17 そのとき、預言者エレミヤを通して言われた事が成就した。 18 「 ラマで声がする。泣き、そして嘆き叫ぶ声。ラケルがその子らのために泣いている。ラケルは慰められることを拒んだ。子らがもういないからだ。」
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預言者エレミヤの預言。
その成就。
「ラマで声がする---」の箇所を読んだ時、正直、これが 幼子イエスさまへのヘロデによる迫害で引き起こされた惨事とどう結びつくのか、全く結びつきませんでした。 よく、前後の文脈から理解するようにとお勧めを受けます。なおさら、なぜ、ここが?イエスさまの時代のベツレヘムに適用されるのか、マタイさんは なぜここが「預言」だったと結論づけたのか、私はぜんぜん理解できませんでした。
clayさんの解説。
(1)これもまた、当時のラビたちが行っていた旧約時代の引用法の一つで、歴史的に起こった「実際の出来事」を取り上げ、それを現代の出来事に「適用」しようとするものである。
(2)エレミヤ31:15 の文脈は、バビロン捕囚である。すでにエルサレムは滅び、ユダヤ人たちがバビロンに引かれて行こうとしている。息子たちとの今生の別れを惜しむ母親たちが、ラマ(エルサレムの北にある町)で嘆いている。ここでラケルの名前が出てくる。ラケルは、イスラエルの民の「母性」の代表であり、象徴である。
(3)マタイ2 章では、ベツレヘムの母親たちが2 歳以下の男の子たちを亡くしたことで嘆き悲しんでいる。これが、「実際の出来事」の「適用」の部分である。
過去の出来事を現代の出来事に「適用」する。
現在の状況を、過去におこった同じような状況を用いて説明する。
「歴史は繰り返される」といいますが、そのことと「預言の成就」との関わりが今ひとつ掴めないでいます。この箇所は純粋に「預言」なのかなぁ・・・と、妙にくどくこだわる私デス。
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引用します。
※BIBLEnavi870p※
【2:17-18】
ラケルは、旧約聖書にある神の偉大な民の1人ヤコブのお気に入りの妻だった。そのため、彼女は民族の母と見なされる。 ヤコブの12人の息子たちから、イスラエルの12部族が起こった。 ラケルはベツレヘムの近くに葬られた(創世35:19)。この節の重要性については、この節が引用されたエレミヤ31:15の注を参照。
※BIBLEnavi687p※
【エレミヤ書31:15】
ヤコブのお気に入りの妻であったラケルとは、アッシリヤ人により捕囚に取られて行った北民族の母の象徴であった。 ラケルは強制移住の準備地点であるラマで、捕囚のために泣いている様子が描かれている。 この節はマタイ2:18において、ベツレヘムで男の子どもが殺された母親たちの悲しみを表すために引用されている。 どちらの場合にも、その嘆きはおおきなものだった。
※新実用聖書注解1050p※
<ラマ>(15)、エルサレムの北方8Kmほどにある町。 バビロンに移住させられる前に、捕囚民が集められ、嘆いた場所。ラケルの墓もこの近くにあったと思われる(参照創35:19、20、48:7、Ⅰサム10:2)。
<ラケル>、ヨセフの母(創30:22,24)で、エフライムの祖母。 北イスラエル(エフライムと呼ばれた)の捕囚を最も激しく嘆いた人物として言及されている。
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現在の状況を過去に起こった状況を重ね、説明する。
なんとなく、わかってきたような気がします。
その「預言」的要素。
過去の事実は民族の記憶に「感情」として残っている。
「嘆き悲しむ」状態、「母」たちが「嘆き悲しむ」状況、それは、時代をさかのぼってバビロン捕囚の頃の「母」たちの「悲しみ」と連鎖するものであることを思い起こさせる。
その夜、ベツレヘムでは、幼子を失った親たちの嘆き悲しみの声が響き渡った。
まるで「ラマ」の再現のようです。
※新実用聖書注解1297p※
人口千人程度の寒村のこと、犠牲になった幼児は2,30人であったろう。 ここでもマタイは預言の成就を語るが、「成就するためであった」という表現ではなく、<預言者エレミヤを通して言われた事が成就した>(17)と中立的な言い方をし、悲劇が神によってもたらされたという印象を避けようとする。
ヤコブ=イスラエルの妻ラケルは、イスラエルの民の母を代表している。 そのラケルが捕囚となり連れて行かれるイスラエルの子らを思って泣いている(エレ31:15)その嘆きが再現した。
しかしエレミヤの預言は子らが帰って来るという希望の言葉の中にある。 涙が涙で終わらず、悲しみが喜びの序曲となる。 メシヤの到来が、悲しみに終止符を打つ希望の使信となるからである。
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<clayより>
この悲惨な出来事の中にも、希望の光はある。エレミヤは、捕囚の先にある希望について預言した。それは、イスラエルの子らはやがて帰って来るという希望の預言であった。神の計画を長い目で見ると、ラケルの嘆きは捕囚からの帰還という希望への序曲となった。それと同じように、ベツレヘムの悲劇は、メシアによってもたらされる希望への序曲となった。
神の国と悪の国がぶつかり合って深い嘆きがもたらされたのであるが、最後は神の国が勝利する。
私たちの嘆きを喜びへと変えてくださる神の御名をほめたたえようではないか。
天の父よ。あなたは私の嘆きを喜びに変えてくださるお方です。生涯あなただけに付き従いします。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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年間聖書通読
エレミヤ書8~9、コリント人への手紙 第一12
本日も配信ありがとうございました。
m(_ _)m
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最近のニュースで ちょっと興味を引いたものに、OP参加のため訪日したウガンダの選手の1人が所在不明になったものの、保護されて 強制送還?されるというものがありました。
なぜ?行方をくらました?
事件?事故?
実際は、「日本で働きたかった」というものでした。
祖国での生活の「貧しさ」からの逃避行?だったのでしょうか。
なんとなく、やるせなくもなりました。
OP選手団の一員として訪日されたほどの「人」です。
「選ばれた」人であるには ちがいありません。
報道された表向きの「理由」と
彼のもつ真実の理由とは
若干ちがいがあるかもしれませんが、
いずれにしても、
国家間の格差?というものを少し感じました。
日本の現状も
外見と中味のギャップもあるわけで、
日本の暮らしを享受できる方々は
日本国籍者であれ、外国籍者であれ、
その中にも それぞれの「格差」があり
いずれにしても
「苦しい」場所は 以前として 「ある」、
のだということです。
突飛な行動?をとられたこの方、このたびの「挫折」に関わらず、つまる思いを抱えたままであるかもしれませんが、正しい方法は残されており、その道の開かれんことをと 思いました。
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誰しも「貧しさ」を好んで生まれてきません。
ほんとうに、
「貧しさ」はなぜ存在するのでしょう。
聖書にも
「貧しさ」のなくならないことは
書かれています。
わたしたちは2つの世界を生きます。
「今」ある世界と、きたるべき「世界」。
「今」ある世界からは、貧しさはなくならない。
聖書は教えます。
「貧しい」者と「富める」者の道。
今富める者は今貧しき中にある者を補い、
今貧しき中にあっても 富める者となって貧しき者を補う者たらんと。
<コリントⅡ8:14-15>
あなたがたの現在のゆとりが彼らの欠乏を補えば、いつか彼らのゆとりもあなたがたの欠乏を補うことになり、こうして釣り合いがとれるのです。
「多く集めた者も、余ることはなく、わずかしか集めなかった者も、不足することはなかった」 と書いてあるとおりです。
この御言葉、
なんとなく励まされます。
この世の秩序の中にも
神の御心の細やかな配慮を見る思いです。
今朝目にしたブログに
なんとなく 慰められました。
感謝をこめて貼付させて頂きました。
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ブログを書いていると、
突然、陽が射し始めました。
このたびの台風、侮れませんでした。
先島に向かっているとのこと、
70M級の風力を蓄えて。
数年前の 電柱なぎ倒しの映像が浮かびます。
45M級が最大だと思っていた時代は
もう はるか昔になってしまったようです。
時代で起こる事は
過去のありさまを 遙かに超えていきます。
過去に学びつつ、
過去の事象を超える事態を予想する術を
覚えていかなければならない
そんな気がしました。
外の気配に関わらず
屋内の静かさに 感謝です。
ハレルヤ
被害の最小にとどめられますように
と願います。
神の国と悪の国がぶつかり合って深い嘆きがもたらされたのであるが、最後は神の国が勝利する。
アーメン