閑話:大人の男の匂いが……好き……。③
――結構キレイにしてるんだなぁ、おぢ。
――あたしの肌ぷにぷにだわ。
心昼が服を脱いだり下着を外す時に肌に擦れる音、ひとり言なんかも聞こえてくる。
気にならない、と言えば嘘になる。
だが、気にしてはいけないのであって、兼重は意識を意図的に浴室から断ち切る為に、スマホで今日のニュースを見ることにした。
「ふむ……今日は増税議論があったのか……税金のことは俺にはよくわからんが、なるべく節約した方がいいか」
十代の頃はニュースなんてまったく見なかった兼重だが、歳を重ねてくると、生活に直結したり仕事に影響することもあって嫌でも確認する癖がついた。
世間で起きていることをポチポチ確認していると、あっという間に三十分が経過していた。
心昼がシャワーを終えて浴室から出てきた。心昼は兼重が用意した服を着て「ん~~~」と気持ちよさそうな声を出しながらドライヤーで髪を乾かして、撫でられた時の猫のように目を瞑ってにゃむにゃむしていた。
「……よっこいしょ」
兼重はベッドを椅子代わりにして座った。すると、髪を乾かし終わった心昼が兼重の膝の上に勢いよくドカっと尻を置いた。
「ちょっと寒いし借りるよーお膝。『よっこいしょ』」
心昼は、わざとらしく、今さきほどに兼重がつい口から出した言葉を強調して反芻する。体が接触している危険な距離に兼重は慌てた。
「な、なにを――」
「――寒いって言ったじゃん。人肌の温度は丁度いいの。ここはおぢの家の中なんだから誰も見てない」
ぐりぐり、と心昼は尻を兼重の膝を何度も押し付けてきた。引く気はない、と態度で心昼は示した。
早くどかす必要があるのは兼重も理解はしていたが、しかし、何回もからかわれているうちに感覚がマヒし始めていた部分もあって。
そのせいで、一回くらいは適当にノッてみる、という本来は存在してはいけない選択肢をつい選んでしまった。
「そういうことをされると……俺もさすがに恥ずかしいな」
「おっ?」
「やめてくれ。歳の差があるとしても、女の子にそういうことをされると……困ってしまうんだ」
「おぢが弱いのはあたしのお尻かぁ……おりゃ~~~」
心昼はさらにぐりぐり、と尻で兼重の太ももに撫でまわしてくる。柔らかくて弾力のある肌感覚はそれは女の子という明確に主張しているのであって、兼重は再びに心昼のことを異性として認識しそうになる。
だが、どうにか、さすがに自制心の方が勝った。そんなこんなの一幕もありつつ、その後は特に問題もなく過ぎた。
「色々とありがと」
「そろそろ帰った方がいいんじゃないか?」
「あとちょっとしたらね。安心して。泊まるとか言わないからさ」
「早めに帰った方がいい」
「まだお話がしたい」
いつの間にか窓の向こうから聞こえていた雨音はすっかり無くなっていた。天気が好転したようだ。
外は湿度と熱がじりじりと混ざっている嫌な暑さになっているのがわかった。
「ねぇ、おぢの小さい頃ってどんな感じだったの?」
「なんだ急に」
「不器用なのに今までよく生きてこれたな~って」
「色々と職場も転々とはしてきたし、手先の器用さに自信はある。心昼だって俺の器用さはちょくちょく見てきたハズだ」
「そういう意味じゃなーーーい」
「手先じゃない……というと性格がってことか?」
「そ~ぉ」
「確かにそっちは手先と違ってそこまで器用ではないな。だが、それで困ったこともあまりないんだ」
「そなんだ?」
「他人に興味を持つ人間は世の中に多くはないからな。若い頃は人の目とか気になるものだが、それは過敏になり過ぎているだけで、実際はそこまで他人はこっちのことなんて見てない」
「あたし、中学時代は男の子から結構じろじろ見られるな~って思ってたけどそれって自意識過剰?」
言われて、兼重は改めて心昼を見やった。何度見ても輪郭は整っているし、猫のように大きな瞳はまるで宝石のようにも見えるし大人びた雰囲気のある美人だ。
男の子から視線を向けられていた、という心昼の感覚は勘違いではなく実際にそうであったハズだ。
褒めると調子に乗りそうな気もして気は進まないが、しかし、かといって嘘を言ってもそれはそれで大人げないと感じた兼重はありのままを答えた。
「心昼の場合は勘違いではないだろうな」
「ん? 他人に興味がない人の方が多いって今言ったのは嘘だった?」
「例外もある、ということだ。本当に実際に視線を向けられやすい人もいる。心昼は可愛いし男の子はどうしても目で追うだろうな」
「そうそう、そうやって褒めてくれればいいの。やればできるじゃん。にひひ」
兼重の返答が自身の望むものであったのか、心昼は嬉しそうだった。それは心昼が‷普通の女の子〟というのがよくわかる表情でもあった。
普段はクールだったり、自分のことを差し置いて周囲を立てる役回りをやる心昼も、きちんと自分も褒められたい、という気持ちがあるようだ。
「あっ、そうだ」
「忘れ物でもあるのか?」
「別にないよ、ただ、一つだけ最後に聞きたいことがあって」
「言ってみろ」
「あたしと同じくらいの歳の男子って恋愛対象にする女の子の年齢+-2~3歳差くらいまで、って感じが見てて多い気もするけど、おぢも幅そんなもんなの?」
「俺くらいの年齢になってくると、社会人になってだいぶ年月が経ってるしな……学生みたいに横並びで何百人、何十人も大体同じくらいの歳の人と肩を並べる、という機会も減る。だから、同じ歳かどうかを基準に入れなくなる。自分の好きなタイプとか、それに忠実になる人が多い気はする」
「世間一般的にどうかみたいなことは聞いてない。おぢ自身はどうなのって聞いてる」
「俺自身の感覚がどうかという話になると、この歳で高校生になったので分かる通り普通の人とはズレてる可能性が高いから参考にならんと思うが……」
「参考になるかならないかはあたしが決める」
「うーん……そうだなぁ……あんまり深く考えたことはなかったからな」
「今まで好きになった女とかいなかったの? 夕真先生とかは? 中学の頃の同級生だって言ってたじゃん」
「中学の時は子どもっぽかったからな夕真は」
「落ち着いてる人ってイメージだったけど、中学の頃はそうなんだ? ふーん……子どもっぽいのは嫌で大人っぽいのがいい?」
「人間である以上は、どんな性格や個性であっても良い面もあれば悪い面もどちらもある。その一側面だけを語って好きとか嫌いとか、そういう風には言えんな」
「煙に巻こうとするのやめて?」
「そういうつもりはなくてだな……自分でもわからないんだ」
「わからない?」
「俺は社会に出てから、自分がどういう女性が好きなのかとかを考えたことがなかった。そんな余裕がなかった」
それは、兼重が自らのありのままの心情をぽつりと零した言葉であったが、ただ、自分自身の人生の背景も物語っている重みを含んでいた。
そして、周囲への気遣いも上手である心昼だからこそ、兼重の言葉に重みを感じたようで、返す言葉に迷ってしまっているようですぐに言葉を返してこなかった。兼重は気を使われたことに気づいて慌ててフォローに走った。
「俺の過去は気にしなくていい」
「ごめん」
「本当にやめてくれ。そういうのは」
「……」
「俺は今が楽しいし、色々あったことはきちんと自分で納得できるようにしている。だからこうして高校生にだってなった」
「許してくれる? 嫌なこと思い出させちゃったかも。……あたしのことを叱って」
許すとか許さないとか、そういった類の感情を兼重は抱いていないが、だが、嘘でもいいからそういう感情を向けられて受け止める、という段階を踏まなければ、喉の奥に引っかかった小骨のように、ずっと気にし続ける子が心昼だというのも簡単に想像がついてしまった。
良くも悪くも区切りをつけたい子なのだ。けじめをつけたい、という言い方をしても良いのかもしれないが……。
ともかく、心昼の気持ちを整理させる為にも、兼重は仕方なく叱ることにした。
「わかった。俺は怒っている。次から気をつけるようにな」
「……うん。次からあたしはどうしたらいいの?」
「それじゃあ、大人の俺が高校生だなんて社会的に変だからとか、そういう風な目で見ないでくれ。それでいい。俺という人間を見てくれ。……俺に青春をくれ」
「……」
「駄目か?」
「……ううん。じゃあ、そうする」
兼重の言った『青春をくれ』という言葉を心昼がどう解釈したか……兼重はまるでわかっていなかった。自分が口下手であることを心昼には先ほど伝えているから大丈、と考えて気が緩んでいたのだ。
若い子にとっての青春とは、色恋と同義なのであって、それを口走ったことの重要さを兼重は理解できていなかった。
知らなかったのだ。
経験してこなかったからだ。
心昼は普段の態度や口調という外面から想像できないほど性格は良く、兼重が口下手であることを考慮してくれはする。しかし、受け止める意図や意味が一つしかないと感じる言動だった場合……勘違いかも知れないと一度は立ち止まったとしても、結局はそれ以外の意味を考えられない主張ではあったのだから、そのまま受け止めるしかない、という答えに辿り着くと想像すべきであったのだ。
兼重がそうした考えができなかったのは、恐らくは『若者』であった時間が短かったせいだ。すぐに社会人になって、大人になる必要があったからこそ、そうした部分の想像がおぼつかないのだ。
心昼の頬を少しずつ彩るように浮き出る林檎色の熱を見ても、ショワーを終えてすぐだから血色が良くなっているようだ等と、そんな風にしか思っていなかった。
「おぢ……ごめん、もう一回だけ最後の質問させて……前に教えたSNSのアカウント……下書きとか見てる?」
「下書き? 見たことないな。そもそも、検索には使わせて貰っているが、投稿をしようと考えたことがないからな……もしかして、俺が操作間違いか何かをしていて、知らないうちに下書きが凄い増えたりしていたのか? だとするなら謝る」
「そんなことになってないよ……その、なんでもない」
「そうか? ならよかった」
兼重は駄目な男だ。本当に本当に駄目な男だ。今すぐに『なぜ心昼は下書きに触れたのだろうか』と興味本位でアプリを開けばいいのだ。
だが、そういう風にはならないこの性格が、恐らくは兼重の良いところでもあるのだった。
それから。
兼重はすっかり渇いた心昼の制服を紙袋に入れて、本人に持たせてあげた。紙袋の容量に余裕があったので、兼重は心昼が欲しがっていたシャンプーをこっそり入れたりもしたが、心昼が目ざとく気づいてわざわざ紙袋から取り出して、「よいしょ」と床に置くものだからそれについては断念せざるをえなかった。
それから、兼重は心昼を普通の人通りが多い場所まで心昼を送るのであった。
<つづく>
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