二


「ほら、歩け」

「ああ。けどどこへ連れて行く気だ」

「いいから、ついて参れ」


 標高の高い山々が天をついている。

 それはさながら、地上から伸びる山々という巨柱が、空を支えているかのようにも思えるた。玄妙で、そして、壮麗な風景が、ざっと広がっている。

 最低でも百丈(三百メートル)、大きなものであれば千丈(三千メートル)級のそれらが、ときに雲海を貫いてそびえる様は圧巻だ。


 愁慈郎はその山々の一角たる角岳つのだけから、北東の仁嵯岳にんじだけへと向かっていた。

 角岳の峻険な山道を進む間、朽梨くちなしと名乗った女天狗は無駄口を叩くことはなかった。

 愁慈郎はちょっと居心地の悪さを感じていた。

 御神域に入った後ろめたさと、罪の意識。戦った相手は穢獣ケダモノ――神の庭を穢す化外をやっつけたのだから、むしろ、誇るべきことであろう。

 しかし、己の心を満たすのは、いたずらを見破られた悪童のような、奇妙な焦燥であった。


 角岳の北端にある、とある乗り物の乗り継ぎ場にたどり着いた。

 日はまだ中天に差しておらず、昼前といったところ。

 城までついてこいとのことだが、よもや、なにかの罰を受けるのだろうか。

 そう思うと、暗澹たるものが、視界を覆っていく気がした。


「な、なあ」

 愁慈郎は、いを決して口を開いた。

「なんだ。いらぬことを申すな」

「その……俺、やっぱり首を飛ばされんのか?」

「私の一存では決められん。だが、悪いようにはなるまい。穢獣ケダモノを、可能な限り瘴気を散らさずに打ちのめしたのだ。ま、場合にもよるが、褒美もいただけよう」


 それを聞いて安心した。同時に、「褒美なんかいらない」とも思った。

 愁慈郎にとって大切なのは、小判とか、たがねで削りながら使うための銀塊をもらうことではない。


「金銀なんかいらんが……」

「米がいいか」

「飯粒は……ちょっと、ほしい。けど俺は獣狩だ」


 さっさとねぐらの庵室に戻って、道具を揃え直し、次の日の糧をどのように得るのか思案すること。それが肝腎だった。

 お褒めの言葉も金銀もいらぬから、さっさと帰してくれ。それが本音である。


「なんだここ」

「乗り継ぎ場だ。待っておれ」

 愁慈郎は、乗り継ぎ場で「乗り物」が来るのを、じっと待った。

 その間、朽梨は乗り継ぎ場の奉行に手形を見せて、乗り込みの許可を得ている。

 愁慈郎の視線の先には、山が――仁嵯岳にんじだけが見えている。


 ここ「天嵐国てんらんのくに」は、母なる和魅大陸かずみたいりくの東地域にずどんと座する大国だ。

 知行はおよそ四千三百万石。これは、あくまでコメ本位をもとにした石高検地であるため、実情と実際の収入とは違いがあるが……。

 実際に天嵐国てんらんのくにの経済と貿易能力を決めているのは、コメではなく、豊富――ということばが「ぬるい」ほどの、膨大な鉄鋼資源であった。


索道搬器ごんどらか。荷物の運搬とかに使うんだっけ。最後に乗ったの……まだ、親父が生きてる頃だったな)


 待っていると、乗り物が――索道搬器ごんどら搬器はんき(=ケージ)が来た。

 仁嵯岳と角岳つのだけとを渡している鋼鉄の索道をはしる、木と鉄でできた駕籠かご。それが搬器である。

 この索道でうごく搬器を、その仕組みを含めて、索道搬器ごんどらという。

 山と山を移動する効率的な移動手段であり、天狗のように翼を持たずとも、短時間にあちこち行き来できる画期的なカラクリだ。

 この索道搬器ごんどらは、戦にも役に立ったと言われている。


「乗るぞ」

「落ちねえよな」

「縁起でもないことを申すな。言霊が宿ったらどうする」

「あ、え……悪い」


 よもやまことに言霊が宿っても困る。愁慈郎は前言を撤回し、大人しく、搬器に乗り込んだ。


 美しい。

 山々が、そこを行き来する索道搬器ごんどらが。自由に飛び回る天狗たちが。


 ――約百五十年前。

 大乱に飲まれ、飽くなき激動と騒乱に、終わりの見えぬ闇さえ迎えた和魅大陸かずみたいりく

 それを平定したのが樹洞子桜暁殿玄志郎玄慈うろのこのおうぎでんげんしろうげんじ――今現在、天嵐様と愛され親しまれる神、天慈玄慈命あまじげんじのみこと様だ。

 玄慈様を生み、育み、そして今や太平の中心である土地。

 この和魅地には、神は十重二十重、八百万ある。それらは血肉と御魂を持つものとして、人々と寄り添い、ともに暮らしていた。

 しかしわずか一代で太平の世を築き、直近で神に列せられたのは、この玄慈様ただ一柱だけであった。


「あれが仁嵯城?」

「そうだ。山を大規模に普請し、石垣を積み上げ、鉄で補強した。見えるか? 防護壁で山をぐるっと囲んでいるのがわかるだろう」

「渦巻状にぐるぐる囲んでるな」

「だいたい、七巻き半、壁が山を囲んでいる」

「ムカデがとぐろを巻くみたいにか?」

「龍と言わんか。幡龍壁ばんりゅうへきという建築様式だ。山の民なら聞いたことはあろう」

 愁慈郎は頷いた。

 知っているが、まさか、ここまで壮大なものだとは思わなかった。

 なるほど確かに幡龍――とぐろを巻く龍のごとしだ。


「あれが兄上の所領」

「どこからどこまでが?」

「仁嵯岳――仁嵯藩そのものだ。兄上は藩主なのだ」

「えっ、あ……朽梨の兄上殿は、藩主だったんだな」

「ああ……。おい、さっきからなにをきょろきょろして……」


 朽梨は――本当はここまで喋る気はなかったのだが、この鬼の若者は見るものすべてが珍しいようで、落ち着きがない。元服している十七の若者といえど、さすがに、この光景には度肝を抜かれるようだ。


(目が離せんな。索道搬器ごんどらから身を乗り出して、そのまま落っこちるのではないか、こやつは)

 口を閉ざそうにも、黙るべき時期を失い、つい喋り続けてしまう。あるいは朽梨自身が意外とお喋り好きなのやもしれない。


索道搬器ごんどらなんか滅多に乗らねえからさ。色々あるんだな……山ん中から見てるのと、こっから見るんじゃ、ぜんぜん違う」

「こら、お上りさんのように余所見ばかりするな」

「ご、ごめん」


 愁慈郎は、朽梨くちなしと名乗った大柄な女天狗に謝る。

索道搬器ごんどらって結構楽しいな。あんま乗れるもんじゃないけど」


 山風に揺れる搬器。床板がぎぃ、ぎぎ、と軋む。

 もしも床が抜けたらと考えると恐ろしいが、――朽梨が抱えて飛んでくれるだろうという、適当な保険を、愁慈郎は胸に抱いていた。そうでなければ怖くて仕方ない。


 山を吹く風を動力に、風車から得られた機械的な動力で箱型の搬器を動かしている。

 鋼鉄の索道をぶら下がって移動するため、なかなか、肝の冷える体験でもあった。

 宙吊りのまま移動しているから――いいや、もうこのことは考えたくない。


「私だってそうだ。滅多に乗るものではない」

(そりゃ天狗は飛べるからな。銭もいらねえし)

「なにか言ったか?」朽梨が、目ざとく(?)反応した。

「なんでわかるんだ。何も言ってないだろ。そうじゃなくて。高いだろ、索道搬器ごんどら手形は」

「ああ。手数料も兼ねて、数百文は取られるな」

 朽梨は苦笑した。


「大工の日当くらいは、取られる。とはいえ、この索道搬器ごんどらの整備や、手直しを考えたら、妥当じゃあないか?」と朽梨。


 大工の日当が、およそ五百文から六百文である。その稼ぎが一回の行き来で吹っ飛ぶ。

 けれど、たしかにこんな大掛かりなカラクリの修繕や維持を考えれば、妥当な額にも思えた。

「だからって気軽に乗ろうとはならない」

「ふ、まあそうだな」


 話をそらしたが、愁慈郎がさきほどしれっと抱いた文句は、見抜かれていよう。

 天狗には嘘が通じない。淨眼じょうがんは、醜い嘘をあばく。

 だが、頭の中までは見通せない。


「なんださっきから。良からぬ企みか? 私への不敬罪を申告してもよいのだぞ」

「口調のこと――ですか」

「それもある。まあよい。実直な獣狩ということにしておく」


 朽梨はやれやれとでも言いたげだった。

 気位の高い天狗のわりには、意外なほど、聞き分けがいいような気もする。

 天狗だからと、一括りにはできないが……。

 朽梨には、少々普通とは違う、愁慈郎にも馴染みやすいような雰囲気を感じていた。

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