4章 十代半ばの子は暴走してナンボですからね。③
兼重は夕真と一緒に朝里と色々と説明をした。そもそも朝里のことを夕真に言ったことがないのもそうだし、別に夕真のポイント稼ぎをしたわけではないというのも改めて伝えた。
夕真も助け船を逐一きちんと出してくれた。兼重の良いところを、自分の過去を絡めて説明してくれたのだ。中学時代に虐められていたのを助けて貰った時、下心を感じないで純粋に優しくて本当に良い男だったの、と。
朝里は黙ってそれを聞いてくれた。そして、次第に自分が余計な妄想を膨らませたことを十分にしっかりと理解したらしく、改めて申し訳なさそうに俯いた。
一時はどうなることかと兼重も随分と焦ったものだが、案外なんとかなった。しかし、事態が落ち着いて話が終わりではないようで、夕真が兼重に伝えたいことがあると言い出した。
夕真は生徒の諸事情について、中学校からの内申書等で特別な事項についての情報も事前に受け取っており、色々と朝里の背景も詳細に知っているそうで。
つまり、朝里の過去について話したいそうだ。
「私の立場では、本来は言っては駄目なことだし、朝里さんが傷ついているのも十分に分かってる」
「……」
「兼くんは優しいから、朝里さんから受けた暴力について何も言わなくても許してはくれるけど、『どうして暴力を振るわれたんだろう』っていう気持ちは多分ずっと残る。朝里さんは敏感だろうから、そう思われていることを感じ取ると思うけど、そうなったら次は『なんで自分が暴力に訴えたのか察してくれないの?』になる気がする……違うかな?」
「そんな風には……別に……」
「ならない? 絶対に? 百%?」
「……そこまでは言い切れないけど」
「でしょ? だから、万が一にもそうならない為に、自分はこういう経験をしてこういう風に嫌な思いをしてきたからって相手に教える必要があるのね。そうすると相手は納得もしてモヤモヤしなくなるし、朝里さんに適切な気を使うこともできるよね?」
「……皆に知られるの嫌だもん」
「全員に教える必要は全然ないよ。ただ、兼くんは被害者になってしまったから知る権利があるし、本当に信頼ができる人。中身がカッコいいの。……私から兼くんに教えてもいい?」
「……」
「言葉にするの難しいと思うから、頷いたり、首を横に振ったり、それで意思表示するだけでも大丈夫……それとも勇気を出して自分で言う? 言える?」
横で会話を聞きながら、兼重は夕真の雰囲気と態度に良い意味で驚いていた。昔の夕真は本当に大人しくて、誰かに何かを諭す真似なんて怖くて出来ないよと言い出すような子だったからだ。
「自分からは言えないけど、でも、知って欲しい気は……する。……先生が言って」
それは恐らく、朝里にとっては過去を本当の意味で過去にする為に地に足をつけた小さな一歩であるように兼重には感じられた。
そして、過去を伝えてもいい相手と認識されたことを受けて、自分が考えている以上に朝里が近づいてくれているのだと兼重は気づいた。
普段からもっと注意深く見てあげていれば、とも思った兼重は『いつも俺は遅いんだな』と苦笑した。
高校生になるのも遅かったし、事態の方向性に気づくのも遅いのである。そこが兼重の悪いところであり、そして良いところでもあるのだが……。
ともあれ、兼重はわしゃわしゃと自らの頭を掻きながら、夕真から朝里の過去について話して貰うのだった。
※※※※※※※※※
端的に言うのであれば、朝里は――兼重の予想通りに、過去に人間不信になる複雑な出来事に遭遇していた。
ことの発端は朝里のその胸の大きさが男子の注目を浴びたことだった。それが他の女生徒からの嫉妬も誘発したところから始まる。
最初は表面化しなかった。あくまで雰囲気が悪い程度。引き金になったのは、女子グループの中でもリーダー格の女の子が好きだった男の子、だった。
朝里のことを好きになってしまったのだ。
それを理由として、リーダー各の女の子が主導して、朝里が誰とも仲良くできなくなる状態に追い込んだ。
体を使って男に媚びてるのだろうと言われて、スケベ女だとか、場合によってはパパ活で稼いでいる等々の噂も流され始めた。
事態はどんどん悪化したし、それを途中から認知していた教師も助けにはならなかった。見て見ぬフリをしたのだ。
朝里はずっと怖かったのだ。
そして、そうこうしているうちに誰もがさらに暴走した。
男子生徒は朝里が虐められていることに気づくと、助けてあげたいという理由を持って他の女子生徒に直接嫌がらせをするようになった。
女子生徒側はその行動に当然憤慨して、色々とやり返して清掃道具であったりで物理的な暴行を男子に加えたそうで、病院沙汰に……。
最終的に、全員が冷静になった後に、どうしようもなくなったこの状況の原因は誰か、という犯人捜しが始まった。そして、朝里のせいだ、と全員から強い罵倒を浴びせられることになった。
存在しているだけで罪、と朝里は言われたのだ。
話を聞き終えた兼重は、想像以上に酷い経緯を朝里が辿っていたことを知って、思わず頭を抱えそうになった。
「朝里さん……私は兼くんを信頼しているからこそ、同じクラスに入れさえすれば自然と気づいて朝里さんを明るくしてくれる……そう思って安心しきってた。だから、他の先生に取られるより先に兼くんは絶対に離さないって手を挙げたくらいだった。こんなことになるって想像もしてなかった」
クラスごとにどういった生徒を入れるか、個々の背景まで含めて学校側……というか担任の夕真は考えてはいたようだ。
兼重はそんなことを知らされていなかった。純粋に『そうだったのか?』と驚くと共に、夕真が寄せてくれていた期待に応えられなかったことに、一人の人間として申し訳なさを感じた。
「期待に応えられなくて……すまん」
「ううん。必要な情報もないのに上手くできる人なんていないって、私も気づくべきだったから」
「お前の時は気づいてやれたし、問題になる前に解決できた」
「今はそうやって私を口説く時じゃないし、そもそも、口説かれなくても私は既に大丈夫なの」
「言い回しが迂遠過ぎて何を言いたいのかよくわからんが……ただ、俺は自分自身の
認識の有無と関係なく期待されているのならそれに応えたかった。悪かった」
「そこは気にしなくていいって言っても、兼くんはしちゃうよね。そういう性格だもんね……ありがとう。でも、今の私は教師だから、生徒の前では私を教師として扱って欲しいな。私の為にみたいなのはプライベートでね」
夕真の言葉には強い意思が籠っていたし、そこから感じ取れたのは社会人として教師としてのプライドだった。
今の自分は夕真から何を求められているのか? 兼重はすぐ答えに気づいて夕真の教師としての主張や態度を全肯定した。何も言わずにただ頷いた。
「さて……朝里さん、私と兼くんで家まで送っていくね。必要ないって思うかも知れないけれど、色々とあった後だからこそ安全なところまで見送るのが大人としての責任だからそうする。相手の立場も考えられるようになりましょうね」
「……はい」
朝里は夕真に対しては凄く素直になっていた。その理由は恐らく、夕真が自分自身も過去に虐められていたと先ほどに吐露したからだ。
程度の差はわからなくとも、それでも同じような経験をしたであろう人間に対して冷たくできる人も少ないということだ。
間違いなく良い兆候である……のだが、一方で兼重に対しては不思議な態度を朝里は見せ始めた。時折に兼重の横顔をじーっと見つめてくるのだ。そして、それに気づかれると、頬を膨らませてぷいっと横を向くのだ。
兼重にはその意図がよくわからなかった。
それはそれとして、朝里のポケットの隙間から顔を覗かせていた小さなぬいぐるみキーホルダーが汚れていて、壊れて腕も取れそうなことに兼重は気づいて、なんだか可哀想だったので直してあげたいと思った。
「朝里」
「な、なん……ですか?」
「ん? 急にタメ口をやめてどうした?」
「もともとは、ちゃんと年上には敬語使う方……です」
「その、同級生なんだ。気にしなくていい」
「同級生でも兼重さんには……使いたいです」
朝里は赤面しながら縮こまっていた。急な変わりように兼重もどう接するべきか混乱しそうになるが、しかし不思議なことに、今の朝里の方がなぜか以前よりとても自然な感じに見えた。
こちらが朝里の素である、と兼重は確信を持てた。
しかし、なぜこの段階でありのままの姿を自分に見せてくれたのか……? 兼重は少し考えてその理由をなんとか察した。元々こちらのことを信頼し始めていた気持ちが誤解も解けたことで戻ったのに加えて、自分の抱えていた過去の傷も伝わってしまった以上、本当の自分を隠す必要も強がる必要も消えたからだ、と。
それは例えるならば、家族の前と知人や同僚の前で言動が変わるのと同じようなものだ。
ともあれ。
兼重が今どうにかしたくなっているのは、朝里の持っている今にも壊れそうな小さなぬいぐるみキーホルダーである。
「ポケットから見えてるそれ……俺に一旦預けてくれないか?」
「え?」
「直してやる。俺が器用なのは知っているハズだ。教室で他の子の制服を直したり、そういうのを遠目で見ていた時もあったろう?」
「いいの……です?」
「俺も悪いところは沢山あった。勘違いもさせたな。だから……それを直すので許してくれないか? 俺と仲直りしてくれないか?」
朝里は笑顔になると何度も頷いた。小さな子どものような愛らしい仕草だった。クラスメイトたちの前でも今の本当の自分を見せられる日がくるのであれば、きっと朝里の学校生活は楽しいものになるハズだと兼重は思った。
「このぬいぐるみキーホルダー、死んじゃったお婆ちゃんが買ってくれた大事なものだったから……でも、中学の時の事件で踏んづけられちゃって、壊れちゃって……直し方もわからないし、もう直らないと思ってたので……本当に嬉しいです」
どうやら色々と複雑な経緯のある宝物であるようだ。まぁ学校にも持ってきて机の上において本当に肌身離さずであるのだから、何かあるといえばありそうな想像は元からつきそうなものであったが……。
兼重は緊張感を持って預かることにした。朝里とのやり取りを隣で眺めていた夕真からも「しっかり直してあげないと駄目だね」と圧をかけられた。
そのうちに朝里の家までついた。二階建ての普通の建売で上だけ明かりが点いている。二階の窓から小さな女の子がこちらを見下ろしていた。
「あの子は……」
「妹です。お父さんもお母さんも、今日は何もないって言ってたのに……お仕事で急に呼ばれたのかな」
「大変だな」
「ウチにとっては可愛い妹で、優しい子だし、大変だなんてそんな全然……ただ、学校で虐められてないといいなって。休みの日もお家でウチとしか遊ばないし……ウチも妹のこと言えないけど……」
「なるほど。優しい妹……それなら、お姉ちゃんが塞ぎ込んでいるから自分が元気にしてあげなきゃとか、そういうことを思われている可能性は?」
「あっ……」
兼重はなんとなく指摘しただけであったが、朝里にも思い当たる節があったようだ。早く家の中に入ろうと玄関に手をかけた――のだが、そのまま家に入る事はなく、朝里は一度振り返ってきた。
どうやら、夕真と少し会話がしたいようだ。朝里の目は兼重ではなく夕真に向けられていた。
何事だろうか、と兼重は二人の顔を交互に見た。理由は不明だが、なんとなく臨戦態勢のような雰囲気が流れ始めていた。
「本当に信じていい男の人……でいいんですよね?」
「信じていいよ。この人は大丈夫。距離感だって守ってくれる。『大人』だからね。朝里さんも少しずつ人に慣れて、同じ歳の男の子を好きになって青春を楽しんで欲しいなって先生は思ってる」
出てくる話題がなぜ自分についてなのか兼重には意味がわからなかった。最近ずっと女の子に振り回されてばかりなのもあって、兼重は女性の思考回路は推測不明で地球外生命のそれにしか感じられなくなってきていた。
ただ、二人がちらりとこちらを見たので、兼重は自分がなにかしら話の流れに沿ったことを言わないといけない気がしたので、短く端的に言葉を吐き出した。
「少なくとも朝里を裏切るようなことはしないつもりだ」
朝里がにぱっと笑った。一方で夕真は少し複雑そうな、個人としてはモニョるけれど教師としては安堵しているような色々な感情が入り混じっていそうな表情だった。
「兼重さんのこと信じて頼っていい男の人として……受け入れます」
「男の人として、という言い方は誤解を産むかもね。それと、受け入れるっていうのもこれも誤解を産みそうだね。一般的に頼っても問題のない大人の人、そういう言い方が一番しっくりくるんじゃないかな?」
「ウチもこれから友だちを作ってみたいし、恋愛だってしてみたいし……」
「同じくらいの歳の子との恋愛を経験するのはいいことだね。先生は高校でも大学でもそういうのなかったし、経験もないから、これからそれを手にできるチャンスがある朝里さんが羨ましいな~」
「恋愛するならクラスメイトがいいです……落ち着きがある感じの男の人と」
「うん。同じ歳の子でも落ち着きある感じの男の子は探せばいるかもね」
「先生って彼氏いるんですか?」
「どうしたの急に話を変えて……いないよ」
「好きな人はいるんですか?」
「いるよ」
「その人……年下の女の子に取られるかもしれないですね」
「強気だね?」
朝里と夕真の会話は、差しさわりのないただの世間話にも聞こえるし、一方で何か対立的な棘のあるような感じにも聞こえるものだった。
また何か揉めるのも普通に兼重は嫌であったので、会話に割って入って無理やり終幕へと持っていくことにした。
「もう夜だ。朝里は家に入るんだ。俺も帰るし夕真も家に帰らないとな」
元気よく兼重がそう告げると、朝里は「兼重さん……また」と家の中に入って玄関を閉めた。夕真も踵を返した。兼重は夕真の隣に並んだ。
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