「転がって」なかったので笑、せっかくだから転送します。2023年12月の事件に関して、翌24年の2月に書いたものですが
① 有料ブロマガに書いたもので、Xだとかnoteとかに書いたものではありません
②たった2年半前に書いたものですが、今昔の感がありますね。AIはさらに人間の感覚を加速させていると思います
③中でも、文春が一瞬、自民党にぶっ放せば国民に<最後のオールドメディアの良心>ぐらいに祭り上げられた時は、昭和38年生まれの「疑惑の準弾(ロス事件=コロンボとは関係ない)」世代としては、爆笑したのをよく覚えています。
④最低限の加筆をしています。
⑤あまりに当工房と無関係な話題なので笑、1週間で落とします(菊地成孔)
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<菊地成孔の日記 / 2024年2月2日(土)>
松本人志の件は、<21世紀の20年代>に突如セリエ化した「(日本の)#me too」問題の、最後の一発になるかもしれない。
ジョニーズ(*注:当時「ジャニーズ事務所」が改名するに際し、新しい所名が公募されたので、筆者が応募した名前。落選前提で応募し、落選した)、梨園、宝塚が、なんとかギリギリで踏みとどまった中、松本人志の件の特異性は、他のセリエと比べ、ディフェンシヴ対応でなく、オフェンシヴ対応をしたことだ。理由は一つしかない。松本人志は知的な人間だが、心の中に特撮ヒーローが生きているからである。
ちょっとした試みに、吉本興業(現在の吉本を、この名で一括に語ってしまうのは、ちょっと無理があるのだけれども=社史が「都合により」曲がりくねっているので。何せ、<現行の吉本>は、創業年が2007年である!)と株式会社文芸春秋(以下「文藝春秋」)をざっくり比較すると
<創業>
吉本興業 1913年
(「ブギウギ」をご覧の方にはご存知の通り創業者は女性で、吉本せい。11年前に創業100周年を迎えた)
文芸春秋 1923年
(国文学に嗜みがある方にはご存知の通り、創業者は菊地寛。去年創業100周年を迎えた)
<資本金>
吉本興業 1000万
文芸春秋 1億4400万
<売上高>
吉本興業333億
文藝春秋207億
<総資産>
吉本興業120億(2010年調べ。今は遥かに多いだろう)
文藝春秋309億(2013年調べ。今は多少多いだろう)
と、非常に大雑把に4ポイントだけ並べてみると、吉本が(ジョニーズと同じ)「サーヴィス業」であり、文藝春秋が「情報・通信業」である、という業務分類上、<資本金>の額に大きな違いがあるだけで、かなり同じ会社であることがわかる。「仇敵は似る」の法則が働いていると見做して良いだろう。
ここまでを前提にしても、松本の特撮ヒーロー魂を指摘する声が少ないのはあらゆる意味で現代的な現象と言える。さすが「今、どうしてる?」の時代だ。
特撮ヒーローの仕事はただひとつ。悪の組織から次々と放たれる怪人や怪獣と闘い、相手を撃破し続けることだ。
ダウンタウンが一期生であることで有名なNSCは、「徒弟性(まず師匠につく)」という伝統を旧弊と見做し、吉本側が立ち上げたシステムだが「徒弟性」こそ、古くて巨大な悪であり、果たしてそこから大スターになったダウンタウン松本は、既にデビューの段階で、間接的にだが、「師匠」という<怪獣>を次々と繰り出す悪の組織を撃破した。と見做して良い(ダウンタウンが売れなかったらNSCという制度はおそらく崩壊していただろう)。
次に松本が倒した怪獣は、衝撃的なブレイクスルーを果たしたダウンタウンにいちゃもんをつけた(というか、彼なりに真摯な批評を行った、実は実践的で優れた批評家タイプである)横山やすしである。当時ダウンタウンのアンチは山ほどいたが、親世代=師匠となるべき世代の大看板であった横山はラスボス級である。
「ごっつええ感じ」で、横山のコスプレをし、徹底的にいちびった(色々なシュチュエーションで「まいど浪速の天才漫才師!」と叫ぶ)末、横山の悪趣味であった自家用セスナをネタに、飛行中の翼の上に立ち「まいど浪速の天才漫才師!死ぬ!」と叫んで実際に墜落して死ぬ。ただそれだけ。というブラックジョークがオンエアされた、その日に横山が伝説的な「謎の急逝」を遂げる。今昔の感もあるし、偶然とはいえ、いまだに(文字通り)空恐ろしい話だ。
少なくともこの段階で「売れて天狗になった」とはとても言えない。松本は、有り余る天才で上り詰めながら、孤独に戦い続けていた。多くの特撮のヒーローのように。
そして松本は、その「ごっつええ感じ」=フジテレビさえも悪の組織にしてしまう。「野球中継にオンエア日を取られた」という、当時は特別でもない措置に徹底抗戦し、なんと番組を終了させてしまう。しかも、新ネタであり、オリコン初登場1位となった「エキセントリック少年ボウイのテーマ」の発売日に。
「驕り高ぶった」「天狗になった」という批判が百出したが、松本はラジオ「放送室」で、盟友の作家(小学生からの同級生)高須光聖に「いや、あれはオレがどれだけ命懸けでお笑いに賭けてるか、ああしないと伝わらなかってん」と語っている(私観だが、高須のコント作家としての腕はともかくとしても、松本が映画の脚本に、「映画の脚本家=専門家」を雇用していれば、作品の質は10倍増していたと思う。松本の「友達想い=友達しか仲間がいない。という寂しさと甘えが出た形だ)。
僕はこれを言い訳だとか綺麗事とは全く思わない。ただ、特撮ヒーローのメンタリティそのものだとは思う。
(因みに、「エキセントリック少年ボウイ」は戦隊モノのパロディで、松本は、片腕が義手型のマシンガンになっている「敵か味方か油断できないカウボーイ」役であった。片腕が義手型のマシンガンになっているのは端的に寺沢武一の名作「コブラ」であり、当時よりむしろ現在の松本のルックスと相同性が高い。結婚に際し、松本はパンプアップして金髪になり、要するに「結婚して<コブラ>になった」と言える)
フジという悪の組織をぶちのめし(=何の痛手も喰らわなかったので)、特撮ヒーローとしての松本はその勢いに乗り、「大日本人」で映画監督デビューするが、その際「日本の映画界をぶっ潰す」と発言している。日本の映画界という旧弊を悪の組織視したセリフであり、しかも「大日本人」は<零落したヒーロー(落雷と神道の呪文によって巨大化し、「獣」という敵を殺し続ける)>の物語である。
要するに強く一貫しているのである。優しく知的で、シャイで後輩想いな松本はしかし、目の前の悪の組織が立ちはだかるや否や「変身」するのである。Xでの「戦いまーす」が、「アムロ、いきまーす」であることはアニメの話をほとんどしない松本によるものが故、また「機動戦士ガンダム」が勧善懲悪の特撮モノとは程遠い作品であるが故、指摘されないが、ほぼ自動的な「ヒーローのセリフ」としての引用であろう。
文藝春秋が「文春砲」を自称し(厳密には「他称を満足して受け入れ」)、「いつでもネタは握っていて、ここぞというときには一発食らわせますよ」という、公安警察みたいな自意識になっているのは、いわゆる善悪の入れ子構造である(公安は、いつでも逮捕できる芸能人を常時、多数泳がせており、一斉検挙はしない。その方が遥かに共犯者が怯えさせ、コントロール下に置くことが出来るからである。ピエール瀧が逮捕されて、石野卓球が一緒に挙げられないのは、卓球が何もしていないから。ではない。公安のやり方はヤクザのやり方と同じである)。
僕(と谷王)は、1冊(上下巻になっているが)だけ文藝春秋から著作を出している。「アフロディズニー」がそうだ。打ち合わせで本社会議室に行ったことがあるが、2012年の段階で、昭和の豪華応接間みたいな会議室で、全テーブルに鈍器系のガラス製灰皿と金の立派なライターが備え付けてあり、あまつさえ「フリーのセブンスター」が全テーブルに埋め込まれていて(ちゃんと箱から出して、綺麗に詰め込んである。なくなったら補充できるようにしてあるのだ)、会議しながら好きなだけ喫えるのにはちょっとびっくりした。まあまあまあ、「組事務所」ですわな。要するに、前述、正義と悪が入れ子構造になっているアレである。
とはいえ「そもそも国文学の啓蒙という目的があった文学誌が、ダーティージャーナリズムに堕した上に、正義の味方みたいに自己正当化していることを、<変身前>の松本が義憤に思い、特撮ヒーローとして立ち上がった」わけではない。
松本は高い社交性もあるが、その社交性は自閉性に基づいたそれであり(あれだけ開放系の家族しかいなかったら、その家で成功するのは、家族全員の逆の欲望=閉鎖系を担った者。しかいない→フロイド)、基本的には孤独のヒーローだ。松本は、ベッキーやあらゆる誰それと自らを横並びに連帯したりしない。善人ズラした悪の組織が自分(と、可愛い後輩)を砲撃してきたのだから、変身して戦うだけのことだ。
ほとんどの有識者が、<躾を教える師匠がいなかったせいで遊び方が汚い><才能があるとはいえ、社会人としてダメでも良い。というわけではない>ぐらいまでは言及するが、文春と松本の戦いが、他の数多の戦いよりも退行の匂いを強く香らせているのは、「特撮ヒーローもの」として、相互補完的に完成しているからだ(それこそベッキーと比べてみると良い。ベッキーは変身しないので、恋人の川上絵音もろとも砲撃をただただ喰らってしまった)。
どちらも自らの中に、アウトモード極まりない「正義のヒーロー」がいるのである。好敵手と言えるだろう(会社としての比較を冒頭に挙げたのはそのことを意味している。特撮ヒーローは怪人や怪獣と「大きさ」が揃っている。「サイジング」は、21世紀の人間にとって、のっぴきならない価値観として再浮上するに決まっている)。
戦争とは正義と正義の戦いのことである。正義だとか戦闘だとか、幼稚なポテンシャルを容認してくれる世の中では無くなってしまっているのに、松本は変身と怪獣退治がやめられない。絵に描いたような反復(→ゾンディ心理学に有名な)だ。ここにこの件特有の痛さと奇妙な甘さがある。
民事なので、というか、そもそも文春は書いただけで告訴はしていないので、巷間飛び交っている「逆告訴」は拡大解釈になるが、要求額の5億5000万は、一見巨額に見えるも、松本の年収を考えれば、ケチくさいとまでは言わないものの(タク代は残念ながらケチを超えている。グランドハイアットでパーティーして、帰り際タク代50万だったら女性たちは黙っていたかどうか、全員が冷静に真剣に考えるべきだ)、休職して裁判を4年やったらあっという間に消える額だ。
有能な弁護士と相談して、<3~4年かけて勝訴>ぐらいの目処がしっかり立った上で、名誉毀損と休職被害に基づき、10~15億ぐらいにしておくのが実写版サイズというものであろう。5億5000万は<特撮ヒーローものの額>だと言える(逆に「1000億!!」と、ロトみたいなことを言ったとしても特撮サイズ。負けた方が倒産してしまう笑)。
「あの時は、映画も当てられなくて、、、、レギュラーも減ってた時期で、ちょっと自分的に、、、、荒れてしまっていたというか、、、、後輩と楽しくやってたつもりやったんですけど、僕、子供っぽいところがあって、後輩にナンパさせたり、、、、色々、、、無茶してたのに気が付いてなかった思います、、、、そんなつもりはホンマ、ホンマになかったんですけど、傷つけてしまった方を出してしまったのは事実ですし、お世話になった方々、ファンの皆さんに軽蔑されるような事をしたと思います。家族とも、、、、ちゃんと相談して、会社とも相談して、傷つけてしまった方々や、その家族の皆さん、ファンの皆さんのお許しを頂けるまで謹慎させて頂きます。僕は笑いしかないんで、違うことできませんので、それを止めることで償うしかありませんので、、、、ホンマすみませんでした」
と<正解>は別に難しくない。文春もこう出られたら汚名を上げるしか術はないので、負けるが勝ちとまでは言わないが、ドローには持ち込める。復讐は後から好きなだけできる。知的に簡単な正解を出すより、幼少期に築き上げてしまった自己像から生じる内的衝動や、内なる罪悪感を払拭せんがために合理化された正義を振りかざすのをやめる方が人間には遥かに難しい。
また、松本のミソジニーがモロに出てしまったのも、本件の痛みを増している。大変なロマンチストであろう松本が、ロマンチストであるが故に、恋愛には奥手かつドープであろうことは予想に難くない。あらかじめ尊敬して言い寄ってくれる女性がいなかったら、後輩にカキタレ集めさせるしかない。後輩と自分たちだけのホモソ空間の中、自負心と自尊心がスピードボール(コカインとヘロイン)のように、ミソジニーを加速 / 増幅させる。
あらかじめ師匠がいないまま大物になった松本を支えるのは、後輩しかいない。彼等が揃って「すごく世話になった」「頼れる偉大な先輩」と言うのはフォローでも自己保身でもない。後輩から本当に愛されるのに金はいらない。圧倒的なポテンシャルで叱咤し守ってやるか、リスペクトを受けながら、頼りなさや弱さも露呈しないといけない。
松本と浜田はこの凹凸が見事に噛み合った、文字通り完璧なコンビネーションだったが、尼崎という荒れ場で育った2人は<カキタレはカキタレやん。ちゃうん?>という点では同類であり、補完的なフォローアッププレーが出来なかった。と考えるべきだ。
松本の孤独と自閉、特撮レベルのヒロイズムは、とうとう吉本も守ってくれないほどに至った(「気がついたら」吉本の社長と副社長はダウンタウンの元マネージャーの2人になっていた。この経緯については過去の吉本ロンダリングと関係があり、詳述するとルポライト本になるのでここでは省く)。
絵に描いたような孤独だ。本件の唯一の救いは、同じ階級(重量=サイジングが同じ)の好敵手同士であるが故、完膚なきまでの虐めの構造を持たないことだったのに。
ただ、この時、松本に最初に同情するのが他ならぬ文春であることも間違いない(同情しても実際は何もしないし、同情していることに自覚さえないだろうが)。松本を本気で愛する後輩たちも、仕事が増えたり、ステイタスが上がったりする甘味に抗う必要はない。
カキタレであろうがマジボレであろうが、ポテンツは相手を喜ばせ、可能な限り大切にする以外すべき事はない。それは誰もが思っているよりも簡単なことで、ポール・マッカートニーが言うように「すべての羞恥心を捨てさえすれば」誰にでも出来ることだ。ミソジニーもフェミニズムも、このメカニズムを破壊してしまう。
現実界の伴侶でありながら特撮ヒーローものの登場人物ですらない松本の妻子が可哀想だ、とは全く思わないし、悪いフェミニズムと悪いジャーナリズムが世界を劣化させている。とさえあまり思わない。そんなもんは恐らく石器時代から先祖がある。
それより「松本人志が孤独」かつ「余りにオフェンシヴに対応した」したのは(妻も子もいないのがテンプレである)特撮ヒーローものに感受性を育まれ、師弟制度廃止という大英断の元に才能を発揮して天下取りをしたからである。松本人志は変身して怪獣と戦う。こんな簡単な指摘に要する、ほんの少々の知識や冷静さを欠いた、クリシェ以下の戯言(被害者の気持ちになれとか、松本はもう面白くないとか、裸の王様だとか、キャンセリングだとか、もう、いっぱいあるでしょ)が一斉に溢れかえるXという世界自体が一番恐ろしい。あ、節分だ!鬼はー外!!福はー内!!
「◯◯刑事」っていうのも、もう流石に新しいの出ないでしょ。と思いながら「刑事コロンボ」の研究本など書き書き、茫漠とテレビジョンを見ておりました所、「うっはー何だってこの刑事のネーミング笑!!おっもしれー誰だ考えたの!秋元康かー笑!!!さすが天才えっぐー!笑」なんつって腹を抱えてお