日本には、『豊富な海外経験』を披瀝して自慢しながら、差別的排他的思考を隠さない『ハイソ』な人間が少なくない。特にSNSには、そんな人間で溢れている。
そういう人間の言葉を注意深く拾っていくと、海外での生活で『日本人』として、『アジア人』として、差別や偏見、ヘイトの被害に遭ってきたのだろうことが窺い知れる。その結果、日本に戻ってきて、筋金入りの『排斥主義者』『国粋主義者』となるのだ。自分達が受けてきた『屈辱』を、『あの時の自分』と同じような境遇にある人間を見下し、嘲笑し、罵倒する事で晴らしているのだろう。『俺らが受けてきた“恥辱”はこんなもんじゃないぞ!』『海外に行けば日本人だって“苦労”するんだからな』と言って正当化する連中もいる。
『差別される側』の痛みを知った人間として、差別や偏見に対して敏感になり、それに決して加担も黙認もしないと誓うのではなく、逆に『差別する側』に回ることで自分のアイデンティティを防衛しようとする。
『差別をなくそう』とするのではなく、自分が『差別する側』に立てるように社会を再解釈することで、受けた『傷』を癒そうとしている。
俺はこういう人間は『差別』に負けたんだと思っている。
差別という『暴力』に思想的にも、人格的にも屈服しているのだ。
そして、こういう人間は、実は『日本に、日本人として生まれてきた』という“運命”そのものに、根本的に自信を持てていないのだ。
海外で味わった差別や、国際社会的なヒエラルキーの中で感じた『日本人であること』の相対的な位置づけに、結局は打ち負かされてしまった。
だからこそ、日本に帰ってきて『日本人であること』を守るために、排外的な『国粋主義』や差別的態度にしがみつく必要が出てくるのだ。
もし本当に『日本人であること』に自信と余裕があれば、他者を貶めて自分のアイデンティティを強化する必要などない。『日本人として当たり前に受け継いできた美徳』を今更、自慢してひけらかすこともない。『差別された経験』を乗り越えられなかったばかりか、『日本人として生まれた』という事実そのものを、結局はネガティブに引きずっている証左だ。
『日本に日本人として生まれてきた』という“運命”にも負けていると思っている。
哀しい事だ。視野を拡げて、成長するために『世界』に出たのに、日本にいた時以上に視野狭窄となって、頑迷になってしまうとは。
みなさん、ヘイトスピーチをしている人、どんな仕事をしている日本人だと想像していますか?
たとえば、この方は、小児科医・児童精神科医(専門は虐待医療と発達障害)だそうです。
わたしは、たまに、ヘイトスピーチをしている人のアカウントを覗いてみるのですが、