が高くゴールデンタイムに近いCM枠を買い付けるのがコンバージョンUPの基本や!
というようなことを丁寧に解説している。まったくその通りです。
①優れた商品だから適切な広告(お知らせ)を打てば売れるのか
②優れた広告を打てばしょーもない商品でも売れるのか
本来①であったはずの広告は段々と②の意味合いが強くなっていきます。
完全に情報化した現代は、露骨に広告屋が支配する王国ですよね。
広告屋は『販売元のサポート』という裏方の立場を超えて、メーカーを先導するプロデューサー的な立場へ変容する。
やがては小売のみならず、都市計画や政治といった分野にまで影響を与えることが不可能ではなくなっていくだろうとらもは予測している。
指数関数的に広告屋の存在意義は膨れ上がり、その中でも重要なのは『金貸しとしての立場』だという。
70年代当時は、まず出稿したい企業が広告代理店に『手形』で支払います。次に、広告代理店はテレビ局などのマス媒体に『現金』で何十億という広告料を支払う。広告代理店が巨額を建て替えるわけですね。
『流通経路』と『資金』の両方を一手に握るのですから、情報問屋である広告代理店はあらゆるものの中心になり得る。
金融業
メディア営業
広告制作
マーケティング
世論形成
すべてを握る存在に膨れ上がり、広告会社はメディア帝国のモンスターになったとラモは語ります。
ブロードバンドが各家庭に行き渡り、情報化社会が本格的にスタートする前に死んでしまいましたが、彼が健康なまま生きていたら現代のGAFA(情報問屋のキングたち)を見て何を思ったでしょうか。
面白くないコントのネタ集
らもが無断で宿泊した会社で考えた『試作品』が並ぶ。
ガチで面白くねぇwwww
不条理ギャグやシュールものは最初から好きだったんだなと。のちに構成作家を務めた『なげやり倶楽部』の原型の原型の原型・・・くらいを感じます。
ヨシミからの手紙
昔付き合っていた女性から『何故あなたの前から姿を消したのか』弁解するお手紙が届きます。長いので文字起こしはしませんが、要約すると以下の通り。
らもの名前を雑誌で見て手紙を書きたくなった
らもは常に"元気"でエネルギー過剰だった
喧嘩、裏切り、万引き、クスリ、セックスの繰り返しでヨシミを疲弊させた
繁華街や飲屋街に繰り出しては『親友』と大暴れ大立ち回りを演じ、らもは毎日パトカーか救急車に乗せられどこかへ行ってしまう
残されたヨシミと親友たちは体の関係をもつ
淋しかったからではなく、らもがいつも大事なときに居なかったから
親友たちは(らもほど)メチャクチャではなかったから
もう親友たちを責めないでください
過ぎた季節を忘れ新しい季節に立ち向かいなさい
私はもう大丈夫
芝居は諦めた
もうすぐ結婚します
この手紙にらもはワナワナと震えブチギレますwww
『勝手に悩んで、勝手に親友と寝まくり、追求する前に東京へ逃げた!』
『一人で勝手に傷ついてバラバラになって吹っ飛んでいっただけに癖に!』
と取りつく島もない様子。
『何が"私は大丈夫"だ、傷ついてるのは僕の方だ。僕は"元気"なんかじゃない。今すぐここへ来て僕を見てみろ!!』
とまぁ女々しいことを叫び散らかします。
男女のハナシですから、どっちが悪いなんて他人にわかるもんじゃありませんが。まぁ9:1くらいで中島らもが悪いんだろうと思いますwww
デートの度に乱闘や大迷惑行為を繰り返し、挙句の果てに彼女を置き去りにしょっぴかれてく(または搬送されていく)男が女を寝取られるなんて『自業自得』以外の何者でもないし。
そんなでも俺を見捨てず世話をし続けろや〜というなら、それはもう恋人じゃなく母ちゃんだよ。いや、とっくに成人してるんだから母ちゃんですらないわな。
自分のメチャクチャさは『可愛い男のばか』『天才のおふざけ』みたいな映えポイントと思ってるフシがある。
それを受け入れられない奴はセンスがない、優しくないと癇癪を起こすのは完全にモラ男なんだわ・・・。
この時代はまだモラ男って名前自体なかったね。
奥さんの美代子は『乱行・乱闘・搬送・置き去り・放置』というモラハラスタイルを受け入れていた方なので、ヨシミに逃げられたとしても奥さんいるじゃんって思うけど、ヨシミの方が圧倒的に好きだったような文章。
これまで読んできた中で『奥さんへの感謝とか謝罪』って一言もないんだけど、らもにとって奥さんってどういう存在だったんだろう。子供ができちゃったから仕方なく結婚しただけ??
その後ヨシミへの返事の手紙を書くのだが・・・なんというか村上春樹の『ぼく』が『直子系の女性』に宛てた手紙に見える。いや、寝取られているので『ネズミ』の方かもしれない。
いつの間にかハルキワールドに迷い込んでしまったかのよう。未練たっぷりなんですもの。
かつてのヨシミとの思い出だけが人生の輝きとして、今の自分を何とか立ち上がらせていて、それを失った現在…カラッポで希薄な心を壊さないためにアレコレのキャラクター設定を必死に演じているのだと書いています。
この後『なぁんて言うとでも思ったかクソビッチが!!』とオチがつくのかと思いきや・・・つかないんですよ。
となると、『ロカ』の蒸発した女房というのはヨシミということになりますね。
『何を弾いてもトレモロになっちゃうぜ』『チョーチンマラ』
手が震えてトレモロのネタは、SOUという睡眠薬中毒の友人がいった台詞だそう。これも『ロカ』でルカがギターを持っていっていた台詞ですね。
チョーチンマラは『ガダラの豚』で宗教施設の教祖が信者の女性を襲うときに言っていた台詞。
中島らもの作品が人生のキリハリであることがよくわかる。
桜玉吉はプライベートを漫画にして切り売りしていくと、必然的にどんどん周りの人を巻き込むことになり、意図せず他人を傷つけてしまうと鬱になっていたっけ
らもはネタに困ると酩酊したりラリったりしてアイディアを絞り出していたとそうだけど、ネタの大半は実体験が由来なのだから『思いつくため』というより『思い出すため』にグチャグチャになっていたのかもしれない。
らもがアル中になったワケ
らもが『印刷屋の営業マン』をしていたときのこと。新人ペーペーのらもは取引先のおっさんに意見を求められた際、しどろもどろながら精一杯答えた。
しかし音楽用語を交えた独りよがりな喩えが相手に伝わらず『なんや、何言っとるのかようわからんなぁ』と苦笑いされてしまった。
らもは非常にプライドが高い。というか豆腐メンタル。
歯並びの悪さを恥じて口を開けられず、対人恐怖症なので人と目を合わせたくて常にサングラスをかけるような気の小さい男なのだ。
駆け出しの新人がうまい営業トークを出来ないなんて当たり前なのに、その出来事は酷く自尊心を傷つけた。要は鼻っ柱を折られて『めちゃくちゃ悔しかった』んですね。
そこで奮起したらもは上司の籾井さんの指導をみるみる吸収し、触れただけで紙の種類を当てる練習や、即座に見積もりを出すため紙の価格や印刷価格を半年で丸暗記したらしい。
ここで『小学校でIQ185』の頭脳が活きたわけだ
ところが、らもの勤めていた部署のメイン業務は『印刷ミスの謝罪』がメインだった・・・。いくら努力して印刷士としてのスキルを高めようとも、やることといえば他人のミスを被ってペコペコするばかり。
そんなブラック環境・社畜状態でメンタルがすり減り、大酒で何とか保たせる、鬱を酒で抑え込むクセがついてしまった。
9時間仕事をして、9時間ぶっ通しで呑んで、ほとんど寝ないでまた出社。家に3日間も帰らず、最寄りのサウナかカプホに泊まるようなメチャクチャな生活がスタートした。
奥さんから心配の手紙が会社に届くと、それを隠蔽するだけでなく『言われたからってすぐ帰っては格好悪い』と意固地になり、さらに2日間帰らなかったり。バカですよね。
まだ娘さんが1歳半だというのに・・・爪楊枝ほどのプライドを必死に守って、他を犠牲にしている。可哀想なのは俺だけという心情なのだろうが、どう考えても一番可哀想なのは放ったらかしの奥さんと子供である。
ようやく帰宅して幼い娘さんを抱くと、自分の情けなさにボロ泣きしてしまうが、だからと言ってアル中を治すことも出来ず・・・。
そこから『酩酊生活』は死ぬまで続くことになった。
らもが独身であればそもそも入社しなかったし、入社したとしても即座に辞めていたでしょう。学生の身分で避妊せず恋人を妊娠させ、勢いで結婚した結果だと思います。
まぁ結局は辞めて、次の会社に入社するまでの9ヶ月間はプータローとして睡眠薬をバカ飲みしてディスコで遊び狂う最低な暮らしをしたらしい。鬱になるのは奥さんの方だろうと思ってしまう。
羊をめぐる冒険?
少しギャラが入ると、酒代と遊びと風呂代で全て使ってしまうらも。サウナでサボりを決め込み、惰眠を貪る中・・・羊を探す夢をみる。
やっぱり村上春樹が混入してくるw
そういえばハルキも18歳まで神戸に住んでいたっけ。
(当然のことながら両者に面識はない)
年齢はハルキが3歳上。どっちも酒や音楽にもうるさく、女好きのインテリ。もし学生時代にでも出会っていたらそれなりに気が合いそうな気がするけど、お互いクセが強すぎて無理か・・・
羊の賭け毛刈り大会が行われる廃工場。らもは『最後の1匹』である101匹目の子羊をだいて、逃げるように電車に飛び乗る。
ここからはまさにハルキ的『異界』の描写のようで、読んでいるのが中島らもなのかハルキなのかフワフワした気持ちになってきます。
高校時代の旧友と言葉を交わし、津波が列車を叩きつける。子羊を守るためぎゅっと抱きしめていると、いつの間には夜になり誰もいなくなっている。
見知らぬ駅で降り、気がつくとフワフワの子羊は冷たい石英(クリスタル)の塊になっていた。
『もう学校には行けそうにもないな』
そう思ったところで汗びっしょりで目覚めるのでした。
小動物を助ける、または飼っていることを忘れていたペットの存在に急に気づいて焦るような夢は『インナーチャイルド / トラウマ』に関する夢です。
下卑た歓声を浴びせられながら、次々と毛刈りされていた羊はすり減った心を表しています。舞う羊毛は葛藤。子羊はそれでも僅かに残ったイノセントの象徴です。津波は日常の緊張やプレッシャーを表しています。
その後、飲み屋に転がり込んだらもは、前客がツケの代わりに置いて行ったという『バース君の被り物』を手に入れます(というか勝手に持って帰ってしまいます)
バース君のハリボテ
元阪神の選手『ランディ・バース』という方のハリボテ(頭部のみ)をかぶり、酩酊したまま繁華街を歩くらも。
そんなヘンテコ着ぐるみ状態のらもに中学生3人組がウザ絡み。もともとメンタル状態が最悪だったらもは無言で中坊の腹を殴り鼻血を噴かせる。
その後、『刑事ですが』と声をかけられビビるも、単に道を聞きたかった酔っぱらいだったので心底ホッとすると同時に、バース君の頭部をプレゼントする。
そうして、繁華街から出てきた本物の警察(中坊たちが通報したのでしょう)が、バース君を被った酔っぱらいを指差し、ゆっくり近づいていく様子を見届けたらもは闇に消えるのだった(酷すぎるだろ!)
この件は『ロカ』のラスト『職質のくだり』に使う予定だったのかもしれませんね。職質(警察)と思いきや酔っ払いでしたよ〜んという。
ルカもヤク中で叩けば埃が出る身だけど、ククとの待ち合わせに向かう時にヤクは所持していないし、そこでお縄になって獄中ダイエットの話しを再現する可能性は低い気がします。68歳のジジイがダイエットしても面白くないし、逮捕の件はクレオのセリフで既出ですからね。
しかし、直前に見た夢が『インナーチャイルドを守る夢』だったのにも関わらず、現実のらもは時計屋でウソの注文を申し込んだり、通りすがりの子供に暴力を振るったり、見知らぬ他人に罪をなすりつけたりと『最低な大人』として振る舞っているんですよね。
夢の子羊が石化してしまったのは『らも自身が自分を殺している暗喩』なのかもしれません。
非モテの気持ち
中学〜高校を男子校で過ごした中島らもは女性と交流する機会がまるでなく、おまけに元々コミュ障&肥満&ニキビ面だった為『モテ』を経験したことは一度もなく、今だに女性と会話する際にアタマが真っ白になってしまうという。
『ゴミを見るような目で見下されなければ御の字』と、なかなか卑屈な心情を吐露します。
居酒屋で学生時代モテモテだったというイケメン村上くん(もちろんハルキではない)のモテ自慢を聞いて気が遠くなり、小学1年生からの『女性と性に関するトラウマ』がドドドっと押し寄せる件は笑えますw
しかし、さらに話しを聞くと、村上くんはあくまで健全なデートをしていただけでコトには及んでおらず、初キッスも二十歳という。
精神崩壊寸前だったらもはニッコリとチューハイを啜るのでした。
この辺りの『非モテ描写』は筒井康隆(18歳上)とは正反対だなと思う。
筒井康隆は自身が非モテであることは承知の上で、自分を受け入れない女を小説でケチョンケチョンにコキおろし、貶め侮辱し穢し陵辱し『あぁ〜男性様ぁぁ許してぇ〜』と言わせて憂さ晴らしするという・・・
もはや呆れを通り越して哀れな人なんだけども(2ch民の女叩きレベル)らもは非モテの自分をメタ視して笑う余裕があるんだよね。
らもは女性とコミュニケーションする機会がほぼない男性を以下のように記述しています。
つまりデータ不足なのだ。やさしい女の子、意地悪な女の子、こすっからい女の子、かしこい女の子、母性的な女の子、ひょうきんな女の子、めめしい女の子、スケベな女の子、強い女の子、繊細な女の子、不潔な女の子、大人っぽい女の子、そういった数多の女の子をサンプルに、帰納的にあるがままの女の子を理解するという訓練が全くスッポぬけている。
演縲的に、それも雑拙なアナロジーを使ってしか女の子を手さぐりすることができない。こうした貧弱な想像力からは、「聖女」と「娼婦」という、どうしようもない二元論的女性観しか生まれてこない。
現実の女の子には聖女も娼婦もいはしない。そして僕の頭の中には実在する女の子の本質というものが如している。
この『演縲的に、それも雑拙なアナロジーを使ってしか女の子を手さぐりすることができない。こうした貧弱な想像力からは、「聖女」と「娼婦」という、どうしようもない二元論的女性観しか生まれてこない。』のくだりがまさに筒井がズボッとハマった沼。
当時、筒井をヨッ!! 露悪的!! と喜んだファンはやはり非モテだったのだろうか。現代の若者が読んでも、著者の自慰感が強すぎて全くウケないと思われる。
中島らもは『自分が女性を理解できていない』ことを認めている。
だからといって、中島らもは二元論的女性観に縛られていないかというと・・・それはまた別問題だったりする。頑張ってはいるけど、やはり昭和の価値観が隠しきれないんだよね。
オコゼが橋ゲタに激突して脳震盪を起こしたような顔
性接待の買春ツアーで連れて行かれたクェ・ジュ島の娼館。
風俗嬢3人のうち、得意先のところについた嬢がよりにもよってドブスだったというくだりで、その顔面のたとえに出てくるのがオコゼ。
確か『ロカ』でも、ククと酒を飲んでいる時にオコゼの例を出して『ブスは困る嫌だ』とルカが言っていた気がします。
『顔面がブスな女は大概性格もブスだし、男のブサイクより女のブスの方が価値が低いんだ』というような、どこがフェミ寄りだって?と言いたくなるようなセリフを自信満々に吐きます。
自分のツラにコンプレックスを持ちまくっているルカ=中島らもが他人のツラをとやかくいえたクチかと思いましたけど、劣等感ある人ほど他人の外見を上から目線でジャッジしがちなんだよね。
25歳童貞の主人公は『貧しい国の女を金で買うなんて』とはじめこそ嫌悪感をもっていたものの、10代の美少女が担当につくと途端に舞い上がり、『避妊もせずに2日で6回もコトに至ったそうな。まぁ、普通に最低ですね。ただの猿。
そしてチップをぼったくられた挙句、きっちり性病(淋病)にかかるというオチがつく。
そこで行った病院の名前が『聖路加病院(セントルカ)病院』。ミッション系の病院みたいです。
まさかロカの主人公の『ルカ』の名前ってこの病院から取ったのでは・・・。
ちなみにセントルカ病院はまだ現存しておりました。
この『クェ・ジュ島の夜、聖路加病院の朝』は、書き出しからエッセイではなく妙に小説風に仕上げてあって小賢しい。そんなことをしても『僕』が中島らもであることを隠せるわけもないのに。
『叔父の経営する小さな会社の営業マン』と書いているので、100%らも本人の話しに違いない。
主人公が25歳なら(らもは1952年生まれなので)本作の背景は1975年ということになる。
大学時代の恋人を無計画に妊娠させ、責任をとるカタチで学生結婚。2LDKのアパートで新婚生活をスタートさせたのが1975年なので、主人公の童貞独身設定はウソだし、奥さんは妊娠中です。
既婚者(妻妊娠中)でありながら買春ツアーに参加して、未成年の女を抱いて大喜びする辺り、やっぱり人としても親としても終わってるなと思った。
この娼婦の少女テムに対して抱いた、傲慢な男の期待と幻滅のくだりを『ロカ』のククでやるつもりだったのかもしれない。
19歳売れっ子ハーフ美女アイドルが、飲みの席でバージン宣言して色ぼけジジイ大はしゃぎとか、オチがなかったら呆れを越えてホラーの域に達する。
『ロカ』では、ルカが酔った勢いで里親制度に申し込み、カンボジアの少女ライカ(8歳)の『里親』となる設定になっていた。
これは『良い父親をやれなかった』という自らの後悔と罪悪感を『海外の見知らぬ子供を引き取ることでチャラにしようとした』のかもしれない。
ククが聖女ではなく娼婦であることが露呈し、すっかりいじけたルカが今度は養女のライカに聖女を見出し『パパ大好きよ!』とか言わせて、自分を救う話しでも書くつもりだったのだろうか。あ"ーやだやだ。うんち!!
『頭の中がカユいんだ』のレビューを読むと、この『クェ・ジュ島の夜、聖路加病院の朝』が一番面白かったという声が多いけど、HNやアイコンを見た感じ、ほぼ男性が高評価レビューをしてるんですね。
2026年現在は、エプスタイン事件やジャニーズ問題、ラオスに10歳にも満たない幼女を買いに行くペドフィリアの日本人に非難が集まっていますが、らもが生きていたら己を恥じたのか?そういう時代だったと開き直ったのだろうか?
よく『昔の日本は豊かだった』というけれど。当時の中島らもなんて、富裕層どころか明日コーヒー代も怪しい貧乏人。
まともに奥さん子供を養えない低所得民すら、買春ツアーで発展途上国の少女を食い漁って『朝まで愛し合った』だの、粘ついたポエムで悦に浸っていたわけで。豊かさと同じだけ、闇も深い時代だったと思う。
性病にかかったくらいで『笑い話』としてエンタメ消費するのは無理がある。避妊せずセックスしまくったことで、娼婦の少女は妊娠したかもしれないのに。
そんな奴が偉そうに『いいんだぜ』とか歌ってんじゃねーよと思った。
それではお聴きください、Cocco『強く儚いものたち』
歌詞がまんま『テムの歌』なんですよね・・・娼婦の少女の歌。
おどおどと上目遣いのCoocoですが『あなたのお姫様』のくだりのみ、挑発的な表情に変わります。『ザマァミロ』と言うのかのように。
黒い服で、砂漠のような砂浜を一人歩くのは少女の夢。実際は少女は椅子から逃れられない。見下ろし品定めをするスーツの男たちの影は、海の向こうへ帰っていく。
続けてお聴きください、中谷美紀『砂の果実』
『マットレス+下着姿の女性+タランチュラ』『跳ねる』『浮かび上がるがすぐに沈んでしまう』このMVも『逃げられない娼婦』がモチーフ。
あの頃の僕らが嘲笑って軽蔑した
恥ずかしい大人にあの時なったんだね。
あの頃の僕らが嘲笑って軽蔑した
空っぽの大人に気づけばなっていたよ。
終わりに
『頭の中がカユいんだ』はワンルームマンションにこもって実質1週間くらいで一気に書き上げたものらしい。
酒浸りで脳をグジュグジュにしながら一気に書いたようで、そんなに酩酊しながらよくここまで多くの語彙が出てくるものだと関心する。
古い言い回しや知らない単語もたくさんあったので、Kindkeで買ってよかった。長押しすれば意味をすぐ調べられるからね。紙媒体で読んでいたらナナメ読みでなんとな〜く読んでしまう部分がたくさんあったと思う。
犯罪行為の自白を大いに含んでいるし、これを発刊してよくケーサツのお世話にならなかったもんだね。
己の傲慢で身勝手な振る舞いを美化して、非常に美しい文体で表現する辺りやっぱりハルキと少し似たところがあると思う。
らもの死後、奥さまの中島美代子さんが書いた『中島らもとの三十五年』という本があります(2007年発行)
そのレビューになかなか痛快なものがありました。
著者は小説家になりたがったが中嶋らもの文章を読んで才能がないとあきらめたと書いてあったが、繊細な天才の中嶋らもよりも中嶋美代子の文章の方が肝が座っている。
この本を読んでから中嶋らものエッセイを読むと、頭はいいが優柔不断な男が肝心なとこをぼかしてかっこつけているようにしか見えなくなってしまった。
『頭はいいが優柔不断な男が肝心なとこをぼかしてかっこつけている』
素晴らしく的確な一文。私がらもの文体をみていてイラつくのもまさにそこで。
自分はダメ人間だと豪語しながら、結局は延々とカッコつけてんですよ。一番シャレにならない、どうあっても擁護できないエピソードは書かないし、ヤバいところはポエムで包むか笑い話風にしてアク抜きする。
『さすが天才は違う!』『これぞ奇才!』と評され、天才だからと何もかも許され可愛がられたい気持ちがバシバシに漏れてる。
その周りでどれだけの人が迷惑を被り犠牲になっていても、そこは書かない。
才能より、その計算だかく卑怯な在り方の方が鼻についてしまうし、天才だー天才だーと甘やかしたファンこそが中島らもという麻薬(毒気の強いエンタメ)を『吸い尽くして』殺したのではないかとも思う。
以下は低評価レビューで参考になったものです。
人生で初めて読まなきゃ良かったと思った本。
作家の妻による夫回想録という趣旨からみれば多分その目的は十分以上に達していると思う。ぬるくなく「ここまで書いてしまって良かったの」という点は評価したい。
ただそれでも「読まなければ良かった」と思ったのは
ただひたすらその内容のなんというか…あまりにも下劣というか愚かしいというか…脱ぎ散らかした他人の下着を見せられたような気持ちになった
別にらもさんを聖人君子のように思っていた訳ではない
しかし、結局らもさんが一人の男として妻も愛人も幸せにできなかった
ダメな人間なのだなという事が浮き彫りになったかと思う
『脱ぎ散らかした他人の下着を見せられたような気持ちになった』
おそらく、中島らもの人生を『事実のみ正確に羅列すれば』ガチのクズなんですよ。まさに汚物まみれのパンツ。
もし中島らもが情報化社会を生きていたら、SNSで関係者が次々に『暴露話』を投稿して炎上不可避だったと思う。情報化前だったからこそ、ヤバイとこは上手く隠したまま『変なおじさん』で通せたんだろうなと。
2004年に死んでなかったら、晩節を汚しまくり牢屋から出られなかったでしょう。
わたしは、他人の負の要素、裏街道みたいなものを垣間みて、自分の平和な日常のスパイスにするような感覚には興味ないし、
自分が実際に這いずり回っている状況で、この本読んだら、なぜそこでもっと立ち止まれない?これが愛なのか自由なのか。なんて、誤解する人がおるかもしれんのに、と呆れる気持ち、憤り、哀しみ、あーあって思いが、どんどん波紋のように胸中に広がってゆきました。
でもおかげで、私が彼と生きてくなら、絶対にこうはならんぞ!と思いました。
『他人の負の要素、裏街道みたいなものを垣間みて、自分の平和な日常のスパイスにするような感覚』
中島らもを天才だと褒めそやすファンの心理は結局コレだと思う。
先ほども書いたけど、中島らも自身が一般大衆にとっての『マイルドドラッグ』だったんですね。
中島らもはロッカーとか豪語するワリに『他人の期待に応えたい、期待以上を見せつけたい承認欲求のオバケ』みたいな人で、孤独上等タイプの人では全くないんですね。
クソ高プライド・選民意識・拗らせ・コミュ障・構ってちゃん。面倒臭い人の権化。
Youtuberが視聴率・フォロワー欲しさに迷惑Youtuberになっていくように、無自覚に周囲の期待に応えようと『もっと壊れたらも』を提供すべく暴走していったのではないか。
中島らもに本当に必要だったのはダチでも仲間でもファンでもなく、本気で彼を叱って止めてくれるストッパー役だったように思う。
それで才能が枯れるなら、元々そこまでの人に過ぎなかっただけ。
『優れた作品が残せるなら本人の人生なんてどうなってもいい』というなら、それはもう生贄信仰の呪術と同じではなかろうか。
中島らもの作品は『今夜、すべてのバーで』を買ってあるけど、それを読み終えたらもうおしまいにしようかと思う。



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